拉致監禁してきたヤンデレ少女が彼女になりました
書いてたら長くなって2話に分割することにしました……
晴天。天晴。日本晴れ。俺の心情を表したかのような、雲一つない突き抜けるような青空が空一杯に広がっていた。
いつもは憂鬱で仕方ない通学路も今日に限っては、いや今日これからはかけ替えのない時間となって俺の思い出に残ることになるだろう。
その理由はいたってシンプルかつ単純。
「おはよう、ユキ!」
「あっ……おはよう、陽人君」
「そろそろ着くって連絡入れようとしたら、ユキが見えたから走ってきちゃった。もしかしてずっと待っててくれた?」
「ううん、少ししか待ってないよ。陽人君が家を出る時間は知ってたから、それに合わせて出てきたから大丈夫。いつもはもう少し出る時間遅いけど……」
「うわ、ほんとかごめん! ちゃんと聞いとけばよかったな……」
最愛の彼女との通学が、楽しい思い出にならないわけないじゃないか!
彼女の自宅であるマンションの入り口で、お上品に手を振ってくれたのは俺の"彼女"の里見雪花。黒色の前髪がベールとなって今日も表情はわからないが、きっと可愛らしくはにかんでくれていることだろう!
里見雪花。彼女との出会いは正に衝撃的だった。拉致され彼女の部屋に監禁されたかと思えば、何故だかKILLされそうになっていたのはこの先一生忘れられないだろう。
だがその時の俺はそんなバイオレンスな出来事を消し飛ばしてしまうほどのショックを受けていた。ユキの素顔を見た瞬間、俺は恋に落ちてしまったのだ! 正に一目惚れである!!
そっからはもう早いのなんの。俺は自らのリビドーを打ち明け告白し、ユキも俺の想いを受け入れてくれた。出会った初日にそのまま交際。これ以上ないほどの電撃作戦だ。
その後、ユキは何故か話していない俺の好物を知っていたので、夕飯に彼女の手作りカキフライをご馳走になった。アホみたいに旨かった。今まで俺の食ったカキフライは、果物の柿をフライにして偽装してたんじゃないかと疑いを覚えてくらいだ。
ちなみにこれは全くの余談ではあるが、夕食をご馳走になる事を母に連絡し忘れた俺。帰宅して直後、俺を待ち伏せていた母から腹に膝蹴りをもろにくらい、倒れた起き上がったところにボマイェを浴びせられた。怒りで滾る母の顔は忘れる事は出来ないだろう。
「あ、あの陽人君」
「……ん、ああ。どうかした?」
母さんが残した熱いボマイェを思い出し身を震わせていると、ユキから声をかけられる。ユキは俺より小さめ女子なので必然的に俺を見上げる形になるが、俺には彼女の上目遣いがありありと想像できお腹一杯になった。
「その、さっきから"ユキ"って呼んでるけど何のことかな……?」
「あー、そのことか。ほら、そのなんだ。せっかく付き合うことになったんだし、愛称で呼びたくてさ。雪花って名前呼びもいいかなって思ったけど、ユキって愛称の方が親密感出るかなって」
「あっ……そっか。ユキ、ユキ、ユキ……そっかあ。ふふっ。ふふふ」
これを考えるのに俺は一晩費やしたぞ。百以上の候補を考え、頭でユキに呼び掛ける脳内シミュレートを繰り返して弾き出された最適解だ。
現に彼女のお気に召したのか小さく笑みを溢してくれている。いやー良かった!
「陽人君、陽人君陽人君、陽人君陽人君陽人君……ふふふふふふ」
まぁ、なんかユキがご満悦みたいだし別にいっか。
俺とユキは肩を並べて学校へと歩いていく。まだ出会って1日しか経っていないので話題の種は山ほどある。
「そういえば何組だっけ?」「B組だよ。陽人君はC組だから、一緒に授業受けれなくて残念だなぁ」「マジ? 学年主任脅すか」「犯罪はしちゃダメだよ?」「ハハッ」
「ユキは部活とか委員会は入ってる?」「ううん、何にも。陽人君も何もやってないよね」「あれ、俺話したっけ」「ふふ、陽人君のことならなーんでも知ってるよ?」「ユキは博識だなぁ」
ユキと楽しくお喋りしながらも、俺の視線は度々ある一点に向けられていた。その視線の先にあるのは……ユキの左手だ。
手を繋ぎたい。それは付き合い立てのカップルが越えるべき最初の登竜門。これを乗り越えて初めて一人前のカップルと言えるだろう。
手を繋ぐ。その行為自体は簡単ではあるが、一歩を踏み出す勇気が出ない。手を払い除けられたりとか、手汗でドン引きされないかとか嫌な考えが頭を過ってしまうのだ。もしそんなことをユキにされてしまっては、俺はそのまま車道に飛び出しお手軽異世界転生を果たす未来を向かえることになる。
繋ぎたい。あぁいやでも。そんな葛藤をユキと話しながら繰り返す。幸か不幸かユキは俺の意図に気付いておらず、今も俺とのお喋りを継続中だ。
くう。前髪のベールのせいか、お喋りに夢中なのが原因なのかはわからないが、ユキが気付いてくれないのがもどかしい。いや彼女任せじゃダメだ。思い出せ、ユキに告白した時の状況と比べれば、手を繋ぐなんて簡単な事じゃないか!
俺は決意を固めるとさりげなくズボンで手のひらを拭って汗を拭き取り、ユキの左手へと手を伸ばして。
「……あ」
彼女のひんやりとした手に自分の手を重ねて、そのままぎゅっと手を握った。やった。やってやったぞ俺は。あとはユキの反応次第だけど、ど、どうだろうか……?
「ん……あはは、ちょっと照れちゃう……ね?」
するとユキは恥ずかしいのか俯きながらも、俺の指に自分の指を重ねて、そのまま指同士を絡めるようにして手を握ってくれた。
ああ。ユキの柔らかな手の感触が俺の手を通じて幸福中枢を刺激してくれる。嬉しい。幸せだ。最高だよ……!
「幸せだなぁ。このままずっと時間が止まっちゃえばいいのに……」
「手を繋ぐことは通過点だからね? ゴール地点じゃないからね?」
初々しいカップルよろしく、手を繋ぎながら通学路を歩く俺とユキ。会話も弾んできたところで、他の生徒の姿がちらほらと見え始めた。この幸福な時間も放課後までお預けか……つらたん。
「……っ」
「どうした、ユキ?」
他の生徒の姿が見え始めた途端、ユキは口数が減り終いには歩くのを止めてしまった。こういう時、彼女の表情を窺い知ることが出来ないのは酷くもどかしい。
「……ごめんね陽人君。先に行くから」
「えっ……」
それはいきなりだった。先に行くと言い残したユキは俺の手を振りほどいて、そのまま俺を置いて歩き出してしまったのだ。取り残された俺は尋常ではない絶望感に襲われ、彼女の後を追いかけることもできない。
え、なんで。さっきまできゃっきゃっうふふみたいないい感じの雰囲気だったのに。もしかして手汗? 手汗か。最悪だもうマヂ無理。。右腕切り落とそ……
虚ろな目でスマホを開き、ネット通販で腕を切り落とすのに良さげな刃物を検索する俺。
……そんな俺の耳に、周りを歩く他の生徒達の話し声が嫌な音となって運ばれてきた。
──ねえ、あれって……
──あれでしょ、『貞子』。始めて見たわ
──前髪長すぎだろ。気味悪ぃ
──実はユーレイなんじゃね?
「…………あー、そういうやつ、ね」
俺は昨日から今日にかけてのユキの言葉を思い出していた。
『皆が嫌そうにするから髪で顔を隠したらね、気持ち悪いって、不気味だから近付くなって言われるようになったの』
『見た目も気持ち悪いからずっといじめ、られてっ……!』
『いつもは出る時間もう少し遅いけど……』
バカだ俺は。好きな子の彼氏になれたのに浮かれすぎて、ユキの抱えている問題について考えるのを先伸ばしにしてしまっていた。右腕の一本や二本切り落とさないと示しがつきそうにない。
おそらくユキは俺までいじめの対象になって巻き込まれないよう、わざと俺から距離を取ったんだ。普段は生徒の数が少なくなるギリギリの時間に出てきているんだろう。だけど今日は俺に合わせて一緒に通学してくれた結果、ユキは謂れのない誹謗中傷に晒されてしまっている。
「ユキ……」
彼女の背中が遠く感じる。今までどれだけの悪意をその身に受けて生きてきたんだろう。
思い出せ。俺は昨日誓ったはずだ。彼女の力になりたいと。ならもう答えは決まっている。俺が取るべき行動は一つしかない……!
俺はユキの覆う悪意の中をほぼ走るような速度で突っ切っていき、そのまま彼女の元を目指し歩みを進めていく。
「行こう、ユキ」
「は、陽人君!?」
そしてユキにたどり着いた俺は、周りの馬鹿共に見せ付ける様に彼女の手を取って強引に繋いだ。
「だ、ダメだよ! 陽人君まで酷いこと言われちゃう……!」
「関係ない。俺はしたいことをするだけだ」
「でも陽人君を巻き込みたくない……!」
「俺はそんな些末事で一緒の時間が減る方が大問題だ。それとも俺と手は繋ぎたくない?」
「…………繋ぎたい、です」
ユキの答えに満足した俺は、この子の手を離さないようしっかりと握りながら突き進む。案の定周りの連中からは俺たちを馬鹿にするような声が聞こえてきた。
──なにあれ?
──うわ、『貞子』と手繋いでるよ
──もしかしてカレシ? 趣味悪すぎ
──罰ゲームか何かだろ
よく見てろこの馬鹿垂れ共。今お前達の前を歩いてる二人はなぁ、世界で一番幸せになる二人なんだ。他人の陰口しか叩けないお前らには想像もできないんだろうがな。
「……陽人君」
彼女が握り返してくれた手の温かさが俺たち二人の幸せの証明だ。
「……ヤバい」
乾いた声が自分の口から漏れていたことに気が付いた。自身が声を発していたことに気が付かない程、俺は人生最大の苦境を迎えている。
──手を離すタイミングを完全に見失った!
あの後、俺たちを遠巻きに指差す連中を突っ切ってきたのはいいんだが、完全に掛かっていた俺はどこで手を離せばいいのかわからなくなってしまった。気付けば校門は通り過ぎて今いるのは下駄箱の前だ。うぅ、視線の数が尋常じゃない。悪意ある視線だけならいいんだが、興味や一部生暖かい視線もあるのが辛い。
「あのー……ユキさん、靴履き替えないといけないし、そろそろ手を……」
「……や」
「え」
まさかの拒絶。ユキが俺の手を強く結んで離してくれない。
「あのね、教室まででいいからまだ手繋いでたいな……ダメ……?」
「喜んで!!!」
彼女の意志が絶対優先、絶対服従。それが彼氏の役目であり義務なのだ。イエスユアマジェスティ!
……そんなアホみたいに浮かれてたから気付く事が出来なかった。
「あ、ああ、あいつにカレシ……!? なによそれ、アタシとは口も聞かなかったくせに……!」
俺とユキを遠くから憎々しげに見ている存在がいたという事に。
そして俺とユキは大多数の生徒の視線をくぐり抜けユキの教室の前へ。教室の前でもユキは10分ほど手を離してくれず、最後は涙ながらに手を離して教室に入る彼女を見送った。……いや、まだ扉の端っこから「うー……」って顔を出してこっち見てる。ほんといちいち可愛いなぁもう!
ぐずるユキを抱き締めて大人しくさせた俺は、そのまま自分の教室へ入る。何かを言いたそうなクラスメイトをスルーして、どっかりと自分の席に着いた。するとそこに──
「おいおいおい、飯島! なんだよお前、あの『貞子』と付き合ってグヘェ!」
「次その『貞子』って言ったら手の指へし折るからな」
金髪にピアス、制服も着崩した100%チャラ男、立川直人が俺の所に騒がしくやってきたのでとりあえずぶん殴った。なんでこいつと友人やってんのか自分でもよくわからんが、とりあえずは俺の友人だ。
「もう殴ってるじゃねーか! いつつ、ってもよぉ、オレ……あー、なんだ。例の彼女の名前知らねーんだけど」
「お前があの子の名前を知るなんて100年早い! 恥を知れ! 足の指をへし折るぞ!!!」
「お前どんだけオレの指へし折りたいの……?」
加害者である俺から見てもなかなか酷い扱いの立川だが、クラスの誰も気にとめる様子はない。むしろ女子からは「もっとやっていいよ!」なんて声が飛んでくる始末。
何故ならこいつは正真正銘の屑。学校でのカーストは最下層より更に下の枠外に位置する、他人の彼女をNTRゲス野郎だからだ。
本人曰く、
「彼氏がいる女性は凄く魅力的ってことだし、俺の魅力で彼氏持ちの彼女が靡くってことはさ、それは彼氏の努力が足りないってことだろ?」
と、悪びれもせず被害者である彼氏の前で豪語。以降、学校のほぼ全員を敵に回し今では「おい」だの「お前」だの名前で呼ばれることはない。ただこいつに靡いてしまった女子が数名いるのもまた事実だ。……ユキに目付けられる前に釘刺しとかないと。
「おい立川、ユキに手出すんじゃねーぞ」
「出さねえって……つか、やっぱ付き合ってんのマジなんだな」
「少しでもちょっかいかけてみろ。非実在青少年にしてやる」
「……何言ってるのかわからんけど、お前の目が怖いから誓って手は出さないわ」
マジほんとドカバキグシャーだからな。
「それにしてもお前があの……名前を言っちゃいけないあの子と付き合うなんてなぁ。中学の時から悪い意味で有名だったし。話したことねーけど」
「なっ、ユキと同中かよお前!? というか悪い意味で有名って……」
「ああ、たしか入学してすぐに今みたいな噂流れてたぜ。あの感じだと、それより前から続いてたんじゃねーの?」
……彼女を取り巻く悪意はやっぱり相当根深いらしい。小学生の時から続くだなんてどれだけの悪意があればできるんだ。もう少しユキの事情について調べないといけないな……
もう少し立川を拷……尋問したかったが、先生が来てしまったので仕方なく手を引いた。はぁ、早くユキに会いたい。
その後は授業の合間を縫ってユキとちょっとでも話そうとしたのだが、昼休みまでそれは結局叶わなかった。
クラスが違うと移動教室など次の授業の準備などでなかなか会えず、トークアプリでの連絡もしてるのだが、ユキは現役JKでありながらフリック操作もままならないロートル女子なので一向に既読はつかなかった。何回か教室の外から様子を確認はしたけど、じっとスマホを見ていて気付いてくれなかったし。
というわけでユキとろくに話せないまま昼休みを迎えた。お昼は一緒にご飯を食べようと会う場所も含めて昨日の内に確認しておいたので、これに関しては問題はないはずだ。ちなみに立川は「リカとヒオリと一緒に飯食ってくるわ」とゲス野郎の極みのような発言を残して何処へと消えていった。
集合場所は屋上前の階段。屋上は立ち入り禁止で、かつここは日当たりもあまり良くないため生徒がここに来ることは殆どない。なので密会には最適の場所だ。
一緒に行こうとユキの教室を覗いたが、彼女の姿はもうどこにもなかった。スマホにも連絡は無いし先に向かったのだろうか。
ひとまず弁当片手に屋上へと向かう階段を登っていると……いた! 階段に座ってまたもスマホをじいっと見つめている。
「ユキ!」
「あっ、陽人君!」
ああ、数時間ぶりに聞くユキの声だ。足も自然と駆け足になって、そのまま俺はユキの隣に腰を下ろす。
「遅れてごめん! 少し待った?」
「ううん、私が早く来ちゃっただけだよ。陽人君に一秒でも早く会いたかったから……」
「俺の彼女が健気で可愛すぎる……!」
きっとユキの表情は喜色満面、って感じなんだろうなぁ。ちょっと顔を覗いてみたくなるけど、ユキは素顔を見られるのを嫌がってるので無理強いはできない。
「とりあえずお昼にしようか。今日の弁当は──」
「あ、あの陽人君。これ、食べてほしいな……」
そう言って俺におずおずと差し出してきたのは、ファンシーな柄のナフキンに包まれた、女子が食べるにしてはやや大きめのお弁当箱だった。
そして俺の手元にも見慣れた弁当箱が一つ。母さんが作ってくれたいつもの弁当だ。
「え……ユキも作ってくれたの?」
「………………………………そのお弁当、誰の」
「母さん。マザー。君の未来のお義母さん」
「おかっ……」
「というか、お弁当作ってくれるなら連絡入れてくれれば良かったのに。連絡先も交換したんだし」
スマホを探すところから始まったから、1時間近くかかったけどな!
「……だって使い方わからないもん」
「ユキ、ホントに現代に生きてる?」
フリック入力もてんでダメだったしなぁ、と昨日の出来事を思い返していると、ユキはいきなり俺に顔をずいっと近付けてきた。前髪の切れ間から見えるほの暗い瞳がこちらを見つめている。
「……陽人君はもちろん食べてくれるよね? 私の事が大好きでたまらない、私のか、彼氏の陽人君なら残さず食べてくれるよね? 陽人君のためだけを想って、愛情もいーっぱい入れたんだよ……?」
「うわあ、急にスイッチ入った。いや美味しくいただく所存だけれども」
最愛の彼女の手作り弁当と母の作ってくれた弁当。このどちらかを食うかと問われれば、母さんには悪いが彼女の手作り弁当を選ぶに決まっている。でも弁当残して帰ったら今日はスリングブレイドかなぁ。それともPKか。
今日の末路を考えながらも俺はユキから手作り弁当を受け取った。ナフキンの包みをほどいて、弁当箱の蓋をあけると。
「おお……!」
焦げ目もなく綺麗な形の卵焼き。タコ型にきられた一口サイズのウインナー。ご飯と合いそうな茶色が食欲をそそる唐揚げ。彩りを与えてくれるほうれん草のおひたしにプチトマトなどなど……理想的ともいえるお弁当が俺を出迎えてくれた。
「ふふっ、たくさん食べてね?」
「めっちゃうまそう! いただきます!」
差し出してくれた箸を受け取って、まずは卵焼きを口に運ぶ。これは……甘味よりしょっぱさの方が強い卵焼きだ。このしょっぱさがアクセントとなって白米が進む進む。昨日の料理も旨かったから知ってたけど、やっぱりユキは料理上手だ。
「すげー美味しい! 泣きそう!」
「よかったあ。陽人君のお口に合うか不安だったんだよ?」
続いてウインナーをパクリ。シンプルながらも塩加減が絶妙で、白飯に良く合う。何よりタコさんっていう一手間加えてくれた暖かさがとても嬉しい。
「いや、こんな美味しく作れるなんてホント凄いよ。……ん? 卵焼きの中に何か……」
もう一つの卵焼きに箸を伸ばそうとした時、鮮やかな黄色の中に黒い線が混ざっていることに気が付いた。焦げ目かとも思ったがそれにしてはやけに細長い。
卵焼きを半分に箸で切って中を確認してみると……これは髪の毛だ。長さからして女性の髪の毛だ。黒色だしユキの髪の毛だろうか。調理中に混ざってそのまま気付かなかったのかな。
「あっ、陽人君気付いたんだあ!」
卵焼きに入った髪の毛をマジマジと観察している俺を見て、ユキが嬉しそうな声をあげる。
「前にね、テレビで見た事があるの! 愛情表現の一部として自分の体の一部を料理に入れるんだって! だからね、陽人君が誉めてくれた私の髪と、陽人君が大好きな私の血を混ぜておいたの! 私の一部が陽人君と一つになるなんてとっても素敵だなぁ……」
「そんな過激な愛情表現、どこの公共の電波で垂れ流してんの?」
どこか光悦とした表情で語るユキの右手を見ると、たしかに指の数ヵ所には絆創膏が貼られている。今日の朝は俺自身舞い上がっていたのと、手を繋ぎたいと途中から左手ばかり意識していたため気付くのが遅れてしまった。
俺はユキの言葉を聞いて食べるのを止め箸を置く。陽人君ならわかってくれるよね、とユキは呟いてるけど、俺の答えはもう決まっていた。
「──俺さ、それはちょっと嫌だな」
俺の口から紡がれたのは彼女の考えを真っ向から否定する言葉。自分の考えを否定されるとは思っていなかったユキはえっ……と小さく動揺の感情を口から漏らす。
「…………どうして。なんで。意味が分からないよ。私のこと好きなんだよね? 愛してるんだよね? 想ってくれてるんだよね? じゃあ私の考えてることもわかると思うんだけどなあ。おかしいよね? ね? ね? ね?」
ユキの口調に熱がこもっていく。俺に顔を近付け迫るその姿は、昨日出会ったばかりの狂乱染みていた彼女の様だ。
きっとユキにとって、自分の一部が俺に混ざるのという事実は素晴らしい事だと感じているのだろう。だけど俺は到底それを許容するわけにはいかない。
「だってさ」
俺はユキの黒髪に手を伸ばした。手に触れた髪はさらさらとしていて指から滑り落ちていく。丁寧にケアをしているんだろうなという事実を感じさせてくれる。
「料理に髪の毛入れるって事は、わざと抜いたりしてるって事だよね。せっかくこんな綺麗な髪なんだから、痛めないで大事にしてほしいな」
「う……で、でも」
「血を入れるのだってさ、自分の指を傷付けてるって事だよね? 好きな人が痛い思いをしてるのを見るのは俺結構辛いよ」
「…………はい。ゴメンナサイ……」
俺の言葉に毒気を抜かれたのだろう。ユキの言葉尻からは勢いが消えていき、最後にはしゅんと俯いてしまった。
「いや、俺も怪我してる右手に気付けなかったらおあいこだよ。ごめんね。……あ、母さんの作った弁当食べてみる?」
「…………食べたい」
それからユキは母さんの作った弁当のおかずを口に運びながらも、鬼気迫る様子で何かをメモに書き連ねていた。俺はユキの手作り弁当を(髪の毛を避けて)完食できたし、母さんの弁当の殆どはユキが食べてくれたしで、最高の昼休みになったな!
……ただユキが調味料がどうのこうのと呟きながらメモばっかして食べ終わらないから、午後の授業を完全にサボる形になったことは目を逸らそうと思う。