8話・精霊の加護と約束
ライラの精霊術士として当然の指摘に、だが、クミナクはがたりとイスを蹴倒す勢いで立ち上がって、ライラの両肩を掴んできた。
「それは本当か?! 僕に、僕に精霊の加護が?!」
「え? え、あ、うん、本当……だけど……」
「落ちこぼれの君のことだ、見間違いとかじゃないだろうね?!」
「ひどい! それだけ強い加護を見間違える精霊術士はこの学園に入学なんてできないよ!」
ものすごい勢いで迫ってくるクミナクに、精霊術士としてのなけなしのプライドまで刺激されて、大声で反論し返す。
口にしてから、図書室は私語厳禁、大声なんてもってのほかだと思い出し、さぁっと顔を青くした。
「ちょ、クミナク、せん、先生、いない?!」
両肩をつかまれたまま、きょろきょろと見える範囲で周囲を見回すが、運よく席をはずしているのか図書室担当厳格さで有名な魔術師スルナーク教諭の姿はなかった。
ほっと胸をなでおろしたライラの前でクミナクはようやくライラの肩を話し、どさりとイスに座り込んだ。
その粗野な行動がらしくなくて、ライラはやっとクミナクにいぶかし気な視線を送った。
「どうしたの? 悪いものでも食べた?」
「……ライラ、君は仮にも精霊術士コースなんだから、精霊くらいは見えるだろう。僕に、精霊がついているのか?」
ライラの渾身の嫌味もスルーして地味にかちんとくる物言いで、それでもどこか切実に尋ねてくるクミナクに毒を抜かれたライラは眉を寄せつつクミナクの問いに答える。
「え? うん、いるけど……」
「どんな?」
さらに問いを重ねてくるクミナクに本当に今日はどうしたのだろうと首を傾げる。いつもなら突っかかるだけ突っかかってきて鼻で笑って去っていくというのに。
とはいえ、根は素直なライラだ。できるだけ具体的に伝えようと身振り手振りも入れてクミナクについている火の精の特徴を口にする。
「これくらいの大きさで、いつもクミナクの肩に乗ってる。私の髪に近い橙色だから、力はあんまり強くないね。でも、クミナクを守るって思いは強いはず。じゃないと、瞳の色が変化するほどの加護は与えられないから」
ライラが中指ほどの大きさだと伝えたクミナクの肩に乗っている火の精はライラの視線にびくりと体を震わせたが、逃げるものかと逆にライラを睨みつけてきた。クミナクがライラを嫌っているからなのか、この火の精はいつもこんな感じだ。
「瞳はもっとも精霊との関係を反映する……」
ぽつりと呟いたクミナクの言葉は精霊術士の基本といえることだった。
人間の体の部位でもっとも精霊との関係を反映するのが瞳なのだ。
だから、精霊の祝福を受けた子供は毎日その日最も影響を受ける、つまりは力の強い精霊の属する色へと変化する。
「そうか、この瞳の色は……」
「いままで気づかなかったの?」
小声で呟いたきり黙りこんだクミナクに場が持たなくて話しかけてみれば、クミナクはそっと瞼の上から瞳を触って、小さくかぶりを振った。
「家にある幼い頃の写真と見比べれば気づいたかもしれないが、いきなり色が濃くなったわけじゃない。多分、徐々に濃くなったんだろう。全く気づかなかった」
そのままふつりと言葉をとぎらせたクミナクに今度こそかける言葉がわからなくなり、ライラはなんともなしに再び窓の外へと視線を投げた。
窓の近くに生えている大木の枝に小鳥が止まって囀っている。精霊たちは戻ってきていない。
クミナクとここまで会話が続いたこと事態が初めてだった。
どうしていいのかわからなくて、意味もなくペンをいじりながら時間を潰す。どういうつもりでクミナクはここにいるのだろう、そもそもクミナクは肩に乗っていまだライラを威嚇している火の精に気づかなかったのだろうか。そんなこと、あるのだろうか。だって、クミナクは魔術士コースを選考しているが、話に聞いたシャール家は。
「どうして僕が気づかなかったか疑問なんだろう?」
「ふえっ?!」
的確に内心を言い当てられて、思わず変な声が出た。
驚いてクミナクのほうをみれば、クミナクは真っ直ぐにライラを見つめていた。みればみるほど、紅の瞳は綺麗で宝石のようで、虜になりそうな清廉な輝きに満ちている。
その精錬さはクミナクの人柄を表している。瞳からその人の人物像を読み取るのも精霊術士のもつ技法のひとつだ。とはいえ、まだまだ習い始めたばかりのライラはこうやって真っ直ぐに瞳を見ないと中々わからないのだが。
真面目な顔をしているクミナクにつられるように変な声を出したことを恥ずかしがる前に表情を引き締める。真っ直ぐに紅の瞳を見つめ返せば、クミナクは疲れたように笑った。
「シャール家は代々王宮に仕える精霊術士を輩出する、いわば名門の家系だ」
「うん、ツアカに聞いたよ」
「王都で知らない人はいないだろう。それだけ有名な名門のシャール家に生まれながら……僕には精霊術士としての才能が、壊滅的になかった」
「……」
伏せられた瞼。紅の瞳が隠れる。同情の言葉はかけなかった。クミナクがそんな言葉を欲していないとわかっていたから。
静かに続きを促すライラに、クミナクは淡々とまるで他人事のように語り続ける。
「僕は長男で、本来は跡取りなんだけど、精霊術士としての才能がないことから跡取りは弟に決まった」
「でも、クミナクは魔術師として……!」
「精霊術士でなければ、シャール家では意味がないんだよ」
思わず身を乗り出し、口を挟んだライラにクミナクは小さく笑みを浮かべた。その笑みは、全てを諦めた笑みだった。言葉に詰まるライラにクミナクは窓の外の小鳥たちを見つめながら言葉を続ける。
「だけどね、こんな僕でも本当に小さい頃は精霊がみえていた。それが、君が言った火の精だ。その子と、約束をした」
「約束?」
「ああ。……大きくなったら、必ず精霊術士になるから、そうしたら契約して専属精霊になってね、と。僕は声は聞こえなかったけど、頷いてくれたのはわかった」
「それは……」
「お笑い種だ。僕には精霊術士の才能なんてなかった。その子が見えなくなるのに数ヶ月もかからなかった。最初は悪戯で姿を隠してるんだと思って、探して、探して、探して。一週間後、両親から、諦めなさい、といわれた」
それは、どんな絶望だっただろう。
生まれたときから将来を期待され、期待に応える気だったに違いないクミナク。幼い頃の遊び相手が精霊というのは往々にしてよくある話だ。そしてクミナクはシャール家の長男だった。将来精霊術士になることが義務だった。そんな子供が、将来を共に生きようと誓った精霊が視えなくなる。
それは、とても、悲しいことだ。
いや、悲しいなんて言葉は生ぬるい。ライラは考える、自分だったら。もしもそれが、己だったならば、と。
ライラは精霊に嫌われてしまったけれど、まだ姿が視える。昔のように話せないのも、遊べないのも、辛いけれど、それでもまだ、姿が視えるから。そこにいるのはわかる。だから、まだ耐えられる。そこに存在を感じることができるだけで、元気をもらえるから。
だけど、クミナクは。
人に言われてはじめて気づいた。そこにいるといわれても、視る事ができない。
それは、なんて。
「お、おい。どうして君が泣くんだ!」
「え、」
クミナクに言われて頬に手を当てる。熱い雫が指先をぬらした。
そこで初めて、自分が泣いていることに気づいた。クミナクの境遇を自分に置き換えて、悲しいと切ないとそれは酷い絶望だと、涙していた。
「はぁ……これじゃまるで、僕が泣かせたみたいじゃないか」
ほら、と渡されたハンカチで涙を拭う。
「ありがとう」
それでも涙はとめどなく溢れてきて、とまることを知らないかのように溢れるものだから。クミナクはため息を一つ吐き出して、立ち上がると身を乗り出した。
「クミナク?」
「僕は、やっと自分を納得させたんだ。そんな風に泣かれたら……僕まで泣きたくなる」
非難する物言いとは別に、クミナクの手はライラの頭をなでていて。その手のひらの優しさにまた涙が溢れた。
「ああもう、まだ泣く! どうしたら君は泣き止むんだ!」
ぼろぼろと、泣き続けるライラにクミナクの言葉は苛立っていたのに。やっぱり頭をなでる手のひらはどこまでも優しいから。
ライラの涙は止まることを忘れてしまった。