ある前世の記憶
とある休日の公園。子供たちが、自分たちが天下を取ったとばかりに駆け回り、甲高い声が空気を震わせていた。
彼はベンチに腰を下ろし、その賑やかな光景を目を細めて眺めていた。柔らかな日差しが頬を温め、穏やかにまどろみを誘う一方で、その横顔にはどこか沈んだ影が落ちていた。
と、そこへ新たな影が覆いかぶさった。
「どうも、こんにちは」
「え、こんにちは……」
「隣、いい?」
「あ、はい。どうぞ……」
「よっこいせっと。ふー……いやあ、いい天気だねえ」
男は彼の隣にどっかりと腰を下ろし、鼻から大きく息を吐き出した。
「はい、そうですね……」
「なんで他のベンチが空いてるのに、わざわざ隣に来たんだろって思ってるでしょ?」
「え、まあ……」
「ちょっと聞いてほしいことがあってね」
男は体ごと向き直り、ぐっと顔を寄せてきた。
「聞いてほしいこと……?」
彼は思わず身を少し引いた。
「そう。実はね……僕には前世の記憶があるんだ」
「えっ、前世の記憶!?」
彼は思わず仰け反った。「その……それって、あれですよね。たまにテレビとかでやってるやつ……」
「そう、それそれ。前世が特攻隊だったとか、事件の被害者だったとか言って、涙を誘うやつね。どう? すごいでしょ」
「いや、その……」
「ん?」
「あなた、おじさんですよね……?」
彼は眉をひそめた。そう、目の前の男はどう見ても中年。髪は薄く、腹はぼってりと突き出ている。
「うん、それが?」
男は首を傾げた。
「いや、子供ならまだしも、大人に急にそんなこと言われても……あっ、お子さんのことですか?」
「違うよ。“僕”って言ったじゃん。それに、まだ独身だし」
「あ、そうですか」
「それでどう? 興味あるでしょ、僕の前世がどんなだったか」
「いや、あんまり……」
「え! どうして?」
「信じられないというか……そういうのって、子供だから許される話というか……」
「あー、嘘だと思ってるんだ。でも本当だよ」
「だとしても、大人に前世の記憶があるって言われても……今が大事というか……」
「ああ、僕の“今”に興味があるってこと?」
「いや、別に」
「無職ですよ」
「あ、はい」
「ちなみに、もう前世の年齢を越えてしまいましたよ。ははははは!」
「あ、ははは……それは、おめでとうございます、なのかな……」
「それでどう? 訊きたいことあるでしょ。むふ、遠慮なくどうぞ」
「いや、特には……。えっと、じゃあ前世では何をしていた人なんですか?」
「何も、だね」
「え? 何もしてない……? お仕事は?」
「何も、だよ」
「え、ああ、じゃあ今も昔も……」
「ええ、前世の記憶に引っ張られたんですかねえ。はははは! 君も気をつけたほうがいいよ。はははははは!」
「はあ、よくわからないですけど……」
「おっぱい」
「は!?」
「気にしなくていいよ。口癖みたいなものだからさ」
「そ、そうですか……あの、じゃあそろそろ家に帰りますね」
「友達になろう」
「え!?」
「君とは近しいものを感じる」
「嫌ですよ。いや、本当に」
「まあ、いいから、君のお母さんを紹介してください」
「や、やめてください! 離して!」
彼は必死に腕を振りほどくと、ベンチから飛び降り、全力で駆け出した。脇目も振らず走り続け、家に帰ると母親にぎゅっと抱きついた。
「あら、どうしたのー? 友達と喧嘩しちゃった?」
頭上から母の優しい声が降ってきた。そっと、母の手のひらが髪を撫でる。その温もりを感じながら、彼は固く心に誓った。
――前世の記憶があることは絶対に黙っておこう。この幸せを壊さないために……。




