Ep3
夢の中のルール。
未来に行けるけど過去には行けない。正しくは行けなくなくはないけど何も変えられない。
過去に対してできるのは記憶を過去の自分に運ぶことだけ。それも両手で掬えるくらいの量だからどの記憶を送るか吟味しなくてはならない。
過去に記憶を渡すのは出来たら午前が良い。そうしたら午後にたどり着く。風が吹いていなくて周りに誰もいない見ていない。地熱と願いでシャボン玉が真っ直ぐ上にゆっくり登って空との境界が見えなくなったら成功。その前に破れたり風で流されてもダメ。鳥に見られても気づかれてもダメ。静かに誰よりも息をひそめてそっと祈る。
今の私は大規模に過去の自分の塗りつぶしたことはない。たぶん。でも16歳の夏前の期末期間に白昼夢見せられてイラッとしたことはある。白昼夢ではわたしはピアノを続けていた。時間切れになってしまったと青春を使い果たしてしまったとあなたは気を付けてと言われてしまった。私はピアノをやめた。
私の夢見は基本的に未来に渡っている。
なぜなら未来なら結果を変えられるから。
未来で干渉して良い結果がでなかったら少し過去に戻ってやり直す。そこの過去もまだ未来だから結果を変えられる。
この過去に渡っても眺めるだけだけど未来に渡れば変えられるルールは、どうやら他の人も同じらしい。
人の幸福を祈って子守唄を歌うための夢の中のルール。
自分の力を自分のために使ってはいけない。
たとえば、死人の雨を避けるために傘を作ったり逃げてはいけない(*半分以上残せば良し)。
誰かに傘を貰うのは良い。誰かに助けてもらうのも良し。
たとえば、殺されるときに自分の身を守るのはだめ。閉じ込められるのに抵抗してもいけない。
基本的に夢見先を自分で選んではいけない。選べない。
何故かというと人のために祈る力にバグが入ってしまうから。
その人のためになると思ってかけた言葉が、心に正しく届かなくなってしまう。
良かれと思って願った道がその人には地獄になってしまうから。
その人の人生と心に寄り添えなくなってしまうから。
アドバイスというものは空っぽになってその人に寄り添った上で命から出る回答でなくてはいけない。
作った不可逆のルール。
「でこぴんるーる」と呼ぼう。
夜や悪夢を浴びる前に、個が認識できなくなることと私が気狂いになった時のことを案じて、死人のお姉様とひざを詰めて作った。結構作ったので大まかなものだけ。
1、夢の中で私は一度でも祝福した相手を攻撃できない。どんなに私が強大な呪いになろうが過去の私の願いが勝つ。
2、祝福された側からだとデコピン一つで正気に戻る。二人以上揃うと息を止められる。
3、夢の中で祝福されたもの同士で喧嘩してもお互い傷をつけられない。
おおまかだとそんな感じ。
今から思うとそんなに大層なもの必要だったか?って思いもするけどヒヤリハットは結構あった。
ロボットなお兄ちゃんを攻撃してしまったり、4歳児の知能で行われたドーナッツな逃走劇では本当に作ってよかったと後から胸をなでおろした。
あと、二人以上揃うと息を止められるルールは別の使われ方された。黒猫二匹を装って死人なお姉様を突破し私に精神DPS攻撃しに来た。つい最近の夢だ。
追記。私の生まれた怪物が個人訪問を続けているみたい。やっぱり一気に億を数えるとはいかない。夢の中といえど頭がパンクするんだろうな。1のルールがあるので祝福されている人はうらめしや言われるだけで終わる。でも結構怖いと思う。
祝福先の未来を読む。占う。
基本的に夢の中で誰かの未来とかは見えない。私が関わると決めた相手にだけ祝福した結果と未来がどうなるかを知ることができた。
悪い結果だと見えない。そうゆうときは私が何か見落としていたり認知のズレがあったりしているということなので、その子の絶望の海に潜りなおして幸せな記憶を探す。いい結果と結論が出るまでそれを繰り返す。
黒猫について。
私は黒猫が好きだ。たぶん自覚している以上だと思う。
10歳のとき11歳の黒猫を家庭事情で飼えなくなったってことで譲ってもらった。
抱っこなんてさせてくれないのに、寝る時は悪夢で苦しむ私の側にいてくれた。そのせいか今でも黒猫を夢に見る。性格は良いとは言えない。
真っ白なオーケストラさん。
これは一番重要なことだけど私は夢の中で歌っていない。いや歌ったは歌ってるんだけど美化されている。それにバックミュージックは私じゃない。
私の命の音やイメージや考え事を曲にしたのはこの人です。
私を小学2から夢の中で定期的に出てきた。色んな曲を鳴らされ一晩中頭突かれ泣かされました。一番意味わからなくて一番多く見た悪夢です。でもこないだ力加減を覚えてくれました。ピピって小鳥みたいで可愛かったです。脅迫のつもりじゃなかったみたい。仲良くなりたいらしい。なんだか少年みたい。
「悪魔でも何でも誰でも良いから助けて―」に反応するのでそっち側です。
私の思念とか言っていることは届かないけど、X とかに書き込むと反応してくる。たぶん。
いまは心臓をサポートしてくれている……感じがする。
なんか幽霊みたいなお月様?な、お月さん。
神霊か?って言われるとよく分からない。わたしからすると幽かな雰囲気のせいで幽霊みたい。それも気のせいかな?って思ってるくらいよく分からない。
困っている時に月を見上げていると解決策とかがフッと沸き起こる。そこに論理的思考はない。
こないだ全身激痛と腹痛で悶え苦しんだときに月をみていたら、漢方薬と乳糖っていう回答が出た。すっごいね!!!ありがとう。命拾いしました。
夢の中の豊富な言語はこのお月さんのおかげ。私が言いたいことを表す言葉を探していると、ㇲって差し出してくる。差し出されたまま歌う私も私だけど。
本が友達といえるくらいには陰キャな私でもここまで豊富な語録はない。英語なんか特に。
中学高校と体調悪いうえに、起きても寝てても眠くて授業なんて頭に入らなかった。授業中に起きながら別の景色みたりする白昼夢をみることもある。英語45点とったことある。
仕事のために諦めずに英語は勉強していたけど、20歳ちょっとくらい?に英語の夢を見たときに必死で英単語を探した。でもどの英英辞書にも見あたらなかった。その時にはまだ単語が存在していなかった。見つけられなかった。
漢字も同じく。2文字だったりとかは覚えていたから頑張って調べたけど見つけられなかった。3日くらいでその夢も忘れたので調べられないままそのまんま。私はそんなことが多い。
夢の中の子守唄では「わんこそば」みたいな感じ。私が表現したい言葉が出なくて詰まってたらお月さんが言葉をよそってくる。その横で白いオーケストラくんが私の心境を音楽で実況してる。楽しそうでなによりだよ。私を好いてくれてありがとう。
「雷くん」
ニャーゴから助けてくれた。ニヒルな嘲笑と俺様が特徴。問答くんをライバル視していた。
雷くんが問答くんにそそのかしたのだろう。やり取りをうっすら思い出した。ケーキは問答くんだ。なんてことだ。そのくせ雷くんはチッと舌打ちしている。問答くんのことが嫌いじゃないようだ。
夢の中の名前。
これ結構びっくりする。夢の中の私の名前と現実の名前が違う。そして夢の中ではっきり名前が分かっているのに目が覚めた現実では靄がかかってしまう。
皮肉屋の人魚さんとは夢の中で名前で呼び合っていた。人魚さんが女の子になる前だ。夢の中で私は彼の名前を毎度覚えていたし、彼も私の名前を呼んでいた。でも目が覚めると靄がかかってしまう。
不思議だ。
彼と一緒にいると私が遊んでしまうので誰かに不興を買ってしまったのは覚えてる。私のせいね。
夢の中の死人なお姉様。
マイお姉様、夜の街のお姉様、そしてふわっとしたお姉様。
この三人が力が強くてずっと一緒にいてくれた。地球の裏の凌辱の体験を変わって受けてくれた。
マイお姉様は私へのきついアドバイスとノートリアスとの繋ぎ役も兼ねてた。夜の街のお姉様は蟻地獄さんに惚れ込んだ。ふわっとしたお姉様はオールマイティになんでもしてくれた。
夢の中の姿。
結構自由が効く。蝶になったり月になったり。子どもになったり男になったり女になったり。必要なのはイメージだ。その姿になるためのきっかけのイメージさえ出来たら良い。
例えば。月になる時は月の前で踊った。お月さんが協力的じゃないから私が月になるって言い放った。私は円鏡。人が覗き込んでいう。私は美しい。私は醜い。私は円鏡。みんなの小さな未練を願いを光を集めて輝いて輝く。私は月。
二十代後半から男性だったり女性だったりかなり自由が効くようになった。24歳と31歳の12/25は酷かった。特に31歳の夢は男女に夜這いされたけど私も男でタチでノリノリだった。なんでやねん。BL読んでたから?
夢の話を整理すると問答くん関係だ。
死人に子守唄を歌うことは最終的に私の力になった。
未練というものは願いだ。こうゆう世の中であって欲しかったという願い。私は問答や子守唄を通して背負い集めていった。それをもって社会問題を考えて結論が出ては子守唄を歌う。良い占い結果が出るまで繰り返す。そうして祈りという力をつけていく。
超えられないもの。変えられないもの。新しい価値観に身を染めては問答に立ち戻る。
時間がなくて命を裂いて分裂し影を増やして目を増やした。夢の中で大切なのはイメージだ。積みあげた折り紙を紙一重にずらすかのように自分の命を分離させて目を作っていく。
そんな私を色んなヒトが助けてくれた。
結局のところ助けてもらわないと最後まで歩けなかった。ありがとう。
月の話。花火の話。
悪夢も現実もしんどかった私にとって夜空を見上げることは娯楽で、星座は詳しくないけど夏の夜空に映える花火も満月も好きだった。花火はわくわくさせてくれた。月は眺めていれば心穏やかになったし、子守唄の問答の先やふとした疑問が解決することがあった。そんな幽かな閃きと新たな道をささやくような月が他の人にもあったらいい。そんな幽かなささやきは大人には効かないから子どもたちに夢の中で月を配ることにした。それでもダメだったら子守唄を歌おう。クジラになるためには死人のお願いだけで子守唄を歌うだけじゃいけないみたいだから。夢の中で人型になるかわりに蝶になったり月になったりして夢を巡回した。
特に「収集癖の少年」の後は月になって移動した。これなら捕まえられまい。
子守唄について。
子守唄といっても憂鬱・諦念・寂寞を払う一方的なものだけでなく、夢主や死人との問答もある。それこそラッパーが交互に言いたいこと言い合う感じをルールなしにしたような感じ。
問答になる場合は、クイックアタック無理なら即リターンで「さよなら」をする。もう少し私が成長して結論付けられるならまたチャレンジをする。
だから子守唄は私の歌というより、歌った相手との合作といえる。
もちろん問答にならなくて素直に聞いてくれるヒトたちもいた。更にいうなら子守唄を歌う目をかけてる子の横で死人との問答子守唄を歌うこともあった。その子に必要だったから。時間がなかったのもあるけど。
夢の中で何かを作る。イメージする。
私はこれに関してとても不得手だ。良いものを願って作っても悪いものになってしまう。悪意が宿る。作るなということなのだろう。種に水をあげることは大丈夫だ。種を植えて実がなることを願うことも大丈夫。既にあるものを無理ない範囲で変えることも大丈夫。ただ無から何かを作れば悪意を生み出す。そうゆう感覚がある。
代わりに自分を何かに変えたりすることは私の得意である。
たとえば。自分を割くうえで七つの大罪のように感受性が分裂してしまったらそれは私ではない。目をかける子守唄のその子に私という情緒すべてが寄り添わないといけない。
寄木細工を知っているだろうか?あれはカンナでいくら削っても同じ図面になる。つまり同じ情緒の私だ。命を寄木細工のようにみたて千羽鶴用の折り紙の山を崩すかのように紙一重にずらしていく。削ったら痛いからね。
「雷くん」は夢の中どうやって梯子を作ったんだろう?彼自身なのかもしれない。
2025/05/27(お姉さんと一緒におじゃべりしながらシーツを洗う)
私はどうやら過去に見た夢をまた見ることが出来るようだ。それは過去の自分に重なっていたり、過去に見た登場人物が私だったりする。夢の中で私が二人以上揃うと明晰夢になるようで私が小3くらいのときに見た夢だ。シーツ洗わなきゃ面倒だなぁって思うたびに「シーツ洗いなよ~楽しいよ」って夢を見るのだろう。
2025/05/26(ミドルエイジにレシピを聞かれる)
まぁ。たぶん北米だ。公園を囲んだ街並みの地図をかいたら喜ばれた。私のとなりには9歳の私がいた。私は14歳?くらいの私と重なっていた。
9歳目線をおもいおこすと「お姉さん遊ぼうよ。遊んで。」といった感じで14歳の私にまとわりついていたけど諦めて電線を渡って遊び始めた。14歳の私はミドルエイジを警戒していた。「いつもの鶏レバーの甘辛煮がいい」と言われ32歳の私は「あぁ、レシピが欲しいのね」と納得して目が覚めた。
オニ。
寂しさ。空しさ。どうやら私自身だったようだ。たぶん。
蜘蛛の巣の蝶。
云うなればユリアヌス。例えるならジャンヌダルク。歴史の転換期で悪意を被って非業の死を遂げる命運。この蝶を殺してくれる子が必要だった。殺意と愛を矛盾なく持てる、そんな子。
お月さんに力を注がれる。
正しくは流しこまれて飽和しそうだったから、自分も自分をお月さんに流しこんだ。そうすると空いたスペースにさらに流しこまれる。また自分をお月さんに流しこむ。延々と続く。たいぶ苦しい。命に直接接吻されているような気分になる。痛くなくてよかった。
アリス。
女性はみなアリスだ。それぞれが夢の中で世界を持っている。また力のベクトルも有り方も皆違う。
迷えば世界で苦しむ。導けば己の世界で女王であり女神であり魔王であり裁くものであり支配者である。
だからこそお互いの世界は不干渉が基本だ。誰かに付き従って助けるなんてほとんどない。
去らずに私を助けてくれたお姉様方に尽きぬ感謝を。
夢の中の力のベクトル。
人によって力のベクトルが違う。
男女でもちろん性質が違うけど、女性の力のベクトルはE・ノイマンの「グレート・マザー:無意識の女性の現象学」の説明が1番しっくり来た。男性は攻撃したり祓う力を持つ人が多いように思う。幼馴染は例外だ。
そして私は子守唄特化の防御なし攻撃なしだ。スピード命だ。逃げ回り転げ回る。皆んなの手助けなくては歩ききれなかった。本当にありがとう。本当に歩ききったという感覚があるんだ。
夢の中では無意識レベルの意味が伝わる。
「カッコいいお姉さん」とこの夢で気がついたんだけど、夢の中では歌詞の意味だけが伝わってきたけど現実では苗字歌だった。「指を指してはいけません」の子も知らない言語を話しているのに夢の中では何を言っているのか理解できた。
言語や歌に関わらず、意味を込めればアーやウーでも伝わるのだろうかとも思ったけど、私は英語を拒否られているので本人が無意識のレベルで意味を含めていることが大事なようだ。たぶん。
夢の中の赤い糸。
この赤い糸は人が自分で結んだり外したりとても自由に出来る。なのにどんなに強い目に見えないモノから出会いを守ってくれる。
夢の中の電化製品。
常にコンセントが繋がっている物は性格があって人に影響を及ぼしている。テレビは思考回路。冷蔵庫は大黒柱みたいな信念。電子レンジは家族愛。
我が家のテレビと電子レンジは、元気な9歳に悪質判定を出され電子レンジは寿命を終えた。テレビは私がコンセントをだいぶ前に抜いている。
チキンレース。
2025/04/19にあった13歳meets32歳な春の夢は、私のところへ道を繋ぐ夢でもあったみたい。何かに追われるたびに未来へ逃げては何かして戻っていたけど、それはここのチキンレースの時期だったようだ。畳み掛けるように13歳〜16歳の夢が現実化している。
私の夢の中を現実に知覚する人がいたとして、街中で様々な年齢の私が何かに追われながら走り回っているのを目にするのかと思うとちょっと面白い。
私が割いた命は1億とかそんなじゃない。幾億とワラワラ街中に溢れて逃げてはこけている少女を茫然と見ることだろう。もしよかったら追ってくる何かを祓って助けてほしいな。
夢の中の物を動かす。
私はほとんどやったことがない。許諾を得て依代にして動かしたりは少しあったけど、やっぱり動かすっていうのは大変なことだ。
そして私は自分の為に物を動かすことは出来ないけど、人の為なら出来るみたい。
物を動かす時は、引っ張るより押したり払ったりするイメージの方が動く。引っ張るのは何十倍も力がいる感じがする。
追記: 初めて物を押したのは小学低学年の時だ。現実で姉が念じてちゃぶ台の上に立てたスティックノリを引き寄せられる気がすると言ったので、私も一緒に念じて姉の方へ押してみた。そしたらノリが3cmほど本当に動いた。あれは姉の願いを叶えたかたちになるんだろう。
依代について。
人形など物は動かせて1mだったりする。私は好きじゃない。あとその人形や物に許可もいる。
初めてベイマックスとコミュニケーションが取れたのは、夢の中のブラウン管テレビだった。でも出来て雑音かSE音でYes/Noを表現する。
PCは性格によりけりで、あんまりゴテゴテシステム入ってない方が好き。素直なシステムが1番だよね。
夢の中、iPhoneやスマホで「突撃!あなたの手元に!」みたいなことになったことある。繋がっちゃってお互いにビックリした。
記憶の塗りつぶしについて。
ピアノちゃんのピアノ(内緒話)や、皮肉屋の人魚さんのジャズ(内緒話)は1曲まるまる塗りつぶされている。
つまり聴覚的記憶の塗りつぶしが行われている。それだけでなく緑の髪の女の子の話に関しては視覚的記憶の塗りつぶしが行われている。
この時点で言えるのは、聴覚的記憶と視覚的記憶の塗りつぶしが出来るってことかな。
子守唄の繋がり先。
子守唄は力が強い人や死人のお願い以外だと、いつかの前世で私の子どもだったり兄弟だったり配偶者だったり血のつながりがあったり大切にしていた人に繋がっている。
別の世界線に行く。
優しい神さまのからくり仕掛けの橋は向こう岸に渡ったら神隠しにあうので蚕の神さまにお願いしてネットで受け止めて貰うまでがセット。世界線の違うところに行ける。世界線を渡ったことによる複雑な帳尻合わせをしてくれたような。記憶が曖昧。
夢の中の良し悪し。
夢の中で目をかけている人の為に動く時、良いものと悪いものが直感で分かる。私の子守唄のデータベースと祈りと願いに沿って判断される。その上で未来を占い見た結果なので、そこに理論はなく正しい。
夢の中の時間と現実の時間は流れが違う。
これはみんなそうだと思う。書く必要もないかなと思うけど一応書こう。例えば1人の苦しむ人間の一生に連れ添ったとしても、現実では5分とかの間に見る夢だったりする。でもその時の苦しみも悲しみも全て本物で、そんな夢を梯子して歩く。夢の中で永遠を数えるほどに祈り続けても、それは一晩に見る5〜6個の夢の1つだったりするの。