一幕
燦然と輝く太陽が穏やかな海を照らす。遠い岸辺には未開の森が広がっている。石造の建物が並ぶ島から離れるにつれ、喧騒も遠のき、さざなみの音だけが耳を包む。
大陸目指して小舟に乗り込んだクラムはうつらうつら船頭が船を漕ぐのを眺めていた。
エウクシヌス海は大陸に囲まれた内海だ。南はペルージャの帝国と、一人の王の下にある二つの国メフィスが栄え、西はかつてペルージャ王の侵略を阻んだ小国家の連合があり、北の森林と東の砂漠地帯には勇猛な騎馬民族が闊歩している。
クラムが目指すのは東の果てにあるアルカン山脈だ。主人であるリリアナの命令で山脈に住む怪鳥グリュプスの金の卵をとりに行く。
まどろんでいるうちに大陸に到着。船頭はクラムを下ろすや引き返して行った。
クラムは革紐で編まれた靴をきつく締めあげ、長旅に備える。服と食料を詰め込んだ皮袋を背負い直し、森に踏み込んだ。
道は平坦だが、鬱蒼と茂った木々が歩みを鈍らせる。やがて小径を見つけ、それに沿って歩く。
「人がいるといいんだけどなぁ。道わかんね」
リリアナからは西の山脈とだけ聞いており、正確な場所はわからない。道案内がなければ辿り着くことはできないだろう。道なりに行けば集落でもあるだろうと考え、森を進む。
傾いていた日はやがて完全に沈む。クラムは夜目が効くが、夜になったら普通に眠い。
「今日はここまでか」
荷物を下ろし、焚き火を作る。干し肉を炙り、かちかちに固めたパンと共に水で流し込んだ。分厚い皮のマットを敷き、マントにくるまって眠りにつく。
夜は更け、焚き火も消え、枝葉の狭間を通した月光だけが辺りを照らす。
かつて大陸を旅していたクラムは野宿経験が長い。さらに剣客として研ぎ澄ました感覚がある。それに気づくのは容易だった。
複数人の気配。それがクラムを囲んでいた。賊でも出たかと、クラムはゆっくりと目を開ける。
鈍い光が走る。飛んできた矢をクラムは顔をよじるだけでかわし、だるそうに剣をとって立ち上がった。
「俺に夜這いかけていいのはリリアナ様だけなんだが」
またも矢。今度は四方からた 飛んできたそれをかわし、かわしきれなかったものは剣でさばく。
「ま、人探してたしちょうどいいか」
気楽に呟き、クラムは矢の方向へ向かう。相手も奇襲が失敗した以上、隠れる気もないのか堂々と待ち構えていた。
藪の裏にいたのは軽装の革鎧を着た15人の女だった。
「……スバタイ人か。久しぶりに見た」
クラムが言うと、女たちの一人が前に出る。
「お前言葉がわかるのか」
歳の頃は20前後。赤毛の短髪。馬に乗り、腰には剣。鎧の作りがいいので頭領格だろう。
「俺様は教養深いんでな。スバタイ語、ペルージャ語、ラダニア語、ここらじゃ会話できない相手はないぜ。それと仲良くなれるかは別だけどな」
「戯けたことを言うな。金目のものを置いていけ。命くらいは助けてやる」
女戦士は言うが、クラムは聞いちゃいなかった。賊たちの顔ぶれを見て品定めする。
(この頭領格でいいか)
そう決め、クラムは柄に手をかけた。1番近い女戦士の懐に踏み込み、剣を抜くと同時に斬る。鞘の中で加速した刃は革鎧ごと女戦士を断ち切った。
「このっ!?」
隣にいた巨体の女が戦斧を振りかぶるが、遅い。攻撃が来る前に剣先で相手の喉を貫く。巨体を後ろの槍使いの方へ突き飛ばした。槍使いは危なげなくかわすが、かわした先に回り込んでいたクラムによって斬り伏せられる。
ここへきて警戒心を強めた女戦士たちはクラムから距離をとった。頭領格の女も剣を抜いている。
頭領格は目くばせだけで部下たちに合図。全員でクラムを囲んだ。どの相手ともクラムの間合いは同じ。動きは統率されており、ただの盗賊というわけでもないらしい。
クラムの周りを囲んでいた女たちは突如陣形を変えた。クラムの正面に展開し、半円上に並ぶ。
「射て!」
頭領格の合図で一斉に矢が放たれる。先程と同様にかわすが後ろから気配。
「ふん!」
重い太刀筋がクラムの背後をかすめる。迎撃しようとしたが、矢が別方向から飛んできた。クラムが最小限の動きでかわすと、今度は短剣を持った女が機敏な動きでクラムの首筋を狙う。下がろうとしたが後ろには大剣。
クラムは舌打ちし、前に出て短剣使いの腕を掴む。そのまま力づくで後ろに投げ飛ばした。ちょうど振り下ろしていた大剣に危うく当たりそうになる。
「ちょ、危ないよラーグちゃん!」
短剣使いが叫ぶが、ラーグとかいう女は気にせず横薙の攻撃。クラムが屈むと、息を合わせた短剣使いがラーグの股下をくぐり抜け真下からクラムの顎を突き上げた。
すんでのところでかわす。しかし別の相手から背中に蹴りを入れらた。そのまま前に出たら大剣と短剣の二人に斬られ、踏ん張れば居着いた隙を後ろから切られる。
「ちっ」
舌打ちし、クラムは飛んだ。反応におくれたラーグを踏み台にして包囲を抜ける。
「ラーグ、ミケ、油断しないで。あの男ただの旅人じゃない」
怜悧な目つきのした女が二人をたしなめた。クラムを背後から襲ったのもこの女だろう。
「……よく訓練されてる」
感嘆の声が漏れる。
ひとりひとりの実力ならクラムより下。しかしチームとしての彼女たちの力は侮れない。ただ数が多いのではなく、完璧に連携し、戦術的に行動している。これは100の雑兵よりはるかに厄介だ。
「だってさ。褒められちゃったよヨウちゃん」
「敵の言葉聞かない」
怜悧な目の女、ヨウはミケの言動をたしなめる。一見隙だらけだが、他の女たちは今も馬上からクラムを弓で狙っていた。頭領格の女もクラムから決して目を離さない。
(けどま、連携できるってことはそれだけお仲間の絆も強いわけで)
クラムはほくそ笑み、すぐにその上から軽薄な笑いを貼り付けた。
「君、ミケちゃんとか言ったっけ?」
「は、なに? 気安く話しかけないでくれる? キモいんだけど」
「一目惚れした。結婚してくれ」
クラムがそれを言った瞬間、時がとまった。
それまで弓を引き絞っていた女たちの手さえ緊張感が抜け、間抜けな夜鳥の鳴き声がさらに殺伐とした空気を壊す。
そして、時が動き出した。
「は、はぁああああ!? ちょ、あんた何言ってんの!? そりゃ私は可愛いし強いし戦士の家なのに料理もできて好きになっちゃうのはわかるけど!!」
「ミケ!!」
ミケが顔を赤らめて早口に巻きたてる最中、ヨウが血相を変えて飛び込む。
「え?」
ヨウが倒れ込んだ。クラムがミケを狙って投げた短剣が肩に刺さったのだ。痛みにうめくヨウに女たちの視線が集まる。
風を切る音。
ラーグの首が飛んだ。剣を振り抜いたクラムは返す太刀でミケの肩口を狙う。
そこでようやく我に帰ったミケとヨウは後方へ飛んだ。矢の一斉射撃。それを弾き落とし、クラムは唇を歪める。
「仲間が大事なのはいいけど、それは戦場じゃただの弱点だぜ」
軽蔑するように笑い、剣を構え直す。
「一角崩れた。連携は役割が大事だからな。一人死ぬだけで戦力半減。これがお前らの二つ目の弱点」
「……この、外道!!」
ミケは短剣を握りしめ、怒りのままに飛び込んでくる。単調な軌道は簡単に読まれ、クラムは後の先をとってミケの手首を切り落とした。二太刀目で首。
「弱点その3。感情的になっちゃダメよ。俺みたいな血も涙もない悪人じゃないと、戦場じゃ生き残れない。で、お前さんはどうするよ?」
問いを投げられたヨウは剣をかまえたままゆっくりと後ろに下がる。
「だよなあ。お前はあくまで勢い盛んすぎるあいつらのブレーキ役。ブレーキ役じゃあなんもできないよなぁ。かわいそうに」
歪んだ笑みを作り、心から馬鹿にした口調で言い放つ。
「大事な大事なお仲間が二人も首飛ばされたのになーんもできない。ほんとに可哀想なやつだよ、お前」
その言葉がヨウの逆鱗に触れた。クラムに向かって飛び込もうとする。
「止まれ」
しかし、頭領格の女がその肩をつかんだ。ヨウははっと我に帰り、歯噛みしてクラムを睨みつける。
「退くぞ」
頭領格が言うと女たちは馬を反転させた。頭領格もヨウを後ろに乗せて立ち去ろうとする。
「まあ、逃しませんけどね」
クラムは女たちが落とした弓を拾い、頭領格の馬の脚を射抜いた。馬は転び、上に乗っていた二人は転がり落ちる。
「ミテス!」
逃げていた他の女たちも自分たちのリーダー、ミテスというらしい、を見て引き返す。ある者はミテスとヨウを助けようとし、他のものは時間を稼ごうとクラムに襲いかかる。
「もう統率もクソもないな」
そこからの戦いは一方的だった。女たちはクラムに斬られ、ただひとり、頭領格のミテスだけが生き残る。
クラムはミテスの喉に剣を突きつけた。
「俺は西のアルカン山脈に行く途中なんだが、道が分からなくてな。スバタイ人ならここらの地形はお手のもんだろ? 案内しろ。そうしたら命くらいは助けてやる」
仲間を失った女戦士は逡巡ののち、感情を押し殺してうなづいた。