人類の牙
閃光が消え、『無血』の姿は消えていた。
「『|失敗シカ存在シナイ運命』」
どこからか声が聞こえる。
空が曇り、雨が降り出した。
いや、違う。
その一粒一粒が蛆虫の様な触手生物だ。
俺は咄嗟に周りを見回す。
絇鎖理の風の魔術や、紅白の炎を探すためだ。
今決めた、俺は紅白の方を信じる。
別に『無血』が悪意を持って、俺を利用しようとしているとは思っていない。
ただ、彼女は危険だ。
こんな消去法で選ぶものではないと思うのだが、彼女は考え方が極端すぎる。
紅白は俺が大会前に練習をし過ぎていた時に、やり過ぎは良くないと言ってくれた。
それに対し、『無血』は完全にやめて良いと言った。
今なら分かる、『無血』が俺に敵対した者を全て殺さずには置かないのと一緒で、俺も努力のし過ぎと言う奴だったのだろう。
この数週間の休暇でわかった。
今、俺が彼女紅白を信じて『無血』と戦うのなら、これだけ休んだんだ、やりすぎではないだろう。
3キロ程先で火災旋風が巻き起こった。
闘技場の時よりも何倍も高い。
俺に伝えるための灯の様なそれに向かってひた走る。
かかった時間は約二分間、神の自覚の影響だろう。
「紅白! 絇鎖理! 」
飛び蹴りの様にウィンドウを蹴って停止する。
「……どこだ、居た! 」
二人は戸惑った様子で立っている。
「ねえ、十、何があったのよ、何かした? 」
絇鎖理が何かおびえたように俺に問う。
体の震えからか、鎖鎌のじゃらじゃらという音が鳴り止まない。
「僕ノ異能力ガ無効化サレマシタ」
彼女の問に答えたのはしかし『無血』だ。
俺の真後ろで蛆虫が集まって人の形を作っていた。
「コノ火災旋風ハ、僕ノ作ッタ偽物デシタ。ソノ二人ハココニハイナカッタ。デスガ十様ガコレヲ本物ト思ッタカラ二人ハココニイタ事ニナリマシタ。ソレモ、何ラカノ選択ヲスル時ニ必ズ、強制的ニ間違イヲ選バセル僕ノ能力『|失敗シカ存在シナイ運命』ヲ無視シテ。運命ヲ自ラ作リ出ス全能ノ神ニハ、ソモソモ選択ト言フ概念ガ存在シ無イノデセウネ」
しかし、ここで俺はどういった行動をとればいいのだろうか。
正直言って俺は戦いたくなんてない。
紅白も絇鎖理も、そして『無血』も、別に悪意を持って行動している訳じゃない。
「そいつは人類の敵だ、だが十君に危害を加えるつもりは無いだろう。家族も、友人にもきっとそうだ。……しかし、さらにその家族は? その友人は? 人類に危害を加える存在である以上、どこか、君にも関係あるところにも影響が現れる。想像できるか? この数週間、君と親しくしていたそいつは、同じ楽しそうな顔をして人間を家畜扱いしている。品種改良と称して人間の遺伝子を組み換えて……、エルフや獣人だって元は奴等の遊びで作られた」
そして頭を下げる。
敵の前で目線を外すというのは素人の俺でも分かる危険行為だ。
絇鎖理が慌てて頭を上げさせようとするが、それでも彼女は下げ続けた。
「……ここまでずっと黙っていて済まなかった。確かに吾輩は初めから君がどういう存在か知って、それを言わずに近づいた。自分についても伏せた状態で。だが、我々『ヘルシング社』についてくれて、君をひどい仕打ちを合わせたり周りの人間に被害を出したり、そういったことは一切しないと約束する。……どうか信じてくれ。━━━━━━と言うのが上から言えと言われたものでな。
それに、もし会社が君に敵対しても吾輩は君の仲間であり続ける。これは個人的なものだ」
……。
「宇宙真理を━━━━我が前に」
良かった、やっぱり紅白は敵では無かった。
この世界の神である俺には彼女の考えている事が少し分かる様だ。
俺はこの数週間を共にした、俺の事をきっと一番大事に思ってくれている存在に。
俺の唯一人の信者、『無血』の方に振り返る。
黒い宇宙の闇に通じる小窓は彼女から見て俺の丁度真後ろにある。
窓が《《開いた》》。
人の理解を超える、理解してはならぬ無窮の闇がこのちっぽけな星に広がり始める。
「|#$'(&'%$'&&=《俺は夢から覚めたい》。|~(~'&%$#《止めないでくれ》」
「……この世界はどうなるのですか? 僕やその猫又は異世界の存在、夢が終われば目覚めましょう。……ですが、そのハーフエルフは? ご自分の気まぐれで救った命を、また気まぐれで見捨てるのですか? ……神とは、アザトースとは本来そんな存在です。ですが貴方様は違うはず」
絇鎖理の方へ意識を向けると、震えて怯えている事がわかる。
「絇鎖理、心配しなくて良い。俺はこの世界の神なんだって。神様なんだから、人間も動物も、勿論ハーフエルフやオークだって全員が助かる方法を選ぶよ。夢から覚めたところで誰一人忘れたりしない。だから安心して」
「……でも」
「あの時、俺はあれだけ格上の飛角を倒したんだ。……ちょっと恩着せがましいかな。でも、今度だって君を救って見せる」
俺にはあらゆる物語の主人公の様にチートと呼ぶべき力を持つわけでは無かった。
それでもあれだけの事が出来たんだ。
今の俺ならば『無血』を乗り越え、この世界の人達と向こうの世界の家族や友人たち、その双方を安心させる事ぐらい、出来ない訳がない。
「……|\^~=&'&%$#"~\)%%#"《もし、彼女が俺を利用しようとしているとしても、》|%&(($"&$=!(%$$"~=^)《今の俺と、君ならばどうにかなるはずだよ。》……。……ℵ⧻⊋∝∌」
出来れば戦いたくはないが……。
「利用や害は全てが意図して行わる物ではありません。僕は、貴方様が辛い目に合うのを見たくありません。……お許しを」
幾千、幾万もの触手がこちらに襲い掛かって来る。
俺はそれを取り囲むように無数のウィンドウを展開する。
それに書かれる内容は全てが世界の真理。
全てが理解してしまえば気の狂う宇宙の法則。
そもそも俺のステータスウィンドウ自体が、この世界の全てを記された書物、アカシアコードだ。
神の自覚のない段階の俺では自分の情報しか取り出せなかったが、今ならいくらでも引き出せる。
……そして、それは延びて触手をばらばらに切断する。
この世界その物が俺なのならば、俺が触れなければ動かないウィンドウも動かすことが出来る。
ばらばらになった触手の切れ端、その一つ一つがまた動き出す。
「生ける漆黒の炎」
俺の背後のウィンドウから黒い、燃え盛る触手を伸ばし、それらすべてを焼き尽くす。
しかしその程度で彼女の武器は尽きないらしい。
『無血』の右袖から五十六億七千六百二十八万千九百三十五本の細い触手が現れ、それが一本にまとまる。
そして俺の方へと光速で伸びる。
「空虚《ヨグ=ソトース》」
時を止めた。
光の速度まで達した物体はそれを無効化するともいうが、しかし止まった。
「クルル」
窓を開け、巨大な鍵爪で『無血』を原子レベル以上に切り刻む。
「生ける漆黒の炎、|星々から宴に来たりて貪るもの《イォマグヌット》」
二兆三千五百六千二億九千百四十八万七千三百二十三度の炎をもってして、触手もろとも彼女を焼き尽くす。
時が再び刻み始める。
「……ヒトの姿の僕では勝てない様ですね」
次の瞬間には『無血』は再生していた。
首の吸血痕が消える。
そして彼女は人の姿を捨てた。
触腕、鍵爪、腕や足、それらすべてが伸びて縮む不定形の肉の塊、黒い翼が生え、黒い火を噴く目、闇。
可視光線によって見える姿はそんな感じだが、その存在は俺の知覚する次元や時間にまで浸食してくる。
それは手で空を、そこに内包する俺を握った。
実際にそれが手を持っているかは定かではないが、そう表現するのが一番近い。
俺の心臓と脳が爆ぜた。
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ー次回予告ー
次回「アザトースの夢」




