犯人はお前だ。
「――犯人はお前だ」
歩きなれた高校からの帰り道。僕の問いかけに足を止めてからの長い長い無言の後、夕日に染まった彼女はそう言った。
真冬の風が、彼女の束ねた後ろ髪を僅かになびかせていき、メガネの奥の切れ長の瞳が、僕を射抜く。
どんな言葉も場違いのように思える空間で、ふふ。と、ごまかすように少しだけ彼女は笑みをこぼすと、親指と人差し指でピストルを作り、こちらに向けて、もう一度口を開いた。
どこか覚悟を決めた声で、「犯人はお前だ」と、僕に。
――じつは推理小説が好きなんだ。
もう一年ほど前か、彼女が僕に明かしてくれたはじめての秘密である。教室で見る寡黙で優等生な彼女ではなく、銀縁メガネの奥で照れ笑う姿は印象的だった。
きっかけは些細なことで、僕のバイト先に、彼女が本を買いにきたのだ。
叔母の経営する流行らない古書店の入り口にふらり。客の大半を中高年が占めるこの店で、あいさつだろうか、軽く頭を下げる彼女の姿は、まるで映画のワンシーンのようだったと覚えている。
はじめは客の一人として応対していたのだが、なにが彼女の興味をそそったのか、この小汚い店に定期的に足を運んでくれるようになった。店舗で見せる彼女の表情や仕草にいつしか、掛け替えの無い友人として扱うようになっていったわけで。
もちろん彼女が僕のことをどう思っているかはわからないが、一緒に下校し、僕の他愛ない話で笑ってくれる。少なくとも友人として扱われていると信じたい。
そんな彼女の変化に気がついたのは昨日の事だった。
僕の抱える問題を彼女に打ち明けたときだったその時だ。
そう、いつもの帰り道で、僕の話に彼女は振り返り、
「ねぇ、その話。私に聞かせてどうするの?」
あからさまに不機嫌な顔を見せたのだ。さっきまでコンビニ寄って帰ろうよ、なんて笑っていたのに、何が気に触ったのか分からなかった。
僕はただ、意見を聞きたくて相談したのだけれど、最後まで言わないうちにこの状態である。どうやら、何かしらお気に召さなかったらしい。
彼女は少し眉間にしわを寄せ、しばらくの間、ただじっと僕の顔を見つめると、ふいっと踵を返し、ずんずんと行ってしまった。
コートの裾がふわりと広がり、思わず呼び止めようと思ったが、初めて見る彼女の表情と、彼女の背中から吹き上がる目に見えない何かに気圧されてしまったのか、僕はその日、とぼとぼと、後ろをついて歩くしかなかった。
「――何だってンだよ、いったい」
昨日一晩考えた結果、所詮は出来の悪い脳みそである。特に答えなんて出やしなかった。
僅かな期待を抱きつつ、もうほとぼりは冷めただろうかと、朝、いつものように声をかけてみた。けれど、どこか元気のない声で、彼女は「おはよう」とだけ。笑顔と共にが常なのに、あからさまに彼女は元気がなかった。
その際、少しだけ何かを言いたげな表情を見せたが、なぜそんな顔をするのだろう。今にも泣きそうな顔で、足早に去って行ってしまった。
本当に何なんだ。その時から、胸の奥が重たくて仕方がない。
結局、その日一日どこか避けられているようにも思え、学友たちも、彼女の変化に気が付いた様子。
口々に、
「何か知らんが、きっとお前のせいだ。さっさと謝りをいれてこい」
同じような内容で僕は一日中、責められ続けた。
あぁくそ。と、ひとりごちてしまう。この状況は、一体全体どういうことか。彼女の行動も、自分の置かれた立場も、まっくもって意味不明。
なんなら、こっちが泣きたいくらいだ。実の所、僕自身、体調が悪い。朝から胸の奥が、どうも重たくて仕方がないのだ。
こうなったら、彼女に直接問いかけるしかない。このままウジウジと悩んでも、ろくな解決策など出てきやしないのだろうから。いわゆる伸るか反るかの大ばくち。結果的に、もっと酷い事になるかもしれないが、理由がわかれば、解決策はきっとある。後は野となれ山となれだ。
なので、さっそく僕は行動に出ることにした。
放課後、野暮用をしっかりと片付けて、僕は走った。途中、先生の怒鳴り声を聞いたが、今は無視しよう。明日が怖いけど、今の僕にとっては、大したことではない。
はやる気持ちというのはこういうことを言うのだろうか。僕は、階段を飛び越え、下駄箱をすり抜け、いつもなら、彼女と出る校門も今日は一人で駆け抜ける。
なんだかいつもより木枯らしが体を冷やしてくるようだ。この冬はこんなにも寒かったのかと改めて実感してしまう。
でもなぜだろうか、うまく説明できないけれど、彼女に一刻も早く会いたい。
会って、話して、笑い合えば、きっと暖かくなれる。そんな妙な確信が僕の心の中にはあったのだから。
――ほんの少しのような、随分走ったような、不思議な感覚の中、僕は彼女の後姿を見つけた。
くくった後ろ髪に、あまり運動の得意でない、細みの身体。いつもより、うつむきがちに歩いているようだが、間違いない。僕が彼女を見間違えるわけがないのだから。
ここまで全力疾走である。肺も足も火がついたように熱い。ノドの奥も棘を飲み込んだように痛かったが、僕は彼女の名前を呼んだ。
彼女の細い背中がビクリとはねた。
瞬間的に、振り返った彼女は目を見開いて、なんだ、そんな顔もできるのか。心底驚いたような表情を見せてくれた。今日一番の感情のこもった顔だ。
「え、なんで、どうして」
肩で息をする僕に、少女は少し困惑した声色で投げかけてくるもんだから、
「おぅ、一緒に帰りたくて」
切れる息の中、僕はそう返した。とっさに笑ったつもりだったが、うまく笑えているだろうか。
彼女は今朝のように何かを言いたげな顔を見せると、言葉を無理に呑み込むように、目を泳がせた。
そして、僕と目を合わせないまま、
「……相手に悪いから、ダメ」
一言、絞り出すようにそうつぶやいた。
「相手?」
だが、意味が分からない。相手とは、なんの相手だろうか。そして、なぜそんなに悲しい顔をするのだろうか。
「昨日の手紙のだよ」
疑問が顔に出ていたのだろうか、少し声色強く、彼女は足元を見つめている。
「……あぁ。あの手紙の事か」
「他に無いじゃない」
そう、そういえば、昨日そのことで彼女に相談したのだった。
どこかふて腐れた幼児のような、ふくれっ面の彼女に向けて僕は笑うしかない。非常に恥ずかしい結果に終わったのだから、これはもう笑い飛ばすしかないのだ。だって、
「振られてきた」
「……え」
そこで、ようやく彼女と目があった。今日初めてだろうか、なんだかとてもうれしくて、僕は自然と笑顔をこぼしてしまう。
「他に好きな人ができたから、貴方はもういいってさ」
そう、つい今しがたの事である。僕は、開口一番、今日初めて会った女子に切って捨てられたのだ。まぁ、女心と秋の空とはよく言ったものだ。昨日好きだからといって、今日も好きだとは限らない。恋に恋する年頃だからそういうものなのかもしれないけれど。
手紙をもらった側が、振られたのだから、笑い話にしかならないだろう。そう自嘲的に笑うと、彼女は、信じられないといった表情を少し見せると、
「なにそれ。全然笑えない。むしろ腹立たしいんだけど。何その女。ムカつく……」
眼を三角にしてご立腹である。コートの裾を握りしめ、見たこともない顔で悪態をつき始めたのだ。
「私がどんな気持ちで、昨日、グチャグチャになったのに、信じられない、ほんと、信じられない……」
終いには蚊の鳴くような声で、ぶつぶつと口ごもる始末である。
でも、僕の為に怒ってくれているのなら悪い気持ちはしない。まぁ、良いじゃないか。と僕は彼女に笑いかけた。
「どうせ、断るつもりだったし」
「……え?」
『どうして?』そんな表情を張り付けた彼女に僕はもう一度笑いかけた。
もともと昨日は、どうやって断ったらいいのかを聞きたかったのだ。
「でも、でもでも!そんな事聞かなかったじゃない!」
「手紙をもらった。の、時点で不機嫌になるからだろ?」
まるで僕のせいだと言わんばかりに喰ってかかってきたもんだから、少し手厳しいお返しをしてやった。
たぶん、今の僕は小憎たらしい顔をしているだろう。
「もし、誰かさんが探偵役なら、どんな事件も迷宮入りだろうね」
彼女をからかう機会なんてめったにないものだから、少し楽しくなってしまう。
「うううう……」
悔しいやら恥ずかしいやらそんなごちゃまぜの表情のまま、彼女は唇をかみしめ、言い返すことができないのだろう。小さく唸りながら睨みつけてきた。
……なんだか、暖かくなってきた。そんな冬の夕暮れ時。
拗ねたようにむくれた彼女と並んで歩く。
そういえばと、僕は枕詞を一つ置いて、疑問を投げかけてみた。
「どうして、僕が手紙をもらうと不機嫌になるんだ」
昨日の晩、僕はそこだけがまったく理解できなかったのだ。
彼女は、はっとした表情になると、うつむいたまま、口元だけをわなわなとふるわせた。
夕日のせいで、前髪が影を落とし、彼女の表情はうまく読み取れない。
数十秒か数分か。そんな沈黙の後、彼女はようやく顔を上げ、僕の顔を見た。いや、睨みつけてきたと言った方がいいのだろうか。少し、うるんだ瞳のまま、どこか覚悟を決めた表情で。
そして、
「……仕方ないじゃない」
一言つぶやき、一歩、二歩。
彼女はお互いのつま先が当たる距離まで近づくと、さっきの意趣返しか、手でピストルの形を作り、僕の心臓に突き付けた。
「――犯人は、お前だ」
僕は、本当に心臓を撃ちぬかれたのかもしれない。
すぐそこに見える、夕日に負けないくらい真っ赤に染まった彼女の顔は、まるで映画のワンシーンのようだった。
おわり
もう少し、短くまとめた方が良かったのですが、いかんせん力量不足です。がんばります。




