黄金の公爵といつかの約束を
「おい、いつまでも寝てんじゃねえ、起きろ!」
頭に重い衝撃を感じた。誰? 僕にこんなことをするのは!
「いったぁい」
目を開けると、男の人がいた。
「誰っ!?」
知らない人。男の人。
「だっれか、誰か! キリガネ、兄様! いないの?!」
その人の着ている黒い服。その人が持っている黒い物。軍服と、ゴツゴツとしたライフル。さらに、その人自身の、イライラとした怒りのオーラが鋭く僕に突き刺さる。
「怖いっ、誰か助けてよお」
ぎゅっと頭を抱えて泣きそうになっていると、男の人がため息を吐いた。
「暗いガキ」
涙が出そうになった。怖い! 怖い!
「シュウ! 悪いな」
「遅いぞ、エディス!」
兄様、兄様だっ。笑いながら兄様がこっちに来る。僕を、助けに!
「兄様っ、僕、怖かった!」
だっと駆け寄る。途中、怖い男の人と目が合った。嫌だ。
「エドワードさん、すみません、怖がらせてしまって。もう大丈夫ですよ」
ぎゅーっと兄様に抱きつく。この落ち着く匂い、温かさ。うん、兄様だ。
「キリガネを呼ばなかったら、僕まで!」
抱き付いて、わあわあ泣く。だって、涙が止まらないんだよ?!
「私が悪かったです。危ない目に合わせてしまい、本当に申し訳ありません」
「本当だよ! もう、しないで!!」
ガガッと地面を削る音が聞こえた。
「うるっせえ、黙れ!」
さっきの、怖い人だ。でも、もう怖くなんかない。兄さんがいる!
「お前、僕を誰だか知らないの?」
「エンパイア公爵の馬鹿息子、エドワードだろ」
「ばっ?!」
緑色の髪をして、同じ色の目で鋭く僕を射る怖い人。
「知ってるのに、そんな態度!? お前こそ、馬鹿じゃないの!?」
でも、そんなのより僕の方が凄いんだ! 偉いんだ!
「僕の父様は軍にもいっぱいお金をあげてやってるんだ。お前なんか軍から追い出してやる!」
そう言うと、ソイツは少し悲しそうな顔をした。
「だったら、追い出してみろよ。俺を」
自嘲するように、怖い人が一度笑った。
「まあ、無理だろうな」
でも、すぐにいやーな顔に戻っちゃう。
「色狂いのくれるはした金程度じゃな」
ふっと、笑った。
「はした金じゃない! 町が一つ買えそうな値段だもん!」
「はした金じゃねえか」
「お前、だったらそのはした金、出せんの!?」
そう言ったら、その怖い人がふきだした。
「そりゃ、出せるだろ」
「嘘つかないでよ!!」
ぎっと手の平に爪をたてて、声を張り上げる。
「嘘じゃない」
兄様を見ても、頷くだけ。面白くない、面白くない!
「俺の名はシュウだ。苗字は、ブラッド」
「ブラッド? ブラッドって、あの!?」
怖い人は苦い顔をした。
「そうだ。だとしたら、お前にも分かるだろ」
「うん……できる。だけど、お前がブラッド家の者だって証拠は?」
「あるぞ」
バチンッと男が軍服の襟の紐をはずす。
「シュウ! 止めろ!」
兄様が、走って行く。僕の隣を抜けて。僕を見ないで。
「だめだ、シュウ」
ぎゅっと兄様が怖い人から紐を奪い取って結び直した。
「これは、そんなに簡単に見せていいものじゃない」
ぽんっと優しく、首の左側を叩いた。
「兄様ぁ……」
「エドワードさん。シュウ――この男は確かにブラッド家の者です。私が保証します」
兄様が遠くから僕を見る。僕よりも、あんな怖い男を守ろうとしている。
「家の、家のお金じゃないか! そんなの自分で出すって、言わない!」
怖い人が、はっと笑った。
「俺は何社、持ってたっけ?」
「覚えきれねーよ。俺に訊くな」
「ってわけだ。うちのグループで、科学系統は全て俺が担当している」
ブラッド家。この国最大の財力を持つ一族。善い仕事も悪い仕事も、金のためなら何でもする、薄汚い成金。財力をちらつかせて軍や貴族のみならず、王族すらを言いなりにさせようとする最低な連中。こう、お父様は教えてくれた。
「お父様の言う通りだ。薄汚い金で全てを動かそうとするんだね、お前らは!」
「またお父様、かよ。ファザコンもいい加減にしとかねーと気色悪いぞ」
兄様、兄様! どうして僕がこんなに酷いこと言われてるのに、何も言ってくれないの? 僕の兄様なのに。僕のためにしてよ、僕をもっと大切にしなよ!
「僕は、僕はっ!」
ぼろぼろと涙が出る。お父様、僕をっ。
「エドワードさん」
そっと誰かが僕を抱きしめる。見ると、兄様だった。兄様は、静かな表情をしていた。
「兄様、僕はいけない子なの?」
「はい」
兄様の腕から逃げようとすると、強く抱きしめられた。
「ですが、これからは私が共にいます」
兄様の顔を見る。その顔は僕のために笑ってくれてなんかいなかった。ただ、この抱擁のように、強いだけだった。
「今は無理でも、いつか。それでいいのですよ」
ふうーっと、誰かがため息をついた。
「とりあえず、状況は分かった」
怖い人が、呆れたように両手をあげる。
「後は全て、やりたいようにしろ。今回のことは俺には関係のないことだ」
「悪いな、シュウ」
ぎゅっと兄様が僕を抱く。
「エディス、忘れるなよ。俺はお前のためなら、犠牲すら惜しまない」
「……ああ。覚えておく」
怖い人は一つ笑って、歩いていく。
「あ、そうだ。事情聴取、お疲れ様!」
ははっと兄様が笑う。……こんな顔も、するんだ」
「エドワード様、お車を用意しました」
ふわりと持ち上げられた。
「キリー!」
確かめないでも、分かる。
「僕、疲れた。早くベッドでふこふこしたいな」
「了解致しました」
そのまま車まで運んでもらう。楽!
「エディスさん」
「はい」
少し狭い車の後部座席に乗せてもらった後、キリガネと兄様の声が聞こえた。
「エドワード様に代わり、お礼を申し上げます」
「いえ、別に。申し訳ありませんでした」
兄様は、一緒に乗らなかった。僕がベッドに横になって、キリガネに頭を撫でてもらっていた頃に、静かな雨の音が聞こえていた。