MPとはなんぞや
皆さん「MP」とはなんぞや、と問われて即答できますか?
MPとは「Magic Point」の略ですが、他に似たような言葉で「SP」やら「TP」やら言われていますね。基本的には、「魔法」などの元になる「魔力」を例えている数値であると思われます。
では、MPとは何でしょう。
魔法を使えない(おそらく全世界共通)私たちには、MPという概念はあり得ません。だって、魔法を使うための元になるものなのですから。
そこで、私は色々な異世界物を観察してまいりました。
その結果見えてきたのは、「MP」には大きく分けて2つのパターンが存在するということです。
まず、一つ目は「人知を超えた何かパターン(後述、人外PT)」と「人の限界(後述、限界PT)」パターンです。
――え、何言ってんの……。
書きながら、私自身そう感じます。ですから、この後しっかりと解説してまいります。
まず、「人外PT」について。
これは、俗にいう「MP切れ」が生じた際に術者に一切の影響がない状態の場合を言います。本来、魔法を発生させる元であるMPは体内に秘められたものであります。簡単に言えば、血液みたいなものだと思われます。
しかし、よく見るファンタジー物ではMPを使用して、限界値に達しても術者に一切の影響がないものが存在します。
つまりどういう事か。
おそらく、MPというものが血液のように人体に必須な物ではないという考え方だと思われます。つまり、本来の肉体の活動に一切関係しない物質「MP」を体内で作り出している、という事になります。
次に「限界PT」について。
こちらは簡単で、MPが人の体に影響を与えるという考え方です。前述した「MP切れ」によって体に何らかのデメリットがあるパターンですね。
これは、MPをいわゆるHP(Hit Point)と同列に扱うものです。MPが体内で生成されるのは、体を維持するためであり、このMPを消費することで体に異変が起こるという現象になります。
結局、どちらが正しいのか。
そんなもの私には分かりません!!
無責任な!と思われるかもしれませんが、MPは、本来私たちの生活の中に存在しないものであります。
つまり、MPという概念は多種多様であり、変幻自在な存在であると言えるでしょう。
しかし、ここで私は敢えて問題提起したい!
「MP」を使って「回復魔法」を行使するという行為は存在してよいものか、と。
これって不思議だと思いませんか?
回復魔法を行使すると「HP」が回復するわけですよね?
現象で言うと「MP」が「HP」に変換されているという事になります。
つまり、「MP」は「HP」となることが出来る可能性を秘めた体内物質という事になります。
え、じゃあ「MP」≒「HP」じゃない?
それどころか、HPはMPの中に含まれているという考え方すらできそうです。体内でMPを作り出しながら、魔法でHPに変換しているのだから、MPがHPの役割を果たしていると言っても過言ではないわけですから。
つまり、MP消費でHPを回復するという行為を容認すると、MPと HPの境界を作り出すことは難しくなります。
すると、どうなるか。
HPが切れても、体内のMPをHPに変換すればいいじゃん!
という話になってきます。つまり、MPが切れない限りは死なないという考え方ですね。
Web小説のHPの感覚であれば、臓器の破壊などではなく、大量出血による物が多いと感じます。
それならMPを使って血にすればって事になりますよね?血もHPでしょうし。
臓器もそうです、HPに含まれるならMPにて作り出せば良いという結論に至ります。
◇
いやー、これは賛否両論ありそうですね(的外れな事を言っていたら怖い)
こんな事を言いつつ、私も異世界物を書いていて、MP消費で回復魔法を行使するという現象を作品で書いてますけどね(笑)
結局、花咲き荘は何が言いたいのか。
それは、MPとはなんぞや、と聞かれて何と答えるのかという事です。
私は、こう思う。MPとは、認めつつも使わざるを得ない「矛盾」であると。