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あいつのGTサンパチそれから~

 あれから5年が過ぎた。

 だけどそのときハナは、思い切り引きこもり中だった。

 あの夜、「死にたい」と思って夜中に家を出て、それからコウヘイにバイクに乗せてもらい、イルカ岬まで走って、そしてコウヘイに諭された。

「死なない」ってコウヘイと約束した。

 でもすぐにパトカーが来て、両親の元へ連れ戻され、そしてまた「お習いごと」のオンパレードの、吐き気がするような日常へと連れ戻されてしまった。


 だけどそういうことが全部嫌だったハナは、それから習い事を全部拒否し、高校へも行かなくなっていた。

 だけどお母さんが、ハナをなだめたりすかしたりして少しずつ登校させ、でもたいていは「保健室で自習」という形だったけれど、校長先生にも頼み込んで何とか高校は卒業できた。

 それからとある地元の、地味な女子大へ通い始めたものの、1年生の5月から大学へはぱったりと行かなくなり、そしてそれ以来数年間、日がな一日、自分の部屋でごろごろしていた。思い切り引きこもってしまったんだ。


 そんなハナは1日14時間くらい寝ていた。

 午後7時ごろ起きて、午前5時ごろ寝る。もう昼夜逆転中。夜中に起きていても、少女漫画とかゲームとかDVDとかネットでうろうろとかばっかり。

 あの夜、コウヘイに死んじゃダメだと言われたから死なないだけ。少なくともその約束だけは守りたかった。だけど…、だけど何もやる気にならなかった。

 そして本当なら今頃大学四年生だけど、思い切り休学して、結局退学。


 ハナはそんな状態だから、それでハナのお母さんは毎日午後8時頃、ハナの部屋に「朝食」を、そして夜中の2時頃に、「昼食」か「夕食」か分からないけれど、その日二度目の食事を運ぶ。とりあえず一日ニ食はきちんと食べていた。

 お母さんはハナの部屋をノックし、ドアが開き食事を渡す。ハナはぶすっとしてそれを受け取るだけ。

「気分はどう? 体調は悪くない?」とかお母さんが訊いても、ハナは「普通」とだけ返事する。


 そんなハナの様子に、お母さんは憔悴しきっていた。

 上の姉二人は順調に大学を卒業し、今は立派に社会人。

 だけどもう22歳にもなるのに、ハナは…


「どこどこのお子さんはあれを習いこれを習い、そしてどこどこの有名大学へ行き、今は何々という一流企業で働いているんですって。でもってうちの子はあれを習いこれを習い、そして今はどこどこの一流大学の四年生なんですのよ。おほほほほ…」


(きっとそんな見栄を張りたかった自分がいけなかったんだ。何て見栄っ張りな私…)

 そしてある日、お母さんがそう気付いたとき、

(だけどハナが生きてくれているだけでも、ありがたいことと思わなきゃね)

 お母さんはそう考え始め、自分にそう言い聞かせ続けた。そしてある日、見栄っ張りな自分からきっぱりと決別しようと一大決心をした。見栄っ張りな自分が、ハナをあんな風にしてしまったのではないかと思ったから。


 それでご立派な外車を手放し、きっぱりアルトにした。中古のアルト。

 それからブランド物もリサイクルショップで、豪快に二束三文で売り飛ばした。ブランド物って、買うときはご立派なお値段だったのに、処分したら唖然とするような二束三文。そうかと思えば数日後、そのブランド物が自分が買った時より高い値段で陳列されていたりして、もう一度唖然。

(ブランド物なんて、二度と買うものか!)

 お母さんは固く心に決めた。

 そしてご立派なお洋服も片っ端から古着屋へ出し、こちらは良心的な値段で取ってくれ、同時に地味だけど、カジュアルで着心地のよさそうな古着を買った。

 そして美容院で髪をこざっぱりと短く切り、それから化粧も最低限しかしなくなった。

 お金に困っている訳ではないけれど、ハナのために、とにかく見栄を張らず、そしてなるべく質素に生きようと決めたんだ。

 そして残ったお金で、ハナ名義の通帳を作った。


 そしてそんな小ざっぱりとした姿で、ハナのところに午後8時の「朝食」を持って行くと、ハナは意外にも、

「そんなお母さんのほうが、私、ずっと好きよ」と言ってくれた。

 ほんのちょっぴりだけど、何だか初めてハナと心が通った気がした。

 お母さんにはそれがとても嬉しかった。


 お母さんはいつも、ハナにはいい食事を食べさせてあげようと思っていた。だから食材には特に気を使っていた。新鮮なお魚とか、野菜とか、果物とか、そしてたまごとか…

 それでスーパーではいろんな食材と、そしていつも決まったたまごを買っていた。そのたまごは少し高かったけれど、殻がしっかりとしていて、黄身もぷりぷりですごくしっかりしていて、いかにも栄養たっぷりって感じのたまごだったから。

 そしてそのたまごのパックには、生産者の名前が書いてあった。

「コウヘイたまご」


 そんなある日、お母さんがスーパーで買い物をして、それから帰ろうと駐車場を歩いていたら、その「コウヘイたまご」と書いてある軽トラックが止まっていて、黄色いツナギ服を着た元気のよさそうな若者が、ちょうど乗り込もうとしていた。


 ハナと同じくらいの年頃。

(ハナは引きこもっているのに、この子は元気に働いているんだな…)

 そしてお母さんには、その若者がとても輝いて見えた。

 それから何となく、本当に何となくだったけれど、お母さんはその若者に声をかけた。


「いつもおたくのたまご、買わせていただいてますよ」

 そしたらその若者は目を輝かせ、

「それはありがとうございます! うちでは平飼いといって、鶏にストレスがないように飼って、餌だって自家製のとっておきのやつ、使ってるんですよ。ええと、どんなのかは企業秘密で言えないけど」

「そうなの。企業秘密なの。そしてストレスなく飼ってらっしゃるの。だからおたくのたまご、あんなにコクがあって、美味しいのね」

「そう言って頂けると本当に嬉しいです。それじゃ、また買って下さいね。ところで、たまごのいちばん美味しい食べかた、知ってますか?」

「何なの? たまご焼き? ホットケーキ?」

「それは…、たまごご飯ですよ♪」



 それから家に帰って食材を冷蔵庫に入れて、そして一休みしたお母さんは何となく、本当に何となく、5年前のハナの「誘拐事件」のことを思い出した。

 実際は誘拐なんかじゃなく、ハナが勝手に家を飛び出して、「バイクに乗せて」って、その男の子に言って、それからイルカ岬まで走って、そしてそこの岩の上で話をしていただけだって、警察の人に説明されていた。

(何でもその男の子は、養鶏所でまじめに働いていて、ハナと同い年で、たしか名前はコウヘイ。コウヘイ? コウヘイって、だったらもしかして…)


 それから数日後、またスーパーの駐車場で、お母さんは「コウヘイたまご」の軽トラックを見付け、しばらく待っていると黄色いツナギ服姿の若者がやってきた。それでお母さんは意を決し、思い切って声をかけた。

「こんにちは。あの…、もしかして、あなたはコウヘイ君?」

「そうですよ! トラックにもそう書いてあるじゃないすか」

「ところであなたはお幾つ? もし、差し支えなければ…」

「俺ですか、22ですよ」

「それじゃうちのハナと同い年ね」

「ハナちゃん? じゃ、もしかしてハナちゃんのお母さん? で、今どうしてるんです? ハナちゃん」


 それからお母さんは、あの夜のことをコウヘイからも詳しく聞いた。

 あの夜、ハナが死のうと思っていたこと。

 コウヘイがバイクでイルカ岬まで走り、そこで死のうと思っていたハナを、ニワトリの話とか、いろんな話をして、ハナを諭してくれたこと。

 そして「もう死なない」って約束させたこと。


(だけどハナが生きてくれているだけでも、ありがたいことと思わなきゃね)

 そのときお母さんは、自分にそう言い聞かせていた、そのときの自分を思い出した。

(だったらハナが今生きているのは、この若者のおかげ?)


「そうだったのね。やっぱりあなたは、あの時の男の子だったのね。そしてハナの命を救ってくれたのね。命の恩人だったのね。それなのに警察なんかに…」

「いやぁ、それほどでもないっすよ。俺、怒られるのめちゃくちゃ慣れてるから。お巡りさんにいろいろ追及されたけど、本当のこと正直に全部話して、そしたら一晩で釈放してもらえたし。ところでハナちゃん…、今どうしてるんですか?」


 だけどお母さんは立派に働いているコウヘイの姿を見ると、引きこもっているハナのことは、恥ずかしくて言い出せなかった。

 どうしても見栄っ張りな自分が残っているんだなと思ったけれど、でも、「ハナはいま大学4年生でどうたらこうたら」なんて、嘘もつきたくなかった。それに、少し気になったこともあって、だからコウヘイにこんなことを訊いてみた。


「ねえ、『コウヘイたまご』っていうけど、あなた、社長なの? だってそんなにお若いのに…」

 そしたらコウヘイはゆっくりと、これまでの話を始めた。


「ハナちゃんにも言ったけど、実は俺、高校一年の五月頃、とうちゃんが死んじゃって、かあちゃんは体弱くて、だからお金がなくって、高校行けなくなって、それで高校やめたんです。それから今の養鶏所で働き始めました。俺が15のときです。中学の同級生とかは高校行って、毎日楽しそうに遊んでいるのに、俺は毎日養鶏所で重労働。ニワトリの糞との格闘ですよ。だけど今は俺22でしょう。だからもう7年もこの仕事やってるんですよ。それに養鶏のことだってめちゃくちゃ勉強したし、だからもうたいていのことは出来るし、それにここ数年は「最高のたまご」目指していろいろ工夫して、ええと、ニワトリの飼い方とか、どんな餌にするかとか。特製の企業秘密の餌っていったでしょう? そしてだんだんと、少しずつだけど、いいたまごが作れるようになったんです。そしてこれからは、付加価値のあるいいたまごを作らないと、俺たち、やっていけないと思って」

「そうだったの。あなたってとてもしっかりと考えているのね」

「いえ、それほどでも。だけど、半年くらい前に社長が脳卒中で倒れちゃって、体不自由になって、そしたら社長はもうお前に任せるとか言い出して、養鶏所の名称は『コウヘイたまご』だとか言って、そして社長は、「わしは会長になる」とか言ってぼちぼち仕事やりだして、それで俺、今、フル回転中なんです。だけどかあちゃんもぼちぼち手伝ってくれているので、今、3人で何とかやってるんです。だけど俺って、もしかして社長? なんちゃってね。でも柄じゃないっすよ」

「そうだったの。あなたってそんなに苦労したの。15のときから7年もずっと働いて、そしていいたまご目指して頑張って。だけど大変な思いをしたのよね。本当に偉いわよ。あなたはもう立派な社長よ!」

「いやぁ、そんなことないっすよ。ところでハナちゃん、病気なんですか? あ、でもいいです言わなくても。もしかして、言いにくいんでしょう。ハナちゃんってすごくナイーブな娘だから、いろいろあるんでしょ。だからお母さん、いろいろ苦労してるんでしょう。ハナちゃんのことで。俺、何となく分かる。でも言いにくいなら言わなくてもいいです。だけど俺の勘だけど、ハナちゃん今、サナギになってるだけじゃないですか」

「サナギ?」

「だったらええとハナちゃんに…、ええと、ちょっと待ってて下さいね」


 そう言うとコウヘイは、軽トラックの荷台からたまごをひとパック持って来て、それはスーパーのとは違い、かなり立派な箱に入っていて、それをお母さんに手渡した。

「これ、うちの最高のたまごです。めちゃくちゃコストもかかっています。お寿司屋さんとか料亭とかに納めてるやつなんです。だけどこれで、贅沢にたまごご飯にしたらもう最高なんですよ。だからハナちゃんに食べさせてあげて下さい。絶対に元気が出ますよ!」

「こんな上等なもの、頂いてもいいんですか?」

「遠慮しないでもらってください。これはハナちゃんのためですよ! 絶対に元気になりますよ!」


 そしてその日の午後8時。

 お母さんはハナに、いつものように「朝食」を持って行った。ドアをノックするとハナがぶすっと出てきた。といっても前ほどぶすっとしてもいないけど。

 だけどお母さんが持って来た「朝食」を見て、唖然として、そして前みたいにぶすっとした表情になった。


「お母さん、一体どういうつもり? いつもあんなにいろいろ作ってくれてたのに、たまごご飯だけって、どういうこと?」

「ハナちゃん。これはね、コウヘイ君がとても苦労して作った最高のたまごで、お母さんが作ったたまごご飯だよ」

「え? こ…、コウヘイ君が? ねえ、コウヘイ君、今どうしてるの? あ、そうか、養鶏所で働いてるんだよね」

「コウヘイ君はもう立派な社長やってるわよ」

「え! コウヘイ君ってもう社長なの? ねえお母さん。今日、コウヘイ君に会ってきたの?」

「まあいいじゃない。これは特別なたまごご飯だから、たんとお食べ。絶対に元気が出るそうよ」



 それからハナは一人、部屋で涙を流しながら、その「特別のたまごご飯」を食べた。

 食べながら、本当に涙が止まらなかった。

 自分が情けなくて情けなくて涙が止まらなかった。

 たまごご飯がおいしくておいしくて、それでやっぱり涙が止まらなかった。

 そしてコウヘイのことが輝いて見えた。


 それからハナは一晩考えた。

(あの夜、コウヘイ君がいろんな話をしてくれて、それで私、死ぬのやめて、元気にやってこうって思ったのに私、あれからぜんぜん何も出来なくて、引きこもって、そして5年も過ぎて…、でもあれからコウヘイ君はずっと養鶏所で頑張ってたんだよね。そして今は社長? しかもこんなに美味しいたまご作ってくれて。なのに私は何も出来ずに何年も引きこもって、お母さんに迷惑かけっぱなし。あ~あ。私ってバカみたい。最低! だけど…、だけど、このたまごご飯食べたら不思議とすごく元気が出ちゃったじゃん。だから私、もう引きこもりやめようかな。どうしようかな。やっぱりやめようかな…)


 それからハナはしばらく考え、迷いに迷って、そしてとうとう決心した。


(決めた! もう引きこもりは今日で終わり! だってもう引きこもってる場合じゃないし。私もコウヘイ君を見習わなきゃ。そして私、もう決めたもん。 そうだ! 明日の朝、お母さんに話そう)


 そして次の朝早く、寝てるはずのハナが突然お母さんのところに現われて、お母さんはびっくりして飛び起きて、そしたらハナは、とても晴れ晴れとした表情で、お母さんに言った。

「あのたまごご飯、とても美味しかったよ。すごく元気も出たし。それでね、お母さん。私、コウヘイ君とこで働いてもいい?」


 そのときお母さんは、コウヘイが作ったあの特別なたまごの魔法で、きっとこの子がサナギから蝶になったんだと思った。

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