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バイバイ、ソフィア(1)

 

「寒いなぁ。まったく、イヤになる」



 男は肩をすくめてぶつぶつと文句を言いながら、腰のリボルバーをガンベルトごと、分厚い木のテーブルの上に放り出す。それからカウンターに向かって一本、指を立てて見せた。



「テキーラと、岩塩をくれ」



 この店に長いこと居候いそうろうを決め込んでいる、セルダンタウン最凶にして最悪のガンマン、ティンプリーミである。


 店主のアンソニーは、料理の仕込をしていた手を止め、無言で顔を上げた。そしてテキーラのボトルを持ち上げると、大き目のショットグラスに注ぐ。


 目はティンプを見ているのに、グラスに注がれたテキーラはまったくこぼれることなく、クチから3ミリのところでぴたりと止まる。


 その驚嘆すべき技術を見て、しかしティンプリーミは肩をすくめて鼻で笑った。



「よう、アンソニー。知ってるか? 海の向こう、東洋のある国じゃな、グラスを四角い木の器に入れて、それに酒を注ぐんだそうだ。んで、口切いっぱいどころか、わざと木の器にこぼれるくらい目いっぱい注ぐんだそうだ。なんとも酒飲みの心のわかる、気分のいい国だと思わねえか?」


「意地汚い酒飲みの多い国なんだろうな。だが、ここは東洋じゃねえ。ウチの店は、酒の量に厳しいんだ」


「ちっ、図体はでかいくせに、けちなコト言いやがる」



 悪態をつきながら舌を出すティンプリーミに、アンソニーはむっつりと無愛想で応え、カウンターの上にテキーラのグラスを置いた。



「うるせえコト言うやつは、自分で取りに来い。俺は、店の準備で忙しいんだ。居候のクセに手伝いもしないんだから、せめて邪魔だけはするなよな?」



 アンソニーに手厳しく言われティンプは舌打ちして立ち上がり、カウンターに近寄ってテキーラグラスをひったくる。グラスに口のほうを近づけ、ごくりと一口飲んだ後、満足そうにうなずいた。


 そのあと、しばらく店の中を見回してから、アンソニーに向かって、首を傾げて見せる。



「よう、バズーはどうしたんだよ?」



 バズーはかつて人買いだった時に、ある事件に巻き込まれ、彼らと知り合った。(「人買いバズー」参照)


 その縁で、人買いをやめ、今は、アンソニーの店で働いている。



「午前中いっぱい、買出しに行ってる」


「買出しなら、すぐそばのマックスの店だろう? 午前中いっぱいってな、どういうことだ?」


「誰かさんがこの間、酔っ払って大喧嘩したあげく、店をめちゃくちゃにしやがったからな。その修理用の道具だの壁の材料を買いに、トパーズタウンまで出てるんだよ」



 皮肉を込めてそう言われれば、当の犯人としては黙るしかない。


 仏頂面でテキーラをり始めたティンプに肩をすくめて、アンソニーは料理の仕込みを続ける。


 

 やがて、セルダン連峰の向こうに太陽が姿を消すと、一目でわかる荒っぽい連中がちらほらと集まってきた。


 マッカートニー市長の下、セルダンタウンとトパーズタウンが合併してからは(「男たちの挽歌」参照)、トパーズタウンの連中までもが、この店に集まってくるようになった。


 そのためここのところ、いつも大入り満員だ。


 ティンプが飲んだくれて半酔半眠でいるうちに、いつの間にか帰ってきたのだろう、バズーがテーブルの間を忙しそうに飛んで回る。


 カウンターの一番隅からさらに店の一番奥の、こ汚いテーブルに追いやられたティンプは、それでもテキーラのボトルを抱えたまま、おとなしく飲んでいた。



 バタン。



 両開きの扉が開いて、客が二人、カウンターに陣取る。常連の男たちだ。


 彼らは、どこかで女を買ってきた帰りらしく、ご機嫌な様子で今さっき抱いてきた女の品定めをしていた。どこの酒場にでもありそうな、ごく普通の光景だろう。


 しかし、その日常は、突然の大声で破られた。



「なんだとっ!?」



 一瞬、店中の人間が、会話をやめて声のした方を振り返る。


 その視線の先には、驚いて目を丸くする先ほどの客ふたりと、カウンターの中から今にもつかみ掛からんばかりに身を乗り出すアンソニーがいた。


 大声はアンソニーのものだった。


 普段のケンカならすぐに興味を失う客たちは、しかし、あの温厚なアンソニーの、今までに見たこともない動揺ぶりに、驚きと好奇心で一言も発せないまま成り行きを見守っている。


 と。



「なんだ? どうした、アンソニー? そいつらが、なにかやりやがったのか? それとも、ケンカ売ってきやがったのか?」



 半酔のまま、のそりと立ち上がったティンプリーミを見て。


 二人の客は、今度は驚くよりも明らかに恐怖におびえた。


 この死神とコトを構えて、生きていられる自信がないのだろう。先日、ティンプを知らない流れ者が店でこの男と大立ち回りを演じ、半殺しの目にあっている一部始終を二人とも目撃していたのだ。



「待った、待った。俺らがアンソニーに、文句を言うわけないじゃないか。ただ、さっき買った女の話をしていただけだよ」


「……アンソニー?」



 彼に視線を移し、首を傾げるティンプを無視して、アンソニーは二人の男に詰め寄った。



「女の名前を、もう一度言ってみろ。どんな女だって言った?」


「だから、ソフィアだよ。右肩にバラの刺青のある、色白の、すげえいい女」


「ソフィア……バラの刺青……」


「なんだ? まさか昔の女だってんじゃないだろうな、アンソニー?」


「黙れ」



 ちゃかすティンプリーミをにらみつける。


 ほどなくして、アンソニーは大きな身体をのそりと返し、みなに背中を向けて料理を作り始めた。その後ろ姿にティンプが声をかける前に、タオルを頭に巻いて腕まくりをしたバズーが、大声を張り上げる。



「さぁさ、申し訳ない。皆さんに、ビールを一杯づつおごります。今のぁ忘れて、楽しく呑みましょうや。今日は子羊のいいのが入りましたぜ。骨付きのあぶり焼きなんて、いかがですか?」



 その声で、我に返ったみなは、それぞれのテーブルで、嬌声を上げ始めた。



 無論、アンソニーのコトが気にならないわけじゃない。


 だが、ヒトには誰だって、触れられたくない話がある。


 すねに傷持ち、忘れたい過去を持つ彼らは、だからこそ、ここはアンソニーをそっとしておくのが一番いいと考えたのだ。 荒っぽいが、しかし、暖かい心を持った連中なのである。


 いつもなら明け方まで騒ぐはずの彼らは、今晩に限っては、そんな気持ちも手伝ったのだろう。


 夜中を回るころには、次々と腰を上げ始め。


 やがて店の中には、ティンプとバズー、アンソニーの三人だけになった。



「バズー、今日はもう、誰も来ないだろう。上がってくれ」



 一瞬、何事か声をかけようとしたバズーは、黙ったままうなずいて奥の部屋に引っ込んだ。


 アンソニーはバーボンのボトルをつかんでカウンターから出てくると、ロックグラスを二つカウンターにおいて、ティンプリーミに声をかけた。



「ティンプ。どうせまだ呑むんだろ? 付き合えよ」


「ああ」



 アンソニーが黙り込んで以降、みなが騒ぐ中、呑むのをやめていたティンプリーミは、うなずいて近寄ると、どっかりとスツールに腰掛けた。スツールの上であぐらをかく、いつものスタイルだ。


 アンソニーは黙ったまま、大き目の氷を放り込んだロックグラスに、ドボドボと50度もあるバーボンを注ぎ込む。


 グラス半分ほど満たされたそれを、横からティンプが掻っ攫い。


 グラスも合わせずに、ごぶりとる。


 一方、アンソニーの方は、アイスペールに溶け出した水をチェイサー代わりに、ちびちびとグラスを傾ける。



 男たちは二人、そうしてそのまましばらくの間、黙って飲み続けた。


 やがて。



「で? なんなんだ? そのソフィアって女は。昔の女か?」


「まあ、そんなところだ。ワイルドライド・ソフィア。聞いたことねえか?」



 問われてしばらく首をひねったティンプは、やがて、ああとうなずく。



「あれか。ものすげえカスタムしたハーレィ・ディビッドソンで、ブラックエンジェルズを狩り続けた、凄腕の賞金稼ぎ……だったか」


「そう、当時、最凶最悪と言われたチームを、女の身たった一人で狩り続け、ついに壊滅まで追い込んだ、今のおめーと同じくらい悪名高かった女だよ」


「ぬかせ。俺のは言いがかりと、誤解だ。こんな品行方正な……」


「彼女は、俺と暮らしていたんだ」



 ティンプのつまらないジョークを無視して、アンソニーは話し続ける。



「いくら凄腕だって、50人からいる荒くれを相手に、戦い続けるのは難しい。それで俺が情報収集と処理、作戦と後片付けを手伝っていたんだ」


「へえ、まあ、おめーらしいっちゃ、おめーらしいな。で?」


「で、もなにも、それで終わりさ。ブラックエンジェルズが壊滅したら、それきり姿を消しちまった。残った俺は、そのままじゃやつらの報復があるんで、逃げ出してこの町に流れ着いたんだ」


「はあん。そんなことがあったのか。それで、さっきの男の言ってたソフィアってのは、その女なのか? 肩に刺青がどうとか」


「彼女の肩にもバラの刺青があった。だが、冷静になって考えりゃ、彼女とは限らない。ソフィアなんて名前どこにでもあるし、バラの刺青だってたくさんいるんだからな。昔のことを思い出して、ちっと感傷的になっただけさ」



 自嘲気味に笑うアンソニーに、しかし、納得行かない顔で、ティンプが食って掛かる。



「なに、カッコつけてんだよ。あんな大声出しやがって。今でもその女に惚れてるんだろう?」


「やめてくれ、ティンプ」


「いやだね。バカだバカだとは思っていたが、ここまでバカだとは思わなかったぜ。惚れた女がすぐ手の届くところにいるってのに、黙って下向いて酒飲んでる? それが男のやることか?」


「黙れって言ってるだろう! その女が、彼女とは限らないじゃないか! いや、あいつが娼婦になんて、なってるわけがない。人一倍自尊心が強かったんだからな」



 アンソニーの思わぬ強い反発に、元来、気が短いティンプリーミも、声を荒げて叫び返す。



「何年もたちゃ、人は変わるだろうが!」


「くどい! どっちにしろ、もう終わったことなんだ!」


「あーもーめんどくせえな。だったら、その店に行ってみりゃあいいじゃねぇか。それともなにか? たとえ昔は惚れてて、いや、今でも惚れていても、娼婦なんぞに成り下がった女は、うす汚くて抱けねえってか?」



 刹那。


 がたりと立ち上がったアンソニーが、腰のホルスターから銃を抜いて、ティンプリーミの頭に向ける。


 同時に、いや、それより一瞬早く、ティンプリーミの銃も、アンソニーの額を狙っていた。


 銃を向けたままアンソニーはまっすぐに、ティンプリーミは横目で、お互いにらみ合う。


 アンソニーは立ったまま銃を構え、ティンプは座って、左手にグラスを持ったまま。



「アンソニー、撃たせるなよ?」



 ティンプが低い声で言う。


 が、しかし、アンソニーは一歩もひかない。厳しい瞳でティンプリーミをにらみつけたまま、銃を構え続けている。もっともその銃口は、少し、小刻みに震えていた。


 対して、横を向いたまま銃だけを向けるティンプの銃口は、まったく、微動だにしない。


 そのまま、時間が凍りつく。


 やがて、ティンプリーミが薄く笑って、銃をおろした。



「悪かった、アンソニー。そこまで惚れた女だとは思わなかったんだ。おめーの女を侮辱して、すまなかったよ。許してくれ」



 アンソニーは大きくため息を吐くと、ゆっくりと銃をおろした。



「しかし、確かめてみなくちゃな?」



 今度はひどく真剣な顔で、ティンプリーミが言う。が、アンソニーは首を横に振った。ひどく寂しげに。打ちのめされたように。



「いや、いいんだ。昔の女だって言っただろう? 俺がどうこう言えることじゃない」


「何言ってやがる。昔がどうとかじゃねえ。今、おめーはその女が好きなんだろう? だったら、口出す権利は充分じゃねえか。いいな? 明日の晩にでも、行ってみようぜ?」



 勝手に決めてにやりと笑ったティンプリーミに、アンソニーは苦笑を返すしかない。


 ティンプはグラスを干して立ち上がると、奥のテーブルの下から寝袋を出して、さっさともぐりこんでしまう。それから、寝袋から顔だけ出した間抜けな格好のまま、もう一度アンソニーに声をかけた。



「第一、その女が、本当におめーのソフィアかどうかだって、はっきりしねえんだからよ」


「ふん、おめーらしい勝手な理屈だな」



 そう言いながらも、大男は薄く笑った。



 

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