姉と弟
侍女に連れられたシルフィーナは、直ぐ様自分の部屋へと連れていかれた。
中に入ると、顔色の悪いエレインとお母様が座っていた。
すでに賊が入り込んだことは屋敷中に広まっているようだ。
「シルフィーナ、怪我は?」
「平気ですわ、お母様。ただ無理に魔力を解放したので、腕が少し…」
「お見せ下さい、御嬢様」
アルフレッドの上着を掴んでいた手を、エレインが素早く外す。
「あ…」
するりと肩から落ちたアルフレッドの上着が、その下のドレスの状況を二人に見せてしまう。
そしてそれを目の当たりにしてしまったエレインは一瞬動きを止める。
「…魔力を解放したときに、ドレスが破けてしまっただけよ」
一見して乱暴をされたような姿だが、けしてそのようなことはなかったと言外に伝えるとエレインはそっと息を吐き出した。
言葉の通り、ドレスの破れ方が刃物で切り裂かれたようなだけで、乱されたものではないと確認できたようだ。
「…とりあえず、腕の怪我の治療を優先いたしましょう」
エレインはシルフィーナを椅子に座らせ、その肩にガウンを羽織らせる。
そっと捕まれた腕には、風の刃によって付けられた細かい傷が少しだけある。
エレインはその傷に治療魔法を施す。
治療師を呼ぶほどの傷ではないので、それで治療は終わりだ。
「…お着替えを」
「ええ…」
エレインに言われ、思わずため息を吐く。
下着まで破けてしまっているため、一度全てを脱がなければいけない。
さすがに下着はいつも自分で着けているが、今のこの状況からして一人にさせてもらえないかもしれない。
さすがに女性同士とはいえ恥ずかしい。
「…私は旦那様に報告をして参ります。お着替えの準備ができましたら、外の侍女をお呼び下さい」
「え?あ、ええ…わかったわ、ありがとう、エレイン」
表情に出ていたのか、エレインはお母様を連れて部屋の外へと出ていってしまった。
もちろん、部屋の外には他の侍女と護衛がいるようだが、肩から力が抜ける。
一から十まで人任せになるのは、やはり肩が凝るのだ。
「エレインはほんと、空気の読める侍女で助かる…」
思わずポツリと呟いて、シルフィーナはドレスを脱ぎ捨てた。
下着を着け直し、ロングキャミソールを上から着たところで、部屋のドアがノックされた。
エレインが帰って来たのだろうか。
シルフィーナは上からガウンを羽織り入室の許可を出す。
しかし、入ってきたのは予想外の人物で。
「…アルフレッド…」
「シルフィーナ…着替えは?」
気まずそうに顔を反らした弟に、シルフィーナはガウンの前を閉じ、苦笑いを浮かべる。
「今エレインがお父様のところに行っているから」
「そうでしたか…では出直します」
直ぐに踵を返すアルフレッドを、シルフィーナは思わず呼び止める。
「待ってアルフレッド。何か話があったのでしょう?」
「……また後で来ます」
「“貴方が”来るほどの用なら、急ぎなのではないの?」
いつものアルフレッドならば、従者に伝言を頼むかこちらから来るように連絡するか。
自分から来る時でも、必ず事前に連絡を入れる。
だからこそ、彼が来るなんて予想できなかったのだ。
「……怪我は」
「え?…ああ。平気よ」
ガウンの下から手を出しアルフレッドに見せる。
エレインの治療のお陰でかすり傷一つ残っていない。
「……あなたは、分かっていない…」
「アルフレッド?」
見せた腕を、アルフレッドが掴む。
痛いほど強く掴むその手は、自分よりも大きく無骨で。
毎日のように剣を握り稽古をしている掌は堅い。
(いつの間に、こんなに差がついてしまったのだろう)
小さい頃は、自分の後ろをちょこちょこ着いてくるような子だったのに。
「どんなに強力な魔法が使えても、魔導具や詠唱がなければなにもできない、ただの無力な女だ」
「っ…痛いわ、アルフレッド」
握る手の力が強まり思わず声をあげるが、アルフレッドは離すどころか更に掌に力を込める。
「あんな賊すら散らす事も出来ずに、極北に行くって?あんたの我が儘もいい加減にしろ。王都でただぬくぬく育っただけのお嬢様が…あんたはこれからもここで、ただ何も知らない公爵令嬢として笑っていればいいんだ」
お父様の言うように、人形としてあれと。
貴族の階級を揺るぎないものとするための礎として、何も考えずただ傀儡として微笑んでいろと、アルフレッドは言う。
公爵家の名を汚すような行為をする私はこの鳥籠に永遠に囚われて生きろと。
けれど、でも、シルフィーナにはどうしても、この目の前の弟に怒りは沸かなかった。
(だって、アルフレッドはこんなにも、泣きそうなのだから)
眉をしかめて。
それでも悲しそうな目をして、彼は私の腕を掴む。
まるで、置いていかれるのを怖れる子供のように。
「アルフレッド、私はお母様から貴方とちゃんと話すように言われたわ」
「………」
「そうよね。私たち、ここ何年もちゃんと話していなかったわ」
事務的なことで言葉を交わすことはあった。
けれど下らないことで笑い合うことはもう何年もしていない。
「姉弟なのにね」
令嬢として浮かべる困った顔ではなく、私本来の持つ“苦笑い”を浮かべてアルフレッドの頬に捕まれていない方の手をそっと添える。
その手をアルフレッドはただ黙って受け入れてくれたが、その顔はますます歪み泣き出す一歩手前のようで。
「……あんたはいつも…いつだって、勝手で…」
「うん」
「…俺は…ただ、昔みたいに…それだけ、だったのに…」
「優しい時間だったわね」
脳裏に浮かぶのは、私もアルフレッドもまだ“教育”が始まる前の、何も知らない真っ白な笑顔で笑っていた時。
「……名前…」
ポツリと呟かれたその言葉に、あぁ、とシルフィーナは頷いた。
そうか。
そうだった。
きっと、終わらせたのは、私だ。
「『今日から貴方のことはアルフレッドと呼ぶわ』」
「っ…」
「『貴方は私のことをシルフィーナと呼びなさい』…そう私が言ったのよね」
それはお父様から言われたこと。
たとえ実の姉弟でも、その上下関係は明確にしなさいと。
貴族として。
公爵家として。
次期王妃として。
「あなたは…『アル』は私よりも幼かったのに」
当たり前のように与えられる言葉達に、私はそうそうに心を切り離した。
けれどアルは違う。
たとえ一つしか年が違わないとしても、子供の一歳差は大人の十年くらい違うのだ。
「…姉、さん…」
「なぁに、アル?」
姉様、姉様と後をくっついてきた彼を捨てたのは、捨てさせたのは私だ。
本来なら、見えないところで支えてあげるべきだったのに。
姉弟なら、目を瞑ってはいけなかった。
「…ある日から、姉さんが遠くなって…」
「うん」
「でも、ちゃんと、分かっていたから…ダメだって…俺もちゃんと、って…でも…」
「笑えなくなっちゃうよね」
作り物の顔で生きて。
そんなことをしていれば、笑顔を忘れてしまうのもしかたない。
「でも今は私達だけだから」
「っ…姉さんっ…」
手が離れる代わりに、今度はその腕で抱き締められる。
幼い子供がすがるように。
その大きな背に手を回して抱き締め返すと、アルフレッドの体は震えた。
(いえ…私も、震えてるのね…)
本の少しこぼれた涙には互いに知らない振りをして。
しばらくの間、その温もりが離れることはなかった。
ちゃんと侍女なりに確認してから部屋に入ろうよアルフレッド。