EP4#
チラシ貼りの死人なおじいさんの話。
今日も今日とて地球の裏側の紛争地帯をみていた。
高校生になってからは特に増えた。もちろん子守唄は続けているし、さよならした子の見回りチェックも欠かしていない。手一杯になる前に夢の中の自分を組み立て変えたから、そこは無意識にこなせるようになっていた。
政争・紛争が絶えない乾いた街。そうだな、ひと昔のガザあたりからエジプトよりをイメージしてくれたらいい。
「おじいさん、何しているの?」
レンガの壁にチラシを貼っている、死人なおじいさんに声をかけた。
ん?なんだこいつ。という反応をもらった。まぁ、大抵死人はみんなそうだから私は気にしない。
「チラシ貼るの手伝ってあげる。二人なら貼り終わるかもよ。」
そういって私はおじいさんの横に座って勝手にチラシを貼りはじめる。
おじいさんはちょっと思考停止したようにみえたけど、すぐにチラシ貼りの作業に戻った。
だってそれが彼の未練だからね。死人は延々と繰り返す。擦り切れて消えてしまうまで。
でもちょっとは気はほぐれたようで、政治や社会問題に対しての愚痴をぶつぶつ言い始めた。
――私たちが貼っているチラシはアジェンダだ――
2大政党も警察も宗教も民間も誰もが声高に叫ぶ。私たちこそが正義だと。
最初こそ明確に人のためになることもあったのに、言い争ううちに正当化することが目的になってしまった。そして正当化するための政治しか行われなかった。そのしわ寄せは民意に及んで統制が取れない怒りを呼んだ。そしてまた破壊が進む。その繰り返し。
おじいさんはこのチラシがその社会問題を作り上げている一部だということを知っているんだろうか?
――文字が読めないのか、どうでもいいのか。たぶんその両方――
私は彼を憐れんだ。そして尊敬した。意味ない行為だと分かっていて政治について語ることを止めず、矛盾を孕んだチラシを貼り続ける彼のことを。
子どももいない。奥さんももちろんいない。一人でチラシを貼りながら死んだ。このチラシだって配り終えたら小指程度の乾いたパンがもらえるだけだ。しかも政府はチラシだけにはお金をかけるから、一日のうちにノルマが勝手に増える。数が数えられないまま、どんどん追加されるチラシを貼り終えられなくて小指程度の乾いたパンすらもらえない。
でもおじいさんはチラシを貼り続ける。だってそれだけが。どんなに意味がないとしても。彼が生きたと言える行為だったから。胸を張れることだった。暴動に参加せず、自棄を起こしてチラシを千切ることもなく、身に染みた動作で無意識に淡々と貼り続ける。
――時と場所さえ違えば、どんなに無意味と感じても子どもに愛と希望を語っただろう。どんな絶望の淵にあっても妻子のために最後の一息まで働いただろう――
だから手伝ってあげたかった。看取ってあげたかった。貼り終わることができれば彼はここから去ることができる。
とはいっても本当にきりがなかった。これでは到底貼り終えられない。こんな胸糞悪いチラシを貼るのもなかなか気分が乗らない。横の生きている若い男の人に声をかけた。ん?って顔をしかめられて終わった。当然だ。
あーあ。どうしようと思ったその時に後ろから何かが落ちてきたような爆発音が聞こえた。土ぼこりが盛大に舞う。
なんだ!?戦車か!?ここまで!?
「おじいさん。早く逃げよう!」
そういっておじいさんを掴んだ、けど。
土ぼこりから出てきたのは戦車でも武装した人たちでもなかった。
ざっざっざっざっと、こちらを気にするでもなく歩く奇妙な人間の集団。
ぽかんと突っ立っていたらチラシの内容がざらっと変わった。風景も私たちがいる壁際以外は砂漠にざらっと変わった。
「え。ライブ開催?しかも誕生日に?おめでとう!」
こんなことをするやつは一人しかいない。檸檬くんだ。私は嬉々としておじいさんに声をかけた。
「おじいさん!ライブ開催だって!ここに来るんだって!!」
まぁ当然、意味が分からないことを言われたと顔をしかめられた。私は気にしない。
アジェンダなチラシを貼るよりずっといい。こっちのチラシの方がずっと好き。
喜びに舞い上がった私は、夢の中をかけてチラシを配った。生きている人に死んでいる人に未来に現在に海も超えて。そしたらあっという間にチラシがなくなってしまった。
「配り終わっちゃった!これなら誕生日パーティーに間に合いそう」
いそいそと誕生日パーティー会場に向かう。廃品で組み立てられたような室内にはまだ誰もいない。それどころか飾りっけひとつもないしケーキもない。
――ケーキもないのはどうなの?ここは本当に誕生日パーティー会場なのかな――
そう思って立ち去ろうとしたら背後の机にケーキが出てきた。
せっかくの誕生日パーティーだから、隠れて檸檬くんたちが来た時に飛び出て驚かせてやろうと思った。
隠れながら窓から近づいてくる檸檬くんを見た。ら、目が合った気がした。バレた?とドキドキしながら隠れなおす。そしたらそのまま通り過ぎて行った。えぇ.……。君らしいけど。
いつも私たちこんな感じだよね。でも今日に限ってはいいんじゃないかな。だって誕生日なんだし。
「ねぇねぇねぇ、君と私でランデブー?」
――既に廃れた砂漠で何を思う――
こっちに来ないとひとりでケーキ食べちゃうぞっと。いや半分残そうかな。いや一切れ?
食べようとしたらケーキが怯えた気がした。ならいいや。そしたら怯えたケーキが「僕はケーキさ!」と一切れ差し出してきた。えーでも怯えているし…。でも結局圧に負けてケーキを食べた。食べたら視界がぐにゃぐにゃした。
誕生日プレゼントはどうしようか.……と心象風景を見渡せば立派な鍵盤があった。これならどんな音楽でも奏でられるだろう。でもちょっと砂漠が過ぎる。感情が乾いている。
ポーンッと一つ鍵盤を押す。怒られるかな?って身構えたけど気にもしないでざっざと檸檬くんは歩いている。だから気が大きくなって鍵盤をセブンティーンに染めた。どんな絶望も形無しの鮮やかな情動のプレゼント。わたしからの祝福だ。そして未来を占い見た。前向きでいいね。
乾いた砂漠にも感情があった方がいいだろうからリンゴの木を植えよう。未来をみれば半分はちゃんと実った。半分は枯れているし黒いけどちゃんとリンゴだ。大丈夫。
プレゼントを済ませてチラシ貼りのおじいさんのところに戻る。
戻ればすでにおじいさんは去るべく歩き出していた。おじいさんと一緒に砂漠を歩いていると檸檬くんも砂漠を歩いているのが別の目で見えた。分かれ道は必ず来るからしょうがないね。
またしばらく歩くと左手にはっきり檸檬くんの集団が見えたから駆け寄った。
わー!誕生日おめでとう!ライブもね!と照れ隠しもあって檸檬くんを振り回した後、隣の理解者くんに抱き着いた。君が例の!話は聞いてるよ。いつもありがとうね!
そんな挨拶の横、檸檬くんはさっさと歩くことにしたようだ。
だから私もさっさとおじいさんの方に駆け戻って、檸檬くんの集団に手を振ってお別れした。
「……ちらし.……。」
静かになっておじいさんがぼそりと言う。
「チラシは配り終わったよ、おじいさん。パンも貰ったよ。今日の夕飯には少ないけどちゃんともらったんだ。はい、これ。」
実のところこっそり確保していた小指サイズのパンをおじいさんに握らせる。
彼はまるで吐息のように未練をはいて空っぽになった。あたりに霧が立ち込める。
「手をつないでもいい?」
おじいさんが億劫そうに私を見る。
「一人で歩くのは寂しいから一緒に歩いて欲しいの。」
そう言って手を取ると、もう何も言われなかった。
二人で霧の中を歩いているうちにおじいさんは霧に溶けて消えた。