表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
31/47

星空の航路

 空が暗くなり、星が登るまで波にさらわれたタロタロを皆で探した。

 漁でだってこんなに沖へは出ないという所までカヌーを進め、誰もが誰よりも大声を出してタロタロの名前を呼んだ。

 しかし、視界を遮る波すらない広い海に浮かぶ影は何処にもなかったし、応える声も無かった。

 フラミィはあんなに恐れていた外洋(オープンオーシャン)の中へ、何度も潜った。

 底まで潜り切れない深い海は暗く、吸い込まれそうだったが、フラミィは怖くなかった。恐れをなしてタロタロの姿を見つけ損なってしまう方がずっと怖かった。

 フラミィが何度目かの潜水から海面へ浮き上がると、タロタロのママが彼女の腕を捕まえてカヌーへ引っ張り上げた。

 タロタロのママは悲壮な表情でフラミィに言った。

 

「もう暗くなる。島へ帰らなければ」

「でもおばさん……!」

「海と一緒に生きてきた子よ。大人しく海の底に沈んだりしないわ」

「でも、でも!」


 縋るフラミィの肩に、タロタロのパパが手を置いた。


「他の人達やフラミィを危険に巻き込めない。またあの大波が来るかもしれないのだし」


 タロタロのパパはやつれた顔でそう言うと、皆にも聴こえる声を上げた。


「皆ありがとう。もう夜になる。島へ帰ろう」

「私、まだ探します。一番小さいカヌーを置いて行って下さい」


 フラミィがそう言って頼むと、年配の男が首を振って彼女を宥めた。


「皆がそうしたいんだよ、フラミィ。でも、皆お互いに責任がある。それぞれの家族の元へ返す責任がね。君に何かあったら、皆君のママにどんな顔をすればいいのだ」

「フラミィ、ありがとう。タロタロは、きっと無事よ」


 タロタロのママがそう言って、フラミィの濡れた腕を擦ってくれた。

 フラミィは一度黄昏の海を見渡した後、俯いて頷いた。

 タロタロのママやパパが我慢しているのに、自分がこれ以上無茶を言って皆を暗くなる海で彷徨わせ、危ない目に合わせるわけにはいかなかった。

 皆がのろのろとオールを漕いで、島へ向かい始め、フラミィもそれに習った。

 オールを漕ぐ腕が海水でヒリヒリ傷んだ。

 目元も同じようにヒリヒリした。胸の中は焼け付くようだった。



 砂浜ではフラミィ達の帰りを人々が待ち構えていた。

 漁に出た者達が無事に戻ったのを喜んだのも束の間、タロタロの話を聞いて皆顔を曇らせた。

 オジーが、日の出と共に捜索に出ようと皆に呼びかけ、タロタロの両親を慰めた。

 それからオジーは漁師頭と年配の男達を村の中央にある集会所に集めた。

 島の上空を飛び交った飛行機について話し合うのだろう。

 オジー達の話し合いは深夜まで続き、彼らが重々しく解散した後も、集会所には暫くヒソヒソと囁く声が残っているかの様だった。

 その気配すら風に消えてしまった頃、フラミィは家を抜け出し海へ向かった。

 息を潜めて船着場へ着くと小さなカヌーを選び、家から持って来た荷物を乗せると、海へと押し出した。


『こら、こら、フラミィ!』


 背後からルグ・ルグ婆さんの声がしたけれど、フラミィは振り向かなかった。

 一人だろうが、真っ黒な海だろうが、タロタロを助けに行くのだ。


『夜の海へ出かけるなんて、無謀な事はやめなさんな。迷子になっちまうよ』

「今夜は晴れてるから月明かりでお昼みたいに明るいし、星も明るいわ。私、星の位置を知ってる。迷子になんてならないわ」

『アターの目はちょっと鈍ららしい。月明かりと昼間じゃえらい違いさ! 星は時間が経つと動くんだよ。そんな事も知らないのかい』

「大して変わらないよ。動かない星があるって事、ルグ・ルグ婆さんともあろうお方がご存じないの?」

『ああいえばこういうね!』


 フラミィがカヌーを押しながら、ルグ・ルグ婆さんへ振り返った。


「ふんだ、ついて来てくれるの? くれないの?」

『行くもんか!』


 ルグ・ルグ婆さんは唇をひん曲げて、腕を組んだ。

 フラミィは知らん振りで、再び前を向いてカヌーを波打ち際まで押した。


『オイオイオイ……お待ちったら……』


 ルグ・ルグ婆さんはフラミィの押すカヌーの船首にふわりと移動し、懇願する様にフラミィを止める。


『何かあったらどうすんだい。ワラは腐乱死体で踊りたくないよぅ!』

「じゃあ何も起こらない様に、私と一緒に来てよ。ルグ・ルグ婆さんは女神でしょ」

『あんまり離れた外洋だと厳しいねぇ。管轄が違うし』

「管轄?」

『ワラは海の神じゃないんだよ。力が目一杯使えるのはせいぜい礁湖までさ……。それに、今日は変な飛行機が四つも島に落っこちそうになっただろ? ワラは力をたくさん使ってちょっとお疲れ気味なんだよ。そんな年寄りを、アターはこき使おうってのかい?』

「ルグ・ルグ婆さんが、飛行機を島に墜ちない様にしてくれたのね」


 フラミィはうんうんと話しを聞くフリをしながら、カヌーに積んでおいた荷物から果物や魚の干物を取り出し、船首で胡坐をかいてグチグチ文句を言い出したルグ・ルグ婆さんの前に供えた。

 ルグ・ルグ婆さんは物凄く自然に魚の干物を手に取って『何だい、炙ってあるじゃないの。ワラは生の干物のが好きだのに』と言ってからもしゃもしゃと齧った。


「ママの干物は美味しいでしょ?」

『悪く無いねぇ』

「ルグ・ルグ婆さん、果物は何が好き?」

『パパイヤが好きだねぇ』

「あるよあるよ」

『小さく切っておくれよ、ワラのお口はお上品なんだ。どれ、パパイヤの舞でも踊ってあげようかね……って、アーッ!? あ、アター! いつの間に海へ!?』

「あはは、もう遅いよー」


 フラミィは笑ってカヌーを海へ滑り込ませてしまうと、オールを力強く漕ぎ出した。

 夜光虫が刺激を受けて、青白く航路を光らせ、船の周りを輝かせた。

 ルグ・ルグ婆さんは文句を言って萎びた頬を膨らませたが、その内カヌーの進行方向を向いて座り、指をペロリと舐めて風に晒した。カヌーにマストはついていないから、ただのポーズだろう。

 二人を乗せたカヌーは月明かりの中淀みなく進み、直ぐに沈んでいる礁原の上を乗り越えた。

 外洋の水の冷たさがカヌーの底から伝わって来て、フラミィは不安を消す為にルグ・ルグ婆さんに話しかけた。

 

「タロタロは無事よね?」

『ワラ、島の外の事はわかんないよ』

「無事だモン」

『なら早く探してやらにゃいけないね』

「波は東の方へ引いて行ったの」


 吸い込まれる様に遠ざかっていくタロタロのびっくり顔を思い出して、フラミィの胸が詰まった。

 きっと真っ暗な海で一人、震えているに違いない。


『海の神が飛行機の始末に起こした波だろうね……この辺は守られているから』

「じゃあ、海の神様なら行方を知ってる?」

『じゃないかしら』

「ルグ・ルグ婆さん、海の神様とはお友達ではない?」


 期待に目をキラキラさせてフラミィが聞くと、ルグ・ルグ婆さんは首を振った。


『悪いんだけど……人間の個人的な願いの仲介は出来ないよ』

「そんな事言わないで」

『駄目だよ。秩序が滅茶苦茶になっちまう。それに、その為に遣いの神同士は意思疎通が出来ないのさ。ワラたちも、これで不便に出来てんのヨ。全てと疎通してんのは、一番偉い神様と』

「と?」


 フラミィが身を乗り出した。

 ルグ・ルグ婆さんはニンマリ笑った。


『生物さ』

「生物……人間も?」


 ルグ・ルグ婆さんは頷いた。


『ワラ達がなんの為にいると思ってんのサ。アターらに全てを与える為なのよ。生から死まで。その経過に渦巻くものも全て。呼び掛けて見たら?』


 フラミィは大きく頷いて、唇を舐めた。

 それから、丁寧に海へ呼び掛けて見た。


「海の神様、ええと……こんばんはです。あの、私の幼馴染が……」

『なーんじゃいそらあ!』


 ルグ・ルグ婆さんがピョンと船首で飛び上がった。ちょっと怒っている。


「え、え、なに?」

『なにじゃない! 神との交信の仕方がそれかい!? アターは踊りの島の子だろうがよ!!』

「あ、あ。あわわ、でも……」


 戸惑って自分の左足をちょっと浮かせるフラミィに、ルグ・ルグ婆さんは腕を組んで首をゆっくり振った。


『やるんだ!』


 そう言って、フラミィの左足をピシャンと軽く手で打った。


「きゃっ! ひどい!」

『酷くない! もう一発ぶってやろうかね?』


 ルグ・ルグ婆さんはそう言って本当にもう一回手を振り上げ、空いている方の手でフラミィの左足を捕まえると、ピタリと動きを止めた。


『ん……? んん……!?』

「な、なに?」

『ア、アター、なんだい!? どうして!?』


 ルグ・ルグ婆さんはフラミィの左足を引き寄せ、親指に触った。

 そして、信じられないという顔をしてフラミィを見て、声を震わせた。


『骨がある……』


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ