花としての生
誰のため…誰のため…誰のため………
百花春至為誰開だっけな?なんか仏教でそんな言葉があるらしくて、あの美しく咲く花は誰の為に開くのか?あれは誰かの為に開くのではない、ただただ、あるがままに開いているのだ…っていうような意味の言葉がある…。
その日、店長とDQNのやり取りを見ていた丈は家に帰ったあと考えていた。
自分は一体誰のために働いているのかと。
店長は店に来てくれた客全てに満足してもらいたいと考えているのだろうか…迷惑行為は誰にとっても嬉しくない行為だけど子供には大人が間違いを正してやる責任がある。
それも現代はSNSの監視社会でもあるので叱るのではなく相手を認めてやることで…。
おそらく誰かの利益のためだとか誰かの期待に答えるためだとか…そういうことじゃない。
自分は誰のために行動をするのか、いや誰のためという言葉ではなくもっと抽象的に言えば地域のため?否。インターネットがなかった時代は地域のためとも言えたかもしれないけど今は地域のためと言えることはそう多くは思い浮かばない。
世界のため地球のためと考える基準が多い。ポリ袋の消費を削減するだとか、ブラック企業をなくそうだとか、社内での公用語は英語にしようだとか…。
例えばコンビニでバイトするにしてもそうだ。近所であるにも関わらず色んな知識層の人がいる。そして人の頭の中までは見えない。
Aさんはどんな思想を持っているのだとか、目標が何で、そのためにどんな行動を起こしているのかだとか。あるいはBさんは落ち込んでいて何にも前向きになれずに苦しんでいるのだとか。
この半径1kmの生活圏内に住む人々のことすら知らない。
これでいいのだろうか?いやいやいや、人について知ろうとすることをさぼってはいけないだろうと丈は思った。
だが人の考え、その本質が憎しみや欲にまみれたものだと、その深淵を知ったとき、俺たちは人を見限られずにいられるだろうか。
見限る理由は大方こうじゃないだろうか?
考え方が違うから、他の点では同意できるけどある一点について自分とは真逆の主張を持っているから。
確かに物理的には人と人だから離れればぶつかることも少なくなるだろう。
けど人を見限ることは善いことなんだろうか?よく考える必要がある問題だと思う。
丈は今はもう見なくなったが実家にはテレビがありそれを見て育った。
そんな中で凶悪犯罪を犯したにも関わらず反省する素振りもないのであれば自分の手には負えない、見限るしかないという考えに至った。
じゃあ外交問題はどうか…なるほど双方は決定的に食い違う主張を通そうとしているように見える…。
和解すればどっちが歩み寄ったかで利権争いに発展するのと今後も民衆の支持を得られるかという保身もあって全く歩みよることはない。
あるいは喧嘩…どの主張も相手の言い分を受け入れられないから問題になる。丈は小学生の頃からよく友達と言い争いになり、暴力で負けることがわかっていたからそのことがわかっていた。
自分の言い分は絶対に正しい。それを認めさせるには殴られても殴り返さず、だからといって主張を変えず、相手の暴力をいなして自分のダメージを最小限に押さえるという知恵があった。
殴ってもこいつの考えは変えられないのだと相手にわからせる必要があることもある。それは非暴力という信念だと思う。その点はガンジーと同じく暴力で解決するとは信じていないのだ。
ジャイアニズムが間違っているということはアニメから学んだ。
勝って従わせても反抗の芽を摘むためにはまた殴って言うことを聞かせるだろう。負けても信念は曲がらないのだ…ということは当事者になって痛い目を見たから…経験上学んだ…。な…泣いてねーし!
そんな経緯があって丈は自分の許容量を越えない範囲で相手の主張を受け入れるようにしている。
どんな結果になるかわからない、それを受け入れたことで自分の立場や家族や大切な人が危険にさらされるかもしれない。脅迫だってあるかもしれない。
それは確かに自分を不安にさせるものだ。
そうして利害に関わることをちらつかせてマインドコントロールしていくって手法があるとは聞いたことがある。
でも逆の立場になって考えると自分の主張を受け入れてくれた相手の命や家族や大切な人を危険にさらしたいと思うだろうか?
そこに裏切りたいという気持ちが沸くだろうか?
考えに共感してくれる、理解してくれたと思う人に対して憎しみの感情は抱くだろうか?
「あるよなぁ…」そう丈にはあった。
理解してくれる人だと思ってたのに…というやつだ。こういうことが重なるからもう人を信じないと思うのだと思う。それは”見限る”という行為に他ならなかった。
相手が見限るから自分も見限る。
そうして人は人との関係を簡単に切っていく。それこそ会社がバイトを簡単にクビにしていくように。
だが丈はこの問題をそんなに簡単に切ろうとしてはいけないんじゃないかと仮説を持っていた。
犯罪者を生み出すのはそういう土壌があるからじゃないかと。簡単に言えば認めてもらえないから他人に対して攻撃的になる、反対にありのままで認めてもらえたら優しく振る舞えるのではないか…と。