第7話 口蜜腹剣な上司
「口蜜腹剣」とは心地よい言葉をかけながら、心の中には悪意が満ちていること。「口蜜」は甘い言葉、丁寧な言葉のこと。「腹剣」は腹の中に剣があるという意味から、心に悪意があることのたとえ。一見丁寧で親切に見えるが邪な心を持っている人のことをいう。中国の唐の時代の宰相、李林甫の計算高い狡賢さを評しこのように言われた。
出典は「新唐書」の李林甫伝より。
不運な運ちゃんAの祈りが聞き届けられたのか、救いの手が差し伸べられようとしていた。
「課長補佐代理……」
若いイケメンロンゲの男が寄ってきて、課長補佐代理に話しかける。
「課長補佐! お疲れ様です」
課長補佐代理はイケメンに頭を下げた。
「ふたなりオプションの適用は中止だ。本気で嫌がってるじゃないか」
「は? ……はあ、しかし……ホントによろしいので?」
上目遣いに課長補佐代理は問いかける。
「仕方ない」
それから不運な運ちゃんAのほうに振り向き話しかけた。
「転生予定者の方ですね? 課長補佐代理が失礼しました。私、こういうものです」
と名刺を手渡した。受け取った名刺に書かれた肩書きには「天界死役所・転生局転生輪廻部転生支援課・課長補佐」と書かれていた。
「転生するあなたが納得されてない以上、ふたなりを強要するのは間違ってますね。申し訳ない」
とイケメンは不運な運ちゃんAに軽く頭を下げた。
「ただ彼も本気であなたのためを思って勧めていたのです。仕事熱心さゆえ強引に見えたのだとしたらご容赦ください」
爽やかな笑顔で続けた。
「あの、本気で嫌なのはふたなりのほうじゃないんですが?」
不運な運ちゃんAは課長補佐に切り出した。
「うん? ふたなりでもよろしいと言うことですか?」
「そうじゃなくて、姫に転生するのが嫌なんです」
「申し訳ないですが、それは決定済みなので、どうにも出来ないのです」
爽やかな笑顔から一変、固い表情になった課長補佐は答えた。
「そこをなんとか!」
「あきらめてください」
にべもなく言われて不運な運ちゃんAは押し黙る。
「課長補佐、局長から1番にお電話です」
眼鏡をかけた美女が話しかけてきた。本編読者にはおなじみのアラサービッチである。
「そうか」
「課長補佐、今度お食事でもご一緒させていただけません?」
アラサー女子は課長補佐にしなを作りながら問いかける。
「俺は年上には興味がない」
にべもなく撥ね付けると課長補佐はその場を離れていった。
課長補佐代理は一言
「口蜜腹剣めが!」
と吐き捨てると、近くにあった家電の扉を開けた。中にはビール瓶らしきものがたくさん入っていた。633ml入りの大瓶と言うやつである。良く冷えたそれを1本取り出すとカウンターの上に置き……
「セヤ~ッ!!」
掛け声とともに右手をビール瓶に向けて振るった。
「スパーン」
とビール瓶の上部の細い首と呼ばれる部分が断ち切られた。それを手で掴んでラッパ飲みする課長補佐代理。
「ゴキュゴキュゴキュ……ゲッフ」
空になった瓶を投げ捨てる。数メートル先にある「ビン専用」と書かれたゴミ箱にピンポイントで入った。碌に狙いもつけずに投げているように見えるのに。課長補佐代理は投げた空き瓶の行方を気にも止めずに、2本目に手をかけた。全く同じ光景が繰り返される。
「課長補佐代理、私にも1本いただけません?」
アラサー女子が課長補佐代理に話しかけると、課長補佐代理は無言で、首を飛ばしたばかりの1本を彼女に差し出した。
彼女も「ゴクン…ゴクン…ゴクン…」とイッキ飲みすると、空瓶の底をカウンターにたたき付けた。
ゴン!と音を立ててひびが入った。ビンではなくカウンターのほうに。凄まじい膂力である。
不運な運ちゃんAはあっけに取られて、その光景をみつめていた。
課長補佐はいわゆるキャリア官僚です