よくある婚約破棄の末路
テンプレに則った(?)何番煎じのざまぁものです。
そして自己都合主義残念思考の王子様がいるのも、これまたいつものこと。
もう茶渋しか残ってなさそう。
彼女の家は村の外れにある丘の上だと教えてもらい、鷹揚に頷きだけして歩き出す。
家がポツポツと減っていく中、なだらかな傾斜の先にこぢんまりとした家が目に入った。
淡いクリームの壁に深い緑の屋根。道中にあった村人達の家よりかは立派な佇まいをしているが、それでも侯爵令嬢が住むにはみすぼらしい小さな家。
あそこに彼女がいる。
なんとなく感慨深い気持ちとなり、足を止めた。
彼女との婚約破棄から僅か半年。
きっと彼女は私をここで待っている。
ヴィオレッタ・ウルベイン侯爵令嬢。
彼女は私の婚約者だった。
柔らかに光を反射する銀糸の髪と深い色の菫を咲かせた瞳。陶磁器のように白い肌。
月下に咲く花のように美しい彼女を見初めたのは、他の誰でもない私だ。
未来の王妃を決めようとお茶会が催されたのは、私が10歳のとき。
才覚ある人物であることに重きを置いた両親は、血統や外見に拘らず、下は男爵家の娘、あまつさえ貴族ではない他国の有力な商会の娘までもが招待された。
小国ゆえに数多と御令嬢がいるわけではないというのも理由だったが、それでも私の年頃に見合う令嬢が極端に少なかったのが最大の要因だろう。
集められた令嬢の数が二十も満たない中、一際目を引いたのがヴィオレッタだ。
まだ5歳ながら美しいカーテシーを披露し、それは侯爵家が彼女に高位貴族として恥じない教育を施しているのがわかるもので、私の婚約者となるべく教育していたのだろうと両親は満足そうだった。
だが私にはそんなことはどうでもよく、ただただ彼女の一挙一動に目を奪われていた。
お茶会の席で一番美しいヴィオレッタこそが自分に相応しいと思ったのだ。控え目な態度も王になる私を立ててくれそうだと思ったのもある。
ゆくゆくは私は王となる。父上のように忙しく公務をこなす日々となるのだろう。
ならば王妃は母上のように王を癒す存在であるべきだ。
城の女主人として美しさに磨きをかけ、王の訪れを待ち、子どもを産んでからは慈しみを持って自身で育てる。
王族では珍しい恋愛結婚であった仲の良い両親を見ていたからだろう。私の求める理想は王らしくありながらも、王妃にはささやかな幸せを求めるものだった。
それなのにヴィオレッタはそれを良しとはしなかった。
正式に婚約した際に日々彼女を愛でようと城内で住まうように打診したが、ウルベイン侯爵からはすげない断りの文が返されただけだった。
あまつさえ王妃としての教育以外にも多くのことを学びたいと望むヴィオレッタの願いから、彼女は常にスケジュール管理された生活を余儀なくされている状態。
月一回のお茶会の度に、いつかは王妃となるのだから勉強ばかりせずに私に愛される努力をする方が大切だと、地味なドレスなどではなく着飾って私を楽しませるべきだと諭したものの、銀に長い睫毛を伏せながら学ぶことは王を助けるのに必要なことだからとやんわり言い返されてばかり。
それに婚約して5年経とうとも二人きりで過ごすことはなく、常に侯爵家からの侍女と護衛が張り付いて落ち着いて過ごすこともできない。
幼い彼女に何かすると疑っているのではないかとウルベイン侯爵には抗議を申し入れたが、私とヴィオレッタと二人きりにならないのは貴族として当然のことであると返事があるばかり。
私の気持ちが急速に萎れていくのも仕方のない話だった。
そんなときに出会ったのがメリルだ。
15歳となった私は他の貴族同様に王都にある学園へと通うことになり、そこで迷子になっていた彼女を見かけたのが出会いだった。
ヴィオレッタが冬の月ならば、メリルは春の太陽。
ふわふわした金の髪は春の日差しを反射して眩しいほど。萌え出ずる新緑の瞳は好奇心に満ちながらも深い愛情も湛えている。よくいる令嬢らしい華奢な体ではなく、メリハリの見え始めた健康的な体つき。
一目で恋に落ちた。
あの時に思ったのだ。私がヴィオレッタに抱いていた感情は恋ではなかったのだと。
未来の王として血統や外見のみで判断していたが、侯爵令嬢なのだから金をかけている以上は外見が他に勝るのは当然のこと。
よく見れば日陰に咲いた花のようであったし、なによりも年の差から私を満足させる女性らしさも持ち合わせていなかった。
男爵令嬢であったメリルは私の2歳下で、年頃も釣り合う。
お茶会に参加していたのならメリルを見つけたはずだが記憶に無く、不思議で彼女に聞いてみれば、恥ずかしそうに貧乏ゆえに参加するためのドレスが用意できなくて、と答える姿もいじらしかった。
運命の女神の悪戯は随分と意地の悪いことをしたものだが、間違えてヴィオレッタと結婚する前にメリルに出会えたのだから、恨めしい気持ちに蓋をして目を瞑ろう。
こうして学園生活の大半をメリルと過ごし、真実の相手を見つけたのだと意気揚々と報告した私を待っていたのは祝福ではなく、いい顔をしない両親だった。
聞けば、メリルを選んでヴィオレッタと婚約を解消するとなれば、多額の慰謝料を払わねばならないらしい。
侯爵相手ともなれば高額であり、私の個人資産の大半を支払わねばならないのだと嘆く両親に、私の方こそ嘆きたい気持ちだった。
どうしてヴィオレッタにお金を払わなければならないのか。
王妃教育の費用だって王家が払っている。あの女は無償で王族の振る舞いを身に付けることができたというのに。
むしろウルベイン侯爵家が今までのことを感謝して金を払うべきではないのか。
そう言い募っても議会が許さないだろうと、父はメリルとの婚約を許してはくれない。
議会を納得させなければメリルと婚姻などできないと言われ、そうなると地味なヴィオレッタと結婚しなければならなくなる。あんな女は私に相応しくなどない。
仕方なくありもしない冤罪を思いつくままに言い続け、夜会の場でヴィオレッタに婚約破棄を申し渡した。
ヴィオレッタは感情の無い顔で私を見た後、婚約破棄は承りましたと言い、それによって気を大きくした私はヴィオレッタを辺境へ追放するよう命じ、そのままメリルとの婚約を発表した。
会場内の全ての貴族が幸せな私達を見守っている。
これが私の人生で最高潮だっただろう。
このまま陥れられるとも知らないで。
婚約破棄から一ヵ月後、夜会の場で言ったことが全て偽りだという証拠が貴族議会に提出された。
私が並べ立てた嘘は正確に日付を確認され、答えた日付にはヴィオレッタが城内で王妃教育を一日中受けていたり、または慈善活動に参加していたり、魔族の出没しやすい辺境伯地への慰問で王都を離れていたという反論をされた。
証拠として護衛騎士や侍女だけではなく城内の使用人や辺境伯の家族、慰問先の司祭の証言が多数揃えられている。
そういえば学園に通っている間はお茶会を久しくしていなかったので、彼女が何をしているのかなんて気にもしていなかったことが災いしたのだ。
日付を勘違いしたかもしれないと答えれば、それでは誰の証言も得られないので罪自体が認められないと言い出す始末。
逆に学園で私とメリルが不貞を行っていた証拠がいくつも出され、私の有責による婚約破棄であるとして多額の慰謝料を請求されてしまった。
これに慌てた両親も私もヴィオレッタを側妃に迎える代替案を出したが、侯爵家や他の貴族から呆れた視線が向けられただけ。
そしてヴィオレッタは選ばれた時から私との婚約を嫌がっていたと聞き、驚いたのは王家だけだ。
暗い女であるが外見は悪くなかったので、侯爵が懇願して多額の慰謝料を出すのならば離宮の一つにでも閉じ込めて可愛がってやるぐらいはしようかと思っていたのに。
思わず口にすれば、呆れを含んだ視線の数々が隠しもしない侮蔑へと変わる。
なぜだ。なぜ、誰も彼もが王家に対する敬意を忘れた態度を取っているのだ。
私は王になる人間だというのに。
ぱん、と手を打つ音が聞こえた。
目を向ければ叔父である公爵が穏やかな笑みを浮かべて、「ここまでにしましょう」と言い、議会の席を埋める貴族たちが頷いたことにホッとする。
普段は笑顔を貼り付けるばかりの無能な叔父ではあるが、こういうときぐらいは役に立つらしい。
とりあえずは時間を稼ぎ、証人となった人間を脅して証言を撤回させるか、それが駄目そうなら最初から殺害するかを両親と相談しなければならない。
なんにせよ急がねば。
けれど、議会から退場しようとする私達を入口の騎士たちが通そうとしない。
不敬だと怒鳴りつけようとしたとき、普段あまり喋らない叔父の声が議会内を打った。
「戻っていい、なんて一言も言っていませんよ」
カツ、と革靴の踵が大理石の床を滑らかに進む。
「貴方達が来る前に、議会では先に一つの議題を可決し終えています」
どうしてだろう、叔父が笑っているのに笑っているように見えない。
「満場一致でしたよ。
今回の冤罪の責をはっきりさせ、王と彼の家族を捕らえることを」
叔父の言葉が耳に届くやいなや、あっという間に騎士に拘束されて、父も母も私すらも貴族牢へと入れられた。
最低限の設備はあるものの今までの住まいと比べれば雲泥の差。
見張の騎士に文句を言えば、下卑た笑顔で一般牢がいいのかと問われる。
一般牢は文字通り貴族ではない、どこにでもいる価値の無い民が犯罪を起こしたときに放り込む場所だ。
ここよりも格段と扱いは落ちると聞いている。後退して首を横に振れば、手間をかけさせるんじゃねえよと睨まれた。
数えぬままに日は過ぎゆき、私たちの処遇が決まった。
父は悪政を敷かなかったことから、王を退位したうえで生涯幽閉されることとなった。
母も同じかと思ったが、毒杯を賜ったらしい。
私に知らされた時には既に母は亡くなっており、最後まで飲むのに抵抗して無理やり飲まされたのだと聞かされた。
そう語る叔父が今や王である。
私達が連れ出された後の議会で大多数の賛同を得て決まったと、憎らしい顔に付随する口が語る。
簒奪者はテーブルを挟んで向かいに座っていた。
後ろ手に縛られた私を見ると少しだけ目を細めたが、特にそれには触れなかった。
「君の代で令嬢が少なかった理由を知っているかい?」
穏やかな笑みは変わらない。
そういえば、夜会に参加した貴族は皆同じような笑みで私達を見ていた。
あれは王家に対して敵対心がないからだと思っていたのだが。
「君の父親である前国王は若かりし頃に君と同じようなことをしてね。
そう、当時の婚約者を蔑ろにした挙句、冤罪で彼女を陥れようとした。
今は私の妻だけどね」
そういえば叔父が妻を帯同で夜会に現れたことがない。
きっと見目の劣った者だから、恥ずかしくて連れて来られないだけだと思っていたが。
顔に出ていたのか、叔父の表情が苦笑めいたものに変わる。
「妻の名誉のために言っておくと、彼女は今でも大輪の薔薇と呼ばれるくらいに美しい人だよ。
王家主催の夜会を嫌がるから連れて行かなかっただけで、君の母親と違って社交界の先端であるべく公爵夫人として我が家での夜会やお茶会をしては多くの貴族たちと交流を深めている。本当に王妃としての資質を備えていた素晴らしい人だ。
けれど君の父親は癒しとやらを求めて、シロツメクサと言われた元王妃殿下を娶ったのさ。
そして今回と同じように慰謝料を支払うことを渋った」
コツリ、と叔父の指が椅子の肘置きを軽く叩く。
それがまるで私を咎めているようで、無意識に肩をすくめた。
「陥れることなどせず誠意をもって謝罪し、然るべき慰謝料を支払えば円満に済んだものを。
己の贅沢のために渋るなど、王としての品位に欠ける」
こつり、と響く音は笑みを浮かべたままの叔父の怒りを表しているかのよう。
「本来ならこんな馬鹿馬鹿しいことがまかり通るはずがない。
けれど最悪なことに、彼女が無実である証言を何一つ信頼できるものとして扱われなかった。
侍女と護衛はついていたが、証言として信頼性が低いとされたんだ。多くの友人が抗議したが、やはり親しいことから信頼性の低い証言だと認められなかった。
多分慰謝料を払うよりは大分マシだろうから、法務官に賄賂でも送り付けたんだろう。記録は残っていなかったが、当時の陛下が担当の法務官を訪れているのを見た者がいた。
まあ、それすらも何も無かったことにされたが。
本当に嫌な話だよね」
叔父は僅かに身を乗り出した。
「だから王妃が懐妊したと聞いたときに、王子が生まれたら同じことが起きるのでは無いかと貴族達が危惧したのは当然だろう?
どの貴族も君と同じ年頃の女児を生まぬようにと配慮したし、既に妊娠していた夫人達はそれを隠して出産し、男児であれば出生届を出した。
女児が生まれた場合は出生届を出さず、親戚の、それこそ貴族藉がない者として扱ったんだ。
ちゃんと貴族らしい教育を受けさせ立派な淑女に育てているし、君の婚約者が決まった時点で養子という形で手元に戻しているけどね」
どうして私に語るのだろう。
それは私の罪ではない。両親の罪であり、それによって婚約者に恵まれなかった私は被害者でしかないというのに。
両親が婚約者を蔑ろにしなければ、数多くの婚約者候補によって日陰めいたヴィオレッタを選ぶことはなく、見た目だけのメリルが運命だと勘違いすることもなく、そして望まぬ罪に手を染めることもなかったのだ。
全ては両親が責を負うべきで、私が捕らえられる理由など何一つないはず。
納得がいかない顔を隠すこともなく睨めば、叔父の目が笑っていないことに今更気がついた。
議会で見せた笑顔と同じ。仮面のように笑顔を貼り付けているだけ。
「ちゃんと理解できているかい?
君は誰でも選べると思っていたようだが、誰一人として君の横で王妃になることなんて望んでいない。
婚約中にありもしない罪で陥れられるかもしれない。婚姻してからだって手のひらを返される可能性がある。
そんな相手に誰が嫁げる?
百歩譲って、相応の敬意と体裁でもってお飾りにすればいいものを、婚姻するのも嫌、婚約破棄で金を払うのも嫌だという自分勝手な理由で冤罪を仕掛けてくる相手なんて、いくら王族や貴族の政略結婚だとしてもどの家も受け入れないと思わないかい?」
諭すような物言いが気に喰わないが、それよりも腰の帯刀が気になってしまう。
簒奪者ゆえに王族の私が邪魔で殺害するかもしれない。
自分の妻の至らなさを認めず、私を殺して鬱憤を晴らすつもりかもしれないと恐怖が身を侵していくが、叔父は私の様子を気にすることもなく言葉を続けていく。
「だからウルベイン侯爵令嬢が婚約者と決められた時には、彼女を常に一人にはせず、証言として認められそうな人物や王家の影だって付けておいた。
まさか本当に必要になるとは思わなかったけど」
つまり、叔父は私達を陥れようと昔から準備をしていたのか。
そう指摘すれば、笑顔すら消して私を見た。
「もう何を言っても君に伝わらないことがわかった。
君をどうしようかと思ったけれど、これで処遇は決まったよ」
騎士達が私の横に立ち、両腕を掴む。
「辺境への追放だ。
君が婚約者にしたことだ。同じ目に遭うのが相応しいだろう。
彼女と違って断種だけさせてもらうよ。王家の種をあちこちにばら撒かれても困るからね。
更に王家から籍を抜くことになるけれど特にそれ以上のことはしないから、君に人望があれば、まあ、誰か拾ってくれるかもしれないね」
そうして叔父が不遜に笑う。
「君の意中の人だったヴァスタン男爵令嬢だけど、君が貴族牢に放り込まれたと聞いた瞬間、あっという間に君の側近と駆け落ちしてしまって、今騎士に追わせているところだ。
婚約破棄に関与していないわけでもないけど、君の計画を知らなかっただろうからウルベイン侯爵令嬢に心からの謝罪をするならば厳しい処罰をする気もなかったのに。
お陰で男爵家の籍剥奪だけではなく奴隷へ身分へと落とす事務手続きが追加されて、事務官たちが残業続きでお怒りだよ」
話は終わりだと叔父が立ち上がった。
いつもの穏やかな笑顔に戻っていたが、私にはもう、叔父の笑顔が本物だと思えなくなっていた。
「いや、なかなかに真実の愛とは儚いものだね。
とても勉強になったよ」
そうして私は騎士たちによって貴族牢から一般牢へと連れて行かれることとなった。
叔父との面会後の日々は駆け足であった。逃げ出さないように足と手に枷をつけられたまま貴族ではない一般国民の生活を教え込まれ、そして平民と同じ水準の食事へと切り替えたのだと与えられる、塩っ辛いだけのスープや固いパン、滋養の薄そうな野菜に少しだけ慣れた頃、断種の上で辺境へと追放された。
唯一持たされた鞄の中には数枚の下着、替えの服と上着は一着ずつ。
後は日持ちのする食料が少しと、暫くは困らないだけの金。
叔父は本当に私を殺す気がなかったらしく、辺境までは護衛の騎士が付き、お金だってすぐに使い果たさないようにと国内で幅広く店舗を広げるマルドゥークという商会へと預けた状態にしてくれている。
追放されてヴィオレッタと同じ地に足を踏み入れたとき、久しぶりに彼女の控えめな姿を思い出した。
メリルの太陽にも似た美しさに目を眩まされていたが、昼が過ぎて夜が訪れれば、月へと目が向くのは当然のこと。
彼女は婚約を嫌がっていたと聞いたが、それは私が生まれる前にあった両親の事件が起因であり、私自身に咎はないものだ。
思い違いでメリルを側に置いていたが、私に相応しいのは努力を怠らなかったヴィオレッタであるだろう。
彼女のいる地を追放先に選んだということは、叔父はヴィオレッタと再会できるように取り計らったということか。
ならば会いに行ってやろうと足を向ける。
本来ならば私の愛を乞うべくヴィオレッタが迎えにくるのが筋であるが、貴族令嬢であった彼女が舗装されていない地を歩くのも一苦労なはず。
ここは私が妥協して歩み寄ってやってもいい。
それにしても私は運がいい。
ヴィオレッタが貴族籍を抜けたとは聞いていない。
多少の憐れみからそこまで命じなかったのが功を奏した。
彼女と結婚すれば侯爵家の持つ伯爵位か子爵位くらいを譲り受けて、王族ではないものの貴族となり、侯爵家に相応の援助を申し渡せば貧相な暮らしなど捨てられる。
なんだったら侯爵家を継いでやってもいい。
ウルベイン家にはヴィオレッタの兄がいたが、王族であった私が跡を継いだほうが侯爵家にも箔がつくというものだ。
ああ、いっそのこと侯爵になってからクーデターを起こし、叔父を国王の席から引き摺り落としてやろうか。
両親のせいで王家は信頼されていない。さらに叔父は簒奪者だ。
そこに正義を掲げた私が侯爵家を後ろ盾にすれば、王として返り咲くことも容易いはず。
王家の血は途絶えさせてはならないから叔父夫妻は幽閉し、子どもだけ引き取ってやるのでも悪くはないだろう。
考えれば考えるほどに笑みが止まらない。
先ずはヴィオレッタを手に入れよう。
頭の中で浮かぶ算段を止められぬまま丘の上へと歩いていけば、どうやら門の中では馬車が数台停まり、荷物の上げ下ろしをしているのだと窺えた。
私が辿り着くことを知って準備をしてくれていたというのか。
やはり学の無いメリルよりは貴族としての配慮が行き届いたヴィオレッタのほうがいい。
そんなことを考えていると、出迎えるかのように扉が開く。
護衛らしい男達と家令らしい服装の男。こんな奴らよりも貧しい装いだというのが屈辱だが、逆にいえばここでなら貴族らしい生活は送れる場所なのだといえるだろう。
これなら仮住まいとして我慢できる。
そうした中でヴィオレッタが姿を見せた。
彼女は私といた頃よりも美しくなっていた。
銀の髪も陶磁の肌も王都のときと変わらぬ手入れをされているのか、日差しの下で高貴な令嬢であることを知らしめ、なにより明るい色のドレスが彼女を華やかに彩っている。
私といたときには紺や深緑といった地味な色のドレスばかりだったというのに、今着ているアフタヌーンドレスは淡い水色で、彼女の髪の色と相まって冬の妖精のようだ。
女性としての成長期も迎えたからか、体つきも華奢ながら柔らかい線へ変化する兆しを見せている。
なるほど、私が訪ねると思って精一杯に着飾ったのか。
いまだ少女めいた姿ではあるが、以前よりは私を楽しませられそうな姿に成長したのも評価できる。
声をかけようとしたとき、ヴィオレッタの横に見知らぬ男が現れて彼女の肩へと手を伸ばした。
華奢な体を引き寄せられて、ヴィオレッタもまんざらでもない顔をしているのに憤然とした気持ちになる。
「その男は誰だ、ヴィオレッタ!」
思わず声を荒げて近づけば、ヴィオレッタが私を二度見してから、ぱちりと瞬きをした。
「あら、元殿下ではありませんか」
「何を呑気に返事している!私の寵愛を待つ身でありながら不貞を働くとは!
己の罪を恥じて詫びたとしても、決して許されんぞ!」
怒りはひたすらに増すばかり。
どうしてくれようかとヴィオレッタを睨みつければ、彼女は心底嫌そうに眉間へと皺を寄せた。
「どうしましょう、久しぶりに会うと鬱陶しさが増しているわ。
陛下からこちらに向かうだろうと聞いたから、面倒ごとに巻き込まれないようにと早々に王都に帰る身支度をしていましたのに」
そう言って彼女はため息をつく。
「元殿下、私達は既に無関係の身。
どうして私が怒鳴りつけられなければならないのでしょう」
そうしてから目を細めて手を打てば、瞬く間に護衛達が私の体を地に伏せさせた。
手をねじり上げられているから体は動かせず、せめてと顔だけ上げてヴィオレッタを見る。
「何故だ、ヴィオレッタ。まるで私を厭うかのような振る舞いを見せて。
そうか、私がメリルを選んだことを拗ねているのだな。
あれは勘違いであった。愛情というものはときに試されるものであり、完璧である私ですら間違うこともある。
お前が無駄に拗ねる必要はどこにもないから、さっさと戒めを解くように命じるんだ」
むしろ会いに来た私に感謝して、喜びの涙の一つも流すべきではないのか。
怒りに満ちたままに彼女を見れば、扇を広げて口元を隠しながら再びため息が落とされた。
「本当に自分に都合の良い解釈しかされない方ですこと。
そういうところが今も昔も嫌いでしたわ」
はっきりと言い切られた言葉が私へと降り注ぐ。
さては私のいぬ間に不貞を働き、見つかったからといって私を切り捨てるつもりか。
本当に私は婚約者に恵まれない、悲劇の主人公のような男だ。
「この阿婆擦れが!私を陥れた罪深さを知れ!」
品の無い罵倒となったが、堕落した女にはこれぐらいが丁度いい。
が、ヴィオレッタに寄り添う男が彼女から離れると、私の横っ腹を蹴り上げた。
口から出る呻き声と、胃液が逆流して酸味を帯びた唾液。
けれど押さえ込まれた体は転がることすらも許されない。
「虚言癖と妄想癖の強い、自己中心的な思考の持ち主だとは聞いていたがここまでとは。
父上と母上に止められていたから話しかけることすら控えていたのは正解だったな」
議会で受けたものと同じ呆れが声音に含まれて、けれど遠慮のない視線は私を射抜くよう。
「お前が戯言をどれだけ並べ立てても、平民落ちした身が王族に戻ることはない。
ヴィオレッタは王都に帰るからここは空き家になる。早々に出て行くがいい」
もしや馬車の準備は王都への帰り支度だったのか。
さすがに今のタイミングでは王都には戻れない。戻れば私は処罰されるだろう。
このままヴィオレッタに置いていかれては、私は見知らぬ地で野垂れ死ぬことになる。
ヴィオレッタがこうも言葉の通じない女だと思わなかったことによって、思惑通りに事が進まないことに苛立つが、先ずは生きることが優先だ。
以前に王都で流行った恋愛小説とやらも、主人公が酷い目に遭いながらも王都に返り咲いていた。
きっと私にもそういった試練があるのかもしれないな。ならばいつかヴィオレッタとこの男を地獄の底に叩き落とすまで、今は大人しくしていた方がいい。
ここは私の交渉術が光る時だ。
「ヴィオレッタ、お前のせいで私は平民へと落とされた。
ならば責任を感じて私の生活を保護するのは当然の義務であるとは思わないか?」
「本当に苛立たしさしか生産しかできない男だな。
これはもう、ここで始末してもいいだろう?」
ヴィオレッタの男が近くにいた護衛の剣を抜くのを見て、ゾッとした。
この男は本気だ。
粗暴な口ぶりに違わず夜盗のような暮らしぶりをしていたのか、高貴なる我が身に強い嫉妬と狂気を抱いているに違いない。
窘めるようにヴィオレッタが男の腕を軽く叩く。
「陛下が生かすと決めたのですから、きっと暫くは見張りを付けているでしょう。早々に殺すわけにも参りません。
どう聞いても私に一切の咎はありませんけど、放っておくと生死の有無がわからなくて無意味に不安になりますし、陛下がここに寄越したということは処分を私に任せたのでしょう。
一応聞いておきますけど、どういった生活をお望みですの?」
さすが私だ。ヴィオレッタも納得したらしい。
「今まで程は望まぬが高貴なる私に絶えず贅沢を与え続け、使用人達が常に我が身の世話を焼き、愛情深き者に大切にされるならば、私が平民へと身を落としたことも今は許してやれるだろう」
溜息が三度。
今日のヴィオレッタは私に感情を隠すこともしない。
これまで見せてきた控え目な態度は偽りだったのか。この悪女め。
今までの生活より水準は落としてもいいと言っているのだ。これ程の譲歩はないというのに。
「いつものことで慣れているとはいえ、本当に図々しい方。
そうですね、元殿下の望まれるような場所に心当たりがあるので、その場所までは馬車で運んで差し上げましょう」
途端に地へと押さえ込んだ力が緩んだかと思えば、力任せに立たされてほとんど荷を載せていなかった馬車へと叩きこまれた。
私は窓に張り付くと乱暴を働いた者達の顔を見渡し、王都に凱旋した暁には全員処刑してやろうと記憶に刻み込んだ。
少ししてヴィオレッタが小さな家から出てきたかと思えば、封筒を御者に渡すと、私の方を見ることなく出発を指示する。
すぐに動き出した馬車の中、やっと落ち着ける場所にいるのだと深く安堵の息を吐いた。
何処へ連れて行くのかはわからないが、これで見窄らしい姿からはおさらばできる。
暫くは英気を養うためにゆっくり休もう。王族だった私に相応しい世話を受け、豊かな食の彩を楽しみ、柔らかい寝具で眠りにつくのだ。
後のことは今から考える必要もない。
私はこれからの生活に思いを馳せ、久しぶりに心地の良い眠りの中へと落ちて行った。
従兄の乗った馬車を見送り、横に立つヴィオレッタに声をかけた。
「あいつ、本当に私が誰かわからんままだったな」
「ええ、自分が一番可愛い方だから、関わりのない者には一切の興味をもたないもの。
それに貴方もあれには意図的に近づかなかったでしょ。
きっと貴方のお父様しか記憶にないと思うわよ」
ここで会うまではいくらなんでもそれはないと思っていたかったが、本当にヴィオレッタや家族の言うとおりだった。
今や王妃となった母上から聞かされた話は5割増しだと受け止めていたけれど、話を全く盛った様子がない姿に一種の感動すら覚えている。
決していい意味ではなく、珍獣を見たといったものでしかないが。
「一体どこに送り込むつもりだ?」
ヴィオレッタを横目で見る。
扇で隠していた唇の笑みも、私からはよく見えている。
「どこだと思います?」
「わからないから聞いている」
ちらりと私へと向けられた視線は、すぐに小さくなる馬車へと戻された。
「マルドゥーク商会会長の別邸よ」
簡潔な答えに思わず「はあ?」と声を上げた。
「あの婆さんの?屋敷に?」
ええそう、と答えた彼女の声が震えている。
怒りではない。笑いを堪えているのだ。
「だって、仕事もせずに使用人が至れり尽くせりで世話をしてくれる場所なんて、愛人ぐらいですもの。だったら元殿下を満足させられる人なんて彼女くらいでしょう?
私はちゃんと要望に応えたわ。最初は慣れないかもしれないけれど、何でもかんでも自分に都合の良いほうに考える方だから、案外自分を騙しながら上手く生きていけると思うのよね」
「確かに」
マルドゥーク商会は隣の帝国で本店を構える商会だ。
会長であるサミア・マルドゥークが一代で築いた大陸一の大商会であり、大陸内で彼女の商会と関わらぬ国は無いと言われる程の規模である。
どの国も懐に引き入れようと爵位をチラつかせるが、当の本人が断り続けることから平民という立場のままであるものの、貴族の社交場に呼ばれるほどの影響力を持ち、いくつになっても恋多き女として見目麗しい若い男を何人も侍らせ、他国に愛人を囲うためだけの広大な屋敷を有している。
男娼や没落貴族の子息、変声期を迎えぬ少年、無骨な傭兵上がりと多くの愛人を抱えているが、きっと王族は初めて手に入れるだろう。
途端に人間の詰め込まれている馬車のはずが、どうにも売られていく家畜の荷車に見えてきた。
陛下とヴィオレッタが見返りで手に入れるものは何だろうか。
「元殿下は国外にお出しできませんからね。マルドゥーク会長も飽きるまではこの国で過ごされるでしょうし、他に気に入る者がいれば屋敷の購入も考えるかもしれないわ」
「なるほど。マルドゥーク商会とのコネクションか」
言い方、と呟いたヴィオレッタが扇を畳む。
「高級娼館に売り飛ばすか、陛下の義両親に引き渡さなかっただけ優しいと思うけれど。
マルドゥーク会長でしたら上手に手の平で転がせるのではないかしら」
追い出されるようだったら始末するしかないけど、と息を吐いたヴィオレッタが使用人達に作業の再開を指示する。
今度こそ邪魔されることなく荷物は積まれ、馬車の一つにヴィオレッタと乗り込んだ。
本人の為にも一生マルドゥークの屋敷から出されることがないようにと、どうでもいい従兄のためにささやかな祈りを捧げ、それから珍獣のことは忘れようと外の景色へと意識を向けた。