目覚め
私、ベルハイム公爵の一人娘、シルフィーナは次期国王となられる予定のリアン様の婚約者だ。
五つの時に婚約を交わし、十年経った今でもそれは変わらずに続いている。
社交界でもそれは周知の事実とされており、私達もそれを当たり前として受け入れていた。
政治でも力を持つベルハイム公爵の娘と王族。
これほど釣り合う身分はないと。
しかしそれは、半年前に崩れ始めた。
貴族の御子息御令嬢が通う王立学園に一人の少女が入学したことによって。
彼女の名前はフローラ・オルコット。
男爵家の令嬢とされてはいるが、実際は養子。
その身に宿す類い希な魔力を見初められ、孤児院から引き取られたのだ。
そんな彼女は、この学園で主たる地位を持つ殿方と過剰な接触をはかっている。
次期宰相候補のエドガー様。
王立騎士団の優良株、キース様。
将来国家魔導師としての活躍を期待されるウィルフ様。
ベルハイム公爵家の一人息子にして私の実の弟、アルフレッド。
そして、私の婚約である第一王位継承者、リアン様。
名だたる貴族であり、将来国を背負う運命にある御子息である彼等には、婚約者がいるものもいる。
それにも関わらず親しくする。
級友という立場を越えた触れ合いに、この学園の生徒たちには不快感を感じる者は多くいる。
たとえ婚約者であろうと、公の場でベタベタとするのはマナー違反だ。
ましてや男爵家の人間など、と高貴な家の人間は考えているのだ。
いくらある程度の無礼講が許される学園であっても、親しき仲にも礼儀あり。
家の格を汚されるような振る舞いをされれば、許されるはずはない。
「…だからって、虐めはダメでしょっ、シルフィーナ…!!」
私、シルフィーナは今現在文字通り頭を抱えてベッドに蹲っている。
「たしかにフローラ様は淑女にあるまじき振る舞いをしていたわ…けれどそれは、まだ貴族社会になれていないため…広い心で接するべき…むしろ、責められるべきは彼女の行為を咎めなかったリアン様達だわ…」
侍女を下がらせたいま、一人ブツブツ呟く私を咎める人間はいない。
「ああぁぁぁぁぁーっ!!なんで、もっと、早く、思い出さなかったのよ、わたしっ!!」
八つ当たりのため枕で布団をボスボス叩く姿は、いつものお嬢様然としたシルフィーナからは想像もできないだろう。
しかし、そうしてしまうのも仕方ない。
「もうすぐ夏の祝祭だから…ぶっちゃけ、完璧に無かったことにはできないよなぁ…」
ベッドに横になり、豪華な天井を見上げ目を閉じる。
頭に浮かぶのは、夢の中で見た過去の記憶だ。
「……けどまさか、乙女ゲームの世界に転生するとはねぇ…」
そう、この世界は私が前世で生きた世界でゲームとして発売されていたものと同じなのだ。
乙女ゲームと言うだけあって、主人公は複数いる攻略相手と恋愛を楽しみ。
上手くいけば結婚もするのだ。
まぁ、ハーレムエンドもあるが、今はあまりそのことは関係ない。
問題は、先に挙げた御子息五人がその攻略相手であり、男爵令嬢のフローラが主人公だということ。
そしてなにより、私、シルフィーナが主人公のライバルとして立ち塞がる悪役令嬢だということだ。
「そして私は、悪役令嬢の名に恥じない虐めをしていた、と…」
そう、記憶が戻る前の私は、まさにゲームの通り主人公に意地悪をしていた。
陰口悪口はもちろん、物を隠したり壊したり、制服を汚し笑い者にしたり、マナーの無さを公衆で注意し恥さらしにしたり…。
幸い、暴力を振るうことは無かったが、たしか物語終盤には取り巻きの令嬢と一緒になって魔法を使い彼女を傷付けようとしたはずだ。
もちろんそこは攻略相手がタイミングよく登場し彼女を助け、シルフィーナはただの当て馬となるだけなのだが。
しかし、今までやってきた行為は、公爵令嬢らしからぬものだ。
将来王妃となる人間として、けしてあってはならないこと。
それをしてしまった今、私の評判はけして良いものではないだろう。
もしかしたら、社交界では既に広まっているのかもしれない。
「あー…頑張ってきたのになぁ………って、そんなことより、このまま話が進んだりなんかしたら、ベルハイム公爵家は没落するじゃん」
バッと体を起こし、慌てて壁に掛けられたカレンダーを見る。
あと一月もすれば夏の祝祭、簡単に言えば王都における長期休暇がやってくるのだ。
物語は既に、三ヶ月は経とうとしている。
この世界は一年が15ヶ月で区切られており、一月は28日となる。
物語の終わりは王立学園の卒業式で、そこで公爵令嬢シルフィーナは今までフローラにしてきた悪事を暴かれ御家は没落してしまうのだ。
まぁ、その時提示されるベルハイム公爵家の悪事とやらは弟のアルフレッドが自らの口で話すのだが、おそらくでっちあげだろう。
幼い頃から王妃となるための勉強をしていた私は、授業の一貫として家の経済状況も学ばされている。
今は家を継ぐ弟が主として家のことを学んでいるが、うちの老執事がこっそり私にも目を通すよう資料を渡している。
それは一重に、何かあった時に私も対応できるようにだ。
「ま、ゲームでは本当に不正してたのかもしれないけど……とにかく、いい結果は生まないわよね…」
今現在では、没落しないという保証はないのだ。
そもそも令嬢として恥ずべき行為をした今、将来はけして明るくはない。
「手を打たなければいけないわね………そうと決まれば…エレイン、少しいいかしら」
「はい、お嬢様、何かご用でしょうか?」
扉を開け、部屋の外に待機していた侍女のエレインに伝言を頼む。
「…旦那様と奥様に、ですか?」
「ええ、至急時間を作って頂きたいの」
「承知いたしましたが、アルフレッド様も御一緒致しますのでしょうか?」
「いいえ、私だけよ。急いで、エレイン。一分一秒も無駄にできないの」
「しょ、承知致しました。ではここを任せる代わりの侍女を…」
「大丈夫。ここは王立学園の女子寮よ?不届き者などそうそう来れないわ。来たとしても、指一本触れさせるつもりはないもの」
貴族の令嬢は、おしとやかに笑っているだけではない。
己の身を守れる最低限の力は持っている。
そうそうやられるような人間はいない。
常に身に付ける宝石類には魔法石を交ぜ、魔法をいつだって発動できるようにしてあるのだ。
それでも渋るエレインをなんとか送り出し、私はまた部屋へと引っ込む。
「さて、早く準備をしてしまわないと」
そう一人呟いて、私はクローゼットの扉を開いた。