タマゴな二人。
トゥルゥン。固まる白身、口の中でねっとり絡みつく、黄身の甘さと香り。半熟茹で卵の様なカンケイを、美味しく味わっている現在の、わ、た、し。
焼けぼっくいに火がついている、元彼とわ、た、し。
キミ色が殊更強く、濃厚に味わえる、二人のセカイ。
普段の昼間。私達は昔の事など知らぬ装い。
たまの夜中。私達はしっぽり蕩け合う関係。
イケナイ、火遊びをしている。
イケナイ道は楽しくて燃える。
雨の夜には逢わない。冴え冴えと美しい月夜も。カミソリの様に光る三日月の日も。星がちかちかと瞬く夜も。朔の日も。6チャンネル、あさイチのニュース、平日、天気予報のあのお天気キャスターが出演をし、予報が曇りと言った日に会えたら逢う。
予約を入れるのは私。ネットだから便利。取れても取れなくても、昔っから勝手に私の、親友の位置に立っている、妻の真由子の話題にかこつけて送信。
退屈な結婚生活の愚痴を時々、電話してくる彼女。
「親友の美奈ちゃん、聞いてぇ!パパにまた!怒られたの!ホスト遊びはやめろって!バレちゃった。やんなっちゃう。ママだって清羅君に入れ込んでるのに……!ねぇ、それとお願い!たまにはさ、旦那の愚痴聞いてくんないかな?家で私にブツブツ言うんだよ!うるさいの、面白くなぁい!やんなっちゃう!」
ウザい話に取り敢えず当たり障りのない返事をしてる私。妻の座をかっ攫った真由子。本当なら喋りたくもない相手なのだけど、イケナイ火遊びで充実している私は仕事の延長、営業モードで対応をしている。
腐れ縁だった真由子と偶然出逢ったあの日。腕を組んでいた彼を聞かれるままに紹介した私。
「美奈ちゃんの彼氏?カッコいい!いいなぁ。いいなぁ。はじめましてぇ、美奈子の親友の森崎真由子でぇす」
真由子の目がへニョリと歪んだ。熟した果物みたいな赤い唇を、ペロリと舐めるチロリとした舌。しまった!と思いその場を慌てて離れようとしたけれど。
お茶しようよ!美奈ちゃん、アドレス変えたでしょ!大学卒業してから連絡取れなくって、とってもぉぉ!心配したんだよ!大仰に声を立てる。
ジロジロと、通りすがりの人の怪訝な視線が、チクチク痛い。連絡をわざとで取れない様にしていたのが、オジャンになった瞬間。
絡みつく。絡まれる。赤い唇の小悪魔が、空いてる私の腕にくるりくるりと絡まった。
「すんごぉい!偶然ね。よく、話聞いてる!パパからね。パパ、専務なの。良く出来る若手がいるって、何時も話をしてるの。奴みたいな男に娘をやりたいってぇ!えへへ。あ!ウソウソ。冗談だよ。美奈ちゃんの彼氏だもん、親友の恋人を盗るなんてしないよ!真由子は!だって親友だもん、アドレス交換しよ、美奈ちゃん。ね!」
男に飢えて権力者を親に持つ泥棒猫に、付き合って三年、お互いの事を『キミ』、『君』と呼び合う恋人を、ロック・オンされた瞬間だった……。
グツグツ、グツグツ。頭の中は沸騰。固茹で卵の黄身みたく、脳みそが固まる経験をした。嫌いになりたくて、アレコレ思い出しながら苦い酒を煽った。
キミ。情けない男だとは思うけど……、仮にもし。そんな存在は居ないけれど、私がキミの親友である我が社の社長の息子とかいう輩に偶然出会い、紹介されてその後、あらゆる手段を使い、押しの一手で迫ってきたら、私もそっちを取るなと、心の何処かで世知辛く考えた。
飲み屋をハシゴしてからの帰り道、コンビニで買ったビールの空き缶を一気にあけると、真由子の顔だと思い、上から憎々しく、アルミの胴を割らんばかりに踏みつけ潰す。
「うえ、気持ち悪……、」
自棄酒をしこたま飲んで、買って飲んで空き缶潰してゲロ吐いて、アスファルトの上で寝転がって、星ひとつないどんよりとした夜空と湿気った風に、ふるならさっさと降って、ゲロ臭い私を洗い流せ、ついでに不幸になりやがれと、雲に祈り、雲に呪った相手は。
勿論、押しつけ親友の真由子。
月にしたら、ひと夜ふた夜。天気、仕事の段取り、世間の付き合いも無くポカンと空く夜。全てのキーワードが合致する日はそんなもの。
勿論、相手に予定が入り、来ない日もある。
勿論、予約しても唐突に、行けない日もある。
勿論、何時もの部屋が埋まっている日もある。
取れた日に辿り着き相手が来なかったら……、部屋でルームサービスを取り、映画を観たり、持ち込んだ本を読んだり。旅行者気取りで独りの時間を楽しむのがお約束。
だけどそれだから……。全てが一致した、完璧なる逢瀬の時間は。
オトコとオンナ。女と男。深く濃く甘い雫を舐めとる様な、アソビゴトに浸れる。
お互いのリアルは大事。その方が面白いから。溺れはしない。夢は見ない。破れた先の夢を繋ぎ合わせ、あわよくばな未来を描いたモノなど、妄想し創りはしない。
雨の日の前、どんより曇りの夜。部屋が取れた日。私は仕事上がりで直行する。先ずは腹拵え。下にあるレストランでご褒美タイム。おすすめの一皿と、オードブルを頼んで、ワイングラスを軽く回しゆるりと過ごす。
キミは、闇色に身を染めて隠す様にし、コソリと待ち合わせのこのホテルの部屋に訪れるのが、焼けぼっくいに火が付いた私達のお約束。
「真由子は知ってる?」
再会してしばらく。ポッポと心と身体に熱い熱が朱く燃え上がりかけた頃、糊の香りは爽やかに私の鼻をくすぐる、白いリネンの上で問いかけた。
「知ってる。でも君が相手だとは気づいてない。ホステスか、社の若い娘か……って思ってる様だ」
「こんな事してて大丈夫なの?出世に関わるわよ」
「大丈夫さ。お義父さんもお義母さんもお盛んだから。それにさアイツ、結婚式が私達の終わりかもしんない。俺との暮らしは退屈って、お義父さん達にボヤいてんだよ。すると、庶民とはちがうね。世間体があるから、離婚は絶対に駄目だと怒られてる。離婚するなら親子の縁を切るそうだよ」
「フフ。らしい。真由子は小さい頃ね。私の持ってる物片っぱしから欲しがって、手に入れたらポイ……。あら、イケナイ、キミもポイされたように聞こえるわね」
「クク。ポイ、か。ポイされても構わないんだけどな。新婚なのに、家庭内別居みたいな暮らし、してんだぜ」
「あら、お気の毒ね。クスス……」
「いい気味って思ってるだろ。君を棄てて、専務の娘を選んだ俺の事」
窓の外はみっしりと濃くトロリとした夜の闇。部屋の中にもそれは、ひたひたと広がっている。枕元の灯りだけをヒトツつけている。優しく丸い光の中、見上げるキミは拗ねた口調で話す。
「ええ。少し、ね。キミに棄てられて私、グチャグチャでメチャクチャで頭の中はカチカチに沸騰してさ、脳みそが固茹で卵みたいになってたよ。自棄酒飲んで、道端でゲロはいて寝転んで、お巡りさんに怒られて……、床に落とした、生たまごみたいな救いようのない時間、ちょっとだけ過ごしたんだから」
「ちょっとだけ?」
「うん。三日程かな、四日目には吹っ切れたし」
「あの、さ。俺って……、その程度……、だったんだ」
ゴロンと腕枕で寝転ぶキミ。私も向かい合わせで、モソモソと動く。同じポーズを取る。
「三年、キミと付き合ったね。だから忘れるのに、イチニチ、一年で、三日の計算」
鼻っ面に空いた手で順に指を三本を立てると、ツイと突きつけた。むくれた顔をしたまま、クイッと手首を掴まれ指先を咥える。
しばらく……、生温く、くすぐったい感覚。仔犬が乳を飲むみたいに動く口元。喉仏がコクコクと軽く上下。
チュッと唇を音立て、指から離したキミ。
「酷いなぁ。俺。結構真剣だったんだけどな」
「どっちが。出世に目が眩んで専務の娘を選んだ奴が、それを言う?」
「悪かったよ。でも今みたくなるとは、思わなかったな」
「フフン。こんなイケナイ関係は、嫌?」
向かい合わせ。私とキミ。オンナとオトコ。二人の絡む視線が、ホッホと熱持ち身体の中を回り始めた。今の状態になるきっかけの、コンビニで仕入れた海苔弁当を、ふと……、食べたくなった私。
――、ランチを取ろうと、コンビニで仕入れ公園に行ったとき、何時ものベンチに先客が居た。まさかの元彼が、新婚ホヤホヤのハズなのに、陰鬱な負のオーラを所構わず放って、同じ内容らしい弁当をつついていたのだ。
「あ……」
「あ……」
嫌いで別れた相手ではなかったから、その時むくむく頭をもたげた気持ちは、懐かしさ。付き合っていた頃のように隣同士で座り、ぎこちなく近況報告なんかして、『タルタルソースの白身フライののっけ弁当』をつついた。
「夜さ、飲まないか?」
そう聞かれて。
「うん、いいよ、でもさ、新婚さんなのに、コンビニ弁当って、愛されてないねー。あはは」
なんとは無しに、笑い飛ばした昼間。夜になり、愛されてない話を延々聞くことになるとは、この時は思いもしなかった。
二人で並んで座った居酒屋。次々頼んだアルコール。そこに宿る神の力は、途方も無く偉大だった。気がついたら、部屋の天井から照らす、常夜灯の灯りの下で、久方ぶりの秘め事を終え、お互いのアドレスを交換していたのだから。
そして……、焼けぼっくいに火が付いた、あの日、あの夜。夜、夜中。
そして……、焼けぼっくいは、ファイヤー!。あられの無い声を立て、現在進行系で燃え続けている。
――、私の嫌?との問いかけに、答えるキミの唇は、耳のそばにある。囁くように返してきた。
「……、クク。ものすごく満足、楽しいよ。君は?」
クシュクシュと、言葉が耳朶をこそばかし、私の中に入ってくる。
「私も満足してる、ウフフ、キミと一緒ね」
トゥルゥン。固まる白身、口の中でねっとり絡みつく、黄身の甘さと香り。半熟茹で卵の様なカンケイを、美味しく味わっている現在の、ふ、た、り。
おわり。




