大波
怖い顔をして見上げて来るママを、フラミィは見下ろしていた。
ママはフラミィが微かな風にも飛ばされてしまうとでも思っているのだろうか、強い視線でフラミィの気を逸らさない様にしているみたいだった。
「降りていらっしゃい」
先ほどよりも落ち着いた、静かな深い声音でママが言った。
月明かりの仄暗さの中からチラチラとシェルバードが視線を送ってくるのを感じながら、フラミィは反抗的な顔をして、それでも崖棚を一段一段ゆっくりと降り始めた。
自分が怒ったりガッカリしている気持ちをまだ消したくないのに、ママの声にはどうして芯の部分で逆らえないのだろう?
とうとうママが待っているところまで崖棚を降りてしまうと、フラミィはママの目を覗き込んだ。
ママは目の中を言葉でいっぱいにして、その内のたった一つを口から発した。
「お腹減ってるでしょう、晩ごはん食べましょう」
『それじゃないの、ママ』と、フラミィは思った。だからつい、言った。
「ママ、シェルバード達はね、親心の悔恨から生まれるんだって」
ママはちょっと首を傾げてから、月明かりに照らされるシェルバードの崖を見上げた。崖は今や、ひっそりと青い。それは、海でも空でも無い深々と淡い青だ。
「親の時の事はもう忘れちゃうんだけど、幼い子を可愛がりにくるんだって」
足元でちゃぷんちゃぷんと音を立てる波の音と正反対な、揺らぎの無い声でママが言った。
「ママは、シェルバードにならないわ」
「……そう」
どこかにママを責める気持ちがあったフラミィは、ちょっとがっかりしてママから目を逸らすと、ママが心ここにあらずといった様子で囁いた。
「ママは、彼らの寝床の白い貝がらになる」
「え、シェルバードは飛び立って行っちゃうんだよ?」
ええ、と、ママは頷いた。
「永遠に、彼らを羨ましいなって眺めているわ」
フラミィは胸を突かれて、ママの手を捕まえて握った。幸せの機会を怖がってばかりいる、華奢な手を。
「ママは、そうやって神様から隠れちゃうのね」
「隠れたくもなるわ……フラミィ」
ママの口から謝罪の言葉が出そうになるのを、フラミィが止めた。
「待って。ねぇ、私、ママにこれからを応援して欲しいの。味方でいて欲しいの。溝を掘らないで欲しいの。……私が今、ママに一番して欲しい事が、ママには分かる?」
ママはやっぱり怖がって、フラミィの願いに躊躇した。
フラミィの願いの全てが、ママの願いの全てだったからだ。
この一致は幸福なもので、幸福が怖いママは、それがとても怖かった。
けれども隠れている事なんて出来なかった。
シェルバード達の羨ましそうな視線に遠慮しながらも、ママは娘を両手の中へ招き入れ、胸いっぱいに抱きしめた。
パチパチ、と、夜の静寂をまばらに破る音がする。
フラミィはその頼りな気な音を聴きながら、うっすら目を開けて思った。
私がルグ・ルグ婆さんに身体をあげる事が出来たら、ママも皆も名誉な事だときっと喜んでくれるよね?
そう思っていたけれど、もしかしたら違うかも知れない。
でも、フラミィはそうしたい。踊りの女神の身体になって、誰にも出来ない舞の世界へ飛び込んでみたいのだ。
だって、その為にこうして生まれて来た気がしてならないのだから。
こんなにも、憧れているのだから。
*
翌日は何もかもが凪いでいる日だった。
朝早くからパパ達と漁へ出かけたタロタロを見送った後、フラミィはママを手伝って、家の中で新しく使う草のマットを編んでいた。午前中はこうして働き、午後から骨探しだ。
草の種類で色を変えて、シェルバードの模様を入れようと構想を練りながら取り組んでいると、ふと手元に影がすーっと幾つか走った。
空を飛ぶ鳥の影だろうかと見上げて、フラミィは「あっ」と声を上げた。
フラミィの手元に影を落として空を飛ぶのは、パーシヴァルの飛行機と同じような飛行機たちだった。
飛行機だ、と認識した瞬間、飛行音が押さえ付ける様に降って来た。
飛行機たちは、何機かずつで追いかけっこをしているみたいにクルクルと空を駆け回っていた。
ママも眉を潜めて空を見上げ、立ち上がった。
島の人達も、驚いて空を見上げ、指をさしてペチャクチャと騒がしく喋ったりしている。
「島の上を飛ぶなんて……」
ママが不安げに言った。
フラミィは頷いて、ママの傍へ身を寄せた。
飛行機たちはお互いのお尻を追っかけて、激しく動き回り、時たまパパパと何か爆ぜる音を立てては火を吹いている様に見えた。
飛行機は大きな鳥みたいに翼を翻し、日の光にピカリと機体が光らせ、フラミィの目を射した。
「何をしているのかしら……? あっ」
パーシヴァルの飛行機と同じ色をした飛行機が、他の二機に追い回されて急に激しく火を吹き、傾いたと思った途端に煙を吹き出しながら落下を始めた。
同じように、一機、また一機と燃え上がり堕ちて来る。
島の人達は悲鳴を上げて散り散りに逃げ出した。
フラミィとママは恐怖に抱き合って動く事が出来ず、落ちる飛行機を凝視していた。
燃える飛行機たちは最後の力を振り絞ったのか、滑る様に島の上を避けて地平線の先まで行くと、とうとう海へ墜ちてしまい、四つの火柱と煙が上がった。
フラミィ達は皆で海岸線まで駆け抜けて、煙を眺めた。
目を凝らしても、背伸びをしても、背の高いヤシに登っても、遠くの地平線の先を見る事は叶わない。
船を出そうか、いいや危険だと言い合っている内に、誰かが震え出した。
「今日の漁は、あっちの沖の方じゃなかったか?」
皆が息を飲み、幾人かが船着き場へと駆け出した。
フラミィも一緒に駆け出し、横にタロタロのママが並んだ。タロタロのママは、タロタロみたいに、風の様に駆けた。
二人は沖へと砂浜を滑り出す何艘かのカヌーの一艘に飛び乗ると、オールを漕いだ。
漕ぎ出しながら、タロタロのママが泣き声で言った。
「こんなに凪いだ日なのに」
「おばさん……大丈夫よ、大丈夫。だって海は広いもの」
そうよ。同じ方角と言ったって、海は広いんだから。
フラミィは自分とタロタロのママを励まして、煙の上がる方向をじっと見据え、オールを漕いだ。
*
皆でオールを漕げば、地平線の向こう側なんてあっと言う間に辿り着く。
イヤな匂いと煙を立てる飛行機の残骸が四機、すぐに見つかった。
仲良くお互いのすぐ近くに墜ちたようで、辺りは黒い煙が立ち込めており、視界が悪かった。
しかし目の良いフラミィ達は、直ぐに漁に出た大きなカヌーの船底が波に揺れているを見つけた。
そして、漁に出た人々も見つけた。
彼らは煙から離れた空気の綺麗な所で、オールやカヌーの木片につかまって浮かんでいた。小さなタロタロの姿も見える。
タロタロは飛行機の翼の破片につかまっていて、フラミィ達をいち早く見つけて手を振った。
タロタロのママが立ち上がり、海へ飛び込んだ。フラミィの乗っていたカヌーが大きく揺れた。
フラミィも皆も笑い声を上げて、漁に出た人々が迎えのカヌーに乗り込むのを手伝った。
そうして皆が仲間の無事に夢中になっていた時、穏やかだった波が急に大きくうねった。
誰かがハッとして顔を上げ、叫んだ。
「大波だ!!」
「いかん! 逃げろ! 飲み込まれるぞ!」
大波は音もなく突然沖から盛り上がって現れ、煙を吐く飛行機達を飲み込むと、慌てるフラミィ達を置いて沖へ急速に引き戻った。
まるで飲み込む物を決めているかの様だった。
皆が呆気にとられる中、フラミィが悲鳴を上げた。
飛行機たちを飲み込んで連れて行く波の中に、タロタロの姿があったからだ。
「タロタロ!!」
タロタロは飛行機の翼の欠片につかまったまま、ビックリ顔をこちらへ向けて、波にさらわれていく。
タロタロのパパが、ママが、泳ぎに自信のあるその場の誰もが波を追いかけたけれど、恐ろしい程タロタロとの距離は開いていき、ついには誰も追いつく事が出来なかった。




