お嬢さまが婚約破棄されたので、その無実を王太子付きの騎士さまと証明することにしました
「お嬢さまが婚約破棄された!?」
執事からその話を聞くなり、わたしは彼に食ってかかった。
「どーしてですか!? なんでですか!? お嬢さまのようにお美しくてお優しくて完璧な淑女がなぜ!?」
執事はたじたじだ。
「いや……わたしも詳しいことは知らないが……なんでも、王太子殿下が見初めた女性に嫌がらせをなさったとかなんとか……」
「お嬢さまがそんなことをなさるわけがないでしょうが! そもそも、見初めたってなんですか!? 王太子殿下の婚約者はお嬢さまでしょーが! どうしても愛人を作りたいなら、もっとうまくやるべきでしょーがっ!」
「いや、だからわたしもよく……」
話にならない執事を置いて、わたしはこの公爵家の旦那さまである、お嬢さまのお父君のもとに向かった。わたしがノックのあとにお部屋に入ると、旦那さまは笑顔をみせてくださった。そのお顔には隠しようもない疲労がにじんでいる。
「どうしたね? メリエル」
「フィリッパお嬢さまが婚約破棄されたと伺いました」
「ああ」と頷き、旦那さまは室内を歩き回り始める。
「昨日の今日で、わたしも信じられないのだが……とにかく、フィリッパを刺激しないでやってくれ。だいぶ参っていてな……」
ということは、やはりお嬢さまは身に覚えがないのに婚約破棄されたのだ。
わたしはメリエル・エイジャー。フィリッパお嬢さまの侍女。
わたしとお嬢さまは乳姉妹で、生まれた時から一緒にいる。お嬢さまはたとえ大嫌いな相手だろうと、嫌がらせをするようなお方ではない。
「旦那さま、わたしはお嬢さまに非があるとはどうしても信じられません」
「わたしもそう思っているよ。……だが、相手は王太子殿下だ。あまり事を荒立てては、国中の貴族を巻き込んだ内乱に発展しかねない」
穏やかな旦那さまらしい考え方だ。でも、それじゃあ、お嬢さまは泣き寝入りをすることになる。
大体、相手に悪評が立ってしまうことを承知で、身に覚えのない濡れ衣を婚約者に着せるなんて、とんでもない王太子だ。自分の浮気が原因のくせに!
そりゃあ、お嬢さまなら次のお嫁入り先が見つからない、ということはないだろうけど……。
お嬢さまのために、わたしができることは何かないだろうか。
そこまで考えて、はたと閃く。
そうだ! お嬢さまの無実を証明すればいいんだ!
問題は、どうやって成し遂げるか。
王太子とその浮気相手に関する情報を集めるなら、王宮に行くしかない。しかも、内部の奥深くに潜入する必要がある。
「旦那さま! 下働きとしてでも構いません、わたし一人くらいなら、王宮に潜入することは可能でしょうか」
旦那さまは目を見開いた。
「メ、メリエル……?」
「わたし、どうしてもお嬢さまの無実を証明したいのです。それには、王宮で情報を集める必要があると存じます」
「いや……お前はフィリッパの姉妹も同然だし……そんな危険なことをさせるわけには……」
「わたしはお嬢さまだけでなく、旦那さまにも奥さまにも、とてもよくしていただきました。だからこそ、ご恩返しがしたいのです」
旦那さまは黙り込んでいたけど、やがて口を開いた。
「……そこまで言うのなら分かった。わたしの伝手を使えば、騎士の娘であるお前をよい条件で王宮に上げることができるだろう。ただし、無理はしないでくれ。危険だと感じたら、それ以上は踏み込まずにお務めだけすませて、ここに帰ってきなさい」
わたしは密かに握り拳を作った。
◆
三週間後、わたしは女官の侍女として、王宮に上がることになった。旦那さまが裏で手を回してくださったおかげだ。なんでも、侍女の一人が体調を崩したので、代わりの人員が急遽必要になったらしい。
お嬢さまには、実家の事情でしばらく故郷に帰ると伝えてある。嘘をつくのは心苦しかったけど、お嬢さまは絶対にわたしの王宮潜入をご反対なさるだろうから仕方ない。
お嬢さまの付き添いで王宮に足を踏み入れたことは一度や二度ではないわたしは、その威容に驚くこともなく王宮の門を潜った。王宮の敷地内にある女官の官舎の一室で、服を侍女用のお仕着せに着替えると、お仕えする女官にお目通りする。
基本的に女官は貴族の夫人や令嬢だ。今回お仕えするジョアンさまも、さる伯爵家のご令嬢だということだった。
物心つく前からお嬢さまの遊び相手を務め、十二歳からお嬢様の侍女を務めて五年のわたしには貴族のご令嬢のお相手は慣れたものだ。
翌日から、わたしは官舎でジョアンさまの朝のお着替えを手伝い、彼女が王妃陛下の御許に出仕する際、もう一人の侍女とともに付き添った。
王宮内に入り、長い廊下を歩く。ジョアンさまの姿を見ると、廊下で働いていた召使いたちがいっせいに壁際に下がる。お嬢さまは使用人たちとも親しく口をお利きになるようなお人柄だから、こういう光景はなんだか新鮮だ。
二階にある、王妃陛下のお部屋に入っていくジョアンさまを見送ったあと、わたしたち侍女は官舎にあるジョアンさまのお部屋に戻る。室内を整えてしまうと、官舎内にある侍女の詰所でほっと一息だ。
わたしは新入りらしくあまり出しゃばった真似はせず、聞き役に回る。わたしと同じ騎士階級が多い先輩たちの話題はもっぱら、王太子とその浮気相手についてだ。
「王太子殿下はエリナーさまとご婚約なさるんですって」
思わず手に力が入り、持っていたカップの取っ手を砕きそうになる。
先輩たちはわたしの様子には気づかずにおしゃべりを続ける。
「王太子殿下が男爵令嬢と? ちょっと不釣り合いじゃないかしら」
「そうよね。フィリッパさまとご結婚なさったほうがよかったと思うわあ」
「殿下もエリナーさまとお近づきになる前はフィリッパさまと仲がよろしかったし、申し分ないお方だったけれど、今は、ね……」
どうやら、エリナーとは男を腑抜けにし、堕落させる魔性の女らしい。
わたしの中で好奇心がむくむくと頭をもたげる。
一度、敵の姿を目にしておいたほうがいいような気がする。そうすれば、より精度の高い情報を手に入れられるかもしれない。パーティーでもあれば王太子と一緒に現れるんだろうけど……。
わたしは控えめに質問してみる。
「あのう、エリナーさまは王太子殿下とよくご一緒にいらっしゃるのですか?」
「『よく』どころじゃなく、『いつも』一緒にいるって話よ。殿下のお部屋にも、しょっちゅうくっついてくるんですって」
ということは、王太子の部屋の近くで張るのがいいだろう。
わたしは休憩のあと、再び王宮内に入り、王太子の部屋に向かうことにした。
こんなこともあろうかと、王太子の部屋の位置は脳内にインプットずみだ。王宮に潜入する前、わたしが王宮内で迷子にならないよう、旦那さまが見取り図を描いてくださったのだ。
王宮の入り口を守る騎士に「主の忘れ物を届けたいので」と説明したら、疑われることもなく中に入れた。
わたしは記憶を頼りに長い廊下を抜け、ついに王太子の部屋に辿り着いた。
王妃陛下のお部屋と同じように、部屋の前には騎士がたたずんでいる。ということは、間違いなく王太子の部屋だろう。旦那さま、ありがとうございます。
ん? あの騎士、えらく高身長でイケメンね……。
いや、そんなことはどうでもいい! とりあえず、あの騎士に不審に思われる前に、どこか王太子の部屋を監視できる場所に隠れないと……。それに、王太子と直接顔を合わせるわけにはいかないし。
「おい、そこの侍女」
はい、さっそく誰何されましたー!
わたしはギチギチとした動きで振り返った。先ほどの騎士が眉間に皺を寄せてこちらを注視している。
わたしは特になんの変哲もないただの侍女ですよー。
そう、わたしは特に美しくもなければ、綺麗な金髪をしているわけでもない。茶髪で榛色の瞳をした普通の女子なのだ。……自分で言ってて、なんだか悲しくなってきた。
一方、わたしを呼び止めた騎士は、うなじで結んだまっすぐな長い金髪がとても華やか。金の睫毛で縁取られているだろうアイスブルーの瞳が騎士らしくキリッとしていて、とても印象的だ。騎士団の赤い制服がすらりとした長身によく映えている。歳は二十代半ばだろうか。
って、見とれている場合じゃない!
「な、なんでございましょう……?」
「見ない顔だな。道に迷ったのなら、ここを反対方向にまっすぐ進み、突き当りを左に進むとよい。出入口が見えてくる」
「あ、ありがとう存じます」
な、なんとか切り抜けられた……? ひとまず撤退して、また後日ここに来たほうがいいのかな? でも、同じ騎士と出くわしたら、今度こそ絶対に怪しまれる。
逡巡した末、わたしはあることを訊いてみる。
「あのう、騎士さまは王太子殿下の愛じ──いえ、恋人でいらっしゃるエリナーさまのお姿をご存知でしょうか?」
「存じ上げているが……」
「わたくし、王太子殿下が首ったけ、ともっぱらの噂のエリナーさまに憧れておりますの。それで、どんなお姿なのかを知りたくて……。きっと、とてもお美しいお方なのでしょうね」
騎士のアイスブルーの瞳が、こちらを見透かすようにすっと細まる。
「本当に、それが理由か?」
「え!?」
まずい。思いっきり大きな声が出た。
騎士は矢継ぎ早に問いかけてくる。
「そなた、名は? 誰の侍女だ?」
わたしは半ばパニックになりながらも、ひっくり返りそうな声で返答する。
「メリエル・エイジャー! 王妃陛下付き女官、ジョアン・シャノンさまの臨時の侍女です!」
あ、余計なことまで言ってしまった。
「臨時の……」
案の定、騎士は考え込むような仕草をする。
なんと言い訳しようか、わたしも考え込んでいると、いつの間にか数人の男女が廊下の向こうからこちらに近づいてきた。
即座に騎士が居住まいを正し、敬礼する。
わたしはまたもや大声を上げそうになった。先頭を歩いてくるのは王太子にしてお嬢さまの元婚約者、ヘンリー王太子だ。その隣には彼の腕に手を絡め、べったりと寄り添って歩く、蜂蜜色の髪の女。間違いない。彼女がエリナーだ。
それよりも、これは非常にまずい。わたしはお嬢さまの付き添いで、王太子とは何度も顔を合わせている。だから、隠れてエリナーの姿を見たかったのに……!
これって、もしかして任務達成前に強制終了!? ああ、お嬢さまと旦那さまにご迷惑がかかる!
壁際に下がり、必死に頭を垂れるわたしを王太子がちらりと見た。
「うん? そなた、どこかで……」
絶体絶命かと思われたその時。
「勘違いでございましょう。その娘は、女官ジョアン・シャノン嬢の侍女でございます。ジョアン嬢が初めて王宮に出仕なさった時から、侍女を務めているそうでございますよ」
涼しい声でそう言ってのけたのは、あの騎士だった。
「そうか。そなたが申すのなら確かなのであろうな」
王太子は納得したようだ。エリナーと部屋に入っていく。
わ、わたし、よく分からないけど、助けてもらったの……?
王太子たちが完全に姿を消すのを待って、わたしはバッと顔を上げた。こちらを見定めるようなアイスブルーの瞳が真っ先に目に入る。
「別室で話を聞かせてもらおう」
ん? 結局、わたしのピンチは去っていないのかも?
◆
わたしは騎士から近くにある応接室で待っているよう指示され、今すぐ逃げ出したい気持ちと戦いながらも、言われた通りにした。下手に動いて、これ以上事態を悪化させたらまずい。
応接室の素晴らしく座り心地のいい椅子にかけて待つこと数十分。ようやく彼が現れた。
「すまないな。交代の騎士が少し遅れた」
あ、この人、ちゃんと謝ることもできるのね。ちょっと意外だ。
騎士は向かいの椅子に腰かける。
「まだ名乗っていなかったな。わたしは王太子殿下付きの騎士、アルドヘルム・ウィルバーホース。ドルト侯爵家の三男、といったほうが分かりやすいか」
三男とはいえ、上級貴族だったのね。その容姿と気品に納得。
アルドヘルムは何かを思い出すような顔つきをした。
「メリエル・エイジャーといったか。君はなんの目的があって、エリナー嬢を気にしていた?」
うわ、さっそく来た!
「た、単なる憧れです!」
「嘘をつくな。それに、王太子殿下が君の顔をご存知のようだった。もしかして君は、どこかの貴族の手の者か? それにしては色々とお粗末だが……」
う……そう言われてしまうと心が痛い。
わたしが黙り込んでいると、騎士は初めて口の端をつり上げた。
「では、こうしよう。わたしは先ほど、君を助けた。その見返りとして、一切合切を話せ」
うーん……助けられたのは事実だし、それなら仕方ないのかも。ただ、わたしにはどうしても譲れない条件がある。
「それなら、わたしが真実を話した場合、王太子殿下に突き出さない、とお約束ください。色々な方面に迷惑がかかりますので」
「約束しよう」
「信じることにします。実は……」
王宮に潜入することになった事情をわたしが話し終える頃には、アルドヘルムはその美貌が引き立つような憂い顔をしていた。腕を組みながらため息をつく。
「……わたしにも、フィリッパ嬢が邪魔なエリナー嬢に酷い仕打ちをなさった、という王太子殿下側の説明がどうにも納得いかなかった。フィリッパ嬢の悪い噂など、聞いたことがなかったからな。反対に、エリナー嬢の悪い噂なら山ほど聞いた」
「お嬢さまを信じてくださるのですか!?」
アルドヘルムは苦笑した。
「君は自分の話を信じてもらえるかどうかより、主を信じてもらえるかのほうが重要なのだな」
「おかしいですか?」
「いや、その逆だ。フィリッパ嬢はよい侍女を持った」
な、なんだか、照れちゃうな。この人、最初は高圧的に思えたけど、結構素直でいい人かも。
アルドヘルムは金の眉を寄せる。
「……それにしても、フィリッパ嬢が濡れ衣を着せられ、婚約破棄されたとなると、この国の先行きが思いやられるな。ヘンリー王太子殿下は次の国王であられる。毒婦に惑い、大貴族であるスタックス公爵のご令嬢に冤罪を着せ、婚約破棄なさるなど……」
旦那さまも内乱が起こることを気にしていらっしゃったし、事態は相当芳しくない方向に転がりつつあるようだ。
侯爵家の出身であるとはいえ、跡継ぎでもない三男が王太子付きの騎士になるには、やはり相当な努力が必要だったはずだ。その分、わたしよりも視野が広いだろうアルドヘルムには、この国の暗い未来がまざまざと見えているのかもしれない。
アルドヘルムはアイスブルーの瞳に強い光を宿し、口を開いた。
「わたしも君に協力させて欲しい。フィリッパ嬢が冤罪を着せられたという証拠をつかみたい」
「証拠が見つかったら、どうなさるのですか?」
お礼よりも先に出たわたしの質問に、アルドヘルムは答えてくれなかった。
◆
手分けして聞き込みでもするのかと思ったら、アルドヘルムはわたしに黙ってついてくるように言った(むしろ命じた?)。
曰く、「君は頼りないし、一人だとヘマをしそうだからな」。
……ぐうの音も出ません。
アルドヘルムはわたしを連れて女官の詰所に向かい、扉をノックする。
「君はここで待っていてくれ。中に入ると、色々面倒なことになる」
超絶イケメン騎士が新入りの侍女風情を連れて女の園に入っていったら、そりゃ面倒なことになるでしょうとも。わたしは今後のために大人しく頷いた。
アルドヘルムが室内に入ると、黄色い声が扉越しに聞こえてきた。相当人気者らしい。
……なんかムカつくな。なんでだろう。
廊下に戻ってきたアルドヘルムは、少し疲れた顔をしていた。おモテになるけど、あんまり女性の相手が得意なほうではないのかな?
彼は廊下を歩きながら、女官たちから聞いた話をかいつまんで説明してくれる。
「エリナー嬢は王太子殿下がフィリッパ嬢と婚約していると知りながら、積極的に近づいた節があるらしい」
「ということは、限りなく黒に近いですね」
「ああ。初めから王太子妃になるために殿下に近づき、フィリッパ嬢を蹴落としたのなら、とんだ女狐だ」
アルドヘルムは厳しい顔つきで次の場所に向かった。
「今度は君も中に入れ」
そう言われたので、アルドヘルムのうしろについて部屋の中に入る。
そこは侍従の詰所だった。大方の侍従は貴族の当主や令息だ。何人もの貴族男性を前に、緊張がわたしを襲う。侯爵家出身のアルドヘルムは特に構えた様子もなく、侍従たちと挨拶を交わしている。
どんな風にわたしを紹介するのだろうかと思ったら、アルドヘルムは言った。
「こちらの侍女とは今日知り合ったのですが、なんと、あのエリナー嬢に憧れているというのです」
あ、その設定を使うのね。侍従たちが「マジかよ(意訳)」という顔をする。なるほど、エリナーの評判は侍従たちの間でもかなり悪いようだ。
「そこで、是非皆さまに、彼女の目を覚まさせるお手伝いをしていただきたい、と思いまして」
アルドヘルムがそう頼み込むと、侍従たちは次々とエリナーにまつわる話を始めた。
自分よりも身分の高い侍従を「わたしは未来の王太子妃よ! その態度は何!」と叱りつけたとか。すれ違いざま、侍従が会釈しなかったことを王太子に言いつけたとか。いくらでも悪評が出てくる出てくる。
ある侍従の話によると、エリナーはあまり身分のよろしくない後妻との間に生まれた子で、姉たちに虐げられて育ったらしく、自分の身分に対してコンプレックスがあるらしい。
彼女から見れば、フィリッパお嬢様は全てに恵まれた鼻持ちならない女だったのだろう。だからといって、濡れ衣を着せて人の幸せを奪っていい道理にはならない。
「皆様、ありがとう存じました。おかげで目が覚めました。わたしは謙虚に生きることにいたします」
わたしがそう言ってお礼のカーテシーをすると、侍従たちは満足げに見送ってくれた。
ちょっと微妙な気分になったけど、アルドヘルムは彼らの話を引き出してくれたのだからよしとしよう。わたしを不審者だと見破ったことといい、もしかしなくても、彼はかなり有能なようだ。
「今日はこのくらいにしておくか」
そう言って、アルドヘルムが最後に向かったのは、王宮の敷地内にある騎士団の詰所だった。
「君はここで待っているように」
「騎士はみな、男性でしょう? どういう場所なら一緒に入っていいのか、基準がよく分かりません」
「だからだ。普段女っ気のない、男ばかりの場所だからこそ、若い娘は連れていけない」
ふーん。一応、こちらを女子だと思ってくれていたのね。
「それに、わたしは騎士団に所属している。変な噂を立てられては困る」
……その一言は余計!
詰所に入っていくアルドヘルムを見送ってから数十分。彼が血相を変えて戻ってきた。
「どうしました?」
わたしが尋ねると、アルドヘルムは早口で説明する。
「王太子殿下付きの騎士の中に、体調不良でここしばらく休んでいる者がいるのだが、もしかしたらその男が何か知っているかもしれない。わたしとしたことが、もっと早くに気づくべきだった。彼が休み始めたのは、フィリッパ嬢が婚約破棄された翌日だ!」
わたしたちは頷き合うと、その騎士がいるだろう官舎に向かった。
騎士団の詰所にほど近い官舎には、すぐ到着した。女官の官舎と同じで、集合住宅のような作りになっている建物だ。
目的の扉をノッカーで叩いたあとで、アルドヘルムが振り向く。
「君も中に入って話を聞け」
「え、いいんですか?」
「おそらく、もうごまかしは必要ない」
意味ありげな台詞のあと、鍵を開ける音がして扉が開いた。
中から現れたのは、その体格のよさと比べ、繊細そうな表情をした青年だった。目の下に隈ができている。この人、かなり疲弊しているみたいだ。
「先輩……」
「話があって来た」
青年がこちらに気づく。
「その女性は……?」
「王太子妃になるはずだったフィリッパ嬢の侍女だ」
青年の顔に恐怖に似た驚きが走るのと、扉を閉めようとするのがほぼ同時だった。アルドヘルムは扉を閉められまいと抵抗する。
力比べはアルドヘルムが勝った。すらりとしているのに、ちゃんと筋力があるようだ。ちょっとドキッとしてしまう。
「話を聞かせてくれ。お前に迷惑がかかるような真似はしない」
「……お入りください」
青年は覚悟を決めたように、わたしたちを室内に招き入れた。ほどほどの広さの応接室で、席を勧められる。椅子に腰かけたアルドヘルムはお茶を用意しようとする青年を手で制し、問いかけた。
「お前が休んでいたのは、見てはいけないものを見た、もしくは聞いてはいけないものを聞いたからではないか?」
青年は苦笑した。
「おっしゃる通りです。さすが先輩ですね。……わたしはもう、どうしたらいいのか分からなくて……」
「聞かせてくれ。少しは楽になるかもしれない」
アルドヘルムに促され、青年は語り始めた。
その日、青年は王太子の護衛をしていたそうだ。王宮の庭園をエリナーと散策していた王太子が足を止めたので、青年も足を止め、注意深く、二人の会話が届かないくらいの距離を取った。
ところが、青年が退いた位置はちょうど風下で、風に乗って二人の声が聞こえてきたのだという。青年はすぐに移動しようとしたが、エリナーの発した言葉に愕然とした。
──わたしに酷い嫌がらせをしたことにして、フィリッパを婚約破棄してしまえばいいのよ。
困惑気味の王太子の声が聞こえた。
──しかし、それでは、両親やスタックス公爵家がなんと言ってくるか……。
──殿下はわたしを愛していないの!? 愛しているのなら、わたしのお願いを聞いて!
そして、お嬢さまは婚約破棄された。
「先輩、わたしはどうするべきだったのでしょう……」
話し終えた青年にアルドヘルムは優しく声をかけた。
「よく話してくれた。あとのことはわたしが考えるから、今はゆっくり休め」
わたしたちは青年の部屋を出、官舎から少し離れた木の下でため息をついた。
これでお嬢様の無実は証明された。
でも、ひとつ問題がある。
誰にこの情報を伝えるか、だ。下手を打てば、事実は握り潰され、エリナーは王太子妃となる。それだけは、避けたいところだけど……。
わたしは、静かに何かを考え込んでいるアルドヘルムを見上げた。
「聞かせてください。アルドヘルムさまは、どなたにこの情報をお伝えになるおつもりですか?」
「第二王子エドワード殿下だ」
確かに、第二王子なら受け取った情報を喜んで活かすに違いない。王室にしろ騎士の家にしろ、跡取りとそうでない子どもの扱いには雲泥の差がある。これは、日陰者だった第二王子が表舞台に躍り出る絶好のチャンスなのだ。
この先の見通しが立ったことで、わたしの気分は上がる。でも、アルドヘルムの表情は暗い。
「どうなさったのですか……?」
わたしが問うと、アルドヘルムは力なく笑った。
「すまない。君に協力すると勇んでおきながら、今になって怖気づいてしまったようだ」
「なぜですか? わたしたちは『正しいこと』をしようとしているでしょう?」
「『正しいこと』……か。だが、この情報をエドワード殿下にお渡しすれば、わたしは王太子殿下を裏切ることになる」
自分の正しさを信じるあまり、そんなことは考えもしなかった。わたしは息を呑む。
アルドヘルムは続ける。
「王太子殿下付きの騎士になってから、殿下にはよくしていただいたし、信頼もしていただいた。その殿下の命運が、わたしの胸三寸で決まるのだ。正直、恐ろしいよ」
わたしは何も言えずにいた。もし、自分が彼の立場だったらと思うと、胸が苦しい。わたしはお嬢さまを裏切れない。それなのに、お嬢さまの無実を証明するために第二王子に情報を渡してください、と言うことができるだろうか?
だけど、エリナーが王太子妃になったら、この国はどうなるんだろう。お嬢さまも一生日の当たらない場所で生きていくことになるんじゃないだろうか。
そう思うと、無性に怖くなった。
たっぷり考えて、わたしは唇を開いた。
「あなたにご主君を裏切らせてまで、エドワード殿下に情報を渡して欲しいと頼む権利は、わたしにはありません。そりゃあ、本音を言えばお嬢さまの無実を証明して欲しいですけど。……だから、あなた自身の良心に従ってください」
「わたしの……良心?」
予想外の答えだったのか、アルドヘルムは呆然としていた。わたしは頷く。
「はい。わたしに言えるのはそれだけです」
「……考えさせてくれ」
わたしはしばらくその場にたたずんだあとで、お暇しようとした。その直後、自分のとろうとしている行動に酷く戸惑う。
本当に、彼とこのまま別れてしまっていいのだろうか。
いや、わたしはしょせん、成り行きで彼と行動をともにしたにすぎない。彼もわたしのことなんてすぐに忘れる。
そう思うと、なぜかとてつもなく悲しくなり、胸が刺されたように傷んだ。
「……じゃあ、これで。今日は色々とありがとうございました」
わたしが切り出すと、アルドヘルムがハッとしたような顔で何かを言いかける。
わたしはうしろ髪を引かれる思いで、彼に背を向け歩き出した。
◆
後日、王宮内にある噂が流れた。
不当な婚約破棄をするために、王太子とエリナーがお嬢さまに濡れ衣を着せた、という噂だ。
宮廷は嵐のように揺れ、王太子ヘンリーは廃太子とされた上で、王位継承権を剥奪され、エリナーは国外に永久追放されることになった。そのうち第二王子が立太子されるらしい。
公爵家には王室から謝罪の申し入れがあったようで、わたしは女官ジョアンさまの侍女が復帰する前にお屋敷に戻ることになった。
旦那さまは「よくやってくれた!」としきりにお礼をおっしゃってくださったけど、誰が真の立役者か知るわたしは曖昧に微笑するだけだった。
お嬢さまは立ち直られ、たくさん舞い込んだお見合い話にも乗り気だ。
わたしが王宮を去ってからひと月が過ぎた。
ぼーっと外を眺めていると、決まって誰かさんのことを思い出してしまう。
おかしいよね。だって、一日しか一緒に過ごしていない人だよ?
好きな食べ物だとか、どこの店が行きつけだとか、そんなことすらも知らないのに。
なのに、無性に会いたいと思ってしまう。
「……わたし、どこかおかしいのかなあ」
そう呟いた時、自室にノックの音が響く。
「メリエルさま、お客さまですよ」
入室してきたメイドが教えてくれる。誰だろう。実家にいるはずの父上か母上かな?
そう思いながら、使用人用の応接室に向かう。
ノックのあと、扉を開けると彼がいた。
「久しぶりだな」
椅子に座ったまま柔らかく笑うアルドヘルムを見て、わたしは自分の頬をつねってみる。彼は怪訝そうに、眉間に皺を寄せた。
「……何をしている?」
「いえ、夢じゃないかと思いまして。あ、ちゃんと痛い! じゃあ、偽物?」
「わたしは正真正銘、アルドヘルム・ウィルバーホースだ。座ってくれ」
「……はい」
考えてみれば、わたしが彼を見間違うはずがない。
椅子にかけたわたしはドギマギしていた。だって、目の前にずっと会いたいと思っていた人がいるのだ。
「元気にしていたか?」
アルドヘルムに訊かれ、わたしはコクリと頷く。
「はい、元気でした。アルドヘルムさまは?」
「それなりに。実は、エドワード殿下付きの騎士となることが決まってな。ヘンリー殿下に背き、エドワード殿下に情報を流したわたしの処遇はなかなか決まらなかったが、王室からご温情をいただいた。証言してくれたあの後輩も、同じくエドワード殿下付きの騎士になった」
「よかった、ですね……」
わたしが心からホッとしていると、アルドヘルムが言った。
「君のおかげだ」
「え……?」
「あの時、君が、自分の良心に従うよう助言してくれたおかげだ。あの助言があったからこそ、後悔しない選択をすることができた。そして、君はわたしに、互いの主に関わる重大な選択を委ねてくれた。……ありがとう」
面と向かってお礼を言われると照れてしまう。何より、彼の言葉はわたしの心の深いところにしっかりと届いた。
「ど、どういたしまして……」
わたしがはにかんでほほえむと、アルドヘルムも釣られたように笑う。そのあとで、彼には不似合いなほどに緊張した面持ちになる。
「……それで、なのだが、君は……結婚は考えているか?」
唐突な質問にわたしは目を瞬く。
「え!? それは……まあ、いずれはしたいと思っていますけど……。よく、わたしに恋人も婚約者もいないことをご存知ですね」
「調べさせたからな」
さらっと怖いことを言う。まあ、この人らしいけどね。
ん? なんでわたしに婚約者がいるかどうかを調べる必要があるの?
疑問符で頭がいっぱいになっていくわたしに、アルドヘルムは決意したように言った。
「実は、君に求婚しにきた」
求婚って、あの求婚ですか!?
「──そ、それは、わたしにプロポーズをしにきたということですか!? な、なんで、どうして!?」
「あれから、どうしても君のことを思い出してしまうんだ。見合いの話が来ても、どうしても相手に会う気になれない。見合い相手が君だったら、と考えてしまう」
わたしと同じだ。彼もあの一日を忘れられなかった。そう思うと、嬉しくて胸が震えた。
「……わたしも、あなたのことをずっと考えていました。会いたくて会いたくてたまらなかった」
アルドヘルムの顔が喜びに染まる。わたしは彼が言葉を発する前に早口でまくし立てた。
「でも本当にいいんですか? わたしは単なる騎士の娘ですよ?」
「知っている。調べさせた、と言っただろう。侯爵家の出とはいえ、わたしは三男だ。両親にも手は回してある」
「よ、用意周到ですね」
アルドヘルムはにやりと笑った。そのあとで、とろけそうなくらい優しい顔になる。
「メリエル、わたしは君が好きだ。君のような女性は二人といないと思う。君のようにまっすぐで主思いの女性と結婚できるなら、幸せだろうし、何より退屈しないですみそうだ。君は……受けてくれるだろうか?」
わたしは力いっぱい頷いた。
「もちろん。アルドヘルムさま、わたしもあなたが好きです。あなたの生真面目なところも、なんだかんだ言って優しいところも。これからお互いのことを知っていきましょう」
「アルドと呼んでくれ」
「ア、アルド、さま」
わたしは彼の名前を噛みしめるように呼んだ。
アルドヘルム──アルドは嬉しそうに笑い、椅子から立ち上がると、また緊張したように言った。
「……君に触れてもいいだろうか?」
手でも握るのかな?
気づくと、わたしは即答していた。
「は、はい!」
アルドがこちらまで歩いてきたので、わたしも立ち上がる。彼は骨ばった大きな手でわたしの手を取ると、最初は手の甲に、次に手首に口づけた。
手の甲はともかく、手首にキスされるなんて予想外のことだったので、わたしが心臓をバクバクさせつつ赤面していると、アルドはくすりと笑う。
「メリエル、必ず君を幸せにする。いや、二人で幸せになっていこう。協力して難問を解決したあの日のように」
「わたし、何もしていませんよ? 情報を集めてくれたのもアルドさまで」
「いや、君がいてくれたからこそ、今がある」
アルドはそう断言すると、長身を傾け、わたしの額にキスをする。
頭がくらくらする。それでも、わたしは彼の手をぎゅっと握り返した。
完
短編と言うには長めのお話を最後までお読みいただき、ありがとうございます。
評価やブックマーク・いいねなど励みになっております。
2023年1月7日に下記作品が完結しました。是非こちらもお読みいただければ嬉しいです。
『恋愛結婚に憧れる第二王女は幼なじみの子爵令息に告白され、一途に愛される』
https://ncode.syosetu.com/n9488hy/
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