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雪椿  作者: 良崎歓
27/30

【スピンオフ】2 全部うどん

「山菜うどん温玉のせでお待ちのお客さま、お待たせしました」

 夜の学食・西食堂、厨房から繋がるカウンターにはお客さま。うどんの乗ったトレーを爽やかな営業スマイルで差し出した俺に、彼女は微妙な笑顔で応えた。

「お久しぶりです、塩出先輩」

「……つれないっすね」

 お客さま、もとい蔦さんは「そんなことないです」と多少きまりが悪そうに言う。しかし彼女は演劇部だ。もしかしたら、本当は何とも思っていないのに反応する演技だけしてみたという程度かもしれない。その証拠に彼女は、何事もなかったようにトレーを受け取った。

「ここでバイトしてるんですか」

「入学してすぐの頃からね」

 蔦さんは俺の顔をちらりと見た後に、視線を斜め上へとやる。恐らく年数をカウントしているのだろう。

 その間に彼女の背後を覗き込んでみたが、今日は藤倉さんの姿がない。蔦さんと藤倉さんはいつでも二人セットなのだとばかり思っていたが、どうやら違ったようだ。

 こうして単品で見ると、蔦さんの方はわりあい歳に見合った顔つきなのが意外だ。いつもは童顔の藤倉さんと並んでいるので、どうしても蔦さんの大人っぽさが際だってしまうのだろう。

 少し間があって、蔦さんは「結構な年数ですよね」とぼかした結論を出した。数えている途中で勤続年数が分からなくなったらしい。彼女はごまかすように七味の入った容器を手に取り、うどんに振りかけ始めた。

「他に勤めてる誰よりも長いからね。……今日、相方は?」

 彼女は俺の質問には答えず、七味を振り続けている。うどんの上に(俺の手で)きれいに盛りつけられた温玉は、やがて赤や橙の粉末にすっかり覆われてしまった。俺は止めようと慌てて声を掛ける。

「かけすぎじゃない?」

「デートです」

「は?」

「デートです。生物教師と」

 デートというのが『相方は?』への回答だと気付くまでには少々時間が要った。藤倉さんは、理雪と一緒なのだ。

 蔦さんが、静かに七味の容器を調味料置き場に戻す。感情が、七味を通して噴出したようだった。

 大好きな藤倉さんのことを一番に考えると、自分は引かざるを得ない。むしろ、彼女のためになら喜んで引く――それが藤倉さんにとっても、一番いいことだと思っている。そして、門限を破らぬよう、おそらく律儀に家まで送るであろう理雪も、決して嫌いではない。

 理雪から聞いていた話では、蔦さんは皮肉を言いつつもカップル成立を助けてくれたということだったのだが、当の蔦さんの中にはいろいろな思いがありそうだ。今のシーンだけを見ても、それくらいは分かる。しかし、残念ながら俺はそんな込み入った事情に言及できる立場ではない。今の俺にできるのは、あとで理雪に一言言ってやるという決意と、とりあえず彼女の舌と喉と胃の心配をすることくらいだ。

「……それ、食べれる?」

 彼女はそこで初めてうどんを注視する。丼内の惨状にはじめて気付いたのか、大きな目が余計に丸くなった。

「無理しないほうがいいんじゃない」

「いえ、自分で注文したんですし、何とかします」

「喉、大事にしなきゃ駄目でしょ?」

 蔦さんは、はっとして顔を上げた。唐辛子で喉を焼いて声が出ないなんて、演劇部としては致命的なミスだろうに、今日の彼女はそんなことも見えていないらしい。

 少し萎れた様子の蔦さん。こちらに向けられた瞳には、余裕の無さが浮かぶ。先日のとっつきにくい態度とは違って、ちっともクールじゃない。このギャップは――ちょっと可愛いじゃないか。

「無理しない無理しない」

「え?」

「……これ、俺が喰うよ」

 返事を待たず、俺は蔦さんの丼を手に取った。見事な茜色に染まった汁に一瞬ひるみはしたが、彼女に突っ込まれる前にうどんをすすり始める。辛い、というよりは痛い。しかし、辛すぎることと、麺が多少伸びていることを除けば、まあまあうまい。

「何するんですか!」

 俺は抗議を無視し、すっかり食べ尽くしてしまってから「ごちそうさま」と丼を置く。

「代わりに何かおごるよ。何か食べたい晩飯ある?」

「すいませんが」

「……つれないっすね」

 蔦さんはしばし、苦笑いの俺を見ながらなにがしかを考えていた。彼女の表情は、驚きというよりは呆れへと変わっている。この、少し冷たい目線は初対面のときの蔦さんに近い。調子が戻ってきたのかもしれない。

 やがて蔦さんはいつも通りのよく張った声で言った。

「じゃあ、『全部うどん』を」

「そんなんでいいの?」

「はい」

 掻き揚げと油揚げと山菜と温玉、それにわかめと蒲鉾。学食で可能なトッピングを全て乗せたうどんが『全部うどん』だ。俺の長いバイト経験の中でも、月に一度出るか出ないかのレア商品である。正直言うと、俺も食べたことはない。

 席に着いた蔦さんの前に丼を置き、俺も向かいに座る。閉店時間が近づいた西食堂はがらんとしていて、彼女の他に客はいない。少しぐらい持ち場を離れても構わないだろう。

 一口食べた蔦さんは、彼女に似合わないゆるゆるとした動作で顔を上げた。少し目を細めて、口角を上げる。

 俺が言葉を探しているうちに、蔦さんは再びうどんに目を落とし、旨そうに食べ始める。彼女が完食するまで、俺は見つめていた。

「ありがとうございます」

「俺、君のうどん食べちゃったんだよ。こっちが謝んなきゃ」

「いえ。……それでも、ありがとうございます」

「今度はほんとに外で晩飯でもどう?」

「……椿と若が一緒なら、行かないこともないですよ」

 蔦さんは、にっこりと笑ってさらりと言ってのけた。もう、すっかりいつもの彼女のペースに戻っている。

 ――晩飯も『NO』から一歩前進、『条件付きYES』。バイトやってて良かったと、俺は心から思った。

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