第8話 微かな違和感(後編)
保健室のベッドで少し眠ったおかげでだいぶ体調が良くなったものの、教室で授業を受けるには少し不安が残る状態だった俺は、保健室の先生や担任の先生のすすめもあって早退することに決めた。
さすがに電車で帰るわけにもいかないため、父親が車で迎えに来てくれることになったのだが。
仕事中ということもあって、すぐに来られる状況ではないらしく、仕事が一段落する昼休みまでの間、俺は引き続き保健室で過ごす許可をもらった。
そして昼休み。
「凛音起きてる? 具合どう? 入ってもいい?」
担任から俺の早退を知らされた海里が、教室に置きっぱなしになっていた俺の荷物を届けにきてくれたらしくカーテン越しに声をかけてきた。
身体が睡眠を欲しているため、横になっているだけで勝手に目が閉じていく状態だった俺は、カーテンの向こう側から遠慮がちにかけられた声に、一瞬反応が遅れてしまった。
もうすぐ迎えが来るから起きて待っていようと思っていたのに、あやうく本格的に寝てしまいそうなところだったから、ある意味助かった。
ぼんやりとカーテンのほうに視線をむけると、海里は俺の許可なしに勝手に中に入るわけにはいかないと思ったのか、カーテンの隙間からほんの少しだけ顔を覗かせた状態で、俺をじっとみつめていた。
まるで大型犬が指示を待っているかのような姿がなんだかおかしくて、俺はつい笑ってしまう。
海里はそんな俺の様子を見て、ほっとした表情でカーテンの内側に入ってきた。
「凛音の荷物持ってきたよ。机に入ってた教科書とか、必要そうなのだけ入れてきた。もし足りないものがあったらごめん」
「ありがと。こっちこそ手間かけさせてごめん」
お互いに謝りあったところで、海里は俺のリュックを脇にあった椅子の上に置くと、ベッドの端に腰かけ、俺の顔を覗き込む。
「だいぶ顔色が良くなっててホントに良かった。朝、教室入って凛音の姿が見えた時、なんか様子がおかしいなって思ったんだよね。あの時、凛音の言葉を鵜呑みにしないで、すぐに保健室に連れてくればよかったって、授業中ずっと考えては後悔してた」
どうやらあの曇ったような表情は、俺を心配したからだったらしい。
(海里は本当に俺のことをよく見てるんだな……)
あの場にいた女子たちは誰一人として俺の具合の悪さに気付かなかったのに、海里はパッと見で俺の様子がいつもと違うことがわかったなんて驚きだ。
俺なんて、一昨日海里にあんなことを言われるまで、海里が何を考えてるのか気にしたこともなかったし、煌斗との経験で学んだ自分が傷つかないための無関心さが、逆に海里を傷つけているかもしれない可能性に気付きもしなかったというのに。
海里の言う『好き』の意味なんてわからないくせに、海里がむけてくれる優しさに救われている自分が身勝手な人間に思えて情けなくなる。
「……俺だってあんなに具合が悪くなるなんて思ってなかったし、朝はまだ大丈夫だったから」
本当は教室に着いた時点で結構ヤバかったけど、それを正直に言うわけにはいかず、あくまでも急激に体調が悪くなったのだと言っておく。
「それに、ちょっと寝不足なくらいで保健室に行くとか大袈裟かな、って」
「だからってあんなになるまで我慢することないでしょ」
珍しく説教モードの海里に、俺は相当心配させてしまったことを反省し、これ以上言い訳するのをやめた。
「……心配かけてごめん。色々ありがとう」
素直に謝った俺に対し、海里はなぜかばつが悪そうな顔で黙り込む。そして少しの沈黙の後、躊躇いがちに口を開いた。
「……もしかして凛音が寝不足になった原因って、俺があんなこと言ったから?」
「え……?」
「それとも、」
さらに何かを言い募ろうとしたその時、保健室の扉が開いた音がして、海里はそこで言葉を止めた。
「篠原君、おうちの方がお迎えにいらっしゃったんだけど」
カーテン越しに先生から声をかけられ、俺の側に座っていた海里が立ち上がる。俺は海里の言葉の続きが気になったものの、それを優先できる状況でもないため、何事もなかったかのように振舞った。
「あ、はい、わかりました。ありがとうございます」
「カーテン開けるわね。──あら藤島君。篠原君の荷物を持ってきてくれたのね」
先生は海里がここにいたことに少し驚いた様子を見せたものの、椅子に置かれたリュックを見てすぐに状況を察したらしい。
「玄関まで歩くのがつらいようなら、ここまで迎えに来てもらうこともできるけど、どうする?」
先生の問いかけに、俺はさほど深く考えずに返事をする。
「そうですね、だいぶ楽になったので自分で歩きます」
ところが、そう言って身体を起こそうとしたところで、ベッドの横にいた海里にやんわりとめられた。
「急に起き上がったらまた具合が悪くなるかもしれないでしょ。俺が一緒についていくから」
海里の提案に、俺はひとりで大丈夫だと主張する。
「もう昼休み終わるし、海里は教室戻らなきゃだろ」
「このままじゃ心配で授業どころじゃないよ」
「じゃあ準備ができたら声かけてね。藤島君のことも担任の先生に伝えておくから、ゆっくりでいいわよ」
「わかりました」
どちらも自分の意見を譲らない状況になったところで、先生があっさり海里側について話をまとめ、結局俺はまたしても海里の優しさに甘えることになってしまった。
「荷物は俺が持つから、凛音は無理しないで」
「……ありがとう」
俺はさりげなく海里から視線を外すと、海里には気付かれないよう、そっと息を吐きだした。
◇
海里と一緒に生徒玄関にむかうと、出入口の近くに見覚えのある車が停まっていた。
車の中で待っていた父は、俺が出てきたことに気付いたらしく、すぐに車からおりて、こちらにむかって歩いてきた。
その様子を見た海里は、なぜかとても驚いた顔をしている。
「どうかした?」
「……凛音のお父さん、凛音と全然違うタイプだね」
ここまで驚いた人はあまりいなかったが、小さい頃から何度も言われてきた言葉に苦笑する。
俺の父親はガッチリとした体格にワイルド系の容貌をしているため、中性的で一見儚げな印象を受けるらしい俺とは全く似ておらず、どこを見ても父親の遺伝子を感じられるところがないらしいのだ。
「よく言われる。俺、完全に母親似だから。もうじき三歳になる妹も俺と一緒で母親似。うちは父親ひとりだけ別の顔だから、その話題になる度、仲間外れだってスネてる」
小学校時代は男らしくない顔立ちにコンプレックスを感じていた反面、いつか俺も父親のようになれるんじゃないかと淡い期待を抱いていたこともあった。
だけど中学で煌斗に出会い、この見た目を含めて俺の全てを肯定するような言葉をもらってからは、父のような男らしさに憧れることはあっても、自分の見た目に対して以前ほどコンプレックスを感じることはなくなった。
だから似てないと言われることにも、今は『そうだよな』としか思わない。
「……そのことについてお母さんは何か言ってないの?」
「ん? 特になにも」
「凛音のご両親って恋愛結婚?」
「は? そうだと思うけど、なんで?」
「いや、なんとなく。凛音がお母さんにそっくりだっていうから、好きになる人の好みも一緒かなって、ちょっと気になっただけ」
俺が父親に似てないことに驚いたにしては少し反応がおかしい海里ことが気になったものの、この話を深掘りする気にもなれず、俺は海里にここまで付き添ってくれたお礼を言って、外で待っている父親のもとにむかった。
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