貴女よりも、私の方が幸せだった
あれは……あれは自分だ。
間違いなく、自分の片割れだ。
決して認識してはいけなかった、双子の片割れだと気付いてしまった。
◇◇◇
この国では、双子は性別を問わず不吉の象徴とされ、忌み嫌われている。どちらか一つの魂は、悪魔の所有物と考えられているからだ。その為、互いが双子であることを認識する前に引き離さないと、どちらかが必ず不幸になると言われている。
余裕があった時代には、双子の片方を、血縁関係のない遠い家へ養子に出すことが主だったが……。敗戦から国中が貧困に喘ぐようになると、状況は変わった。強い親はどちらかを泣く泣く手にかけたり、弱い親はどちらかを狼がうろつく森に捨てたり。
だから私は、運がいい方なのだと思う。強くも弱くもない親が、今にも潰れそうな孤児院の前に捨ててくれたのだから。
まだ乳飲み子だった為、捨てられた時のことは当然何も覚えていない。だけどなんとなく、自分は双子だったのではないかと思っていた。一人では不完全なような、元々は二人で一つだったような。朝起きてから夜眠りに就くまで、そんな不思議な感覚に包まれていたからだ。
敗戦から十数年が経っても、景気は一向に回復しなかった。口減らしの為に、僅か14歳で孤児院を出された私は、行く当てもなく途方に暮れていた。
嘆いても仕方がない。14歳まで育ててもらったことが、幸運であり不運なのだと諦めるしかなかった。
幸い私は綺麗な顔をしていたから。売れるものは何でも売った。やれることは何でもした。何とか一人で生き延びたその代償に、子供が出来にくい身体になってしまったけれど。それさえも、生きていく為には都合が良いと思っていた。
暴力を振るおうとした客から逃げ出し、路地裏に身を潜めていたある日のこと。肌着のまま飛び出した身体に、冷たいものがハラリと落ちて。見上げれば、鉛色の昏い空を、灰色の雪が花びらみたいに舞っていた。
ハラリ……ハラリ……
あまりにも冷たいものだから、逆に段々と熱く感じてくる。ああ、このまま死ぬのかとぼんやり考えていた。
もしも自分が本当に双子なのだとしたら。充分不幸なのだから、わざわざ捨てる必要もなかったのにと思う。捨てようが捨てまいが、傍に居ようが離れようが、悪魔の所有物は、きっと私の魂の方なのだ。
……片割れは幸せなのだろうか。自分の分まで幸せでいてくれないと報われない。
汚い石畳の上に横たわろうとした時、誰かに身体を支えられる。氷みたいな背中に温かな何かを掛けられ、屋根と火のある場所まで連れて来てくれた。「売れ残りだけど」と差し出してくれたカチカチのパンは、舌の上でふやかせば、涙が出るくらい美味しくて。私はその礼にと、自分の持っているものを全て差し出した。自分を救ってくれたのが男でよかったと、心からそう思いながら。
彼は何故か私を気に入り、子供が出来にくいことも承知の上で妻にした。彼が営む小さなパン屋は、生まれて初めて出来た、家と呼べる居場所。ずっと昏かった胸に、小さな灯りが灯った気がした。
物価は更に高騰し、日々の暮らしが苦しいのは変わらなかったけれど。夫は優しく、暴力に怯えることもない。夫が私へ向けるものも、私が夫へ抱く感謝の気持ちも、きっと全てが愛なのだ。それが自分の幸せなのだと、そう思おうとしていた。
夫の兄が病で亡くなり、義母を引き取ってから、生活は一変した。家のことから店のことまで、夫が何も言わないのをいいことに、全てを義母に厳しく管理される日々。孤児院育ちの私は、嫁として一度も認められたことがなく、下女同然の扱いだった。
朝、誰よりも早くに起きてパンを作り、どんなに遅くなっても篭が空になるまでパンを売り歩く。たとえ一個でも残して帰ろうものなら、頬を打たれるからだ。全てを売り切り無事に帰宅した後も、今までは夫と分担していた家事が大量に残っていた。
二人きりの時は私を気遣うふりをする夫も、義母の前では決して庇ってはくれない。
……この人は私を愛してなどいないのではないか。揺らぎ出す胸の灯りを消さないように、必死に黒風から守り続けた。
夫と出逢った日とよく似ている。鉛色の昏い空が、頭上に重くのし掛かる日。雪が降り出す前に全てを売り切らなければと、私は擦り切れた靴でせかせかと街を歩いていた。
今日は朝から、子供が出来ないことで義母に責められ、いつにも増して憂鬱だった。今子供が出来たとして、どうやって育てるんだと言い返したかったが……朝食まで抜かれては身体が持たないと、言葉を呑み込んだ。
篭にはまだパンが半分以上残っている。長いこと歩いて、せっかく大通りまで出て来たのに、この空のせいかいつもより人気が少ない。
日没まであと数時間。焦りを感じていると、何やら向こうがざわざわと騒がしいことに気付く。客を求めてそちらへ近付いていくと、一台の立派な馬車が群衆に取り囲まれていた。
「お前らばかり贅沢しやがって!」
「食料と母の薬を寄越せ!」
「有り金全部置いていけ!」
兵に剣を向けられても、怯まず叫び続ける人々。よく見れば、馬車には王室の紋章が印されている。去年、どこぞの貴族令嬢が王妃になってから、更に悪化した財政。噂によると、王の寵愛を振りかざし、国民から巻き上げた税金で贅沢三昧しているとか。その為民の怒りの矛先は、政治を行う王と宰相ではなく、まだ若い王妃へと向けられていた。
突然、馬車の扉が開き、中から一人の若い女性が出て来た。華奢な身体が纏うそのオーラに、あんなに喚いていた群衆は静まり返る。……あれが例の王妃だろうか。
宝石が散りばめられた真っ赤なドレス。大粒のダイヤやらルビーやらが付いた重そうなネックレス。そして……細い首を辿り、血が通っているのかと疑うくらい白い顔を見た瞬間、私の身体を衝撃が駆け抜けた。
あれは……あれは自分だ。
間違いなく、自分の片割れだと。
王族と姻戚関係を結びたい貴族にとって、将来の妃候補となり得る娘が、忌み嫌われる双子であったなど絶対に知られてはならない。だから私を養子には出さず、捨てて完全に縁を断ち切ったのだ、と思えば納得出来た。
片割れは自分の首に手を回すと、ネックレスを外し、そっと石畳の上へ置いた。指輪、ブレスレット、イヤリング、髪留め。貴金属が何もなくなると、なんと今度はドレスを脱ぎ始めた。護衛兵らしき男の制止もきかず、あっという間にコルセットと下着姿になってしまう。最後に靴と絹の靴下まで脱いで揃えると、ぐるりと群衆を見回す。その冷たい視線が、私の視線とぶつかった瞬間、彼女の瞳が大きく見開いた。
……きっと彼女も気付いたはずだ。
あれは間違いなく、自分の片割れだと。
決して認識してはいけなかった、双子の片割れだと。
彼女は少し瞬いた後、すっと背を向け、護衛兵の手を取りながら軽やかに馬車へ戻って行った。
馬車が走り出すや否や、呆けていた群衆は、わあっと彼女の置き土産に群がる。さっきまで徒党を組んで批難していたというのに、今は我先にと争っているのだから、人間というのは実に不思議だ。自分もそこに加わらねばならないのに、まるで蟻みたいだと笑いながら眺めていた。
互いが双子であることを認識してしまった私達は、これからどうなるのだろう。どちらかは必ず不幸にと言われても、これ以上の不幸などあるのかと思えば、何も怖くはない。
胸の灯りは、完全に消えてしまっていた。
それから半年が経ち、王妃が姦通罪で斬首刑に処されると布令が出された。相手は実家から連れて来た護衛兵との噂を聞けば、ドレスを脱ぐ王妃を止めようとした、あの男の姿が頭を過った。
片割れが処刑される日も、私の生活は何も変わらない。朝、誰よりも早くに起きてパンを作り、どんなに遅くなっても篭が空になるまでパンを売り歩く。帰宅した後には、大量の家事をこなした。
悪魔の所有物は、私ではなく片割れだったのだろうか。不幸になってしまったのは、私ではなく片割れだったのだろうか。ただそんな風に考えながら、ぐうぐうと寝息を立てる夫の隣で、疲れきった瞼を閉じた。
今日も大通りまでパンを売りに来て、足はもう棒のようだ。それなのに、篭には石みたいに固くなったパンが一切れ残ってしまった。きっと義母に責められる。きっと夫も庇ってはくれない。今日の夕飯に有り付くことは、もう出来ないだろう。
意識が朦朧とする中、いつの間にか歩いていた城壁の前。騒がしい方へふと顔を向けると、人々が何かを叫びながら、石や脱いだ靴を、ある物へ投げつけていた。
粗末な木の台の上に、槍で固定された二つの生首。大分傷んではいるが、一つはすぐに自分の片割れだと分かった。その隣は、姦通の相手と噂されているあの護衛兵だろうか。
「悪女め! 餓死した子を返せ!」
「地獄へ堕ちろ!」
「悪魔の元へ逝け!」
激しい拷問と処刑をされた上に、そんな呪いの言葉を浴びせられている。カラスに肉を抉られ、無意味な暴力に何度も曝されている傷んだ顔は、もう私とは全然似ていない。
貴女よりも、私の方が幸せだった。そう思いたいのに……。愛し愛された男の隣で、私よりもずっと幸せそうに微笑んでいる気がする。
目を逸らし立ち去ろうとした時、兵に止められる。罪人を痛めつけてから此処を通れと。
私は篭からパンを取り出すと、目をカッと見開き、渾身の力を込めて腕を振り下ろす。それは彼女の幸せそうな口元を掠めただけで、呆気なく石畳に落ち、コロコロと転がり自分の足元まで戻って来てしまった。
カラスが啄む前にそれを拾うと、血の通わぬ冷たい手に握り締め、その場をふらりと後にした。
もう二度と見ることのない、姉か妹。
大勢に恨まれて、一人に愛された、妹か姉。
彼女と繋がったパンに噛りつき、しっかりと歩きながら、全てを胃に収めた。
灯りのない、昏い場所に辿り着く前に。
ありがとうございました。