9話・魔術師と可能性
「すっかり夕暮れじゃないか」
「……ごめんなさい」
どうにか図書館の閉館前に泣き止んだライラは、けれど泣き続けたために目が真っ赤でとてもではないがそのまま寮に返れる状態ではなかった。仕方がないので図書館裏のずっと窓越しに景色を眺めていた場所に腰を落ち着けた。
隣で毒づくクミナクに、普段なら「頼んでない!」と噛み付くライラも殊勝に謝るあたりすっかり元気をなくしていた。
そんなライラに調子を狂わされるのはクミナクも同じだ。はあぁぁぁ、と長いため息を吐き出して、どさりと芝生に横になる。
空はクミナクの言葉通り夕暮れに染まっていた。あと一時間もしたら寮の夕食の時間だ。
「クミナクはさ、どうして魔術師になったの?」
ぽつりと落とされたライラの疑問にクミナクは夕暮れを飛ぶ鳥の数を数えながらなんでもないように返事を返した。
「……上級の魔術師なら、精霊術士の才能がなくても、精霊を視る事ができるって文献に書いてあったから」
「え?! そうなの?!」
座り込んだまま驚きの声を出しクミナクを覗き込んできたライラに、クミナクは寝転んだまま肩をすくめて見せた。
「信憑性は定かじゃないけどね。そもそも、精霊が全く視得ないってこと自体、この国では珍しいんだ」
「……確かに」
「でも、可能性があるなら、掛けてみたかった」
真摯な言葉はどこまでも真剣で。もし、その文献が誤まりであるとわかっていても、クミナクは実践したのだろう。
そこまで考えて、ライラはふとした疑問に突き当たった。クミナクの生家シャール家は精霊術士の名門だ。だが、クミナクは魔術師として天才だ。教師すら手放しにほめる、その才能は、果たして天賦のものなのか?
なぜなら、精霊術士と魔術師は密接にかかわりあう、いわば隣人同士でありながら、それゆえに相反する存在だ。精霊術士が精霊の力、いわば外からの力を使うのに対して、魔術師は己の生命力、いわば己の内の力を使う。精霊術士が外界の力を操る卓越者ならば、魔術師は己を律し自身の生命力を操る技巧者だ。
故に、その才能はシャール家に代表されるように血によって受け継がれることが多い。精霊術士の名門の家系に魔術師の天才が生まれるなんて、そんな話ありえないのだ。
「クミナク、もしかして」
天才だと、誰もが謡う。天賦の才に恵まれていると皆が持ち上げる。だけど、その実、その才能は。
「……精霊術士になれないとわかった僕には家に居場所がなかった。だけど、僕にとってそんなことはどうでもいいことだった。僕にとって大切なのは、あの子に謝ることだ。あの子をみて、あの子自身に、約束を守れなかったことを謝ること。それができるなら―――どんな努力だって、してみせる」
皆が憧れ羨望するその才能は、血のにじむような努力に裏打ちされたものだったのだと、したら。
だと、したら。わかるのだ。
クミナクがライラに厳しかった理由。ライラにだけ、きつくあたった理由が。
「学園に入る前、君のことを風の噂に聞いてからずっと考えていた。精霊の祝福を受けた子供。僕と違って精霊に愛された子供。どんな清廉な子だろう、って。なのに、僕と違って本物の天賦の才能を持ったどこかのだれかは才能の上に胡坐をかいて落ちこぼれの称号を欲しいままにしていつもへらへら笑ってた」
「……」
反論したいところは大いにあるのだが。あるのだけれども。
はたからは、そうとしか見えていなかった自覚もあるだけに何も言えず唇をかみ締めるライラに見向きもせず、クミナクは言葉を続ける。
頬をなでる風までが冷たくて、ライラはまた少し泣きそうになった。
だと、いうのに。
「だけど、勘違いしてたのは僕だった。その子は、ものすごい努力家で、もしかしたら僕よりも努力しているのかもしれなかった」
そこまでいって、大きく目を見開いているライラの前に、起き上がって視線を合わせて。
クミナクは、頭を下げた。
「すまない、ライラ。君を誤解していた。ツアカから聞いた、ミナ教諭から見せてもらった。あの量を一晩でするのは、至難の業だ」
「……」
絶句するライラの前で頭を下げたまま、クミナクの懺悔は続く。
「僕が間違っていた。君は膨大な努力をしている。おそらく、精霊術士コースの中のだれよりも。精霊の祝福という重荷を背負ってそれに応えようと努力している。その努力をひた隠しにして、笑顔の裏で、泣いていたんだろう。……今日みたいに」
「ないて、ない、もん」
声が掠れる。意識しても震える声でどうにかそれだけ搾り出した。
「そうだね、表立っては泣いていない。……なら、心は? 今日、今まで君に嫌がらせしかしなかった僕のために泣いてくれた心優しい君の心は?」
「……」
「すまなかった。そして……僕のために、泣いてくれてありがとう」
その言葉が、限界で、決定打だった。
「ふ、え」
再び崩れた涙腺で、ライラは入学してからずっと我慢し続けていた、自分のための涙、を流した。
傍でずっと寄り添ってくれる、パートナーの存在も気にせずに、幼子のように大声で泣きじゃくった。