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チェイス!

 跳ね上げられた食器が降り注いでくる。皿のどれかに残っていたスープが飛び散って、ジェイムズのジャケットを汚した。

 トマトスープだ。

「姉さんに仕立ててもらった服なのに!」

 思わず毒づきながら、保安官としての責務で無理矢理意識を引き戻し、逃げ出す無法者たちの後ろ姿をにらみつけた。


 男がふたり。ひとりは長身で、ライフルを背負っている。出で立ちからして、この男が彼らの中ではもっともベテランで、リーダーだろう。

 もうひとりは少年だ。その背中にはばかでかい、というよりはでかすぎてバカみたいな拳銃。事前に聞かされていた馬車強盗の特徴に合致している。先に知らされていなければ、自分だってあんなものは玩具だと思うだろう。

 その少年が少女の手を引いている。服装や赤い肌の色を見るに、彼女は野の人々だろう。不思議な入れ墨はかなり目立ちそうだが、強盗がそんな少女を連れていたとは聞いていない。


 ふたりはともかく、少女が馬車強盗だとは思えない。

「人質としてさらったのか? それとも、誰かに売るつもりか」

 どちらにしろ、凶悪な手管だ。暖炉に薪をくべるように、ジェイムズの心中で怒りの炎が勢いを増していく。

「気を引き締めろ、ジェイムズ。デビュー戦だぞ」

 はっとしてジェイムズは首を振る。彼にとっては初仕事である。怒りに我を忘れて台無しにするわけにはいかない。悪党どもを追いかけるために勝手口へと走る。


「待って! 撃たないでくれ!」

「俺は関係ない! 関係ないんだ!」

 しかし、ジェイムズの眼前では銃声に驚いた客たちが手をあげて命乞いをし、両手を挙げている。彼らにとっては必死だろうが、今のジェイムズにとっては障害物でしかない。

(西部人はみんなこうなのか? 後ろ暗いことがないなら、おとなしく伏せていればいいのに)

 別の一団は狂乱してホテルの出口に殺到している。暴れ牛の行進のように体をぶつけ合い、もはや相手の姿を確認もせず、ジェイムズすら突き飛ばして逃げようとする。


「どいてくれ! 悪党が逃げようとしているんだ!」

 正義の使徒である連邦保安官が市民に銃を向けるわけにも行かない。行く手を塞ぐ客たちをかき分けて進む彼の前に、人影が立ちはだかった。

 その人影が、バスケットボールのパスのように、ひょいとジェイムズの胸に何かを投げた。思わず、ジェイムズは両手でそれを抱えるように受け取った。

 ポットだ、それもコーヒーを淹れておくのによく使われる、安物だ。そう思った瞬間、ごく当然のことだが、その中身が彼に向かって跳ね上がった。


「ぁちいっ!?」

 ジェイムズの白いシャツに大量のコーヒーがぶちまけられた。ポットを取り落として、その場で転げ回りたくなる衝動がわき上がってくる。もはや、トマトスープのシミを気にしている場合ではないのは確かだ。

「レイニー、逃げて! 早く!」

 彼にポットを投げつけた給仕娘が勝手口へ向けて叫ぶ。


「悪党を逃がす気か! なんてことを!」

 酒場娘に食ってかかるジェイムズ。だが、彼女はきっと彼をにらみ返した。

「悪党でも、あんたなんかに彼の何が分かるって言うのよ!」

 女が自分の持ちうる感情を一度に吐き出す直前のあの緊張感。尻尾をもたげたサソリのように、勝手口の前に立ちふさがっている。

「……どけっ!」

「きゃあっ!」

 ジェイムズはやむなく、彼女の腕を掴んで床に引き倒し、勝手口を蹴り開けた。


「だから、お前の馬に乗せるんだ」

「緊急時だろ! それならお前の馬に俺とサンディで乗ればいいじゃねえか!」

「バカ言うな、繊細なこの馬が神経を弱らせたらどうする」

 悪党どもは繋いである馬に辿り着き、なにやら口論している様子だった。

「クラウド! あの人、もう来たよ!」

「ちっ……仕方ない、あのコーラ、飲みかけだったってのに!」

 少女が自分に気がついて指さし、少年がなにやら毒づきながら馬に飛び乗った。少女を引っ張り上げて、その後ろに跨がらせる。


「走れ!」

 男と少年が、手綱を操って馬を走らせる。ジェイムズは彼らを逃すまいと、酒場の表に留めていた自分の白馬のもとへ駆け戻った。そして、悪党どもよりもずっとなめらかな動きでその背に飛び乗る。

 愛馬シルヴィアの手綱を引き、町の出口へ向かう悪党たちを追って町の大通りに出た。

 ろくに舗装されていない砂だらけの通りも、白馬はしっかりと踏みしめて、競技場の芝生の上と変わらないペースで走る。

 愛馬の走りを頼もしく思いながら、ジェイムズは前方をきっとにらみつけた。


「どけっ!」

 勢いよく飛び出した少年の馬が、荷車を引いていた男の進路上に突っ込む。驚いた男が腰を抜かしたのをいいことに、乱暴に通り抜けていった。

 一方、狙撃銃を背負った男の馬は柵を跳び越えて、軒下を駆け抜けていく。ジェイムズの狙いを付けにくくするためだろうが、馬の恐れを制して狭い道を走る馬術は大したものだ。

 二頭の馬の中では、少年と少女がふたりで乗っている馬が目に見えて遅れていた。ジェイムズは静かに手綱を操り、進路を二人が乗った馬へ向けた。愛馬は素直に騎手に応え、力強く駆けていく。


「シルヴィア、そのまままっすぐだ。いいな?」

 ジェイムズは何度も何度も訓練で繰り返したとおり、片手で手綱を操り、片手で騎兵銃を構えた。両足の腿で馬体を挟み、まっすぐに背を伸ばす。白馬の走りは完璧なリズムを刻んでいる。

 ジェイムズにとって、シルヴィアの背に跨がった上体は、両足で大地を踏みしめているのと変わりがない。銃身を短く切り詰めた騎兵銃は狙いがあまり正確ではないが、ジェイムズは構わず、身に染みついたタイミングで引き金を引いた。


「頭を下げろ!」

「ひゃあ!」

 少年と少女が一斉に体勢を沈める。弾丸はその頭上を通過し、通りの向こうにある樽に大穴を空けた。穴からは勢いよく酒が噴き出した。

「野郎、なんて狙いだ! 馬に乗ってからのほうが正確になってやがる!」

「本場の騎兵顔向けの精度だな。このままじゃ、お前の頭が吹っ飛ばされるぞ」

「冷静に言ってる場合か!」

 角を曲がって合流舌男と少年が、町中を馬で疾走しながら軽口をたたき合う。こんな時でも笑っているのは、悪党なりの人生の楽しみ方なのかもしれない。


 数秒遅れで同じ角を曲がりながら、ジェイムズは思案した。

 西部では、馬は高価な貴重品だ。たとえ敵の乗っているものでも、馬を殺して乗り手の脚を止めるのは決して気高いやり方ではない。初仕事で馬を撃ったとなれば、連邦保安官としての経歴に傷が残るのは間違いないだろう。

 何より、自分が納得できない。

 男よりも先に女を撃つのも、できればやりたくない。野の人々である少女が、どういう理由でアウトロウどもと一緒に居るのかも分かっていないのだ。


「やはり、男を狙うしかないか」

 ジェイムズは呼吸を落ち着けた。ともすれば、自分が今相手しているのは本物の悪党なのだという興奮と、無法者といえ人を殺すかも知れないという緊張でぶれそうになる銃口を、しっかりと構える……

「ダメ!」

 突然、少女が叫んだ。馬に乗る少年の背にしがみついたまま振り返り、ジェイムズの銃口をきっとにらみつけている。

「クラウド、ご飯食べさせてくれた。レイニー、名前くれた。だから!」


 次の瞬間、信じられないことが起きた。

 少女は馬の背を蹴り、跳び上がったのだ。

「なにッ!?」

「おい、サンディ!」

 ジェイムズが挙げた驚愕の声に、少年の声が重なった。


 さらに信じられないことは続く。

 少女の体に刻まれた刺青が光を放ち、血管のように脈動する。その瞬間、無意味な模様にしか見えなかった入れ墨は、彼女の体に絡みついた別の生き物のように見えた。

 そして、サンディと呼ばれた少女は、馬の背から建物の屋根に跳び上がり、その上を四つん這いで走り始めたのだ。

「サンディ、戻れ! 何やってるんだ!?」

 少年の声も聞かず、少女は屋根から屋根へと飛び移って獣のように走り、ジェイムズの頭上まで迫った。


「馬鹿な。何をしてるんだ!?」

 ジェイムズの叫びは悲鳴のようだった。

 少女が屋根に爪を食い込ませ、馬とほとんど変わらないような速度で走っている。その事実だけでも驚愕に値するが、それだけではない。

 ジェイムズははたと気づいた。少女の走り方は、明らかに逃げるために走るそれではない。むしろ、全身のバネを使う、獲物を追うための肉食獣の動きだ。そして、その眼光もまた。少女の面影は消え失せ、鋭い光が獲物をにらみつけていた。

 その視線が捕らえているのは、彼の跨がるシルヴィア号である。動物としての本能か、シルヴィアがおびえているのがありありと手綱に伝わってきた。


「シルヴィア! 落ち着け!」

 手綱を操り、馬を操作しようとする。しかし、強烈な恐れがシルヴィアの走りを鈍らせていた。悪党を追うのではなく目の前の獣から逃げろと駆り立てているのだ。

「がアッ!」

 少女が、獣そのものの吠え声を立てて、屋根の上からシルヴィアに飛びかかる。完璧な角度で頭上から捕らえられるタイミングだ。

 一瞬。ジェイムズは手の中の騎兵銃を少女に向けた。


 だが、引き金を引くことができなかった。


 この状況でも、彼女が自分にとっての敵だとは思えなかったのだ。

 少女の手が振り下ろされる。奇妙にも、いつの間にかその爪が長く、鋭く伸びていた。彼女の手を獣そのもののように見せる爪が、ナイフのような鋭さで、手綱を切断した。

 ついに恐れが限界を迎え、シルヴィアがいななきを上げて体を反転させた。


「シルヴィア! くそっ!」

 片手で手綱を引くが、こうなってはもはや言うことを聞かせることはできない。白馬はジェイムズを背に乗せたまま、悪党どもにしっぽを向けて、反対側に逃げていく。

「信じられない。なんだ、あの女の子は……?」

 ジェイムズは振り返り、悪党どもの姿を見た。少女はぺたんと地面に座り込んでいた。少年が彼女に駆け寄り、再び馬上へ抱き上げていた。

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