二幕
木漏れ日の中、馬を走らせる。振り落とされそうなくらいに速く。目眩く景色は変わり、風がはるか後ろに流されていく。
馬に乗ることが楽しくて仕方なかった。毎日毎日馬に乗り、武芸を磨く。戦士として生まれた彼女にとってはそれが日常だ。
いつもの場所で馬を降りる。そこでは同じ年頃の少女たちが剣を振っていた。
「いたっ!」
見慣れた少女が撃ち合いに負けて尻餅をついた。ミテスはそれに近づき、手を取って立ち上がらせる。
「また負けたのか、ミケ」
「またとか言わないでください! ラーグみたいな馬鹿力じゃないんです!」
ミケを倒したのはこれまた幼い頃から仲のいいラーグだ。自慢の剛力には大人でも敵わない。
「小柄なお前がラーグに力で張り合うから負けるんだ。小柄なら小柄の闘い方があるだろう」
「チビって言った! ミテスさまが私のことチビって言った!」
「実際小さいでしょ、ミケは」
「ちっちゃくないよ!」
素振りをしていたヨウが会話に入る。ミケは反論するが、実際四人の中で1番小さかった。
言葉で言うより見せた方が早いと、ミテスは剣を抜く。
「ラーグ」
呼ぶと、ラーグはうなづき斬りつけてきた。幼馴染とはいえ剣戟に手加減はない。
ミテスはラーグの剣を受け流し、密着して足をかける。同時に柄を背中に押し当て、ラーグを転ばせた。喉元に剣をつきつける。勝敗は決した。ラーグの手を取り、立ち上がらせる。
「腕力がないからといって勝てないわけではないよ」
「嘘だ。ミテスさま、細いけど怪力だもん」
四人で話していると、一人の男が近づいてきた。黒い髪の、旅装姿の男。年は30前後、腰には剣をぶら下げている。
「そうだなぁ。お前ら弱いもんなぁ」
歪に笑うその男が、ゆっくりと剣を抜く。男が剣を振り下ろした。世界は割れ、景色が意味を失い、真っ暗な闇に包まれる。
当たり前のことだ。強い者が奪い、弱い者は奪われる。幼い頃からそう教えられてきた。だから剣を磨き、人を襲い、殺し、奪ってきた。
だからこの男が自分から仲間を奪ったのも、当たり前のこと……。当たり前? なにが、ミケたちを殺されたことが? 自分たちがやってきたことだ。ずっと殺してきた。今回は殺される側だった。奪われる側だった。みんな自分が弱いのが悪い。
本当にそうか?
思考がぐるぐる回る。意識が混濁し、頭痛が響く。粘っこい闇の中でもがき、苦しみ、目が覚めた。
白んだ空には未だ太陽は見えず、地面の霜がひんやりと身体を震わす。
立ち上がろうとすると、足が痛んだ。他の部分もうまく動かない。背後の木に身を預け、なんとか立ち上がる。
「起きたか」
正面から声。黒髪の剣士、昨夜自分の仲間を殺した男がミテスを見て体を起こす。伸びをしてから皮袋に入れていた干し肉とパンを取り出し、食事をはじめた。
ミテスはしばらく呆けていたが、我に帰り、自分の荷物を探して辺りを見回す。昨日、落馬した辺りに求めていたものが転がっていた。
拾い上げるために近づいていくと、何かにつまずいた。足元を見ると、女の死体。自分の部下だった戦士の死体が転がっていた。
一度目をつぶって呼吸を整える。再び目を開くと、周りの景色が見えてきた。木々は血で赤く染まり、人と馬の死体が散乱している。
死体を見るのは初めてではない。今までにも部下が殺されることはあったし、自身が致命傷を負うこともあった。
死体から目を背け、目当てのものを拾う。近くにまだ生きていた馬も一頭見つけたので、手綱をひいて起きた場所に戻った。
手早く食事を済ませて出発の準備をする。クラムはとうに支度を済ませており、ミテスが終わるのを退屈そうに待っていた。
「お前、馬には乗れるのか?」
「いや、無理」
ミテスが尋ねると、クラムは即答。
「徒歩なら一生かかっても辿り着けん。さっさと乗れ」
言われた通りクラムが後ろに乗ると、ミテスは馬を走らせた。朝の空気がいっそう冷たい。頭を覚ますにはちょうどいいと、ミテスは速度を上げた。
馬上で暮らし、遊牧を行うスバタイ族のミテスは森と砂漠の地理に通じていた。馬が通れる道を選び、東へ進む。森を抜け、巨大な湖の岸を走った。砂漠に入ってもミテスは速度をゆるめず、日が沈む前には中継地にある集落が見えてきた。
「あれなんて村?」
それまで黙っていたクラムがはじめて口を開く。ミテスは無愛想に応えた。
「アルギッパイオイ人の村だ」
「聞いたことないな。どんなとこだ?」
「私も来たことはない。東へ行く途上の村として知っていただけだ」
「いや、盗賊集団とかだったら困るだろ」
「お前なら襲われても返り討ちにするだろうが」
「戦わずに済むならそっちのほうがいい。めんどうだし、武器は消耗品だ。新調するには金がかかる」
「……昔、神の怒りに触れて呪いをかけられたという噂は聞く。なんでも毛が一切生えないらしい」
「なんつう呪いかけてんだよ、その神は」
話している間にも集落は目の前だ。近づいても男たちが武器を帯びている様子はないので、大丈夫だろうとクラムは判断した。
集落を囲む柵の前に門番らしき男が二人立っていた。のっぺりした顔立ちだが、それ以外に特徴はない。
「……髪はえてるじゃん」
「しょせん噂など当てにならんということだな。おい、そこの男」
呼ばれた男は馬上の二人を見上げる。
「私はスバタイ族、カラカイ部の長の娘、ミテスだ。東に向かう旅の途中で、一夜の宿を願いたい」
門番たちは互いに顔を見合わせ、ひとりが柵の中へ走っていく。
「お前、族長の娘だったんか。どうりで偉そうだと思った」
「余計なお世話だ。お前こそ素性を明かしたらどうだ。態度のでかさならどこぞの王にも見えるぞ」
それを聞き、クラムは笑い飛ばす。
「生まれた時の名は忘れた。昔はクラムニア人の剣士って名乗ってたが、今のご主人様には長いからクラムって呼ばれてる」
「クラムニア?」
「そうそう。スバタイ人のあんたらならよく知ってるだろ?」
「……奴隷か」
「もとな」
クラムニア。エウクシヌス海の北岸に飛び出す半島に住む人々だ。古代から農耕をして暮らしていたが、数百年前、馬上民のスバタイ人がその地を征服。現地人を支配し、税を取るための農奴か、あるいは直接的な奴隷として使うようになった。
「奴隷がなんで剣なんて帯びてる」
「クソスバタイ人どもに媚びるのが嫌だったんでな。家飛び出したはいいが人買いにつかまって奴隷になって、主人ぶっ殺して自由になったんだ。なかなか面白い人生だろ? ちなみに今は美少女に仕えてる」
話が途切れたところで、先程の門番がひとりの老人を連れて戻ってきた。柔和な表情だが、どことなく人間らしくない奇妙な老人だ。
老人は唖であるらしく、身振りで集落に入るよう示す。ミテスはゆっくりと馬を進め、老人の後を追った。
集落は30ほどの家を柵で囲ったもので、中には痩せ細った家畜が放されている。北に大きな建物があり、老人はそこへ二人を招いた。
中では家人たちが夕食の支度をしており、まもなく二人の食事も出てきた。酒も大いに振る舞われ、ミテスは遠慮なく飲む。
「お前は飲まないのか?」
「俺は酒は好かん」
「それで生きてて楽しいのか」
ミテスは杯を飲み干し、料理に手をつける。クラムは持参していた水袋の水だけを飲みながらアルギッパイオイ人たちを観察していた。
この場にいるのはクラムとミテス、老人と4人の召使い。老人と召使いは門番と同じくのっぺりした顔の作りで、会った時からまったく変わらない、穏やかな表情を浮かべている。目も口も動かず、麻布に包まれた腕で皿を持ち、薄く開いた口にスープを流し込んだ。忙しなく動く召使いたちは足音を立てず、ときおり二人に視線を向ける。
(気味悪いやつらだな)
どうにも気に入らず、老人に目を戻す。そこでようやく気づいた。この奇妙なまでに表情が変わらない、白い蝋のような顔は、精巧な仮面だ。その下にはどんな顔があるのか知らないが、見せたくないものなのだろう。よくよくみれば老人は人の形をしているが長い麻布を全身に巻きつけ、身体は一部たりとも見えていない。
食事が終わると、2階に通された。ミテスは床で眠りこけ、クラムも剣を抱き抱えながら壁にもたれてあぐらをかく。
クラムは危険の兆候がないか耳を澄ませていたが、今のところは異常はない。何かあったらすぐ起きられるように警戒心を解かず、浅い眠りについた。
どれほどの時間眠っていたのかはわからない。外から蛇が地面をはうような音が大量に聞こえ、静かに立ち上がって窓に近づいた。
「……なるほど。確かに毛はないな」
月明かりの中に見えたそれを、クラムは皮肉げに笑う。それが家の前にまで近づいたとき、ようやくミテスも目を覚ました。
「やっと起きたか」
ミテスは頭をふり、剣を探して床に手をさまよわせる。
「嫌な気分だ」
「そりゃあんだけ飲んだらな」
「違う。なにか、不気味な夢を見た。人の形をした悪魔だ」
「外見てみろよ」
ミテスは言われるがまま窓から外を見た。
「……なんだ、あれは」
「悪魔じゃねーの?」
クラムの軽口には取り合わず、ミテスは腰に剣をさした。
「裏から逃げよう」
「有名馳せたスバタイの女戦士が考えるのがまず逃げることなのか」
「悪魔と戦うなど馬鹿げている」
「へー。でも逃げ場ねえしな。裏も囲まれてる」
それだけ言うと、クラムは窓から飛び降りた。
「お前!?」
ミテスの叫びに外の怪物たちが反応する。その隙に着地したクラムは起き上がりざま剣を抜き、化け物に斬り込んで行った。
「斬れるのか、あれが」
悪夢から這い出てきたような悍ましい化け物の群。それに斬り込むなど正気の沙汰ではない。ミテスは自分の荷物をとって部屋を飛び出した。馬に乗って逃げるしかない。
しかし逃げることも叶わない。ミテスが階段を降りると、それはいた。床に粘液を残して這う白い半液体の生物。人の姿を真似ているのか、2本の足のようなもので立っている。体中から短い触手が生え、長い触手が2本、腕のある場所から生えていた。頭部から腹部まで、溶けた顔のようなものがいくつも張り付いている。
ミテスは足を止め、引き返そうとする。しかし上に行ったところで追い詰められるだけだ。腹を括り、剣を抜いた。
突進し、怪物の頭部に剣を突き刺す。貫通するが、手応えはない。引き抜き、袈裟に斬る。何度も何度も斬りつけ、触手を切り落とし、胴を蹴りつけた。
低い、唸るような声。怪物は触手をばたつかせ、体をくねらせる。
「なんなんだ。こいつは」
いくら切ってもまるで効いていない。後ろに下がって距離をとる。
突如として怪物が攻撃を仕掛けてきた。触手を伸ばし、突き刺そうとする。ミテスが避けると、触手は木製の階段を貫いた。
「ちっ!」
舌打ち。飛び上がり、怪物の頭上を超えて後ろに着地。背後から人間なら心臓がある位置を突き刺す。怪物は一瞬動きをとめたが、また低い唸りをあげて身体を震わせた。ミテスは跳ね飛ばされ、壁に激突する。触手が鞭のように飛んできた。かわすことができず、当たった場所の服が弾け、皮膚が爛れた。
「うっ……! くそ」
ミテスは肩を押さえて立ち上がり、不規則にのたうつ触手の間をかくぐり、怪物に刺さったままの剣を引き抜く。さらに首を深く斬り、頭部を突き刺し、大きく踏み込んで左肩を切り落とした。
さすがの化け物もこれは効いたのか、左側を庇うような動きをする。傷口から無数の小さな触手が生え、絡み合い、肉となって身体が再生されていく。
「なんて悍ましい化け物だ」
グロテスクな治癒能力にミテスは顔をしかめる。しかし攻撃の手は止めず、反対側の肩も切り落とした。さらに足を突き刺し、頭部を斬り、小さく細切れにしていく。
白いゼリー上の身体が室内に飛び散り、本体が拳ほどの大きさにまでなっても、それはまだ生命力を示し小さく震えていた。
「地獄へ帰れ、化け物め」
最後の肉片に剣を突き刺す。肉片は脈打ち、変形し、最後には床に染みを残して溶けていった。
食事をした部屋に入ると、床に蠟製の仮面が4つ転がっていた。ひとつを手に取ると、自分たちを出迎えた老人の顔。穏やかな表情、薄く口を開け、細かな皺まで巧妙に再現されている。
「計ったな、化け物どもめが」
ミテスはそれを踏み壊す。外へ出ようとしたところで、二体の怪物と出会した。今度は怯むことなく切り込んでいく。
触手の攻撃は軌道がよめれば対処は容易い。仕留めるのに時間はかかるが、すべての攻撃をかわせれば問題はない。
最初の一体と同じく、徐々に切り落とし、細切れにして確実にしとめる。二体とも片付けたときには太陽が登り始めていた。
剣を握ったまま外に出る。家の前に一際巨大な怪物が横たわっていた。咄嗟に身構える。
「……死んでるのか?」
怪物は微動だにしない。慎重に近づくと、肩口を切られていた。他に傷はないので、一太刀で生き絶えたのだろう。
周りを見ると、無数の怪物の死体が転がっていた。そのどれもがただの一太刀で死んでいる。
累々と続く屍に呆けていると、地を揺るがす咆哮が響いた。怪物の上げる断末魔の声。徐々に小さくなり、やがて消える。
断末魔のした方向から男が歩いてきた。剣を肩に乗せ、眠そうにあくびをして近づいてくる。
「……全部、お前がやったのか」
問うと、クラムは剣を納めながら答えた。
「そうだよ。お前さんが寝こけてる間に片付いた」
「眠ってなど……」
「じゃあ家ん中で何してたんだよ」
戦っていた。そう言おうとして、やめた。この一帯だけでも100以上の死体が転がっている。おそらく、集落の怪物すべて殺し尽くしたのだろう。
途端にクラムという男が恐ろしくなる。
「……お前、何者だ」
「だから言ったろ。ただのもと奴隷だ」
「化け物め……」
「なんて言い草。俺がやんなきゃお前も死んでたのに」
「こんな化け物を一晩で殺し尽くすなど、化け物に決まっている」
「まあ、確かに」
クラムはなるほどとうなづく。
「吸血鬼って知ってるか?」
おもむろに問われ、ミテスはなんのことかと眉を寄せる。
「西に住む人の血を吸う不死身の怪物だ。これに血を吸われるとその相手も吸血鬼になるんだが、昔これに噛まれてな。一応人間に戻ったけど、まだちょっとだけ吸血鬼の部分が残ってるんだ」
クラムはミテスの剥き出しになった肩に触れ、顔を近づける。赤く腫れた首元に歯を突き立てた。
ミテスは驚いた猫のように飛び退き、クラムに剣を向ける。それを見たクラムはいたずらに成功した子供のように、無邪気に笑った。