第2話 瓜田李下の精神で
「瓜田李下」とは「瓜田へ靴を納れず、李下へ冠を整さず」からの成語。人から疑われるような行為はするな、という意味です。
転生支援課の窓口にてカウンター越しに担当職員と転生予定者である不運な運ちゃんAの会話は続く。
「ようやくわかっていただけたんですね!?……ええと、どこまで説明しましたっけ……ああ、そうだ! 姫君の死体ですがね、いくら魂を抜いただけとは言え、このまま放置し続けるとゾンビ化しますよ?」
担当者の口から聞き捨てならない台詞が飛び出した。
「……ゾンビ? ……っつうか魂を抜いたって!?」
「おや? 何を驚いておいでです?」
「魂を抜くって、そんなことをしてもいいのか?」
「これはあなたのためなんです! 姫にはそのために犠牲になっていただくことにしました」
「俺のため!? だからさっきから言ってるだろ!? 誤解なんだよ。なんでわかってくれないんだ!」
「あのですね、これ以上続けても単なる水掛け論になりますよ? ですので不毛な論争はもうやめにしましょう。そしてあなたのためにその肉体を差し出すことになった姫のために二人で祈りましょう」
担当職員がデジタル音楽プレイヤーのスイッチを入れると賛美歌が流れた。
「さあ、あなたも手を合わせて! 祈りましょう! アーメン!」
二人して祈りを捧げたあと、おもむろに不運な運ちゃんAは担当者に切り出した。
「……えっと? 天界ってキリスト教と関係があるの?」
「おや? なぜそう思われます?」
「だって、さっきの賛美歌とかお祈りの言葉とか……」
「この世界はあまねく下界のあらゆる宗教とは一切無縁なのです! さっきのはそれっぽい雰囲気を出すための演出ですよ、演出。細かいことは言いっこなし」
「…………」
「どうしました? 鳩が豆鉄砲を喰らったような顔をなさってますが?」
「いや、……やっぱりいい」
「賢明な判断です。余計な詮索はしないように! いいですね?」
「わかった。なんとなく釈然としないけど。……たださ?」
「おや、何です?」
「魂を抜くってひょっとしてかなり危ない橋じゃないの? 犯罪のニオイすらするんだけど……」
「その通りです。司法官にバレたら私もタダではすみません!」
司法官とは司法省直属の処刑執行人のことで、全身サイボーグ化されている。重大犯罪を疑われた場合、状況証拠さえあれば「悪・即・斬」、身体から魂だけを抜き取られて”涅槃”と名づけられた異世界に魂だけ飛ばされることになる。涅槃に送り込まれた犯罪者の魂は転生が許可されるまでその地に留め置かれる。
「司法官って?」
「あなたでも理解しやすいように説明するとですね、重大犯罪行為を犯した犯人と認定した相手を、問答無用で涅槃送りにする危ない連中です」
「問答無用って、冤罪だったらどうするんだ?」
「冤罪であることがはっきりわかった場合のみ、わが転生支援課の手によって転生できるのですよ」
「冤罪かどうかは誰が決めるんだ?」
「ここだけの話しですが」そう言いつつ担当者は不運な運ちゃんAにささやくように続けてこう言った。「昔から言うでしょ? 地獄の沙汰も金次第って。大金を積めば大丈夫です。ちなみに私も過去2回、司法官の手で涅槃送りにされましたが、転生によりこうして無事に帰って来れたんです」
「こんなこと訊いてもいいかどうかわからないけどさ……何をしたの?」
「今回と同じです。転生者のために転生させる身体を用意するために転生対象の魂を抜きました。普段はそうそうはバレないんですが、たまたま司法官が潜入捜査してる時にやっちゃいました。」
担当職員は悪びれもせずに言ったのだった。
「そんなことを転生予定者が来るたびにやってるのか?」
「もちろん毎回ではありませんよ。あなたのようなケース限定です。とりま、魂を抜いた姫も今のところ心臓は動いてますし息もしてますが、放置したままだとゾンビ化します」
「ゾンビ化っていったい?」
「あなた、さっきから質問ばかりですね? たまにはご自分で考えてみたらいかがですか?」
「想像すら出来ないから訊いてるんだろ?」
「しょうがないですね、だったら教えて差し上げますが、魂を失っても肉体はすぐには死なずにいます。やがて呼吸が停止し心臓も止まります。ただ、心臓が止まっただけでは真の死亡とは見なされません。しかし脳への血流が止まった結果、脳が完全に死ぬと、その後転生先として魂を宿らせても知的行動を全く取れなくなります。これがゾンビ化でして、ゾンビ化した肉体とともに最終的には聖職者の手によって滅ぼされます。その場合は二度と転生出来ずに完全に消滅します。酷家公務員や険庁職員のあまりの腐敗ぶりに、司法官の一部が実際にゾンビ化した転生用の肉体をあらかじめ用意しておいて、涅槃送りではなく直接ゾンビ化した肉体に魂を送り込んで始末してるなんて噂もあります。我が死役所も瓜田李下の精神で行きませんとね」
「瓜田李下って、人から疑われるような行為をするなって言う意味だっけ?」
「その通り! 良くご存知ですね」担当者は驚愕の表情を浮かべた。
「まあ、一応……」
『ここの部署って実はとってもヤバイんじゃ……?』不運な運ちゃんAはひとりごちた。