結論を決めずに言葉を紡いでみた
長いです、2回に分けることも考えましたがあえて1回にしました。
切っても切れない問題だと思うからです。
言ってはいけない、考えてはいけないことなんて果たしてあるのか…。
丈は何も書けなくなった時に自分が何を思い悩んでいるのかわからずに思考の迷宮に迷いこんでしまったことがある。
とにかく書く…書く…書く…それは野球選手に例えるなら素振りをするのと同じことだ。
振る…振る…振る…だがお笑いの島田紳助が「ただ振る練習をするだけでは筋肉がつくだけや、大事なのはどんな球が来てそれに振るのかイメージすることや!」と言っているのを思い出す。
「なるほど、それでどんな効果があるのかわからないがやってみよう…!」
丈はわらにもすがる思いでこの地獄を抜け出したい必死な思いだ。
イメージか…それは丈にとって部分的に見ると不完全なのにも関わらず全体で見ると完全である…というようなリリックだ。
部分的に不完全というのは体の大きさ、重さ、筋肉も黒人と黄色人種は全然質が違う、移動するのすら進む早さが違う、年が違う、生まれた国が違う、性別が違う、住む環境が違う、種が違う、哺乳類なのかは虫類なのかも違う。
卵から生まれたのか胎内である程度の大きさまで育ってから生を受けたのか違う、当然愛についての考え方が違う、一度に60もの卵から生まれる命は基本一人しか産めない人間とは異なる。
そもそも脳のあるなしで思考のあるなしが別れる、主義や主張が違う、気温が違う、この場所は暑いけどこの場所は寒いだとか、ここにはあるけどあそこにはないだとか、それは比べれば確かに違うものなのに離れて見たらそれはすべてこの地球の中の話で…
地球ってのもそもそもおかしな話でなぜか丸くて、そのほとんどが水に覆われていて、他の惑星とは違って命あるものがうようよしていて、同じものがひとつとしてなくて、そのどれもが同じように違って。
丈の考えは止まらないとにかく思考そのものを止めないように雨あられのように書けるだけ書き出していく。
丈は先日、資本論についてのリリックを書いた。もっとも関心があるのがその分野だったからだ。
マルクス以降、資本主義社会はだめだということでソビエトが生まれスターリンに代わり新しい問題が生まれた。
中国の毛沢東がやろうとしたことはより経済2位のイギリス狙いの経済成長だったがその為に多くの犠牲を払って失敗に終わった。
共産主義で国は情報統制はするけど資本主義的に自由競争してもいいよというのが今の社会だが実態は社会主義の言論統制がどこも民衆を監視してる。
自由とは罪とは?
そのような社会で生きるには思考実験すらできない不便な世の中だ。
またこうして意見を述べることもできないのならその反論すらされなくて研鑽ができないだろう。
ある意味いつか破綻するだろうとわかっている資本主義経済だがより売れるためのアイディアをだす自由度が高い点は魅力的だ。
自由競争があるからやる気にもなれるし収入になるからという理由で辛い思いも我慢してやれる。
そういえば先日芸人の土田さんが言っていた話が興味深かった。
テレビではホームランではなくヒットを狙えと。
これはどういうことなのかというとおもしろい一発ギャグを狙うのではなくちょいちょい面白い話をすれば局は使ってくれる、また呼んでくれるという話なんだが、要するに自分という商品を売っているんだからホームランをガンガン打つバッターとして見られると打てなくなったら終わり。
だがヒットを打つバッターとして見られるとちょいちょい活躍できればいいのだからハードルは下がる、だからロングセラー商品になるという理屈でなるほど!と腑に落ちたことがある。
ソビエトの失敗に学ぶべきこととは国民が公務員となったことで起こったやる気の低下かな…。
専門知識を持った農家を主義が違うからと言う理由で処刑したことで起こった対応力の低下。
これらの例で丈は社会主義そのものがいけないことだと植え付けられた気がした。
だから資本主義に従え、隷俗せよと言われている気がしたのだ。
実際に誰かにそう言われたわけではない。
だがそう思っているかもしれない資本家はいるかもしれない。
丈が嫌なのは金で全てを買えると思われることなのだ。
俺の心だけは絶対に売らないぞと決めた。
その心がこうして文となって売られていく商品なのは皮肉な話だ…。
社会主義といえば忘れてはならないのがキューバか…あの国の今の問題点はないのだろうか…。
丈はふとそんなことを考え出した。
あの国はたしかサトウキビ畑をアメリカの資本家に牛耳られててその現状を見かねたゲバラやカストロが銃を取って革命を起こした。
最初は政府軍20000に対して12名の革命軍だったが負傷した敵兵を治療していったことでその支持者が増え、最後には大統領が国外逃亡、そして革命は成功したんだ…。
だがその革命はキューバ国内だけではだめだったんだよな…。
今のキューバは幸せなんだろうか?幸せとは誰のための幸せに寄り添うものだろうか?
確かにキューバの暮らしを見るに近所の老人たちが路上でテーブルゲームをしている様子をみると幸せそうに見える。
その前の時代がアメリカに搾取されていた時代でそれから解放されて今を築き上げたのだから。
でも現代に生まれた若者は本当に幸せなのか?インターネットは規制され全く使えない、メールを開くだけなのに1時間かかるなんてやってられないだろう。
外から見ればなるほどそんな不自由な世界に生まれなくてよかったと思う。
30年代のアメ車が未だに走っている国なのだ。
建物は古びていつ崩れてくるかもわからないそもそも突出した才能を身に付けることが難しいのではないだろうか。
インターネットが使えないということは知識を得ることができないということに他ならない。
日本がネットも海も全て鎖国した状態が今のキューバなんじゃないだろうか?
もしも今年、日本が社会主義国になったらそれは2019年で時が止まり外国との全ての物流が途絶えることに他ならない。
食料自給率が足りない日本は食べ物がなくて死ぬ人も多いだろう。
少子高齢化のせいで働き手も足りてないのでほとんどの若者が農業や漁業につくことになるだろう。
インターネットが規制されて言論統制されれば今までの自由を知っている人たちからは不満が続々と出るだろう。
おそらくこれは現実的ではない…じゃあ資本主義が滅びるまで資本主義で進むしかないのかな…丈は漠然とそんな未来を想像してみた。
上位1%の人が全ての物を支配する世界、ボードゲームであるモノポリーがそのまんま現実になった世界だ。
そうした財を持っている人が自然と寄付したくなるような社会や出来事ってなんだろう?
キックスターターなどを見るとなるほどアイディアに投資してくれませんか?というような財は持たない人がアイディアを持つ人にとってはチャンスだとも思える。
でもそれだと財を持っていなくアイディアを持たない人には何も変わらない。
相変わらず不満が溜まり金持ちを恨む気持ちだって沸いてくるかもしれない。
このままではマルクスが危惧した通りの結果になる…。
この問題点についてフランスの経済人ピケティが300年のデータを世界中から収集して分析していた。
そうして700ページもの中から得た結論はお金を稼いでる人からはグローバルで累進課税をかけようよというもの。
現状シンガポールや香港などの税金は低く金持ちの移住先に選ばれることが多い。
フランスではルイヴィトンの取締役がやってられないとベルギーに移住したことがニュースになった。
そういうことをなくしてみんなハッピーになろうよという提案なのだがそれに対して金持ちが猛反発。
なかなか難しい問題だ。
資本主義経済で成功したということは資本主義の考えを身を持って経験して金を得てきたわけでそれをいまさら成功したからって個人別に社会主義の考えをぶつけられても納得できるものではないってことだろうな…。
そりゃいきなり財産持っていかれたら誰だって嫌だろうな…日本においては逆に資本主義が足りないそうでもっとがっつかないと今後国民総貧乏ということになるらしい。
若者と老人の世代間格差が世界一(160%以上)離れているのが日本っていう国なんだとか。
(カナダは0%でアメリカは50%くらい)生まれたときから格差があるのが当たり前な世界に生まれているので格差がなくて皆がハッピーな社会というのが想像しにくくなってるんだろうな、でも…丈は思う。
金を持っているだけでは幸せにはなれないという確信めいた思いが丈にはあってそもそも幸せの尺度が人それぞれ違うわけでいずれそういう主義や主張をもつ人々が集まって国や文化を形成する世の中になればいいなと思うのだ。
日本の中にあって社会主義の理想を燃やすのであれば理想はそのままに世界中の同士が集まる国や地域を作ればいいと。
ネット上にアバターを作り主義や主張が同じ人々が集まる空間で生活できるようになれば争い事も起こらずだれもが幸せを感じられるのではないかと。
とはいえ現実世界と仮想現実は違うものという認識がいつまでも尾を引く。
誰の幸せのための資本主義や社会主義なのか丈は頭を悩ませる。
自分だけが幸せなら幸せなのか、自分以外の誰かを幸せにしたら幸せなのか。
そう考える丈にすら実は幸せがどんなものか想像できないのだ。
人とのふれあいが幸せなのだという意見もあるがコミュニケーションが苦手な丈にとっては実はふれあえば幸せになれるとは思っていない。
よくコミュ障という言葉があるがあれが自分に当てはまるとは思っていなく、コミュニケーションをとるのがめんどくさいのだ。
まずコミュニケーションをとるために、相手を知る必要があるそして一人だけならまだしも複数いるとひとりひとりどのような人間だったか思い出す必要がある。
これが第一段階のめんどくさい、思い出したあとに言語を正確にコントロールして相手を傷つけないように配慮する必要があるこれが第二段階のめんどくさい、男性は女性に比べてコミュニケーション能力が非常に低いという特徴がある。
話さないで済むなら話したくないのだ。
理由は気疲れするから。
とはいえ多少見知った間柄になれれば気軽に会話できるようになるし相手の反応を予測できれば笑わせることだってできるかもしれない。
そういう仲になれればいいのだがそこまで達するのに何枚もの心の障壁を乗り越えなくてはならなく、多くの友達はいらないという結論に至った。
コミュニケーションに向ける努力よりも学者肌なら研究に没頭できる時間の方が有意義だと感じるのだ。
知識は話題、知恵は会話相手、自分の頭の中で完結することを他人としなければならない理屈はあるんだろうか。
誰も傷つけずにすむ、相手の知能レベルに合わせて配慮せずにすむ、相手の癇癪に付き合う必要がなくなる、そうしたコミュニケーションを愛と呼ぶのだろうか。
自分を商品化して売る資本主義社会において愛とは優しさの無料供給に他ならない。
値段をつけて売れるものを無償で与える行為ではなかろうか。
これが社会主義の国ならいくら働いてもお国のためなので基本だらけたいわけだ。
いくら頑張っても国民全員同じ給料、このくらいやっておけばいいやという精神で暇を潰す方法を考えるだろう。
そうした中で愛は格好の時間潰しだ。
「ちょっとおばあさんの荷物を持っていたら遅れちゃったよすまんすまん」ということもありえる。
なにせ全ての職業が国家公務員だからバーテンも、土木も農家もホテルの従業員も銀行員も政治家も医者も弁護士も警察も消防員も能力の有無に限らず同じ給料だ。
ゲバラが晩年、この国に妻子を残してよその国に革命に出ていく決断ができたのはこの国なら守ってくれる大丈夫だと信じたからだ。
国に対しての信頼があるというのはいいことだと思う。
これが日本だったらどうだろうか母子家庭に対しての社会基盤はあまり整ってないかな…。
調べてみたら数万円の援助は国から受けられるもののパートタイムでも外に働きに行かなければ育てるのも苦しい状況だ。
資本主義経済の中では病気であるということも商品になりうる。
申請さえ通れば毎月数万の支援が国から入るのだ。
金のために自分の体や精神を切り売りして生活する様は毛沢東時代の鉄のために農民のくわを溶かしたり森林伐採を行った歴史と似たようなものじゃないだろうか。
結果砂漠地帯の黄砂を止める森林がなくなったことで環境被害が起きた。
日本では資本主義経済と社会保障の希薄化で国民を追い詰めていくことにより精神病患者を量産してどんな被害が起きるだろうか…。
ふぅ…ここまで演繹的にとにかく様々な言葉をあげてみた。
これを帰納法で一つの結論にまとめていくのか、あるいはまだまだ事例をあげて問題点を炙り出していくか。
丈は性急に結論にたどり着こうとは思っていない。
一つ一つのできごとにも様々な要因が複雑に絡まっているし誰の視点で見るかによっても結論は変わる。
だから全てを客観的に観察して自分の利益の為ではなく人の為になるように言葉を紡ぎたい。
今回は最初にそれぞれに違いがあるということをあげ、そのどれもが抽象度を上げれば太陽系の惑星ですら性質や公転周期すべてが違うのだという話に始まり、次に資本主義経済と社会主義経済の違いについて見ていくことにした。
丈はこの時点でコミュニケーションの大切さを全く理解していなかった。
今あげてきた全ての社会にコミュニケーションが関係していることも気づかなかったし仕事は自分の生活費のためにするものだと決めつけていた…そういうものだと。
この先相手を知ることの大切さ、それで得られる精神的な繋がり、安心感、信頼、共闘感そうしたものを知ることになるのだが今は制度、主義といったトピックについてのみ、考えの整理をしていたのだった…。