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第47話 許可された再戦

 グラナート軍事魔法学院の会議室は、返事を待つのに向いていない。


 椅子は硬い。


 机は重い。


 壁の時計は正確すぎる。


 窓の外では、訓練場の号令が等間隔で響いている。


 一、二。


 一、二。


 その音を聞いていると、自分の呼吸まで揃えろと言われている気がする。


 カルミアの部室なら、どこかの椅子が軋み、ロイが余計なことを言い、リメルが勝手に跳ね、ガレス先輩が茶を置く。


 ここには、それがない。


 あるのは、整った沈黙だ。


 そして、提案書を読んでいるイリス・カイザー。


 グラナートの主将。


 鉄旗一号の使い手。


 事実を削らない人間。


 彼女は提案書を机に置き、「詳しく聞こう」と言った。


 それから、俺たちは説明した。


 クララが目的を。


 コレットが手順を。


 アルフが安全線を。


 俺が、風の前を。


 かなり変な説明だったと思う。


 鉄旗は命令を待つだけの旗ではない。


 旗は、兵を忘れるな。


 命令ではない返事を記録したい。


 破壊しない。


 奪取を主目的にしない。


 命令外反応を三回。


 非破壊遅延を一回。


 鉄旗が命令ではない返事を一つ示したら、合同訓練成功。


 自分で聞いていても、ずいぶん危ない橋を渡っていると思う。


 競技の相手校に向かって、あなたたちの旗は本来もっと別のものを覚えているかもしれません、と言っているのだ。


 言い方を間違えれば、侮辱になる。


 いや、言い方を間違えなくても、侮辱に聞こえる可能性はある。


 イリスは最後まで黙って聞いた。


 質問を挟むときも、声は硬かった。


「情報源は」


「ノル・フェインの夢記録と、クララ・ヴェルムの古代契約読解です」


 コレットが答える。


「夢記録を、公式資料と同等に扱えと?」


 厳しい質問だった。


 ノル先輩がここにいたら「夢も記録」と言っただろう。


 でも、相手はグラナートだ。


 夢だから信じてください、では通らない。


 クララが口を開く。


「同等に扱え、ではありません。検証対象として扱ってください」


「検証対象」


「はい。夢記録は仮説です。仮説を、合同訓練で検証します」


 イリスはクララを見た。


「古代契約しか読めない者の仮説を、グラナートの鉄旗で試す理由は」


 クララの手が少し震えた。


 でも、声は崩れなかった。


「古代契約しか読めないからです」


 会議室の空気がわずかに動いた。


 イリスの眉が少し上がる。


 クララは続けた。


「現代契約では、鉄旗は指揮媒体として整備されています。命令受領、命令保持、命令実行。それらはグラナートの記録で確認できます」


「当然だ」


「ですが、鉄旗が古代旗であるなら、現代契約の下層に別の核があります。私は現代魔法の成績では落ちこぼれですが、古代契約なら読めます」


 クララは眼鏡を直した。


「その欠け方が、今回だけは役に立つ可能性があります」


 欠け方。


 自分の魔法を、そう呼んだ。


 クララらしい。


 飾らない。


 でも、逃げない。


 イリスは少し黙った。


「可能性」


 彼女はその言葉を繰り返した。


「カルミアは可能性を理由に、相手校の旗へ介入するのか」


「介入ではありません」


 アルフが言った。


 彼の声は平らだ。


 こういう場では、かなり助かる。


「記録訓練です」


「違いは」


「強制しないこと」


 短い答えだった。


 イリスがアルフを見る。


「鉄旗を動かすのではなく、鉄旗が動いた場合に記録する。こちらから命令を出さない。破壊しない。追い詰めない。失敗した場合は即時停止する」


 アルフは提案書の禁止事項を指した。


「安全停止線はこちらで三つ用意する。グラナート側が停止を宣言した場合、カルミアは即座に全員後退する」


「全員が従えると?」


 その質問は、たぶんジャックを意識している。


 イリスは知らないわけではない。


 グラナートの記録には、ジャックの危険な攻撃も残っている。


 コレットが答えた。


「従えない可能性があるから、提案書に入れました」


 イリスの視線がコレットへ移る。


「従える、と言わないのか」


「はい」


 コレットはまっすぐ答えた。


「第七部は、従えると言い切れる部ではありません。欠陥魔法の制御も、連携も、まだ不安定です。だから、止まれない場合の負け筋を先に表にします」


「それが、敗北幻視の使い道か」


 イリスが言った。


 少し意外だった。


 彼女は、こちらの魔法の性質をかなり把握している。


 記録しているのだ。


 やはりグラナートは、事実を削らない。


「はい」


 コレットは頷いた。


「わたしは勝つところを見られません。ですが、失敗するところなら見えます。合同訓練では、わたしが見た停止失敗の兆候を、開始前に共有します」


「それは戦術情報の開示に当たる」


「当たります」


「不利になる」


「安全条件です」


 コレットの声は小さい。


 でも、引かなかった。


「勝つための練習ではあります。でも、鉄旗を壊して勝つためではありません。命令ではない返事を聞くための練習です。安全条件は、相手にも共有します」


 イリスは黙った。


 その沈黙は、さっきより長かった。


 俺は、自分の膝の上で手を組む。


 こういう場で余計なことを言うと、だいたい悪い方向へ転がる。


 でも、言わないといけないこともある。


 風の前。


 選択を言葉にする。


 俺は、クララやコレットの説明が終わったあとで言った。


「俺からも一つ」


 イリスがこちらを見る。


「ルカ・ヴァレン」


 名前を呼ばれた。


 グラナートの記録に載っている名前として。


 たぶん、元名門選手として。


 そして、昨日の試合で風を使わなかった人間として。


「昨日、俺は二回、魔法を使う前に止まりました」


「記録している」


 イリスは即答した。


「前半、カルミア旗が押し潰される直前。後半、鉄旗接触直前」


「はい」


「君は風を使わなかった」


「使いませんでした」


「なぜ」


 短い質問。


 でも、答えは重い。


 ネルの声が頭の中で響く。


 普通に言えばいい。


 それが一番難しい。


「使うと記憶を失うからです」


 俺は言った。


 会議室がまた静かになる。


 イリスは知っているはずだ。


 でも、本人の口から聞くのと、記録で知るのは違う。


「ただ、それだけではありません。使わないことも、試合では責任になります。俺が風を使わないなら、誰に任せるのかを言葉にする必要がある」


「昨日は」


「ネルに任せました。彼女が『要らない』と言ったから、俺は使わずに済みました」


 イリスの視線が提案書の一文へ落ちる。


 風の前。


 鉄旗が見た、俺の名前ではない記録。


「鉄旗は、それを命令ではないと見たと」


「ノル先輩の夢記録では、そうです」


「夢記録」


 イリスはもう一度、少しだけ厳しく言った。


「はい。仮説です」


 俺はクララの言葉を借りた。


「でも、検証する価値はあると思います。グラナートにとっても、鉄旗が命令以外を記録しているなら、知らないままでいい情報ではないはずです」


 イリスは俺を見た。


 事実を測る目。


 俺が嘘をついているかどうかではない。


 俺が自分の言葉の重さを理解しているかどうかを見る目だった。


「君たちは、グラナートの鉄旗を弱くしようとしているのではないか」


 その問いは、当然だった。


 俺たちは相手校だ。


 鉄旗に傷をつけた。


 次の再戦形式の練習でも、攻略しようとしている。


 信じろと言うほうが無理だ。


「弱くするつもりはありません」


 コレットが言った。


「ですが、今とは違う反応を引き出すつもりはあります」


「それを弱体化と呼ぶ者もいる」


「はい」


 コレットは頷く。


「だから、グラナート側の記録官を置いてください。判断は共有します」


 イリスは少しだけ目を細めた。


「こちらの記録官を置くことを、そちらから提案するのか」


「はい」


「不利になる」


「安全条件であり、検証条件です」


 今日のコレットは強い。


 勝つところが見えないまま、必要なことを言っている。


 表に自分を入れた部長は、少しだけ強くなった。


 あるいは、強さを一人で持たなくなった。


 イリスは提案書をもう一度見た。


 それから、部屋の隅に控えていたグラナートの副官らしい男子生徒へ視線を向ける。


「意見」


 副官はすぐに答えた。


「危険です」


 速い。


 グラナートらしい。


「理由」


「鉄旗一号の命令系統に未知の揺れを入れる行為です。公式戦直後で整備確認も完了していません。低優先参加校の仮説に基づく訓練としては、リスクが高すぎます」


 低優先参加校。


 言い方は硬い。


 でも、見下しではなく分類として言っているのが分かる。


 それでも刺さるものは刺さる。


「また」


 副官は続けた。


「カルミア側には制御不安定な攻撃魔法保持者、発動音過大の魔法保持者、旗への未許可接触経験者がいます」


「旗への未許可接触経験者って、ネルか」


 俺は小声で言った。


 コレットが肘で軽く止めた。


 副官はさらに続ける。


「訓練事故が起きた場合、グラナート側の管理責任になります」


「妥当な懸念だ」


 イリスは言った。


 その通りだ。


 俺たちの提案は、相手から見れば危険だらけだ。


 だからこそ、ここで押し切るのは違う。


 命令してはいけない。


 返事を待つ。


 クララが息を吸った。


「その懸念に対して、追加条件を受け入れます」


「追加条件」


 イリスが聞く。


「はい」


 クララは自分の紙を出した。


 まさかの予備案。


 この人、本当に準備がいい。


「第一。鉄旗一号への接近距離を段階制にします。第一段階は十歩以内禁止。第二段階は五歩以内禁止。第三段階のみ接触試行可。ただし、接触試行はネル・アーレン一名に限定し、事前宣言制」


 イリスの副官が少し驚いた顔をした。


 たぶん、思ったよりまともな条件だったのだろう。


「第二。攻撃魔法は原則禁止。ジャック・バーネルは攻撃発動姿勢まで。発動は禁止。発動兆候が一定値を超えた場合、グラナート側が即時停止を宣言可能」


「一定値とは」


 副官がすぐに聞く。


 アルフが答えた。


「火線形成、魔力圧上昇、味方近接軌道の三条件のうち二つが出た場合」


「測定者は」


「グラナート側一名、カルミア側一名」


「カルミア側は」


「俺が見る」


 アルフが言った。


 静かだが、責任のある声だった。


「第三」


 クララは続ける。


「ロイ・キャベルの発動音は、試合開始前に反響測定を行い、使用可能音量を設定します。大音量発動は禁止。足音、手拍子、布巻き靴底による低音合図のみ」


「音量を守れるのか」


 副官が聞く。


「守れない可能性があります」


 コレットが答えた。


 副官の眉が動く。


「ですので、ロイさんには口頭発声禁止札を持たせます」


「札?」


「はい。本人が忘れたら、札を見せます」


 イリスが初めて少しだけ困ったような顔をした。


 グラナートの会議室で、発声禁止札。


 かなり第七部だ。


 副官はまじめに記録している。


 偉い。


「第四。倒れた者、迷った者、退いた者を見せる訓練であっても、危険状態を演出しない。ミラ・ガルドの筋力強化は短時間に限定。全身停止前に回収を行う」


 ミラの役割。


 倒れるのではなく、倒れる前提を回収する。


「第五。鉄旗が強い拒否反応を示した場合、即時中止。成功条件より安全条件を優先します」


 クララはそこで紙を下ろした。


 イリスは、副官と短く視線を交わした。


 副官はまだ警戒している。


 当然だ。


 でも、最初の「危険です」からは少し変わっている。


 危険だが、測れる危険になっている。


 これは大きい。


 コレットの表と同じだ。


 原因。


 担当。


 使い道。


 危険も、分ければ扱える。


「カルミア側の目的は理解した」


 イリスは言った。


「だが、グラナート側の目的も設定する」


 来た。


 許可ではない。


 条件だ。


「第一。鉄旗一号の命令保持能力に異常がないことを確認する」


「はい」


 コレットが頷く。


「第二。カルミア側の接触手順が、公式戦で再発した場合の防衛手順を検証する」


 つまり、俺たちの攻略を逆に研究する。


 当然だ。


 こちらだけが得をする訓練ではない。


「第三。命令外反応が確認された場合、その記録はグラナートとカルミアの双方で保管する。ただし、外部公開はグラナートの承認を必要とする」


「承知しました」


 クララが答える。


 少し悔しそうだった。


 研究者としては公開したいのだろう。


 でも、ここは相手校の旗だ。


 飲むべき条件だった。


「第四」


 イリスは俺たちを見た。


「鉄旗一号を、かわいそうな旗として扱うことを禁じる」


 その言葉で、俺たちは黙った。


 予想していなかった条件だった。


 イリスの声は硬い。


 しかし、怒鳴ってはいない。


「鉄旗一号はグラナートの旗だ。命令に従うこと、倒れないこと、迷わないこと、退かないこと。それを誇りとしてきた」


 彼女は提案書の上に手を置いた。


「君たちが見た孤独や羨望を否定はしない。だが、それだけで鉄旗を憐れむなら、この訓練は許可しない」


 重い条件だった。


 でも、正しい。


 俺たちは、鉄旗の孤独を聞いた。


 命令の重さを知った。


 その瞬間、こちらの物語に引き寄せすぎる危険がある。


 かわいそうな旗。


 救うべき旗。


 そう決めつければ、結局それも命令になる。


 俺たちの側からの命令だ。


「分かりました」


 クララが最初に答えた。


 声は少し震えていた。


「鉄旗を憐れみません。証人として扱います」


「証人」


「はい。証人に対して、勝手に結論を押しつけません」


 イリスはクララを見た。


 長く。


 そして頷いた。


「よい」


 その一言で、ようやく会議室の空気が少し動いた。


 イリスは提案書に署名した。


 副官が条件欄を追記する。


 グラナートの手続きは速い。


 署名、確認、写し、保管。


 その全部が、まるで訓練の一部みたいに揃っている。


「合同訓練は明日午前」


 イリスが言った。


「形式は再戦。参加人数は五対五。ただし、目的は旗奪取ではなく反応記録。鉄旗一号を使用する」


 鉄旗一号。


 本物だ。


 俺の背中に少し緊張が走る。


「グラナート側参加者は、私、第二指揮、第三防衛、記録官、旗管理官」


 試合用の布陣ではない。


 でも、かなり強い。


 記録と管理を重視した布陣だ。


「カルミア側参加者は、提案書に基づき、五名を選出せよ」


 五名。


 これが次の問題だった。


 全員の役割がある。


 でも、競技形式は五対五。


 控えや記録担当を含めれば全員が関われるが、フィールドに入れるのは五人。


 コレットが頷く。


「本日中に提出します」


「明朝では遅い」


「はい」


 グラナートらしい。


 準備時間まで規律の中にある。


 会議が終わると、俺たちは深く礼をした。


 リメルも旗布を下げた。


 イリスはリメルを見る。


「その旗も参加するのか」


 コレットが答える。


「はい。命令ではない旗として」


 イリスは少しだけ目を細めた。


「鉄旗一号は、その旗を怖いと言ったのだったな」


 ノル先輩の夢記録。


 そこまで読んでいたのか。


「はい」


 クララが答える。


「怖いと同時に、羨ましいとも」


「そうか」


 イリスはリメルを見たまま言った。


「グラナートでは、旗が他の旗を羨むという記録はない」


「今回、記録されるかもしれません」


 クララが言う。


 イリスは少しだけ頷いた。


「ならば、削らない」


 事実を削らない。


 その言葉に、少しだけ救われた気がした。


 会議室を出ると、俺は大きく息を吐いた。


「生きてる」


「大げさです」


 クララが言った。


 その顔は、かなり疲れている。


「クララのほうが死にそうな顔してるぞ」


「理論は生きています」


「本人は?」


「一時停止中です」


 コレットが小さく笑った。


 アルフは提案書の写しを見ている。


「五人を決める必要がある」


「休ませてくれ」


「時間がない」


「グラナート、厳しい」


「明朝では遅い」


 アルフがイリスの言葉をそのまま繰り返した。


 似ている。


 少し腹立たしいくらい似ている。


 宿舎に戻ると、第七部全員が待っていた。


 待ち方はそれぞれだった。


 ネルは腕を組んで壁にもたれている。


 ロイは口に布を当てている。


 発声禁止札の試作品らしい。


 ガレス先輩は靴底に巻く布を作っている。


 レイナ先輩は鏡の前で「美しく戻る」動きを確認している。


 ミラは荷物表に「倒れる前に回収」と書いている。


 リリィは迷子一号と迷子二号を並べている。


 ノル先輩は寝ている。


 ジャックは壊れた支持金具の欠片を投げては受けている。


 リメルは真ん中で跳ねている。


 かなり第七部だ。


「どうだった」


 ネルが最初に聞いた。


「許可された」


 俺が言うと、ロイが布越しに何か叫んだ。


 聞こえない。


 布の効果がすごい。


「ロイ、外していいぞ」


 ガレス先輩が言うと、ロイは布を外した。


「やったあ!」


 大きい。


 やはり布は必要だ。


「条件付きです」


 コレットが表を広げた。


「明日午前、再戦形式の合同訓練。目的は旗奪取ではなく、鉄旗の命令外反応記録。五対五。安全条件多数。グラナート側記録官あり。外部公開は承認制。鉄旗を憐れまないこと」


「最後、何?」


 ネルが眉をひそめる。


「鉄旗をかわいそうな旗として扱わないこと」


 クララが言った。


「証人として扱う」


 部室代わりの宿舎談話室が、少し静かになった。


 リメルが旗布を揺らす。


 かわいそう。


 違う。


 次に。


 証人。


「リメルも分かってる」


 ノル先輩が寝たまま言った。


「寝てるのに?」


「寝てる」


 便利だ。


 コレットは参加者表を作った。


「フィールドに入れるのは五人です。控えと記録担当は別に置けますが、直接動けるのは五人」


「全員必要じゃん」


 ロイが言う。


「だから決める」


 アルフが答えた。


 まず、鉄旗への接点担当。


 ネル。


 これは外せない。


 昨日、鉄旗に触れた本人であり、「そこ」を言える人間。


 次に、戻り線担当。


 アルフ。


 これも外せない。


 命令外反応が出たとき、追いすぎないための線が必要だ。


 三人目。


 リメル。


 旗枠、と言っていいのか分からないが、カルミア側の旗として必須。


 鉄旗が怖がり、羨ましがった相手。


 ここまではすぐ決まった。


 問題は、残り二人。


「ロイの音は必要」


 ネルが言った。


「命令じゃない音を聞かせるんでしょ」


「でも、音量制限がある」


 コレットが言う。


「守れる?」


 全員がロイを見る。


 ロイは真剣な顔で頷いた。


「守る」


 珍しく短い。


 声も抑えている。


「発声禁止札、持つ」


 ガレス先輩が札を渡す。


 ロイはそれを受け取った。


 札には大きく書かれている。


 しゃべるな。


「ガレス先輩、言葉が強い!」


「分かりやすい」


「はい!」


 今しゃべった。


 全員が見た。


 ロイは札を見て、口を押さえた。


 先は長い。


「でも、ロイは必要です」


 クララが言った。


「鉄旗は『音』としてロイさんを記録しています。命令ではない音を作るなら、彼が一番分かりやすい」


「では四人目、ロイさん」


 コレットが書く。


 残り一人。


 ジャックが自分を指した。


「俺じゃねえの」


 撃つかもしれない顔。


 未確定圧力。


 たしかに、重要だ。


 でも、危険も大きい。


 グラナート側の追加条件では、ジャックの攻撃発動は禁止。


 発動兆候が出れば即停止。


「ジャックは外側でも圧を出せる」


 アルフが言った。


「フィールド境界外で待機し、発動姿勢だけを見せる。条件上、フィールド参加者でなくても可能だ」


「俺、場外から顔だけ?」


「重要」


 クララが言う。


「便利」


 ミラが言う。


「嫌すぎる」


 ジャックは頭を抱えた。


 でも、反論しきれない。


「五人目は」


 コレットが俺を見た。


「ルカさんです」


 まあ、そうなる。


 風の前。


 鉄旗が俺をそう記録したなら、俺が入らないと検証にならない。


「俺でいい」


 俺は言った。


「風は使わない前提です」


 コレットが確認する。


「分かってる」


「使う必要が出た場合は」


「戻り先を先に決める」


「はい」


 ネルがこちらを見た。


「忘れないで」


「表を見る」


「それでも駄目なら?」


「お前が言う」


「よし」


 なぜか確認された。


 でも、必要な確認だった。


 フィールド参加者は決まった。


 ルカ。


 ネル。


 ロイ。


 アルフ。


 リメル。


 控え兼外側役。


 コレットは作戦指揮と敗北幻視。


 クララは古代文と理論記録。


 ノル先輩は夢記録。


 ジャックは境界外未確定圧力。


 ガレス先輩は回収路と安全具。


 レイナ先輩は失敗から戻る様式の演示、ただし今回は控え区画から実演。


 ミラは回収導線の演示と荷物管理。


 リリィは予定外置き場と召喚待機。


「全員、入ってるな」


 俺が言うと、コレットは頷いた。


「五人しかフィールドには入りません。でも、全員で作る訓練です」


 その言い方が、少し嬉しかった。


 五対五の競技。


 でも、第七部は十二人と一旗で動く。


 控えも、記録も、表も、靴底の布も、迷子石も、全部が作戦だ。


「練習します」


 コレットが言った。


「今から?」


 ロイが札を持ったまま聞く。


「今からです」


「明日午前では遅い」


 アルフがまたイリスの口調で言った。


「似てきたな、お前」


「必要だから」


 似ている。


 やはり少し腹立たしい。


 夜の補助訓練場で、俺たちは最後の準備をした。


 グラナートの訓練場は、夜でも整っている。


 灯りは均等。


 床は冷たい。


 声は響く。


 ロイには最悪の環境だ。


 だから、最高の練習場でもある。


「ロイ」


 コレットが札を掲げる。


 しゃべるな。


 ロイは頷く。


 口を閉じる。


 足を一回。


 布巻きの靴底が、低い音を出す。


 どん、ではない。


 とん、でもない。


 少しだけ床に触れる音。


 旗が気づく程度。


 人間が号令と勘違いしない程度。


「いい」


 アルフが言う。


 ロイが笑顔になる。


 声を出しそうになる。


 コレットが札を出す。


 ロイは両手で口を押さえた。


 大変だ。


 でも、前より確実に進んでいる。


 ネルは接点の練習をしていた。


 練習旗に触れ、すぐに言う。


「そこ、冷たい」


 触る。


「そこ、逃げた」


 触る。


「そこ、嫌がった」


「嫌がった、は観察か?」


 俺が聞く。


「そう見えた」


 クララが頷く。


「主観を含む観察として記録できます」


「何でも記録できるんじゃないの」


「何でもはできません。記録形式が必要です」


 クララは楽しそうだった。


 理論が現場で動くと、彼女は眠気を知らない。


 いや、ノル先輩の眠気とは別種の生き物だ。


 アルフは戻り線を三本に限定していた。


 一。


 二。


 三。


 それ以上は引かない。


 短く出して、消す。


 味方が戻る。


 追いすぎない。


「鉄旗が反応したら、追いたくなる」


 アルフは言った。


「特にネル」


「名指し」


「届くと思った瞬間、一歩余計に出る」


「出る」


 ネルは否定しない。


「だから、戻り線を踏んだら止まる。触れても、追わない。そこを言う」


「分かってる」


「分かっていても出る」


「出る」


「だから線を置く」


 合理的だ。


 少し厳しい。


 でも、ネルは受け入れている。


 俺の練習は、風の前だった。


 練習旗が逃げる。


 ロイが音を出す。


 ネルが動く。


 アルフが線を出す。


 俺は風を呼びそうになる。


 その前に言う。


「ネルに任せる」


 もう一回。


「ロイを見る」


 もう一回。


「アルフの線へ戻る」


 もう一回。


「リメルを待つ」


 言葉にするたびに、少しずつ喉の奥の風が落ち着く。


 完全ではない。


 でも、言わないよりましだ。


 風を使わないことが、空白ではなくなる。


「最後」


 コレットが言った。


「もし使う場合」


 空気が少し変わる。


 俺は息を吸った。


 魔法は使わない。


 使う練習ではない。


 でも、使う場合の言葉を決める練習だ。


「戻り先」


 アルフが言う。


 俺は少し考えた。


 ネル。


 ロイ。


 アルフ。


 コレット。


 リメル。


 誰を戻り先にするか。


 毎回固定しないほうがいい。


 でも、最初の言葉は決めておく必要がある。


 俺はコレットの表を見た。


 ノル先輩の記録帳を見た。


 リメルの旗布を見た。


 そして言った。


「戻ったら、名前を呼んでくれ」


 誰の名前を、とは言わなかった。


 俺の名前だ。


 ルカ。


 忘れられたくない名前。


 存在感が薄れるかもしれない名前。


 魔法を使ったあと、誰かが呼んでくれれば、完全ではなくても戻る線になるかもしれない。


 コレットが表に書く。


 風使用時。


 戻り言葉。


 ルカ、と呼ぶ。


 ロイが手を上げた。


 札を見て、口を閉じる。


 それから小声で言った。


「俺、呼ぶ」


「大声で呼ぶと戻る前に吹き飛びそうだな」


 俺が言うと、ロイは真剣に頷いた。


「小さく呼ぶ練習する」


「頼む」


 ネルは少しだけ目をそらした。


「あたしも呼ぶ」


「助かる」


「貸し追加」


「増えるな」


 アルフが言う。


「全員が呼べるようにする」


「全員?」


「誰が近くにいるか分からない」


 その通りだった。


 俺が風を使う場面が来るとしたら、たぶん混乱の中だ。


 戻り先を一人に固定すると、その一人がいないときに折れる。


 全員が呼べる。


 それが一番いい。


「練習します」


 コレットが言った。


「今から?」


 俺は聞いた。


「今からです」


 そして、第七部全員に名前を呼ばれた。


 ルカ。


 ルカさん。


 ルカ先輩。


 ヴァレン。


 おいルカ。


 ルカくん。


 寝ぼけた声のルカ。


 美しくない呼び方ね、からのルカ。


 声の大きすぎる小声のルカ。


 それは、かなり恥ずかしかった。


 途中で本気で逃げたくなった。


 でも、逃げなかった。


 名前を呼ばれる。


 存在を確認される。


 記憶を失うかもしれない俺にとって、それは戻り線になる。


 馬鹿みたいに照れくさいが、必要だった。


 練習の終わりに、リメルが旗布を揺らした。


 文字が浮かぶ。


 ルカ。


 旗にも呼ばれた。


 もう駄目だった。


「恥ずかしい」


 俺が言うと、ネルが笑った。


「重要」


「クララ語を使うな」


「かなり重要」


「混ぜるな」


 みんなが少し笑った。


 その笑い声は、グラナートの夜の訓練場には少し不揃いだった。


 でも、不揃いなまま響いた。


 翌朝。


 再戦形式の合同訓練の日。


 グラナートの訓練場には、早くから人が集まっていた。


 観客ではない。


 記録官。


 旗管理官。


 教官。


 訓練補助員。


 そして、グラナートの選手たち。


 彼らは整列していた。


 昨日の公式戦と同じくらい、あるいはそれ以上に硬い空気だった。


 俺たちが入ると、視線が集まる。


 低優先参加校。


 鉄旗に傷をつけた相手。


 妙な提案を通した相手。


 そういう視線だ。


 ネルが小さく舌打ちしそうになり、しなかった。


 ロイは札を握っている。


 アルフは線を引く位置を見ている。


 俺は、手の甲を見た。


 白い線はない。


 でも、戻り言葉はある。


 ルカ。


 呼ばれたら戻る。


 呼ばれる前に、一人で風を使わない。


 コレットはフィールド外の作戦席に立った。


 隣にクララ。


 ノル先輩は椅子に座って、すでに半分寝ている。


 ジャックは境界外。


 撃たない顔の練習をしている。


 ガレス先輩は回収路の確認。


 レイナ先輩は控え区画で失敗から戻る動きを静かに確認。


 ミラは荷物表。


 リリィは迷子一号をポケットに入れている。


 リメルは俺たちの中央で揺れていた。


 そして、反対側。


 鉄旗一号が運ばれてきた。


 重い金属の軸。


 鉄の獣のような脚部。


 旗布の端には、細い擦過痕。


 ネルがつけた傷。


 鉄旗は、整備台からフィールドへ降ろされると、一瞬だけ止まった。


 命令を待っている。


 昨日までなら、そう思っただろう。


 今も、そう見える。


 でも、その奥にあるものを、少しだけ知っている。


 倒れるな。


 迷うな。


 退くな。


 旗は、兵を忘れるな。


 イリスが前へ出る。


「合同訓練を開始する前に、条件を確認する」


 声が訓練場に通る。


 ロイとは違う。


 大きいのに、整っている声。


「目的。鉄旗一号の命令外反応記録。形式。五対五再戦訓練。主目的は旗奪取ではない。禁止事項。直接破壊、命令形式による強制誘導、過度な追い詰め、倒れた者の放置」


 彼女は一つずつ読み上げる。


 事実として。


 命令として。


 いや、これはやはり命令に近い。


 グラナートの訓練なのだから当然だ。


 でも、今日の俺たちは、その命令の外側にある返事を探しに来た。


「停止権限。グラナート主将、旗管理官、カルミア部長、双方記録官」


 コレットが頷く。


「成功条件。命令外反応三回、非破壊遅延一回、または鉄旗一号が命令ではない返事を一つ示すこと」


 グラナート側の生徒たちが、少しざわついた。


 命令ではない返事。


 やはり、彼らにとっては異物のような言葉なのだろう。


 イリスは最後に言った。


「鉄旗一号を憐れむことを禁ずる。証人として扱え」


 その言葉で、ざわつきが止まった。


 イリスは、こちらだけでなく、グラナート側にも言ったのだ。


 憐れむな。


 証人として扱え。


 鉄旗はグラナートの誇りであり、命令の媒体であり、そして今日だけは、証人として見られる。


 コレットが俺たちを見た。


「確認します」


 彼女は言った。


「ネルさん。接点。触れたら、そこを言葉にしてください」


「分かった」


「ロイさん。命令ではない音。札を忘れずに」


 ロイは札を見せた。


 しゃべるな。


「アルフさん。戻り線。追いすぎ防止」


「ああ」


「ルカさん。風の前。使わないなら、誰を信じるか言葉に。使うなら、戻り言葉を先に」


「分かった」


「リメル。怖いまま、見せてください」


 リメルが揺れた。


 怖い。


 見せる。


 旗布にそう浮かぶ。


 鉄旗が、ほんの少しだけ反応したように見えた。


 気のせいかもしれない。


 でも、クララがすぐに記録した。


 開始前、リメル文字に鉄旗微反応。


 グラナートの記録官も書いた。


 削らない。


 それだけで、この訓練が始まった意味が少しあった。


「配置につけ」


 イリスの声。


 俺たちはフィールドに入った。


 昨日と同じ相手。


 でも、目的は違う。


 勝つためではない。


 いや、勝つためでもある。


 ただし、点数の勝ちではない。


 命令ではない返事を聞くための勝ち。


 それが次の勝ちに繋がる。


 ネルが隣で小さく息を吐いた。


「緊張する」


「珍しいな」


「うるさい」


「俺も緊張してる」


「知ってる。顔ひどい」


「また顔診断か」


 彼女は少し笑った。


 それで、俺の呼吸も少し戻った。


 アルフが床を見た。


「線は三つ」


 ロイが札を握る。


 リメルが揺れる。


 鉄旗が、向こうで命令を待つ。


 イリスが右手を上げた。


「開始」


 その一言で、再戦形式の合同訓練が始まった。


 グラナート側は、初手から硬かった。


 公式戦よりも、さらに慎重だ。


 鉄旗を前に出さない。


 まず、第二指揮が命令線を敷く。


 第三防衛がその外側に防衛角を作る。


 旗管理官は鉄旗のすぐ後ろ。


 イリスは中央。


 記録官は外。


 完璧に守る布陣。


 俺たちの目的が奪取ではないと分かっていても、グラナートは旗を守る。


 当然だ。


 鉄旗を憐れむな。


 証人として扱え。


 証人である前に、相手の旗だ。


「ロイ」


 俺は言った。


 ロイが札を見る。


 しゃべるな。


 頷く。


 足を一回。


 布巻き靴底が、低く鳴った。


 命令ではない音。


 号令ではない。


 攻撃でもない。


 ただ、そこにいると知らせる音。


 鉄旗の脚部が、ほんのわずかに止まった。


 グラナートの記録官が書く。


 クララが書く。


 コレットが表を見る。


「一回目候補」


 彼女の声が飛ぶ。


 確定ではない。


 でも、候補。


 イリスは表情を変えない。


「第二指揮、維持」


 命令が飛ぶ。


 鉄旗が再び硬くなる。


 やはり、命令は強い。


 ロイの音だけでは、すぐ戻される。


「ネル」


 アルフが短く言う。


 戻り線、一。


 ネルが一秒だけ魔力を出す。


 速い。


 鉄旗へ届くには遠い。


 でも、今日は奪うためだけではない。


 ネルは鉄旗の前ではなく、命令線の端に触れた。


 グラナート側の魔力線。


 そこに指先をかすめる。


「そこ、硬い」


 ネルが言った。


 鉄旗が、ほんの少し旗布を揺らした。


 鉄旗は命令線を見ている。


 その線を、相手が「硬い」と言葉にした。


 命令ではない観察。


 イリスの目がわずかに動く。


「維持」


 また命令。


 鉄旗が戻る。


「戻る」


 アルフが線を消す。


 ネルは追わない。


 戻り線を踏んで止まる。


 偉い。


 たぶん、かなり我慢している。


 俺なら褒めるところだが、今褒めると怒られそうなので黙る。


「命令外反応候補、二」


 クララが言う。


 グラナートの記録官も書いている。


 イリスはまだ認定しない。


 当然だ。


 候補と確定は違う。


 次に、グラナート側が動いた。


 第二指揮が手を上げる。


 鉄旗が低く構える。


 公式戦で見た、押し潰す動きの前兆。


 俺の喉に、風が来る。


 昨日の記憶。


 押し潰されるリメル。


 走るネル。


 届かない距離。


 風。


 言いかける。


 でも、その前に三点を見る。


 ネル。


 ロイ。


 アルフ。


 そして、言葉にする。


「アルフの線へ戻る」


 風は出ない。


 アルフが戻り線を出す。


 リメルがその線の内側へ滑る。


 鉄旗は押し潰す命令に入ろうとして、一拍遅れた。


 理由は、俺にも分かった。


 リメルが、逃げなかったからだ。


 怖いまま、見せた。


 命令ではない旗の動き。


 鉄旗が、怖いと羨ましいの間で止まったのかもしれない。


 ほんの一拍。


 それだけ。


 でも、グラナートの命令系統にとっては、明確な遅れだった。


「非破壊遅延一回」


 アルフが言った。


 グラナート側の記録官も、少し遅れて頷く。


 イリスは鉄旗を見た。


「認定」


 その一言が、訓練場に響いた。


 認定。


 非破壊遅延一回。


 成功条件の一部を満たした。


 ロイが叫びそうになる。


 札。


 自分で札を見る。


 耐えた。


 えらい。


 でも、まだ終わりではない。


 鉄旗の命令外反応は、候補が二つ。


 確定が必要だ。


 グラナート側の警戒は、ここでさらに強くなった。


 イリスが手を下げる。


「第二段階へ移行。鉄旗一号、保持優先」


 保持優先。


 命令が変わる。


 鉄旗の姿勢がさらに低く、硬くなる。


 守る。


 倒れない。


 迷わない。


 退かない。


 表層命令が強まる。


 クララが外から叫ぶ。


「硬くなっています。追いすぎないでください」


 分かっている。


 分かっているが、動きたくなる。


 反応が出た。


 遅れた。


 ならもう一歩。


 そう思った瞬間、鉄旗は硬くなる。


 追い詰めるな。


 証人に結論を押しつけるな。


「ロイ」


 俺はもう一度言った。


 ロイは足音ではなく、手を開いた。


 音を出さない合図。


 ネルが動く。


 鉄旗へではない。


 鉄旗の傷が見える角度へ。


 五歩以内は禁止。


 まだ第三段階ではない。


 ネルは距離を守った。


 そして、言った。


「そこ、見えてる」


 傷を指ささない。


 命令しない。


 ただ、見えていると伝える。


 鉄旗の旗布が、小さく震えた。


 今度は、グラナート側の命令より先に震えた。


 イリスの目が動く。


 旗管理官が手を上げかける。


 停止か。


 違う。


 彼は記録官へ合図した。


 記録。


 グラナート側が、記録を優先した。


 コレットの声が飛ぶ。


「命令外反応、一回目確定候補」


「候補?」


 ネルが小さく言う。


「まだ欲張るな」


 俺が言う。


「分かってる」


 分かっているネルは、戻り線を踏んだ。


 止まった。


 鉄旗の震えは、すぐに収まった。


 でも、記録された。


 削られなかった。


 訓練はそこで一時停止になった。


 イリスが手を上げる。


「停止」


 全員が止まる。


 ロイも止まる。


 ネルも止まる。


 俺も風を呼ばない。


 イリスは記録官と旗管理官の報告を聞いた。


 短い確認。


 旗布震え。


 命令前。


 外部刺激、言語観察。


 接近距離規定内。


 損傷なし。


 旗管理官は少し渋い顔をしていた。


 当然だ。


 鉄旗が、相手校の言葉に反応したのだ。


 喜ぶことではない。


 でも、隠すことでもない。


 イリスは言った。


「命令外反応、一回。認定」


 訓練場に、静かな緊張が走った。


 グラナート側も、カルミア側も、騒がなかった。


 騒げる空気ではなかった。


 ただ、何かが記録された。


 鉄旗が、命令ではない言葉に反応した。


 その事実が、訓練場の真ん中に置かれた。


 コレットが表に丸をつける。


 クララが唇を噛んでいる。


 嬉しいのと、怖いのが混ざった顔だ。


 ノル先輩は作戦席で眠ったまま、記録帳に何かを書いている。


 リメルの旗布に文字が浮かぶ。


 そこ。


 ネルがそれを見て、少しだけ照れたような顔をした。


 まだ訓練は続く。


 成功条件は全部満たしていない。


 グラナート側の警戒は、むしろ強まった。


 でも、再戦形式の合同訓練は、正式に動き始めた。


 相手の旗を奪うためではなく。


 命令の外にある返事を聞くために。


 そして、その返事を、どちらの記録からも削らないために。


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