黄金の公爵と憎悪の約束を
「ねえ、憎いってどういうこと?」
悪魔が人間に化けていた時、僕はそう聞いたことがある。それは、他の人に聞いても教えてくれなかったけど、この人なら答えをくれるんじゃないかと思って。だから僕は声をかけた。
「憎い、ですか」
「うん。どういうことなの? どういう、気持ちなの?」
僕の母親は一年前に死んだ。
母親は僕に似ていた。金の巻き毛と大きな青い目をした人だった。金の巻き毛は綺麗だったけど、目ばっかり大きくてお世辞にも美人だなんて言えない顔。子どもっぽいところのある人で、ころころと笑っては周りをおいて走っていくような人で。きっと人の話を聞いてなかったんだと思う。
僕はあの人の腹を裂いて出てきた。そのわりには可愛い顔をしてるって自分でも思う。顔だって武器になる。可愛い子は特だよね。この顔がいけなかったのか、それともあの人の性格が悪かったのか、僕は嫌われてた。
たしか十歳にはなってなかったと思う。今よりずっと小さかったとき、母親に顔を強く叩かれたことがある。理由は一つだけ。お父様と一緒に寝た。その頃にはもう両手両足を使っても足りないくらいにしてたから、どうして? なんで今更? って思うだけで。でも、今になって考えると、あの人は本気で嫉妬をしてたんだ。自分の息子に。
この淫乱! って、あの人は僕に言った。
女って虚しくて悲しい生き物だね。縋らなくちゃ生きてけないんだ。なんて、弱い人だったんだろう。お父様は貴族で、金を持っていた。だから金で買った女が腐るほどいた。それをずっと見続けていた母親は段々泥にはまっていくようになっていたのだろう。やっと金で買った女の元に通わなくなったと思ってたら、自分の夫が溺れていたのは自分じゃなかった。子ども、それも男の。それが母親を壊す原因になったんだと思う。
母親は会う度に僕の顔を殴った。首を締めて奇声を上げるのを大抵、誰かが止めに来てくれた。そして、引き離される前には必ず僕の肩を強くつかんで母は叫んでいた。
「アンタが憎い!!」
って。
母親なんてもう、どうでもいいものの一つにしか見えなかったから、僕は何を言ってるんだろうってずっと思ってた。ただ、自分がこの哀れな女に憎まれているという事実が分かっただけで、他には何もなかった。
「憎いって言わなくちゃいけないって、どういうこと……?」
エディスさんは立ち上がって、ベッドに座っている僕の隣に座った。それから、
「憎しみと愛はよく似ています」
とだけ言った。
僕が首を傾げたら、もう一度口を開いてくれる。
「どちらも同じ、相手に焦がれる想いです」
その形が逆なだけで、と囁き苦笑する。それから顔を上に向けた。
「殺しても殺しても足りない、殺したくても殺せない。それが憎しみです」
母親は僕を殺したくても殺せなかった。周りに止められるから。そういうことなんだろうか?
「憎いと口に出してしまう人は、底から追い詰められていますね。憎まなくてはいけない自分に対しての憤り、憎まなくてはいけなくなった人に対してのか哀しみ、憎まなくてはいけないことに対しての苦しみに、負け始めています」
あの人は死んだ。一年前に、この屋敷で。自殺だったのか、それとも他殺だったのか。母親は胸にナイフを付けて二階の廊下からロビーに落ちてきた。
「そっか、そう……なんだ」
そっとエディスさんは僕の手を握って、僕を静かに抱きしめてくれて。僕は、その静けさに受け止めてもらっていた。
ゲホゲホと胃に収めさせられたものを吐き出す音が聞こえる。その白いものの背中を殴りつけ、肩を爪がくいこむほどに握り締める。
エディスさんだった、悪魔。僕は、僕は。僕、は――
「アンタが、」
僕は。
「アンタが憎い!!」
あの人の気持ちに、少し近づいたのは僕。他の誰でもない、僕。