水子をかどわかす
かわいい景色だった。
小川のはずれに小さな沢がある。
祠のように、窪んだところに沈むような、しかしどこか明るい夜の水の上を、小さな光の玉たちがふわふわと舞っていた。
「こっちへ、いらっしゃい」
私は貪欲な目を優しく輝かせて、その子たちに語りかけた。
「私の子どもに、してあげる」
その子たちは、産まれず堕ろされたことに、恨みのひとつもなく、ただ無邪気にそこで遊んでいた。
結婚して12年。
41歳で子なしとなれば、妻は気が触れるものだろうか。
夫が「いいよ」と微笑んでくれても、姑が優しく接してしてくれても、私には不妊を罪と自覚することから解き放たれることはなかった。
私の人生に、一度も子をもつことがないなんて──
母の言っていた『お腹を痛めて産んだ子だもの』という言葉を、その意味を、私は知ることがない。
だから水子をかどわかすのだ。
私のお腹に入れてあげる。
ペットショップに売られている子どもはいくらでもいるけれど──
貰うのなら水子がいいと思った。
産まれることのなかったこの子らを、私が産んであげる。
おいで──
こっちへおいで──
こっちの水は甘いよ?
ホタルのように──
ひとつ、小さな玉がユラユラと、近づいてくると、私のてのひらに収まった。
ひとつ──
またひとつ──
そこに舞っていた玉たちが、母を求めるように、すべて私の中に、押し寄せてきた。
私は七十八つ子を、産んだ。