Dr.シンカイの発案
6年くらい前に遊びで書いた短編です。
ある時から、世界に人類の天敵が現れた。彼等はどこからともなくやって来て、何の躊躇も見せずに人間を次々と殺害していった。
彼等は別に捕食するために人間を襲っているわけではない。
ただ、殺すのだ。
彼等はこの地球のどの動植物にも属さない特徴的な外見をしていた。しかしそれは、人類が太古から夢想してきた怪獣や幻獣を彷彿とさせる姿でもあった。
一部の宗教家は、彼らは人類の太古からの空想や妄想がついに具現化してこの世に誕生した奇跡の生物だと言ったが、それらは単なる虚言として、世間からは全く相手にされなかった。
一部の芸術家は、彼らは遥か彼方の宇宙からはるばる地球侵略の為にやってきた宇宙生物だと言ったが、それらは単に芸術家達が自らの創作感性をビビビッと自発的に刺激する為に吹聴する独り言のようなものとして、やはり世間からは全く相手にされなかった。
一部の政治家は、これは神が人類に与えた天罰だと言ったが、それらは単なる政治的パフォーマンスとしか見えず、かつ取材陣が「あなたの子供が彼等の犠牲になったとしても同じ事が言えますか?」と尤もな質問を投げ掛けた途端、急に機嫌を損ねてプイッとそっぽを向いて立ち去ってしまったので、やはりこれも世間からは全く相手にされなかった。
人類は、只々天敵の生態を調査し、死体を解剖し、科学的に彼らが何者なのかを解明しようと躍起だった。そして警察隊や軍隊による武力抵抗に必死だった。
民間人の一部は、自分の身は自分で守ると言わんばかりに、自警団を作り、国家的な所とは全く関係なく彼等に対抗した。
しかし、彼等の戦闘能力は人類の想定をはるかに超越しており、ほとんどの人はその凶刃に怯えて暮らしていた。
彼等はいつしか、シングと呼ばれるようになった。
名称を付けることで、正体不明の彼等について少しでも理解した気になり、恐怖を和らげようとしたものだが、正直言ってそれは何の効果も発揮しなかった。
このように世の中が騒然とし、混沌としているさなか、ここヒトツ山にぽつんと立つ研究所に籠って日々研究に没頭している一人の天才、Dr.シンカイだけは、ある発想をして一人浮き足立っていた。
それとはつまり、スーパーヒーローのプロデュースである。
シングにただ恐怖するのでなく、対等以上の戦闘能力を持ったヒーローを作り出し、人類生存の為に戦わせるのだ。
人間はいつだって希望に縋ろうとする。それも多くは自分の力ではなく、他者によって問題が解決することを望んでいる。
ならば、博士自らヒーローをプロデュースし、報酬と引き換えにシング出現場所に派遣する事業を行えば大繁盛間違いなし。Dr.シンカイはもはや有頂天だった。
そう、博士は類稀なる頭脳と発想力を持ち合わせているが、一番の関心事は世の中の真理の解明や研究結果ではなく、ごく単純な金儲けなのである。研究に没頭することはあっても、決して研究そのものに夢中になっているのではなく、あくまでもその先にある対価としての豊潤なる報酬に夢中なのだ。
金への執着は人一倍どころか人百倍ともいうべきで、このような世の中でありながら尚も金に執着し続けるその根性は見上げたものである。
ヒーロープロデュースを思い付いてからのDr.シンカイは、ヒーローが着ることになる戦闘スーツの開発に日々を費やした。
人間の身体を守りながら、かつシングと互角以上に戦える戦闘能力を与えること。
ハードルは高いが、脳内の開発スイッチがONになった時の博士にとっては決して不可能なことではなかった。
そして、彼はついに戦闘スーツを完成した。
しかもそれは単に着るのではなく、ボタン一つで自動装着出来るという、これまた前代未聞の機能を作り出すことに成功した。この機能だけでも、特許を取得し、世間に公表すれば巨万の富を得られるであろう。
Dr.シンカイは自らの才能に改めて惚れた。私ほどの天才はこの世に、過去にも現在にも未来においても存在しない、と信じてやまなかった。
残る問題は、一体誰がこのスーツを着てシングと戦うかである。
現在の所、スーツは一着。時間さえあればあと何着か生産することは可能だが、まずは一着で充分だ。
なぜならヒーローは一人でいいからだ。一人しかいないからこそ、世間の人間はよりヒーローの存在を渇望し、依頼が殺到する。
時期を見て、二人目、三人目を投入すればいい。するといずれは、自らがヒーローになりたくて志願する者が出てくる。そうなればこっちのもの。一大ヒーロープロダクションを設立し、ヒーローに志願する者からレッスン料なども徴収できる。
とはいえ、まずは一人目だ。
どうしたものか。
正直、スーツの開発と自らのアイデアに対する恍惚状態に夢中で、誰に着せるかについては全く考えていなかった。
まぁ無理もないのだ。なぜならヒーローに選んだ人間にだって少なからず給料を払わねばならず、金儲けが好きな博士にしてみればそれはとても考えていて楽しい物とは言えないのだから。
だからといって、この計画を頓挫させたら、そっちの方が愚の骨頂である。
Dr.シンカイはとりあえずヒーローに適任そうな人間をスカウトすることに決め、街に繰り出した。
久しぶりに訪れた街は、シングの進撃により所々が廃墟のように破壊されていた。数年前までの、科学の最先端を感じさせながら生活感は全く感じさせない、あの整理された街並みとはほど遠い有様だ。
しかし博士は、街の荒廃ぶりに胸を痛めたりはしない。むしろ自分の考えたヒーロープロデュース業の成功をより強く確信し、込み上げてくる笑みが抑えられないくらいだった。
少し歩いていると、近くの破壊されたビルの一階部分から幾人かの男達が飛び出してきて、あっという間に取り囲まれた。
男たちは皆、身長が180~190cmはありそうな巨体で、大木のようにごつい腕が汚れたタンクトップから覗いている。頭には揃ってニット帽を被っているが顔は剥き出しなので、それぞれの人相がよく観察できた。
この男達なら……。Dr.シンカイはヒーロー候補の選択肢として、このマッチョの男子達の可能性を考え始める。
男達は「金目の物か、食べる物をよこせ」と迫っている。
博士の身なりは白衣とはいえ、この荒れたご時世においてはかなり清潔であり、シングの襲撃から難を逃れて何一つ不自由のない暮らしを送れているということがありありと発揮されているのだから、こんな脅しを受けても文句は言えない。
しかし博士の耳にこの男達の言葉は聞こえていない。彼の頭の中にあるのは、この中の誰かがヒーローになった場合のシミュレーションのみである。
顎に手をやり、ふむふむと考えてみた。
そして結論は出た。
この男達では駄目だ。
理由は一つ。ルックスだ。
なにより重要なのは、闘争心やパワーではない。闘争心剥き出しではヒーローというより、チンピラであるし、パワーに至ってはどのちみちあのスーツが与えてくれるのだから、装着者にはあってもなくてもさほど違いはない。
大事なのは外見なのだ。
誠実で、真面目そうで、スーツの力を決して悪用しなさそうに見える人間。そして、顔立ちは整った、俗な言い方をすればイケメンが相応しい。
なぜならば、助けを最も必要とするのは力の弱い女性や、幼い子を持つ母親の可能性が高いからだ。ならばイケメンの方が彼女らは安心するし、何より、また助けを依頼しようと思い易いはずだからだ。
イケメンというのは有利である。年寄りだって、強面よりは整った優男の方が、パッと見では安心しやすいだろう。別に世間話をするために派遣するわけではないのだから、中身なんてものは二の次だ。
第一条件は、イケメンである。
しかし、一口にイケメンといっても、Dr.シンカイにはその判断基準が分からない。
一応、世の中が荒れる以前に活躍していた男性アイドルや俳優の写真をコンピュータで調べてはおいたので、それを基準に判定するつもりではあるが、いまひとつ彼にはイケメンというものがわからない。
そんな博士から見ても落第なのだから、この男達はもはや論外である。
念のため、外見よりも強さ重視という選択肢も考えているにはいたのだが、こうして目の前にしてみると、やはりこいつらではヒーローにはなれないと確信した。
博士が何もリアクションを見せないものだから、男達のリーダーと思しき男が「おい聞いてんのか」とさらに声を荒げた。頭の中で査定を終えた博士は、そこで初めて男の声を聞いた気分だった。
声もデカく、耳障りだ。声が大きいこと自体はヒーローとして悪くはない。ハキハキハッキリ喋る明朗快活な男は好感度も高くなろう。しかしこの男達は声がデカいだけで、こちら側を安心させる要素が何も無い。
リーダー格の男は、Dr.シンカイが無視を決め込んでいる事に業を煮やし飛び掛かってきた。しかし博士は落ち着いたもので避けようともしない。
それもそのはず、Dr.シンカイの着ている白衣は触ったものが感電するスタンガンコートなのだ。
彼が第二ボタンに模してあるスイッチを押すと、たちまち白衣には通電機能が入り、着ている博士自体には何の電流も流さないが、外から触ったものにはビリビリと電撃を発するのである。これも発明品の一つである。
リーダー格の男はたちまち電撃に髪の毛をビンビンと逆立て、目を見開いて、そのまま数メートル吹っ飛んでいった。どうやら気を失ったようだ。
Dr.シンカイは初めて使用したこのスタンガンコートの威力に、我ながら感心した。
取り巻きの男達は何が起こったのかもわからずにオロオロとしているが、次はお前達か、と博士がハッタリをかけると、蜘蛛の子を散らすようにバタバタと逃げていった。
Dr.シンカイは落胆しつつも、めげずに次の候補者を探しに歩く。
しばらく行くと、奇妙な空間を目撃した。
かつては公園だった場所の、かつては子供の遊具だったジャングルジムに、複数の女が砂糖に集まる蟻のように群がっている。
何事かと思って眺めてみると、すぐに状況が理解できた。ジャングルジムのてっぺんに絵に描いたような色男がいるのだ。女たちはさしずめ、この男の親衛隊といったところか。
博士は、こいつだ、と思った。この男なら、見た目だけで世の女共の支持を得ることが出来る。
Dr.シンカイはさっそく男に近づいていった。女たちはあからさまに怪訝な目を向けてきたが、無視をして話しかけた。
ヒーローになってみないか、と。
男の反応は上々だった。この男自身、英雄になればさらにモテるだろうと踏んだようだ。
しかし博士が、この仕事は命がけになると説明した瞬間、男の興味は急激に失われた。Dr.シンカイは焦った。
多額の報酬を払ってやってもいいと提案もした。苦肉の策だ。しかしそれでも反応は悪い。というより、既に完全に興味を失っている。
そうなると、周りの女がさっさとどこかに行けとうるさくなるものだから、博士はやむなくこの色男を諦めた。
しかし、これで博士は学んだ。
イケメンであれば解決というわけでもないのだ。
イケメンであり、且つ自分の命を捨てる覚悟もある者。
しかしそんな男が存在するのか?
家族のいる者を選ぼうかとも思った。しかしそうなると今度は家族を守る事を優先し、ヒーロー派遣業自体が上手くいかない可能性もある。
かといって、いくら世界の為と言う大義名分があろうと、他人のために自らの命を進んで差し出す愚か者など存在しないように思えた。
どうしたものか。思いがけない障壁にぶち当たり、博士は頭脳をフル回転させた。
そして、そうか、と閃いた。
イケメンだが、金や食糧に恵まれていない者を探せばいいのだ。公園の色男は少し話したところでは、群がる女共が日替わりで食料を調達しているようだった。
現状に満たされている人間が命をかける訳がない。
だから、そういう生活をしていないもの。つまり、このヒーロー業による報酬に頼らざるを得ない者を探せばいいのではないか。
結局、人間は自分が生きる為にはハイリスクな選択でもせずにはいられない。
そこを突けばいい。
またしばらく歩いていると、街の掲示板に貼ってあるポスターが目に入った。それは破れかかっいるが、何が写っているのかはしっかりと確認できる。
若手の男性政治家だ。
選挙用のポスターである。勿論、選挙自体はとうの昔に終わっており、これはシング襲来の混乱によって剥がし忘れたものであろう。
といっても、この国は決してアナーキーではなく、まだ国は国家として機能しているし、政治家だってちゃんと存在する。
Dr.シンカイはポスターを見ながら思考を始めた。
写っているこの政治家は、シング襲撃が始まった当初に「これは天罰だ」と何とも他人事な発言をして世間から大バッシングを受けたベテラン政治家の息子だ。
父の発言の悪印象の煽りを受けて、この男の支持率も一気に下降していき、選挙結果は散々だった記憶がある。
しかし博士は当然そんな事には興味もない。ただ、あることを閃いて興奮している。
この若手政治家は、出てきたころはその端正な顔立ちと涼しげな声質と喋り方から、爽やかなスポーツマン系政治家として世間を若干賑わした。
最近はめっきり話題も耳にしなくなったが、といっても博士は俗世間の話題にはもともと疎いのだが、この政治家こそ逸材なのではないか。そう考えた。
顔立ちOK。名誉への執着OK。一度どん底に堕ち、再起を懸けているのもおそらく間違いない。となれば、世の為、人の為、という大義名分のあるヒーロー業には涎を垂らしながら飛びつくのではないか。
Dr.シンカイはさっそくこの政治家にアポを取ってみることにした。
その昔、発明品の提供をしたコネを伝い、ポスターに写っていた若手政治家、モトムラと一対一での面会を取り付けたのだ。
そこは高層ビルの最上階にある金持ち専用のレストランの一室だった。このビルがある街には政治家や一流企業の社長が住んでおり、軍による厳重警備が敷かれている。その為、シングによる被害はほとんど無い状態だ。
モトムラもこの街に在住している所を見ると、まだ経済的には余裕があるようで、博士は思惑が外れる可能性を危惧した。
しかしモトムラは博士の話を聞くと、徐々に身を乗り出し、この仕事をすれば国民からの支持も信頼もうなぎ上りになることは想像に難くない、という殺し文句を聞いた瞬間、ヒーローになることを二つ返事で引き受けた。
なんだかんだ言っても、現状では政治家としての未来が先細りになり、やがてはこの街を出なくてはならないことを感じ取っており、絶え間ない恐怖と戦っていたのだろう。
かくして、ヒーローは決まった。
その後は、スーツをモトムラの体格に合うように微調整し、スーツを使いこなす訓練を約三ヶ月間施した。日の当たらない訓練の日々にもモトムラは一切文句を言わなかった。
はたから見れば、けなげな努力家に見えるだろうが、その真意はこの先に自らの名誉と輝かしい政治家としての日々、そして何より歴史に自分の名が残るのならばこの程度の訓練は屁でもないという、けなげな政治家としての野心があるのみだったのは言うまでもない。
しかしそれこそがDr.シンカイの求めていた資質であリ、モトムラは理想通りの成果を上げて見事スーツを使いこなすレベルにまで達した。
ヒーロー=モトムラのデビューは華々しかった。
とある教会に国民を招いて行われた、政府主催の『人類平和会議』という、対シング政策の説明会が舞台だった。説明会と言っても、蓋を開けてみればそれは、政府高官がそれらしいことを適当に述べ、国民の不安や不満を表面上だけ宥めるというものだった。
しかし、その会場をシングが襲撃したのである。
Dr.シンカイは端からデビュー戦の舞台については緻密な計算のもとに計画していた。
その為、このような大舞台となりえる会合などは逐一チェックしており、会合場所の近くに毎度モトムラを待機させていた。
しかしシングの襲撃は無く、何度も不発に終わった。これにはさすがにモトムラも不満を漏らした。無理もない、自分の花道への第一歩が中々踏み出せないのだから。
しかし、『人類平和会議』にて、ついにその時は訪れたのだ。
Dr.シンカイは現場に仕掛けた隠しカメラの映像でシングの襲撃を知ると、すぐさま現場近くにいるモトムラに連絡を入れ、出撃を命じた。
モトムラは三ヶ月間の訓練の成果を見事に発揮した。
スーツを装着すると、教会のステンドグラスをド派手に割ってオルガンの上に降り立ち、目を丸くする参加者や、かつて手のひら返しで自分を見捨てた同業者達の驚き顔を背に、次々とシングを撃退していったのだ。
その時間はモトムラにとって、人生で最も充実した時間だったという。シングを一体一体倒すごとに、背後で丸まっている同業の無能な政治家や、偉そうなだけだった高官を馬鹿にしている気分になって、それがなにより快感だった。
『人類平和会議』での一件は世間に衝撃を与え、すぐさま国中で話題になった。
Dr.シンカイは最適な頃合いを見計らって表に出ていき、会見を開いた。
「今後はシングに怯える必要はありません。私の生み出した戦闘スーツと、それを纏った真の英雄たるMr.モトムラがシングを退治してくれるからです。
これからは皆さんはモトムラの事をこう呼ぶべきでしょう。
ヒーロー、と。
愛称が必要ならば、彼の事は"アンシング"と呼んでください」
こうして、人類に与えられた唯一の希望はアンシングという名前で呼ばれることになった。
アンシングの強さは申し分なく、次々とシングを倒し、被害を減らし、博士のもとには依頼が殺到した。
Dr.シンカイはウハウハだった。目論見が見事にはまり、懐は潤う一方。モトムラにそれなりの報酬を払ってもまだ十分すぎるほどの儲けが出た。
モトムラ自身の政治家としての支持率もロケットのように上昇していった。
全ては順調に進み、人類が抱くシングへの恐怖はこれまでよりも70%減少したという情報すら入ってきた。
Dr.シンカイは、全世界科学サークルによって与えられる『世界平和賞』をぶっちぎりの支持で受賞した。
しかしそれは別段金となるわけでもないので、博士には結構どうでもよかった。
モトムラのもとへは、名誉と強さに惹かれた中身のない女達が寄ってたかって誘惑しに訪れた。
モトムラは巧妙だった。一見すると誠実なイメージを壊さないために誘惑を断っているものの、それなりにあえて隙は作っており、自分からではなく女性側から襲わせるような構図を毎回見事に作り、次々とスタイルの良い女や、顔の綺麗な女を抱いて、抱いて、抱きまくった。
そんな情報は一切表には出回らなかった。たとえ出回ったとしても、世間からのモトムラへの信頼は既に揺るがぬものであり、いくら女を手当たり次第抱いていようとも、あれだけのリスクを負って国民の為に戦ってくれているのだから仕方ないよね、という風潮になるだけで、最早モトムラ、即ちアンシングの支持率が下がることはありえないだろう。
そう、世界は再び希望を取り戻し、活気を取り戻し、明るさを取り戻し、人類の未来は再び拓かれ始めたのである。
次作『Dr.シンカイの誤算』に続く