安い復讐
うすよごれたこの街で、うすよごれた格好のまま、俺はここにいる。
にぎやかなネオンもなく、華やかな女達もいない、しょぼくれた小さな街。
くたびれ果てた奴らの住む、くたびれ果てた街。
それが トパーズタウンだ。
クソッタレのトパーズがろくに掘れなくなってから、寂れる一方のシケた街だが、それでも週末の夜更けになれば、汚れ、くたびれた男達が、脂っぽい顔を真っ黒な手でごしごしとこすりながら、なんとなく集まってくる。
若いヤツラはしょぼくれた爺さん達を見ると、絶望的な自分の未来を突きつけられるような気がするのだろう。あちこちにある他の酒場にはあまり出入りせず、もっぱらニックズカフェに溜まっている。
とは言え、ニックの店がそれほどイケているのかと言えば、もちろんそんな訳はない。
いちばん下品で、いちばん荒っぽい代わりに、いちばん活気がある。
ただそれだけだ。
セルダン連峰をえっちら越えれば、向こう側にはもう少しましな街があるんだが、ここで生まれちまったものは仕方ないだろう。まったく、クソみたいな街だが。
トパーズタウンの出身というだけで袋叩きにされかねないほど、ここいらと向こう側は常に対立している。一度は街ぐるみで戦争になりかけたくらいだから、相当なもんだ。
もっとも、向こうにはマッカートニファミリーや、有名な凄腕のガンマン、ティンプリーミがいるから、やりあったとしてもこちらが皆殺しにされて終わりだろうが。
じゃあそんな街、とっとと出て行きゃいいようなもんだが、これがどうして、なかなかそうもゆかない。
かっこつけても仕方ないから言っちまえば、惚れた女がここにいるんだ。
俺はニックズカフェの前に単車を止めた。
中から嬌声が聞こえてくる。
単車を降りて階段を三段上がると、頑丈なだけが取り得の扉に手をかけた。
と。
こっちに近づいてくる馬鹿でかい図体の車がある。俺は目を細めてそいつを見た。
げ、ニックじゃないか。
三十六計逃げるにしかずと階段を駆け下りたところで、向こうから大声で呼ばれた。ち、少しばかり気づくのが遅かった。
「ヤ、ヤコヴ! よ、寄っていけよぉ!」
ニックは愛想よく言った。この人はおつむのねじが少々ゆるいのだが、人当たりもよく、なにより金持ちなので寄ってくる人間は多い。だが、俺はニックがひどく苦手なのだ。
それはニックが、『俺のお袋に惚れているらしい』からである。
ニック自身は否定するが、まあ、公然のなんとやらだ。
何かにつけ俺のお袋に便宜を図ってくれるのはありがたいのだが、息子としては少々複雑な気分にならざるを得ない。 お袋は、オヤジ代わりだと思えばいいなんて笑っているが、うすのろニックが父親なんて、冗談にしても笑えない。
もっともお袋は俺の親父の話をしないから、俺は親父ってのがどんなものなのか知らないんだが。
とりあえず他に行くところもなかったし、ニックから逃げたみたいに思われるのも癪なので、俺はうなずいてニックの後に続いた。
扉を開けると、中で騒いでいた連中が一瞬こっちを見る。入ってきたのがニックと俺だとわかると、連中はにやりと嫌な笑いを見せた。
「おや、ニックと息子がやってきたぞ」
からかう声に思いっきりにらみをくれると、俺はカウンターに陣取った。
ニックはそのまま店の奥のオーナー室に行くようだ。俺の肩にグローブみたいなでかい手を置き「ゆっくりしてけよ」と優しく笑う。 カウンターの中のバーテンダーが、同じように優しく微笑んでいるのを薄気味悪く思いながら、俺は黙ってうなずいた。
俺の周りに、仲間が集まってくる。
みんなこのクソみたいな街を出て行きたくて仕方がないやつらばかりだ。
もちろん、女のことがなきゃ、俺がその筆頭なのは間違いないがね。
ヤツラがニックのことでからかうのを聞き流し、俺はその中の一人に目を向けた。クラリスは俺の視線を受けて、ふふふと妖艶に笑って見せる。 わお、なんて色っぽいんだ! 心臓がどくんと大きく波打つ。
そう、お察しの通り。
俺がこの街を出てゆかないのは、この女、クラリス・ヴェールのせい。
クラリスは俺と同じく私生児だ。娼婦だった母親が、昔、悪い男にハマって生まれた子である。
娼婦の娘なんて、普通なら格好のいじめの的なんだが、クラリスってのはなんと言うか一本スジのとおった気丈な女で、細腕ひとつで育ててくれた母親のことを、何より誇りに思っているし、なにひとつ恥じることはないと考えている。
だから、彼女の母親のことを悪く言おうものなら、いつも持っているデカイ銃で吹っ飛ばされること請け合いだ。銃ではなく、火かき棒で嫌ってほど殴られた男も、ひとりや二人じゃない。
「まったく、ニックが父親だなんてカンベンしてくれよ」
「そう? あたしはニック、嫌いじゃないけどね」
色っぽく片目をつむって見せるクラリスの顔に、また心臓がどくんとなる。跳ね上がった心臓の音を聞かれそうな気がして、俺はあわててビールを飲んだ。
「俺だって別に嫌いじゃないさ。ただ、父親なんてモノ、別にほしくもないからさ」
「そう……ね。私も別にほしくないわ」
境遇が似ているからなのか、俺とクラリスはこの手の話題になると意見が一致することが多い。
「なあ、クラリス。もしも、父親だって男が現れたらどうする?」
クラリスは小首を傾げて考え込んだ。そんなしぐさもたまらない。
「そうね……たぶん、完全に無視するでしょうね。いや、それも無理かな。こいつにものを言わせるかもしれない。うん、きっとそいつを撃ち殺すだろうね」
いいながら、腰のホルスターに下げた拳銃をたたく。
「そうだな。別にいまさら、お袋を不幸にしたとか言って責めたりするつもりはないけど、やってきて父親ヅラされたら、俺もぶっ殺しちまうかもしれないな」
俺のお袋にしても、クラリスのお袋にしても、自分の意思で男を選んだんだから、それに対して俺がどうこう言う気持ちはない。だけど、だからって俺にまで関わってくるようなら、話は別だ。
クラリスは肩をすくめてうなずいた。
まあ、つまらない話題は変えよう。せっかくクラリスと呑んでるんだ。
「聞いたか? ヤコヴ。例の話」
せっかくのクラリスとの時間を邪魔しにきたのは、ダチのレイモンドだった。じゃまをされてムカっとしたが、しかしまあ、これだけみんなが居る中でクラリスを口説くわけにもゆかないだろう。俺は気持ちを切り替えて、レイモンドに答えた。
「聞いた。なんでもデカイ祭りをやるんだって? 町興しだなんて保安官が騒いでたな」
「俺の親父も張り切ってるよ。どうせまた、都会の連中にだまされるに決まってるのにな」
「今度の話は大丈夫だって、ニックが張り切ってますよ」
ニコニコとそういったのは、バーテンダーだ。彼もこの街は長い。たしか、ニックの親父さんと友人だったとか。俺たちは珍しく口を開いたバーテンダーに向かって、渋面を作ってみせる。
「この話はニックが? ああ、そりゃだめだ。絶対だまされてる」
「う~ん、わかりませんけどね。多分大丈夫だと思いますよ」
「どうして?」
クラリスの問いに、バーテンダーは穏やかな笑みを浮かべたまま言った。
「話を持ってきたのは、もともとこの町の人間だった男ですから」
「へえ、そうなんだ。この街から出て、成功した奴なんているんだ」
バーテンは笑ったままグラスを磨いている。するとそこへ、ニックがやってきた。
「せ、成功したかどうかは、わ、わからないけど、や、やつは俺の、し、親友だよ」
「ニックの親友じゃ、あんまり当てにならないなぁ」
レイモンドが茶化すと、店中の若いやつが笑った。バーテンは肩をすくめ、ニックはムキになって反論する。
「あ、あいつなら、だ、大丈夫だよ。お、俺にトパーズの山を呉れたのも、あ、あいつなんだから。ユ、ユダは最高の男なんだ」
「ユダ? そいつ、ユダって言うのか?」
ニックは夢見るような顔でうなずいた。
「そ、そうだ。ユダは、こ、この街のひとたちの、き、期待と……」
がたん!
突然、スツールの倒れる大きな音がする。
店に居た連中がその音の先に注目する中、クラリスは真っ青な顔でたっていた。
「どうした、クラリス?」
俺の声など聞こえないかのように、クラリスはニックに食ってかかる。
「ユダ? ユダだって?」
ニックがうろたえながらうなずくと、クラリスは一目散に店を飛び出した。
俺は驚いて、すぐにあとを追う。
「クラリス! 待てよ! 一体どうしたんだ?」
店を飛び出してしばらくいったところにある、大きな木の前で、クラリスは立ち止まった。そして、振り返る。その顔には、明らかな怒気があふれていた。
初めて見るクラリスの様子に、俺は驚いて口も利けない。
するとクラリスは、食いしばった歯の間から搾り出すように言った。
「ユダってのはね……あたしの母をだまして金を貢がせた男よ」
俺はもう、なんと答えていいのかわからないで、言葉を捜したまま立ちすくむ。
つまり、そいつは、クラリスの父親と言うことか!
クラリスと俺は、大きな木の前で、そうして立ち尽くしていた。
ばるるん!
爆音と共に現れたのは、単車、単車、単車。
一面余すところなく、ものすごい数の単車であふれかえっている。
つまり、これがユダという男の言った「祭り」と言うことらしい。
この日のために街では単車の部品やガソリン、宿屋や食い物屋、とにかく町中の人間が準備に追われた。 しかし、それだけの甲斐はあったようで、二週間の祭りが終わってみれば、俺たちの手元には彼らが落として行ったたくさんの金が残った。
街はこれまで見たこともないほど活気づいた。
みんなニコニコ顔で祝いの酒に酔っ払っている。
俺とクラリス以外は……
クラリスはニックズカフェの前で銃を抜いて構えると、俺に向かってにやりと笑った。
「それじゃ、これからユダをぶっ殺してくる」
「俺も行くよ」
「いい。これは私の問題だから」
突然扉が開いて、ニックが顔を出した。
「そ、そんなことは、な、ない。ク、クラリスだけじゃなく、ヤコヴにも、か、関係があるんだ」
驚いて固まったままの俺たちに向かって、店の奥から声がした。
「よう、こっちに入って一杯やろうじゃねえか。ガキども」
そう、これが……この酒瓶を抱えてにやけている金髪の男が、クラリスの父親ユダだった。
「俺にも関係があるってのは、どういう意味だ?」
店に入るなり、俺がそうニックに詰め寄ると、横からユダがニヤニヤと笑いながら口を挟む。
「おめえも鈍いな。それともそっちの姉ちゃんにイかれちまって、頭の回転が止まってるのか?」
「なんだと?」
俺が怒気をこめてそう叫ぶと、ユダは肩をすくめて受け流し、クラリスのほうを見た。
「へえ、おめえが俺の娘か。ふん、ツラだけはいい女だ。さすが俺の血を引いてるだけのことはある」
クラリスは怒りにぶるぶると震えながら、両手で銃を構えた。
「あんたみたいなクズに、娘だなんて言ってもらいたくない」
しかし、ユダは銃など存在しないかのようにのんびりした様子で、今度は俺に向かって口を開いた。俺はこのときのことを一生忘れないだろう。
「それで、おめえが俺の息子ってわけか。ちっと線が細いようだが、惚れた女のためにガッツを見せているところは評価しよう。もっとも、自分の妹に惚れたって仕方ねえだろうがな」
俺は後頭部を思いっきり殴られたような衝撃で、思わすよろよろとカウンターに手をついた。
俺がユダの息子? クラリスが俺の兄妹?
「な……なにを……」
クラリスも驚きに、銃を構えることも忘れてユダの顔を見ている。
「だから、おめえの母親も、この姉ちゃんの母親も、俺の女だったんだよ。ま、昔の話だがな」
「この……クズ野郎……なんてヤツだ……」
クラリスがそう言いながら銃を構えると、その前にニックが立ちはだかる。
「どいて、ニック。あんたもぶっ飛ばすよ!」
「どいてろ、ニック。こいつは俺が殺す」
俺は怒りに卒倒しそうになりながら、上着から銃を取り出した。クラリスを援護するために持って来たものだ。殺してやる。こんなクズ、俺がぶっ殺してやる。
「だ、だめだよ、親を殺すなんて……」
「親じゃない!」
俺とクラリスは同時に叫ぶ。
すると、ニックの後ろからユダの声がした。
「どいてろ、ニック」
その言葉にニックが身体を引くと、後ろから表れたユダの顔は真っ赤になっていた。
「怒ってるのはお前らだけじゃない」
「なんだと、この……」
「だまれ! 小僧! 小娘!」
店中を震わせるような大声で、ユダが叫んだ。
俺とクラリスは一瞬気勢をそがれ、それが悔しくて銃を構えなおす。
ユダはゆっくりと立ち上がると、タバコに火をつけて深々と吸い込んだ。それを細く吐き出してため息をつき、キッとこちらをにらむ。
逆切れしやがって、とんでもねえやつだ。
そう思ってクラリス見ると、彼女も同じ思いだったのだろう。俺を見てゆっくりとうなずいた。
よし、殺してやる。
俺は決意を込めて銃を持ち上げた。
「お前らは何をやっている?」
ユダの言葉に、俺の動きが止まる。
「お前らに俺を撃つ権利があるのか? お前らの母親が撃てと言ったのか?」
「これは母さんたちとは関係ない! 俺とお前の問題だ。俺がお前をぶっ殺して……」
「だったら、どういう理由で撃つんだ? 俺が父親の務めを果たしてないからか? 俺がお前らを不幸にしたからか?」
「命乞いでもすれば、まだ可愛げのあるものを、開き直るとはね。見下げ果てた男だわ」
クラリスの言葉が終わらないうちに、ユダは風をまいて彼女に襲い掛かると、あっという間に銃を取り上げてしまった。俺があわてて狙いをつける前に、ユダの銃は俺の眉間に狙いを定めていた。
クラリスと俺はその場に固まる。
「命乞いをしろだと? 女、てめえ、何様のつもりだ?」
「あんたこそ、何様のつもりよ! 母さんをだまして、貢がせていたクズのくせに」
「だからよ、誰がそんなことを言ったんだ? 本当にお前の母親本人がそう言ったのか? ついでに言やぁ、貢がせてたのが本当だとして、いったいそれの何が悪いんだ? お前の母さんは、俺に貢いだことを後悔し、こうしてお前に殺させようと思ったのか?」
「この……」
「おまえら、母親は関係ないって言わなかったか? だとしたら、俺とおまえらに一体何の関係がある? 母親に頼まれたんじゃないなら、俺を殺す正当な理由てやつを聞かせて見ろ」
そう言われて、俺たちは言葉に詰まった。
母親に貢がせて、それを捨てて街を去った男だから、漠然と復讐してもいいような気になっていたが、確かに俺は最初思っていたはずだ。『俺に関わってきたら』ぶっ殺す、と。
それはつまり裏を返せば、関わってこなければ無視しようと考えていたのではないか?
「ヤコヴつったな? おめえ、俺を殺る気なんてなかっただろう? ただ、その姉ちゃんの感情に引きずられてるだけだろうが?」
それからユダはクラリスに向かう。
「おめえはよ、母親のためだなんていいながら、自分の感情を爆発させたいだけなんだよ。自分の今までのいやなことを、全部俺のせいにしたいだけなんだ。だいたい、母親のためにやることなら、母親に秘密にする必要もあるまい? おめえ、母親に今日のことを言ってきたか?」
クラリスは黙ったまま下を向いた。言い負かされたというよりも、自分の感情に気づいたのだろう。
「おめえらは、何をした?」
また、ユダが問う。俺たちは黙っていた。
「俺が街を出て、仲間を作り、こうして街を潤す算段をして帰ってくるまでの間に、おめえらはいったい何をやっていた?」
「それは……」
「おまえらがその間、俺に復讐するために銃の腕を磨いていたとか、ぶっ殺すために俺を探していたってんなら確かに話はわかるさ。それはそれで、ひとつの生き方だ。だからって撃たれてやるつもりはねえが。だが、おめえらは違うだろう?」
俺たちは……
「漠然とニックの店に集まり、毎日を面白おかしく過ごして、ある日突然、俺が現れたからあわてて復讐だ? 母親を食い物にして捨てた男だから、銃で撃ち殺してもかまわない? ふざけるのも大概にしろ。何も成さず、何も考えず、それがお前らの正体だ」
ニックが立ち上がると、カウンターの中に向かった。
「母親のために、街のために、お前らは何をした? ただ現状を嘆き、こんなクソみたいな街と悪態をつき、全てを何かのせいにして、ただニックのところでダベって居たんだろうが? ニックぁやさしいから何も言わなかっただろうが、俺はそう言う甘えたガキが大嫌いなんだ」
言いながらユダは銃を持ち上げる。
まさか?
ばん!
銃声と共に俺の肝は縮み上がった。銃口の先が俺ではなくクラリスに向いていたからだ。
「これで、おめえは死んだ」
それから俺に銃を向けると、何のためらいもなく引き金を引く。
ばん!
弾丸は衝撃波と共に、俺のそば数センチのところを掠め飛んだ。思わずつぶった目を開けてみれば、クラリスの足元にも弾痕がある。
「これでおめえも死んだ」
俺に向かって放たれた言葉には、もう怒りはなかった。
「いいか、おめぇらは今、死んだ。これからは死んだ気になって、なんでもいい、成してみろ。この街のためでもいい、母親のためでもいい、自分自身のためでもいい。シラケてクダ巻いてる暇があったら、とにかく何かに取り掛かってみろ」
「あんたの指図なんか!」
クラリスが叫ぶと、ユダはにやりと笑って返す。
「もちろん、復讐でもいいんだぜ?」
そう言うと銃をクラリスの足元に放り投げ、バーボンのボトルを引っつかむと、ニックに向かって微笑んだ。なんともいえない、やさしい微笑だった。
「世話になったなニック。俺ぁそろそろ行くぜ。こんだ、隣の町で祭りをやるんだ。来年までにこの街をもっと活気付けてくれよ? ここぁ伝説のバイクウィーク、バイクカーニヴァル発祥の地になるんだからよ」
片目をつむってニックに言い捨てると、あとは振り返りもしないで歩き出した。
俺たちは黙ったまま、その後姿を眺めていた。
と。
「畜生!」
クラリスが叫ぶ。見れば、きれいな両眼から涙を流していた。
「ちくしょう! ちくしょう! ちくしょう!」
クラリスは叫びながら、カウンタをどやしつけた。俺にもその気持ちは痛いほどわかる。ユダに対しても気に入らないし、言われたことに対して反論できないのも悔しい。
とにかく何もかもが気に入らなかった。
「の、飲むといい。さ、酒ってのは、こ、こういうときに飲むもんだ」
ニックの言葉にクラリスはものすごい形相で睨み返したが、しかし、差し出されたグラスを受け取ると、一息に飲み干した。
ごほ! ごほ!
強い酒をいきなりのんでむせた背中を、俺はそっとさすりながらニックに向かって言った。
「ニック、俺にも一杯呉れないか?」
ニックは微笑んでうなずくと、俺にもグラスを差し出した。
ショットグラスに注がれたそれを、俺は一息で飲むみ干す。
次の瞬間、胃袋の中から炎を吐き出 して、思わず叫び声をあげた。
「なんて強い酒だ」
「ユ、ユダの、い、一番好きな酒だよ」
それを聞いてクラリスはニックをキっとにらむと、グラスを差し出して叫ぶ。
「もう一杯ちょうだい。今度はそれより強いのを」
俺も一緒にグラスを差し出した。出てきた酒を、今度は二人で同時に飲み干す。とたんに全身がカッと熱くなる。炎どころじゃない。胃袋がでんぐり返りそうだ。
それでも俺たちは、黙って酒を飲み続けた。
何を話していいかもわからないし、それより、考えたいことがたくさんあったからだ。
その俺たちを眺めながら、ニックはやさしい微笑を浮かべて言った。
「た、たんと考えるがいいよ。よ、夜は長いから。でもね……」
俺とクラリスは顔を上げてニックを見た。ニックはうなずいて人差し指を立てると、
「な、何もしないでいるには、な、長いけれど、な、何かを成すには、み、短すぎるんだな。じ、人生ってヤツは」
気取ったセリフに、俺とクラリスは思わず目を見合わせ、次いで大笑いしてしまった。
ニックは照れくさそうに頭をかいている。
やがて、笑い止んだクラリスは、それでもまだおかしそうに言った。
「ね、ヤコヴ、言ったとおりでしょ?」
「なにがだ?」
「私、ニック、嫌いじゃないわ」
かわいらしくウインクしたクラリスに、俺も微笑み返す。
「ああ、俺たちの父親は、やっぱりニックだな?」
「そうね、あんな説教くさい男よりずっと素敵だわ」
それから二人でニックを見ると、ニックはうれしそうにニコニコと笑っていた。
トパーズタウンの夜空には、大きな月が出ていた。