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ヘッドフォンで音楽をガンガンにかけて、それで曲が頭に入ってくるならまだいい。酷いときにはどんな曲を聴いても、どんなに音を大きくしてもメロディが頭に入ってこない。かえって焦燥感だけがつのり、引きちぎるようにヘッドフォンを外してしまう。最近そういう状態が多くなってきた。そうなると、何に対しても興味が持てなくなる。集中力が全く続かない。しかし、じっとしていることにも堪えられない。頭が内側にどんどん圧迫されていくような感覚に襲われる。体力が残っていれば外に出て歩き回る。歩いて回復するときもあれば、そうではないときもあるが、少なくとも早足で歩き回っているときには頭の圧迫感は和らいでいる。アルコールを飲めばいいと思った時期もあった。しかし、アルコールを飲むと逆に次の日に来る落ち込みがもっと酷くなる場合が多かった。
そうした鬱状態の期間が多くなると、生活が必然的に気分を守ることが中心になってくる。読む本も聴く音楽も見るテレビや映画も、出来るだけ自分の気分を動揺させないものを選ぶようになる。食事や服装に関しては次第にルーズになっていく。一回鬱が来ると最低でも三日、酷いと一週間も二週間もその状態が続く。その期間は次第に長くなっている気がする。他人と会うことにも慎重になる。大学のサークルやゼミでの飲み会なども要注意である。最も酷い鬱状態はしばしば飲み会の次の日にやってくる。アルコールだけではなく、他人と騒いで話すことも危険のようだった。
「気分の奴隷」最近そんな言葉を思いついて自分で苦笑した。気がつくと気分の奴隷になっている。何をするにしても気分の伺いを立てなければならない。こんな状態が続いても平気なのだろうか。ただ平気でなくなったらどうなるのかもよく分からない。死ぬのだろうか。自殺は、横暴な気分という独裁者に対しての反抗となりうるのだろうか。冗談でそんなことを考えることもある。しかしすぐにその考えは捨てる。冗談でも何度も考えていると、冗談と思えなくなる。本当はやりたくないことでも何度も繰り返し考えていると、やらなくてはならないような気がしてくる。自分で自分を縛り付けてしまう。自殺など考えないほうがいい。そんなことは馬鹿のすることだと一笑して流せばいい。
大学四年生になり、就職が決まると途端に暇になった。二年、三年と遊んでいた友人たちとはあまり会わなくなっていった。それぞれまだ就職活動をしていたり、大学をやめて地元に帰ってしまったり、専門学校に通っていたり、あるいは特に理由はないが連絡が途絶えてしまったりしていた。
就職活動中はそれなりに緊張感があったせいか、友人たちと疎遠になりつつあることに気がつかなかった。忙しい時間の中で飛ぶように生活を送っていた。
中小企業の営業に内定した。そして気がつくと暇になっていた。授業は週二回だけだった。あまり外に出る気もしなかった。部屋に一人でいると自分が無力で価値のない人間だと言う気がして、誰かに慰めて貰いたくなった。
一年前に一方的にふった女の子のことを自分勝手に思い出したりした。電話をしたら優しく話してくれるだろうかと想像し、その身勝手さにまた嫌悪した。
しかし、どうしても堪らない夜に、彼女の携帯に電話をかけてしまった。馴れ馴れしく饒舌に話しかける僕に、彼女は実際優しく対応してくれた。彼女の声は僕と付き合っていたときよりずっとセクシーに感じた。束の間の幸福感を味わったが、次の日の夜も調子に乗ってまた電話をすると、着信拒否をされていて繋がらなかった。
なぜ彼女と別れてしまったのかと今更の後悔をした。もしあのまま付き合い続けていれば、今この手に彼女を抱いて不安を忘れることだって出来たはずなのに。しかし、そんなことは勝手な考えだった。
こうした鬱状態、頭が圧迫されるような状態はいつ頃から感じるようになったのだろうかと思い返す。子どもの頃にも確かにあったような気がする。しかし、当時は今のように自分で「鬱」という名前をつけて正常な状態と区別して捉えるようなことはしていなかった。自然にそういった状態の中にあって、人間とはたまにそういうときが来るものだと感じていた。中学まではそういった鬱状態に定期的にみまわれていた。しかし、高校、大学一、二年と特に理由がなければ落ち込むことはなくなっていた。そのときは子どもとは陰鬱で常に死と向き合っているものだが大人になるとそこから抜け出していくのかもしれないといういい加減な解釈をしていたような気がする。
大学三年あたりで、二日酔いの次の日に激しい落ち込みに襲われるということが起こり始めた。初めは体調のせいにした。内臓の機能が低下しているからメンタルの調子も悪いのだと。ある程度、それは今も当たっていると思う。体が弱ると心も弱る。体が好調ならば気分もいい。しかし、それだけではない。体が弱ることを引き金にもっと奥にあった、あの僕を圧迫してくる何かが目覚め猛威をふるいはじめるというのが正しい。単に内臓の機能が低下しているだけならその状態が三日目、四日目まで持ち越すはずがない。
次に他人に多くを喋るということが鬱を生む原因なのではないかと考えた。確かにより強い鬱は多くの人と話した後にやってくる。やはり人間はあまり他人に色々なことを言ってはいけないのかもしれない。誰かと関わるには言葉や行動によって自分を客観的に表現しなければならない。そしてそれを相手に見せなければならない。客観化された自分を外から見るといかにも安っぽく、堪えられない気がしてくる。本当の自分はこんなではないと叫びたくなる。しかし、その他人に向けられた自分を自分ではないとしてしまうと、それでは自分には何があるのだろうと疑問が湧いてくる。何も残らなくなってしまう。
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その日も電車に乗っていた。ポータブルオーディオでベートーヴェンの交響曲五番を最大音量で鳴らしていた。調子は悪くない。曲が体にしっかりと染みわたってくる。悪くない。調子が悪いと、あるいは選曲が悪いと、電車に乗り続けていることさえ出来なくなり、大学に着く前に降りてしまう。そしてホームの上を行ったり来たりと歩き回って心を静める。大抵はそこでマンガを買い込み、必死で読みながらアパートに帰る。ポータブルオーディオの充電が切れるのも非常にまずい。酸素の切れたダイバーのような次第に視覚までぼやけてきそうな息苦しさでホームに降りてしまう。
その日は選曲もよかったらしい。バッテリーも十分にある。
大学のある駅まで、約三十分である。「運命」はちょうどいい長さだった。同じベートーヴェンでは第九なら四楽章だけでちょうどいい長さだ。いずれにしても苦しみを克服して歓喜へと大学へ向かうのは悪くないようだ。
軽い高揚感のうちに「運命」も終わりをつげた。ホームに降りるとヘッドフォンを外す。トイレに行くためだ。以前友人と公衆トイレに入るときにヘッドフォンを外すか外さないかという議論をしたことがあった。僕は絶対に外すべきだと思う。汚い排泄の瞬間に美しいメロディを聞きたくはない。曲を作った人に対しても申し訳ない。
トイレから出て改札を降りるとキャンパスへ歩き出す。再びヘッドフォンをして今度はエルヴィス・コステロをかける。
歩きながら聴くのによい曲がある。例えばこのコステロのビートのあるナンバーたちがそうだ。それ以外にもU2の「With or Without You」などもそうである。コールドプレイの「Life in Technicolor」も近い。足の動くスピードに合わせてミディアムなビートが刻まれ、程よくポップで、ヴォーカルは多少ナルシスティックなものがいい。メロディに合わせることで歩くことが単なる移動のための労働ではなく、もっと能動的でそれ自体が意味のある行為になる。
もっともそれは気分のいいときの話である。気分が悪いときは、何を聴いてもかえって苛つき、聴こうと思っていた曲をすべて試してみてもまだ駄目で大学までたどり着けるかどうかすら不安になる。
どうやら今日はここにきてあまり調子がよくなくなってきた。コステロの負け犬みたいな、それでいて負けん気だけは強そうな声も僕の耳に少しも入ってこない。僕は同じキャンパスへ向かう学生たちを見回しながら知り合いを探してみる。四年にもなると知り合いにあまり会わなくなる。多くの四年生は卒論以外にもう単位を残していないために学校に来ない。誰かに会えば、立ち止まって二、三分話さえすれば、気分も変わるだろうに。例えばゼミの後輩の女の子に「こんにちは」と笑って挨拶をされるだけでも、まだ大丈夫だと思えるに違いないのに。今日は誰にも会わない。次第に重くなっていく体をささえて歩き続ける。
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教室に入って一番後ろの席に座る。教室を見渡し、楽しそうに二人で話すカップルに多少の引け目を感じ、下世話な話で爆笑している男子学生の集団にも圧迫を感じながら、教員が来るのをやはりポータブルオーディオを聞きながら待っている。ジム・モリソンがドスの聞いた声でがなりたてている。ドアーズはライヴ盤の方が明らかにいい。周りが年下ばかりになった大学は居心地が悪い。他人の学校のような気がしてしまう。もう僕がいられる時間も少ない。
ポータブルオーディオのヴォリュームを上げ、窓の外を見ながら早く講義が始まらないかと思う。待っている時間、何もしていない時間が苦痛である。周りの生徒たちが楽しそうにはしゃいでいればいるほど、苦痛に感じられる。「馬鹿どもが」と心の中でつぶやいてさらにヴォリュームをあげる。外は風が強い。
教員が来て出席カードが配られる。カードに名前と学籍番号を記入するともう腰が落ち着かなくなる。一年の頃はよく一時間半もの講義を全て聞いていたと思う。この日も僕は結局三十分でただ座って、もごもごとした年寄りの話を聞いていることに我慢できなくなった。こっそりと立ち上がった。寝ている生徒たちを起こさないように気を使いながら席を離れ、教室を抜け出した。
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大学に来て出席だけとり、誰にも会わずに帰る。それはやはり虚しさを感じることだった。楽しそうに笑って騒ぐ学生たちの間をぬって酒も飲まずに帰ることは淋しい。仕方なくキャンパス内をうろつく。さも用事でもある顔をして掲示板を見回したり、図書館をふらついたりする。誰か知り合いに会って、出来れば軽くビールでも飲んで帰りたい。しかし、反対にそんな自分が情けない。一人で帰るのが淋しいのか、誰かと一緒じゃないと嫌なのかと自問してみる。大学時代だけではなく、他人と距離をおいて接する方だった。毎日のように連絡をとるような友人はいない。ずっといなかった。しかしこういうときにいつでも呼び出せる友人がいないことはつらい。周りに人がいないことは自分の無能力を表しているのではないかと軽く自分を責める気持ちも生まれる。そうではない、自分からあえて人と接してこなかったのだと心の中で納得する。あいにく図書室にも掲示板前にも知り合いはいなかった。部屋に帰るしかなかった。
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帰りの電車の方が、朝の電車よりも比較的楽である。というより精神状態全般が、夕方にかけて一番調子がいい。しかし油断してヘッドフォンをせずに電車に乗ったのが間違いだった。前のカップルの会話が、突き刺すように僕の耳に入り込んでくる。
他人の会話ほど僕を苛立たせるものはない。そうと分かっても、なぜか聞いてしまう。聞けば不愉快になるのを分かりきっているが、話し声がすると無意識で聞き入っている。そしてまた、激しい嫌悪を感じる。
僕は鞄からポータブルオーディオを取り出してヘッドフォンで耳をふさぐ。次第にホリー・コールの心を搾り出すような暗い歌声が体に染み渡っていった。最初からこうすればよかったんだ。
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アパートのドアを開けるとうっすらと生ゴミの臭いが漂っていた。朝起きられないために、週一回しか回収に来ない不燃ゴミはいつも溜まりがちだった。ヘッドフォンをはずして鞄を放り、ベッドに横になる。まだ七時前だった。DVDでも借りてくればよかった。やりたいことも思いつかない。
テレビを見るのは嫌いだった。いや、テレビを見ることというより、見たくもないのにテレビを見ることが嫌いだった。暇に任せて何の予定もなくテレビを見続ける。そうして過ごした一日を振り返ると、テレビの画面の中に時間を、いやむしろ生命そのものを、吸い込まれ奪われたような恐怖を感じる。このままテレビを見続けて知らぬ間に時を過ごし、そして死んでいくのではないかと思うと、その人生の意味のなさに吐き気を覚える。見たい番組や見たい映画だけを見る、そう決めていてそれ以外のときはほとんどテレビをつけることはない。酷い鬱状態のときであっても、漫然とテレビをつけて気分がよくなることなどなかった。
しかし、テレビを見ないで他に何をするかと言えば、特に何もない。ただ一人で陰気に悩むか、ヘッドフォンで大音響で音楽を聴くくらいだった。
ベッドに寝ながら手を伸ばし、エレキギターを手にする。1弦が切れているのを思い出す。今日も買い忘れた。ひょっとしたら大学の部室に余っていたかもしれない、探せばよかった。このギターも買いたての頃は、もっときちんと手入れをしていたのに。
勢いをつけてベッドから立ち上がり、キッチンへ向かう。食事をつくるという作業は、憂鬱への対抗となる。お湯を沸かし、インスタントラーメンの袋を棚から取り出す。
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一人暮らしの部屋は時間の感覚が歪んでいる。今何時だか時計を見なければ見当がつかない。本棚に置かれた目覚まし時計に目を向けるともう一時を回っている。電気をつけたままで、眠ったらしい。立ち上がり電気を消そうとしてラーメンどんぶりを蹴り倒す。残していた汁がこぼれてゆっくりと流れ出す。散らかしてあったバンドスコアに染みていく。
ラーメンどんぶりを片付けると、もう眠気は去っていた。散歩に出ることにする。レディオヘッドの「キッドA」を選曲した。
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部屋に鍵をかけて歩き出し、ポータブルオーディオを再生する。
ちょっと洋楽を聴いているやつはどいつもこいつもレディオヘッドが好きだという。おかげで聴くことに若干の抵抗を感じるようになってしまった。しかし、やはりいい曲はいい。誰もが聴いている曲や、逆に一般に評価が低い曲などであっても、いいと思えるものはいいと何の躊躇もなく言えるようになることは成長の一つであると思える。レディオヘッドはどんなに誰もが好きだと言おうが、やはりいい。
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夜の散歩は思考が展開しているうちは心地いい。しかし一旦頭の回りが遅くなり鬱につかまると、逃げ場を失う。僕は追いつかれないように、早足になった。心境にはスピードが大切である。気分より速いスピードで移動することで、自分の気持ちをゼロにする。
鬱に追いかけられた夜の散歩は自然とコンビニから次のコンビニへの漂流となる。家に帰るのに、いくつものコンビニを中継し、肉まんやおでんを買ってみたり、雑誌を立ち読みしてアイドルが脱いだグラビアをチェックしてみたり、おもちゃのおまけ付きのお菓子を眺めてみたりする。
コンビニがなければ、夜の散歩はもっと悲惨ものになっていたような気もするし、逆に絶えず気持ちを現実に引き戻されるために精神的な統一には邪魔であるような気もする。
地方に旅行に行って夜中にふらっと外へでたときの、街灯の泣き声さえ聞き取れる静けさと比べると、都会の夜はあまりにも雑音が多い。
子どもの頃、知らない道を歩くのは冒険だった。しかし、つまらない道は、子どもの僕は駄道と呼んでいたが、通りたくもなかった。ただの知らない道ではなく、僕の好奇心をくすぐるような道、つい入りたくなるような、その先が気になって仕方ないような道があった。夜道を歩いていると昔のそんな感覚を思い出す。
けれども今は当時ほど新鮮な感覚で知らない道を歩くことはできない。どこへ行っても大して変らないに違いないと、やはりどこかで思っている。
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コンビニに次いで夜の彷徨の中継点となるのは公園だった。夜の公園で、低くてとても座っては乗れないブランコに立ち乗りしながら、つまらない人間関係の悩みについて考えたりした。夜の公園では、昼間の人間関係など些細なことだった。些細なことについては単純に冷静に分析できた。ブランコの鎖の軋むリズムに心地よさを感じた。
知らない公園を見つけると今でも嬉しくなった。夜道を歩きながら、急に草木の生い茂った空間が現れると知らず知らずに小走りになる。住宅の密集した夜の東京で、公園の草木は闇を一手に蓄えている。僕はその闇を分けて貰うために近づいていく。
そこは児童公園と呼ぶには大きい公園だった。入口を見ただけではどのくらいの広さなのか、判断できなかった。しかし、森のように草木が密集しているわけでもなく、公園の周りを囲むようにして、大きな木が並んで植えられているようだった。コンクリートの階段を上り公園の中に入ると、滑り台や鉄棒、ジャングルジムなどの遊具一式が揃っているだけでなく、脇には緑の金網で囲まれた広いコートがあった。そこに人影が動いた。不快な緊張がつかの間僕の体を走りぬけたが、それはすぐに去った。人影が一人だと分かったからだった。
僕はコートに近づいていった。ボールをグランドにつく音が響いていた。華奢な体つきから、はじめは子どもに見えた。しかし、そこで汗を書きながらバスケットボールをしていたのは、髪の短い十代くらいの少女だった。
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小さく華奢な体を激しく動かしながら、少女はドリブルとシュートを繰り返していた。短く黒い少し硬そうな髪が少女が走るたびに規則正しく揺れた。膝までのジャージのパンツに白いTシャツ姿だった。汗をかいた彼女のシャツはブラジャーのラインがくっきりと浮かんでいた。ソックスが片方だけ下がっていた。僕はコートの近くまで歩くと立ち止まり、その姿をぼんやりと眺めた。見ているとあまり上手くないことが分かってきた。彼女のシュートは四、五回に一度くらいしか入らない。僕はヘッドフォンを外した。暗く静かな公園で、彼女の響かせるドリブルの音が気持ちがよかった。
話しかけたいと思った。それが性的な関心なのか単なる人恋しさなのかは分からない。その両方であるかもしれない。バスケットをしていたのが少年でも僕が同じような気持ちになったかどうかは疑わしかったが、はっきりとこの子をどうにかしたいと思っていたわけでもなかった。しかし、どのように話しかけたらいいのだろう。コートに侵入してボールを奪って反対側のゴールへシュートすればいいだろうか。「こんな時間に何やってるの」と世間話風に話しかけたらいいのだろうか。僕はぼんやりと考えていた。話しかける自分を心の中で何度かシュミレーションしたが、どのパターンにもあまりリアリティを感じることが出来なかった。そしてどのパターンの僕も間抜け面をしていた。
突然ボールがゴールのバックボードに不自然な角度であたり、高く跳ね上がって金網を飛び越えた。ボールは一度公園に落ちて大きくバウンドして道路の方へ転がっていった。僕は無意識にボールを追いかけていた。いや、無意識ではなかったかもしれない。階段を転がり道路に出かかったボールを止めて、自分はこうなるのを待っていたんだなと思った。何かを起こすために自分で行動するのではなく、何かが起こるのをただ待っているだけだった自分が情けないような気もした。ただボールを両手で胸の前にぐっと掴むとそんな考えもどうでもよくなり、胸が躍るような期待感が湧いてきた。階段を駆け上がると、ボールを地面へと強くついた。ボールは勢いよく跳ねた。
僕はボールを両手で掴んでコートに向かって走った。金網のドアを開けてコートに入ると、少女は腰に手を当てて待っていた。こちらを向いた顔は、冷めたい目と白い肌をしていた。少女の視線を浴びて躊躇した僕は、ボールをかかげるとゴールに向かってロングシュートを放った。
ボールは重たげにゆっくりと高く飛んで、ボードの角に当たり再び跳ね上がって金網を越えていった。
「下手くそ」
暗く低い声が辺りに響いた。少女は口元だけ笑みを浮かべた。
「うるさい、せっかくボールを取って来てやったのに」
そう言い返したが自分の口調が少し強かったのではと言ってから不安になった。コートの真ん中に立っていることに気恥ずかしさを感じた僕は、自然と後ずさりして金網を背に寄りかかった。
「こんな時間に何してるの、高校生?」
今度はやや優しい口調に直した。一方でこんな小娘にまで気を遣う自分が腹立たしい。
「別にいいじゃん、何してても」
こういうときに気の利いたことが言える人間になりたいといつも思っていた。しかし頭は少しも冴えてこない。軽口を叩くぐらいのことしか僕には出来ない。
「うわ、反抗的だな。これだから近頃の若者は恐いよな。いいけど、別に何してもいいけど。よけいなこと聞いた僕が悪かったです。せっかく退屈そうだから相手してあげようと思ったのさ」
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彼女はナオというらしい。ナオは高校生だった。彼女はボールを取りに行って、コートの中に戻り再びシュートを始めた。フリースローを繰り返しながら僕と話した。ナオの髪が揺れるのを見ているのは楽しかった。僕は相変わらず金網に寄りかかって、ナオの足元まで伸びている自分の影を眺めたりしながら話した。冷淡な態度だったナオも次第に雄弁になっていった。話したのはどうでもいい音楽の話だった。誰もが知っている日本のアーティストの話だった。ナオは邦楽を馬鹿にしながら、古いのから新しいのまで随分沢山のアーティストを聴いていた。椎名林檎は一枚目で頂点らしい。バンプオブチキンはミスチルと比べると青いらしい。僕は相槌を打ちながら、ナオの胸が小さいことを少し気にかけていた。僕が時々ふざけた冗談を挟むとナオは凛と響く笑い声をたてた。それが僕にとってとても嬉しかった。
疲れたのかナオがシュートをやめてボールを手放した。そしてコートの外へ歩きだした。帰るのかと僕は不安になる。途中で彼女は気が付いたように振り返る。
「喉渇かない? コンビニ行って何か飲もうよ」
ナオは答えを待たずに歩き出す。僕はナオを追いかける。僕らは公園を出た。
しかし、歩き出すと急に話すことが見つからなくなってしまい少し困った。彼女も黙って歩いていた。大人しいのかよく喋るのか分からない子だなと思った。
コンビニに入って僕がブラックコーヒーを選んでいると、彼女は迷わずビールを手にする。それを見て、自分の保守的な性格を嫌悪する。ここは当然酒だろう、となぜ大胆に考えられなかったんだろう。相手が十代だからアルコールなどとんでもないというような厳格な倫理観を持っているわけでもないだろうに。自分の気の小ささに反吐が出る。軽く舌打ちして、コーヒーを戻し、僕もアルコールコーナーに向かう。
「何だよ、酒飲むのか」
「悪い? 別に奢ってっていってないよ」
「アホ、嫌がっても奢ってやる。くそっ、僕もビール飲んじゃうよ、ガンガン飲んじゃうよ」
*
結局、缶ビール二缶と五百円ちょとの白ワインを一本、そしてスナック菓子を買った。
コンビニを出るとすぐにナオは僕がぶら下げているビニール袋に手を突っ込み、缶ビールを取り出す。そのとき、ナオの冷たい手がビニールを持つ僕の指に軽く触れた。
「いただき」
小さな両手でビール缶をかかげるようにして、歩きながら飲み始めた。僕は少しの間、その動作を見ていた。
「何、飲まないの」
僕は自分のビールを手に取った。
しばらくあてもなくふらふらと歩きながら、酒を飲んでいた。ビールを飲みきった二人は、瓶から直接に回しあってワインを飲んだ。ナオは酒に強いらしく酔った風ではなかった。僕は少し酔い始めていたかもしれない。
「学校は行ってないの?」
「あんまり行ってないよ」
「何で?」
「何で、学校に行かなきゃいけないの」
「いいな、そういう風に考えられて。僕は高校の頃すごい嫌だったけど、でも毎日行ってた。行くのも嫌だけど行かないのも恐かったのかな」
「何だろ、高校が嫌なわけじゃないんだけどね、でも何か行く気がわいてこない日が多いんだよね」
「高校卒業したらどうするつもり?」
「何だよ、嫌なことばっか聞くなぁ。二十歳過ぎるとみんなそう若者の将来を憂うようになちゃうの? ・・・・・・そんなの分かんないよ。大学行くのかな。でも行けるのかな。行けなかったら、フリーターでもする」
「嫌なことばっかね。そうだな。嫌なことばっかりか」
「それじゃ、そっちは大学卒業したらどうするつもりなの?」
「就職が決まってる。文房具の営業」
「お、営業。何かちゃんとまっとうな人生を送るじゃん。それじゃ何で就職するの? それで就職してどんな生活送りたいの?」
「何でだろう。就職なんてしたくないし、他に手があればすぐに会社なんて辞めたいけど、でも食べていかなきゃいけないし。それに周りの雰囲気に流されて就職活動して一個だけ内定もらった」
「何か、素直じゃん。で、それでいいの? そんな人生でいいの?」
「気楽にいうなぁ。それじゃ、そっちは学校行かないでどんな人生を送る気なんだよ」
「そんなのまだ分かんないよ」
「僕だって先のことなんて分かんないよ」
「走るよ」
「え」
ナオは残っていたワインを一気に飲み干すと、その瓶を握り直し、歩いていたすぐ横のマンションの一階の窓へ投げつけた。現実味がないほど大きなガラスの割れる音が響いた。
ナオは走り出していた。彼女の髪が上下にポンポンと揺れていた。街灯に照らされたジャージの下から伸びた脹脛が、白く光っていた。
僕が走り出したのは、何秒後だったのだろうか。頭よりも体が急に目覚めて反応した。全身に血液が巡っていく感じだった。口からなぜか微笑がもれた。そして耐え切れずついに声を上げて笑い出した。笑いながら走った。
いつの間に追いついていたのか、僕の隣を走っていたナオも笑っていた。二人で夜の住宅街を笑いながら疾走していった。
誰もいなかった。知らない道だった。静かだった。そして愉快だった。
*
「あんた、走り出すの遅いよぉ」
肩で息をしながら額の汗を拭き、ナオが言った。
どのくらい走ったのかは分からないが、くたびれはてた頃にたどり着いた大きな国道で、僕とナオは立ち止まって呼吸を整えていた。
「ちくしょう、走ったのなんて何ヶ月ぶりだよ」
ナオは横目で明らかに彼女以上にばてている僕を見て、軽く冷笑した。疲れた体には国道を走る車の音も心地よく聞こえる。第二京浜だろうか。随分遠くへ来た。
「水飲みたいよ、自動販売機ないのかな」
僕は国道沿いの道を見回す。ちょうど信号を渡った反対側に、白く光っている四角い箱が見えた。
横断歩道を渡り、ミネラルウォーターがないので清涼飲料を買った僕が後ろを振り向くと、ナオは何やら路上駐車の車を覗き込んでいる。
僕は疲労が残っているのか普段より重たい体をひきずりナオに近づいた。
「ねぇ、この車、キー刺さったまんまだよ」
「聞いてるの? ねぇ車の免許とか持ってないの」
僕は一人では、取り立てて社会の規範に外れるようなことをする人間ではないと思う。むしろ何の考察もなくルールに従ってしまう自己の傾向に嫌悪さえ抱いているくらいだった。しかし、他人の、とりわけて女の子の前で何かを思いついたり、何かを頼まれたりすると、それが反社会的な行為であっても、しなければならないような気になる。いや、むしろそれが世の規範から外れれば外れるほど、駆り立てられるものがある。酒が残っていればなおさらである。以前、酔っ払って騒ぎ過ぎた帰り道に、自分はこの先の人生で酔っ払って女の子に頼まれてして犯した過ちのために大きなハンディを背負うようなことが起こるかもしれないと思ったことを思い出す。あるいは、それが今なのかもしれないと、そのグレーのカローラのドアノブに手をかけながら考えていた。
*
「急げ、すぐに出すぞ」
ナオが助手席のドアを閉めるとすぐに僕はアクセルを踏んだ。サイドミラーで誰かが追ってきていないかをチェックする。再び心音は高まっている。スピードを上げ、追い越し車線に入る頃は、高まる心音が開放感を生み始める。僕はアクセルを踏みながら、笑い始める。ナオはすでに助手席に乗り込んだときから笑いをこらえていた。僕らは夜の国道を笑いながら走っていた。ナオは窓を開け顔を外に突き出して大声で笑った。馬鹿な二人だった。
しばらく走ると、行くあてのないことに気がつき、僕は国道一号を左折して細い道で車を停めた。
「泥棒」
「お前がやれっていったんだろ」
「単純。女の子に言われれば、何でも聞いちゃうんなんて」
「悪かったね、単純で」
「ねぇ、これからどうするの」
「どうしようか」
「女の子にどうしようかって言われて、同じことを聞き返すようじゃダメな男だよ」
「何だよ、それは。どっかドライブに行くか」
「どこへ、何しに」
車を停めて暗い中でぼんやりとナオと話していると、盗んですぐの開放的な時間がどんどん冷めていくようで恐かった。早く何か次のことを考えなければ、罪悪感に蝕まれそうだった。盗まれた人のことなどを考えてしまったりしそうだった。コンビニで買ったスナック菓子の残りをつまんだ。ナオも音を立てて食べていた。
カーラジオをつけた。流れてきたのは福山雅治だった。何か違うなとカーステレオのスイッチを切る。しかし、音がなくなると、急に空気が冷えたような心細い気分になる。仕方なく僕はまたスイッチをひねりチャンネルを変えた。誰だか分からない外国の女性ヴォーカルのオルタナ系のロックが流れてきた。
「で、これからどうするの?」
ナオは抑揚のない声で言う。高揚した瞬間と退屈した瞬間の差の激しい子だと思った。しかし、薄暗い車の中で彼女の短く黒い髪は美しく微かな光を放っていた。退屈そうに脚の上に投げ出された彼女の手を僕は握りたいとふと思う。最後に女性の体に触れたのはいつだったであろうか。
「そうだな、何か意味のないことしようぜ」
「例えば?」
「すごい無駄なこと」
「だから具体的に」
早く言えと言いたげにナオは窓の外を向いてしまう。学校ではどんな感じのポジションなのだろうか。好かれているとは思えない。しかし、いじめられているという卑屈さはないように見える。相変わらず冷たい目をしている。曲は女性ヴォーカルのロックから、クラプトンに変る。
「河童でも探しに行くか」
「何それ、河童探し?」
「つちのこ探しよりもいいだろ」
「どこにいるの、河童って」
「知らないよそんなの。これから本屋で調べる。河童探しをする? しない?」
「何でそう、馬鹿なことしか思いつかないの。河童探してどうするつもり」
「寿司にする」
再び車を始動させる。まずは二十四時間営業の本屋に行かなければ。以前、村上春樹の小説で夜中に青山ブックセンターに行く話を読んだことがある気がする。あるいは違う小説家だったかもしれないが。とにかく以前は音楽以外の本もけっこう読んでいた。そして夜中に青山ブックセンターに行くことがとても羨ましく思えた気がする。青山に向かおうと思う。全く根拠のない思いつきで行動することは、ある種の自虐的な心地よさがある。僕は日頃考えすぎなのかもしれない。大したことを考えているわけでもなく、そして大した結論にたどり着くわけでもないにもかかわらず、考えすぎている。
五反田を通り過ぎた。以前六本木通りで深夜に青山ブックセンターを見かけたことがあるのを思い出した。このまま国道一号を進み、東京タワーを左に曲がれば六本木はすぐだ。二十分もかからないだろう。そう言えば車を運転すること自体が久しぶりだと気が付く。
ナオはしばらくの間、河童の話をせずにワインをもう一本買えばよかった、次にコンビニを見つけたら停まってくれなどと言っていたが、ふと大人しくなったと思うとこんなことを言った。
「あたしね、実は子どもの頃、おじいちゃんの家に遊びに行ったときに、河童を見たことがあるんだ。夜だったからはっきりとじゃないけど、ぬるぬるしてて、体が月に照らされて光ってて。それを見たら何か本当に恐ろしくてしかたなくて。この話、おじいちゃんにしかしたことなかったんだけど」
「え、マジ」
「嘘にきまってんじゃん」
生意気な女だ。友達も少ないに違いない。ケタケタと助手席で笑っている。
ただ、次第に河童に興味を持ってきたらしく、それからずっと河童がどうのと話していた。一見無口だが、やはり喋りだすと話し好きのようだった。人見知りするくせに、一旦喋りだすとやたらと話す。そういうところは僕に似ていないでもない。僕は相槌を打ちながらナオが河童を馬鹿にする話を聞いていた。
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六本木通りにしばらく縦列駐車をして、僕とナオは青山ブックセンターに入っていった。ナオは最初僕と河童の本を探してくれたが、途中で飽きてしまい、勝手に自分の読みたいファッションだか何だかの雑誌を立ち読みしだした。僕は根気よく河童がどこにいるかについて書かれた本を探した。途中途中で僕も他の本への誘惑にかられながらも、河童に関する本を結局四冊選び出した。一冊は民俗学的な本だった。一冊はもっと気楽な日本河童研究会だか何だかが出している本だった。一冊は柳田国男の『遠野物語』だった。一冊は水木しげるの『河童の三平』だった。水木しげるはただ欲しかったからかもしれない。
立ち読みしているナオに声をかけ、僕らはブックセンターを出る。
「ねぇ、分かったの、河童がどこにいるか」
「まだこれからだけど、ざっと見た感じでは河童のメッカはやっぱり遠野らしい」
「遠野ってどこ?」
「東北」
「げっ、とおっ」
カローラに乗り込みエンジンをかける。
「遠いよ。本当についてくる? 一日じゃ帰れないかもしれないよ」
「何言ってるの、違うでしょ。一緒についてきてくださいって言いなさいよ」
彼女にとっては軽口なのだろうが、たまにこうしたナオの言葉は棘になって刺さる。彼女の人を馬鹿にしたような言い方が、「僕は何をやっているのだろう」というもっとも触れたくない疑問に僕を向かわせるからのようだ。何やってるんだろ。女の子捕まえて遠野に河童探しに連れて行って何になるんだろう。どんな意味があるんだろう。そしてそれは本当に楽しいことなのだろうか。
「ねぇ、自分で私に声をかけたと思ってるでしょ」
「何、どういう意味?」
「それは間違いなの。あたし、バスケやりながら、あぁこの人あたしをじっと見てるなぁ、それであたしに声をかけたくて迷ってるんだろうなって思ったから、わざとボールを外してコートの外に出したんだよ」
何となく屈辱的な気がした。自分でやったことが、実は誰かにさせられたことだった。助手席を見るとナオがいじわるそうに笑っている。その顔が可愛らしかったので許すことにした。世の中全く自分で決められることなど、そう多くないに違いない。気にすることはない。細かいことを気にしていたら人生がつらい。
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しばらく都心部をあてもなく彷徨ってから、外堀通りのファミリーレストランに入った。河童捕獲作戦を立てるためだった。ナオはラザニアを食べていた。僕はメキシカンピラフを食べた。食べ終わって、計画を立てようと買ってきた本を出して調べ始めると、ナオは寝てしまった。口を開け、ソファに寄りかかりながら寝ていた。ナオが寝てしまったのは、僕と話すことに魅力を感じなくなり退屈したからだろうかとふと思う。すぐにそれを頭から振り払う。僕はすぐにネガティブに考える傾向がある。ナオが寝たことをそこまで気にする必要はない。単に疲れて酒が回ってきたから寝ただけに違いない。彼女はこの店に入ってからもビールを頼んでいたじゃないか。
ナオの着ている服は体育のジャージなのだろうか。それとも単に部屋着として使っているようなものなのだろうか。この格好で東北は寒いかもしれない。白いTシャツからは相変わらずブラジャーが透けていた。僕は、ナオの残したビールを飲みながら、軽くそれに見入っていた。つける必要がないと思われるくらいの小さな胸だった。
気を取り直した僕はそれから一人で河童の本を読みふけった。今まで知らなかった河童の秘密が次々と明らかになっていった。
河童は右手と左手の骨がつながっているらしい。そのため右手を引っぱると左手が縮む。左手を引っぱると右手が縮む。河童は人間の肛門から尻子玉を抜くらしい。尻子玉を抜かれた人間は、死んでしまったり、腑抜けのようになってしまったりすると言うことである。また今でも全国各地に河童から教えられた膏薬の作り方が伝わっている。さらに、河童の書いた詫び状が残されているところもある。河童の手のミイラなどもあるが、その手が本当に河童のものであるかは、ぱっと写真で見ただけでは僕には判断できなかった。
河童実在を思わせる根拠としては、全国各地で似たような伝承があることだろう。河童の容姿についても、東北と九州など江戸時代におよそ交流があったとは思えない場所でも、はっきりとした類似性がある。その呼び名は現在では河童に統一された感があるが、かつては様々だった。カッパ、カワッパ、カワワラ、ガラッパ、カワゴ、カワコゾウ、カワタロウ、ガタロウ、エンコウ、カワザル、カワウソ、カワッソ、ヒョウスベ、ミズシ、スイコ、コマヒキ、シリコボウシ・・・名前は多いがその姿形は似たり寄ったりである。日本各地で様々な呼び名で、同一と思われる動物がいたらしいということは、やはり河童の実在を示しているのではないだろうか。もっとも、姿も若干の相違はある。例えば、遠野の河童はどうやら赤いようだ。
そして河童は女好きらしい。日本各地で若い娘が被害にあっている。夜の手水場で便器の下から手を出して、女の尻を触るらしい。昔は直接川から水を引いて流すような形式の便所があったため、河童はその水を伝って容易に侵入できたのだろう。また、中には河童の子を身籠った女の話も報告されている。気のふれたその女の生んだ子はとても醜悪な姿で、手に水かきがあった。恐れた村人たちは切り刻んで一升樽に入れて土に埋めてしまった。河童と人間の間に生殖が可能であるということは、DNAが近いのかもしれない。人間と近いとすれば、かなり優れた知能を持っている可能性があるだろう。何より、河童探しの間はナオの身に危険がないように僕が守らなければならない、万に一つも彼女が河童の子を身籠ることがないように。
河童のことばかり考えて疲れて眠くなった僕は、ナオをゆすり起こした。ナオの肩に触れるとしっとりとした温かさが伝わり、思わずびくりとしてしまう。会計を済ませて車に戻ると、ナオは助手席に座りすぐにまた寝てしまった。僕は車を出して少しだけ走ると、また路上駐車をしてシートを倒して眠った。寝付けなくて不安で憂鬱な時間を過ごさねばならないかと思っていたが、横になるとすぐに眠りに落ちたらしい。やはりかなり疲れていたのだろうか。
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目が覚めると体の節々が痛い。辺りはもう明るかった。ひっきりなしに通り過ぎる車の音が聞こえる。横にナオがいないのに気が付いた。はじめそれをどう捉えていいか分からず、ぼんやりと誰もいない助手席を見ていた。次第に背筋から悪寒がのぼるような、そして重苦しく胸を押さえつけるような嫌な気分が広がっていった。僕は何を浮かれていたのだろう、本当に遠野へ河童を探しに行く気だったのか。ナオはふざけて話に乗っていただけだ。家に帰ったに違いない、そうして当たり前だ。なぜ自分でも馬鹿な話だと思える河童探しを本気にしたのだろう。五千円以上も出して本を何冊も買って。いや、金銭ではない、問題なのは、恐らく僕がナオと河童探しに行くことをとても楽しみにしていたらしいということだ。現実を見ていない過剰な期待は裏切られるのが常である。残るのは楽しい河童探しの亡霊と自己嫌悪だけだ。なぜ僕は冷静な判断を失い、非現実的な期待をしていたのだろう。
僕はそこで思考を止めようとする。別のことを考えようとする。みんな忘れたい、みんな忘れてすべてを捨ててどこかへ旅に出たい。
旅? どこへ? それじゃ河童探しに行くか? そう思いつくと、少し胸が楽になった気がした。僕は後部座席に放り投げてあった河童の本を一冊手に取った。どうせこのまま部屋に帰っても憂鬱なだけだ。午後から大学に行く気など起きるわけがない。
河童だ、河童。大学より何より河童だ。河童を見つけて懲らしめてやる、退治してやる。
* 本作品は文芸同人誌「孤帆」第3,4,5号に連載された作品を加筆訂正したものです。また、塚田遼小説サイト「ぼくは毎日本を書く」に同時掲載されています。