三.魔王ちゃんと勇者さまの共同戦線!
二つくくりの長いツインテール、銀色のさらさらとした髪の毛が揺れる。ぴょこぴょこ歩く姿は10才児程度としか思えないが、赤色の猫目が真っ黒いローブから覗いた瞬間、心臓を掴まれたような恐怖を覚える。
その恐怖とやらは、決して10才児に向けられるべき感情でないことは明らかだ。しかし、どうしようもなくこの幼女を恐れてしまう。ひと握りの心臓などいつでも潰せるのだと、彼女の存在全てが物語っているようだ。
「身体を借りるぞ。我の思念に応えてみろ」
どういう意味だと理解する間もなく、自分の身体が自らの支配下から抜け出したかのような感覚を覚えた。
これまで経験したことのない不思議な感覚――それは一種の不快感に近く、ドキリとした心臓が意識の遠くで鳴いた。
「ふむ、魔素がない者の身体を借りたのは初めてだ。本来、魔素によって構成されているはずの身体。波長をあわせて乗っ取るのが手口なのだが、魔素がない貴様のそれを乗っ取れるとは思わなかったな」
「何を言ってるのか、おれには……」
「安心しろ、魔素も使えん貴様に魔法理論の理解など求めておらん。我の独り言よ」
「地味に傷つくな」
「貴様、ツッコミが得意なのか? これまで薄暗く小汚い無価値な人生を歩んでいたであろう貴様に、意外な才があったようだ。褒めてつかわす」
くつくつと笑い声が響く。それと同時に、身体の奥から熱い何か、エネルギーとでも言うのだろうか。よくわからない感覚がどんどん昇りつめて、体全体を覆い尽くした。
脳天まできたその感覚は、ぐるぐると脳内を回っている。そして、乗り物酔いのようにぐわんぐわんと脳をかき回される感覚に魂が振り回されているのがわかり、自分の意識が飛びそうになるのがわかった。
「意識を飛ばすなよ、小僧。貴様の意識が飛ぶと、魂を繋げるのが面倒だ」
「幼女に小僧呼ばわりされた……」
「貴様より何億年も年上だ!」
叱られた声はやっぱり幼く拙くたどたどしくて、ちょっとだけほっこりしたのは秘密だ。
「……身体が温まったところで問おう。殺したいか」
「え?」
一瞬、何を聞かれているのか理解できなかった。
殺したいか――それが誰を対象としているのか、そもそも殺すという行為がどのようなものなのか、すぽんと頭から抜け落ちたような感覚さえ覚えた。
殺したいか――この少女は、何を、誰を対象として、殺したいかと聞いているのだろう。
ドキリ、とした心は図星を当てられたからではない。あまりに無機質に、自然と、なんの含みもなく、純粋に殺意を問われたことに驚き、そして慄いたから。
「……殺したい」
「ほぅ」
「あの男たちも、この村の住民も、国の貴族様も、騎士団も」
全部ぜんぶ、おれの居場所を奪った世界を。
「殺したいさ。殺したくないといえば嘘になる」
魔王を名乗った少女の目が、おれの中で嬉しそうに弧を描いた。
彼女の言葉を借りれば、おれたちの魂は繋がっている状態。なるほど表情が見えなくても、互いの心の機微は感じ取れるらしい。
なんとも言えないドス黒い感情を身体の奥に感じながら、誤魔化せないのだと理解っていつつも、必死に抑え込もうと力を入れた。
「何を躊躇う必要がある? 負の感情、付随する争い全て、魔王によるものだというのが貴様ら人間の教えであろう。この殺しは、ましてや我が貴様の身体を借りて行うもの。貴様に罪はないと言えるぞ」
「でも! 選択するのはおれだ。おれが、おれの行動を、自分で決めている。おれが未来を選択している! 魔王でも、神でもない、おれ自身の意志だ! そしておれは、殺さない!」
そういった瞬間、身体に何かがみなぎる感覚がより一層強くなった。爆発するように奥から湧き上がるこの感覚は、何だろうか。
「くく、そこらの人間以上に魔法の素質は十分だ、小僧」
その瞬間、世界がまた、ゆっくりと動き出した。
噴水が噴き上がり水しぶきが舞う。木々のざわめきが聴覚を掠め、風はやさしく頬を撫でて走っていった。
何かを話そうと大きく口を開けた男のそれがさらに大きく開かれていき、詠唱途中だった男が瞼を開けて完成させた。
「ファイヤボール!」
初級火属性魔法ファイヤボール。
火の属性に優れている者が、12歳の属性解析のために最初に習得する魔法だ。
火の玉が自分に向かってくるのを感じて思わず目を閉じようとしたその己の意志に反し、自分の手がファイヤボールの玉3つに向かって持ち上げられるのがわかった。
なんだ、何をする。
「魔素拒絶」
瞬間、ファイヤボールが跡形もなく消滅した。
驚いて目を見開く男たち、そしてそれを見ていた周囲の者。
一瞬にして周囲の注目を集めたと同時に、訳のわからぬ恐怖の感情が辺りを覆った。
「ルクス……おまえ」
戸惑いの声が男から漏れる。
そうだ、おかしな話だが、おれの身体がファイヤボールを消し去ったのだ。マナを持たないこのおれが、魔法の威力を滅する魔法をかけたのだ。
男の定まらない視線が、何か仕掛けはないかとキョロキョロし始めた。
当然の反応だ。
平民は魔法の特別な訓練をしていない者。学もなければ才もないとされている。
その平民が扱える魔法は、せいぜい12歳の誕生日に行う属性解析のための各属性初級魔法くらいだ。
火属性であればファイヤボール、水属性であればアクアアロー、地属性であればアースボール、風属性であればウインドアロー、そして、光属性であれば治癒魔法のヒールになる。
つまり、魔法の特別な訓練を行わずにそれ以上の魔法を習得することはほとんど不可能とされているし、同時に、それ以上の魔法を知ることもないということだ。
いま、おれが――いや、正確にはおれに乗り移った魔王とやらが放った魔法は、平民の理解の範疇を超えているのだ。
「ル、ルクス、おまえ、どういうつもりだ」
「確かにこの拒絶魔法は超上位魔法、訓練生はおろか、騎士団にいる魔法騎士でさえも、扱える者はそうそういないだろうな。くくく」
「ルクス……なにを言って……」
「我の手にかかれば貴様らの首を削ぎ落とし、心臓をくり抜いて、命の灯を一瞬のうちに吹き消すことも容易い」
ペラペラと喋る魔王。しかし、動かしている口はおれものだし、聞こえてくる声ももちろん、いつも聞いているおれのもの。
それでも、何かを発するたびに爆発するような何かがおれの身体の外に向かって飛び出し、また中に入り込もうとしてくる感覚があり、まるでおれの身体ではないような気がした。
「殺すことを厭うコイツに免じて、お前らの命は奪わんでおいてやる。その代わり、……そうだなぁ、土産だ」
地響きとともに、地面からマグマが飛び出し、おれたちを囲うようにして火柱を作った。そして、空が急に暗くなったかと思えば、雷が周囲を荒らしていく。
稲妻を落としている黒い雲は徐々に大きな塊を作って巨大に巻かれていき、今にも動き出そうとしている。
「俺はルクス、魔王を討伐する勇者となる者だ!」
とでも、言っておこうかのぅ。
ぷつり、意識が途切れた。