黄金の公爵と未遂の約束を
人殺しの手だとは思えない、白くて綺麗な手をとる。中に入ると、ベッドに座らされた。白い毛布を頭から被らされ、ホットミルクを手に。それを飲んでいたら、体がぽかっとしてくる。
そうして隙を作って、悪魔は僕の隣に座ってきた。
「温まったか?」
「一応……」
「なら、行こうか」
カップを手の中からとって、それを持ったまま下に行く。僕は慌てて後ろについていった。一体、どこに行くんだろう。ねえ、どこに行くの? と僕が聞くよりも早く、着いた。厨房だ。
こんな所、入ろうと思ったこともない。なんだか生臭くて汚い。鼻を指でつまんで外に出たらすぐに帰ってきた。水が少し付いている手を見たら分かった。さっきのカップを洗ってたんだ。そっか、僕のことはキリガネがしてくれるけど、悪魔のことは知らないもんね。どうやって生きてるんだろう。まさか食料を盗んでたりしてた? うっわ、それってサイテー。
「悪い」
そんなことを考えてたら、頭の上に落ちてきた音。不快で不快で、たまらない音!
「何が悪いの。お父様を殺したこと? 良い人ぶってたこと? 僕を騙してたこと? 僕を一人にさせたこと?」
「……悪い。ちゃんと、償いはするか」
手が熱い。痛くて、痒い。
「切り者。裏切り者ぉー!!」
喉がピリリと痛んだ。こんなに大きな声を出したのは初めてだった。
赤く染まった頬にもう一度、今度は握り締めた拳で殴りつける。白いシャツの襟を掴んで、体をぶつけると、僕が痛くないように自分の体で衝撃を受けた。それがまた、僕の中にある何かの線をはじき、僕は泣きわめきながら手を振り下ろし続けた。
普段、僕が歩いたり遊んだりする所とは違って、灰色のふわふわしたものが壁際にあったり、残飯がこべり付いている、異臭のする薄暗い廊下で僕は初めて自分の拳を使って本気で人を殴った。真っ白な顔が赤くなっていくのを見て、僕は泣いた。なんで薄桃色の唇の端から水といっしょに赤いものが流れたのか分からなくて僕は泣いた。
このまま、抵抗しないのなら。自分の上に馬乗りになって殴る僕を退けようとしないのなら。僕が、この手で。この悪魔を。
ギュッと細い首に手を掛けて握り締める。うっすらと悪魔が目を開いたけど、僕の目を見る前に閉じた。もういいんなら、と思って力を込めても中々しぶとい。手が疲れたから一度離したら咳き込んでいた。
それを聞きたくなくて胸と腹を殴って、蹴って、もっと力を込めて握り締めると、
「あっ、うぅ……」
引きつった、掠れた声を出した。怖くなって、僕はもっと力を込めた。怖くて怖くて、そればっかり思っていたら、動いた。悪魔の指が痙攣したようにピクリと。もうちょっと、もうちょっとでこの悪魔がって思った時、僕は抱きしめられていた。
「な、にを」
悪魔は何も言わなかった。ただ、僕を抱きしめた。僕は怖かった、また怖くなった。こんなことができる悪魔が。
「じゃえ」
腕に噛み付くと簡単に離れた。血の味が口に広がって気持ち悪かったけど、僕は歩いた。コイツは首をしめたくらいじゃ殺せない。だったら、もっと、もっと殺しやすい方法を。生臭い部屋の中に僕は入った。銀色の大きな箱の横を通り過ぎて、一つだけ茶色い棚に辿り着く。上から順に開けていくと、真ん中辺りでようやく目的のものを見つけられた。鈍い光を放ったそれを右手に掴んで僕は汚れた場所を出る。
爪がくいこんで血が少しながれて、手の痕が真っ赤についた首を押さえて苦しそうに息をしていた悪魔が僕を見る。その宝石のような目に、僕はどんな風に映ってるの? 悪魔が初めて顔色を変えた。やっぱり、しめたくらいじゃ駄目だけど、コレだったらいけるんだ。這いずって逃げようとするのを、長い左髪を掴んで止める。もう、僕から逃げないで。
「……痛いのかな」
柄の部分で頭を何度も殴ったらガクンと重くなった。手を離したらそのまま頭を床にぶつけて動かなくなった。でも、まだ駄目、油断したら駄目なんだ。赤い液体が流れてる頭を見続ける。髪の色に似合ってて、なんだか綺麗。舐めてみたら、なんだか甘くて美味しかった。やっぱり、悪魔だから血の味もおかしいのかな。他の場所もそうなのかな、と思って手に持ったもので指に刺してみる。ぷっくらと血が玉になって出てきて、それを舐めても甘かった。おかしいんだ、コレは。
悪魔がいたらまた犠牲が出る。だから、僕が。握ったものを頭の上よりも高くあげて、振り下ろす。下ろそうとした。
「エドワード様」
だけど僕は抱きしめられたから。僕の味方に。
「あ……」
まるで殺されかかっていたのが僕だったように、震えた体で強く抱きしめてくるキリガネの、人間の温かさをちゃんと感じれた時、
「がっ、手が痛いよキリガネェッ!」
すがるように胸に抱き付いて泣いた。
悪魔のせいで、傷ついた手。赤くなって、皮膚が擦れて剥けた手から血が出てる。こんなものに触れたせいで。手が痛む。だって僕は痛みを感じる人だ。人なんだ。僕の目の前で横たわる赤いものが付着した白いものとは違うんだ。