三幕
延々と続くかと思えた砂漠は唐突に終わる。
二人の前には長大な山脈が横たわっていた。
「山脈……。ここが目的地か?」
「違う。これはウール山脈という。この山脈を越え、その先にあるマッサゲネイ族が住む砂漠を通った先にあるのがお前の求めるアルカン山脈だ」
「なるほど。まだまだ遠いな。……つーか、あれなに?」
クラムは山脈のほうを指さす。山脈は深い木々に覆われ、地表はまったく見えない。その緑の山脈に、ところどころ赤いものが木々の中から突き出ている。最初は変色した巨木かと思ったが、動いているし、よく見れば人型をしている。
「あれか。この森の住人たちだよ。アリマスフォイ人。一つ目の赤い巨人だ」
説明している間にも馬の脚は山に踏み入れている。ミテスは振り返り、鋭い目をクラムに向けた。
「いいか。奴らは平地の民の五倍以上の巨躯。見つかれば踏み潰される。さいわい頭は鈍いから、注意していれば見つかることはない。だが見つかったら終わりと思え。決して音を立てるな。夜も火はたかない。息を潜めてやり過ごす。いいな」
クラムが答えるまもなく、ミテスは前を向いた。細い獣道を選んで、音を立てないようゆっくりと馬を進ませる。馬も主人の意を汲んだのか、いななきひとつあげない。
(そんな怖がるもんかね、あれが)
クラムはそう思ったが、巨人については何も知らないので、ミテスに従うことにした。
木々が茂っているおかげで巨人からは二人の姿が見えない。あとは音を立てないようにすれば見つかることはないだろう。
武具が揺れないよう手で抑え、巨人の動きや木々の配置を見ながら慎重に進む。ミテスに言われたように夜は火もつけずに真っ暗な中で過ごし、5日が過ぎた。
クラムがミテスと会った場所から二人は馬を乗り換えもせずにぶっ続けで旅をしている。頑強で旅慣れた戦士はいいが、馬の足は限界だった。
折悪く四体の巨人の側を通り過ぎようとしていたとき、馬が二人の体重を支えきれなくなり、バランスを崩して転倒した。驚きと痛みで馬がいななきをあげる。二人は咄嗟に頭上の巨人を見上げた。
緑に茂った葉の隙間から巨人が見える。巨人たちは一斉に音の方を向き、一体が近づいてきた。
二人が顔を見合わせる。言葉も交わさず、うなづいて、駆け出した。背後では巨人が馬を見つけ、つまみあげている。
巨人が耳まで避けた口を歪ませて笑う。なにごとか呟き、馬を口に放り込んだ。ミテスには聞き取れなかったが、吸血鬼の聴覚を持つクラムははっきりと聞き取っていた。赤き隻眼の巨人はぎこちない発音だったが、確かにこう言った。人間、と。
四体の巨人は馬のいた場所の周辺を歩き回る。木々を薙ぎ倒し、下に何かいないか探しながら。二人はかなり離れていたが、一体の巨人は用心深く辺りを見回し、獣道、二人が走っている獣道を見つけた。
巨人は獣道ぞいに強く足を踏み鳴らし、木々を払い退けながら歩き出す。背後の森が消え、巨人は二人の上をまたぎ、ついに前方を踏み抜いた。
ぎりぎりで立ち止まり踏みつけられることは逃れたが、木々の覆いがなくなり、巨人は二人を見つけて満面の笑みを浮かべる。
巨大な手が二人をつかもうと伸びてくる。
「見つかったけど、どうする?」
「どうするもなにも……もう逃げられない」
「だな。じゃあ倒すしかないってことでいいよな?」
「倒せるわけないだろう! こんな化け物」
「まあ努力しますよ」
そう言って、クラムは剣を抜き、側まで伸びてきていた巨人の指を切り落とした。
「がぁぁあああああああ!!!!」
大地さえ揺るがさんとする咆哮。ミテスは立っていられず尻餅をつく。
「ほらな。指落とせるなら首も落とせるし、首落とせたら勝てるって」
クラムは自信たっぷりに言うが、その間にも他の三体が迫ってきている。
ミテスの返事も待たず、クラムは駆け出す。巨人の一体に近づき、足の裏に回り込んで腱を切った。
巨大な弓が張り裂けるような音。片足でその巨体を支えることはできず、巨人は地面に倒れる。クラムは吸血鬼の脚力を活かして俊敏に移動し、両腕の鍵も切って使えなくした。それから頭の上に登り、巨人の隻眼を突き刺す。
「あ、あ……あああああああああ!!!!!」
さすがに目は弱いらしい。痛みに叫ぶ。他の三体は仲間がやられたことで怒り狂い、二体同時にクラムに殴りかかってきた。
二つの拳が当たる間際、クラムは飛び上がり、向かって右側の手首を切り付けながら腕を駆け登る。背後では反対側の巨人が勢い余ってクラムが乗っていた巨人の頭を殴り潰していた。
(お仲間大事で駆けつけてお仲間殺すとか、哀れだねぇ)
クラムは腕の付け根の鍵を切る。巨人は痛みでクラムのことなど忘れてもがく。その隙をクラムは逃さず、首元を断ち切った。
太刀筋は深く巨人の体をえぐり、血管から膨大な量の血が噴き出す。
二体の巨人を倒したクラムを見て、ミテスも我に帰った。呆然と見ているだけだった自分に怒りが湧いてくる。
「くそっ!」
剣を抜き、巨人の足元へ駆ける。クラムを倣ってアキレス腱を切りつけるが、巨木に切り付けているようにまったく刃が入らない。巨人がミテスに気付いて叩き潰そうとする。
ミテスは反対側に回り込み、足の甲を切り、指を刺した。
巨人は鬱陶しそうにうなり、かがんでミテスを探す。
ミテスが巨人に向き合うと、空から何か落ちてきた。
仕留めた巨人の肩から飛び降りたクラムだった。
クラムは巨人の首元をかすめて地面に降り立つ。巨人の首からは夥しく血が吹き出し、叫びを上げ、手で押さえるも血は止まらず、そのまま倒れて息の根を止めた。
クラムは立ち上がり、ミテスを見やる。
「あと一匹だな」
最後の巨人は森に潜んだ二人を探す。その様子は明らかに怯えていた。
叫び、手当たり次第に地面を踏み鳴らす。手で森を薙ぎ払うが、見つからない。
見えない殺戮者への恐怖に耐えきれなくなったのか、巨人は逃げ出した。
クラムは巨人の右足の腱を切る。なんとか両手片足で逃げようとするが、もう片方の足も切られた。巨人は地面に倒れ、咄嗟に両手で首を押さえる。クラムが右手の腱を切ると、首を押さえていた手が力なく地面に垂れた。剥き出しになった頸部に、クラムは容赦なく剣を突き刺した。
戦いは終わった。ミテスは馬を降り、巨人の死体を数える。4つ。すべて目の前の男が斬り殺した。
「は、はは、ははは、はは」
唐突に笑い出したミテスに、クラムは訝しげな視線を向ける。ミテスはとまらず、腹をかかえて笑い始めた。
「なんだよ、いきなり」
問うと、ミテスは笑いを抑えて話そうとする。
「いや、なに……自分でもわからない。なんだか笑えてきた。……幼い頃から、アリマスフォイ人の話は聞いていたんだ。東へ行く要所の山脈に住む巨人。もし東に行くことがあれば、隠れて、絶対に見つからないようにしろって。あれに勝つことはできない。それどころか、戦うことも。我々人間はあの巨体にとって、ただの餌だ。なのに、お前は……」
また笑う。笑って笑って、涙が出るまで笑い、腹が痛くなり、ようやく収まった。
「お前はまるで嘘に聞く狂剣士だな」
クラムはぴくりと眉根を動かす。
「狂剣士?」
「ああ。知らないのか? かつてペルージャの王が西の連合と戦争をした。そのときペルージャの10万の軍勢はたった300人の連合国軍に足止めを食らった……。ペルージャ軍に参加していたひとりの男が、その300の軍の長を討った。恐ろしく強い男で、彼は周りから狂剣士と呼ばれた。大陸じゃ有名な話だ」
「そりゃすごい」
適当に流すが、ミテスはふふんと鼻を鳴らす。
「ああ、すごいさ。なんたって私の憧れだ」
「憧れ?」
「ああ。叔父から狂剣士の話を聞いてから、ずっとその男に勝ちたいと思って剣を振っている」
「そうか……じゃあもしそいつに会った戦うのか?」
「当然だ」
「さいでっか」
ミテスの答えを聞き、クラムはつまらなさそうに答え、剣を納めた。
馬がいなくなったのでそれからは徒歩で山越えをする。巨人を倒せるとわかってもいちいち相手取っていてはこちらが消耗するだけなので隠密行動は継続。結果、平地に降りるまでに半月近くかかってしまった。
アリマスフォイ人の生息圏から十分に離れた場所で二人は腰を下ろす。日はとうに暮れていたため、そのまま野宿の準備。久しぶりに焚き火を起こす。
食事を終えると、ミテスは剣の稽古を始めた。山の中ではできなかったが、基本的には毎日練習している。
クラムは余った干し肉をかじりながらミテスの稽古を見ていた。
「楽しいか、剣なんか振って」
話しかけると、ミテスはクラムを一瞥。
「どうだろうな。考えたこともない。昔からこれが当たり前だった」
「ずっと会えるかもわからん狂剣士たらいうのに勝つためにやってんのかよ」
言うと、ミテスは剣を下ろした。
「いや……。戦士として生まれたから、これが当たり前だった。強い者が奪い、弱い者は奪われる。だから強くならなくちゃいけない」
「そりゃ至極もっともだ」
「けど、お前に私の仲間を……昔からずっと当たり前のように一緒にいた友達を奪われてからは、その当たり前がわからなくなった」
「なんだ? 西のやつらのいう、正義だの倫理道徳だのいうやつに目覚めたのか? そりゃご崇高なこって」
「なんだ、それは」
「なんやようわからんが、正義とかいうのに基づいて人が動けばこの世界は正しく善くて美しいものになるんだそうだ。殺したり奪ったりするのは正義にもとる行為なんだと」
「はっ。やつら言葉遊びがすぎて頭がおかしくなったらしい。私はただ、ミケや、ラーグや、ヨウ、幼い頃からずっと一緒にいた彼女たちが死んで……」
ミテスはそこで言葉を区切る。なんと言えばいいのか思案したのち、頭をかきむしった。
「どういえばいいのかわからん。別にお前を恨んでるわけじゃない。ずっと殺してきたんだ、殺されることもある。強いて言うなら弱い自分に腹が立つ。……そう、そうだ。私は弱いのが嫌だ。だからもっと強くならないと」
クラムのことなど忘れてひとりで納得したらしく、ミテスは再び剣をとった。