短編「時化」
雨泉浪はひとつき以上も、太陽を見上げていなかった。議会は、竜は天下で変身するのだと、調査によって情報を得て知っていた。彼らは雨泉浪を地下牢に閉じ込め、陽光を受けさせなかった。
牢の床は石床だった。雨泉浪は、石床の冷たさに触れると、
ー《月よ、竜は夜の冷たさでは死なない、人間の冷たさで死ぬ》と古代ミノウチ語で呟いた。
地下牢の階段を人間が降りてくる足音がきこえた。兵士が来た。兵士は二人居た。二人とも鎧に身を包み、顔面は金属のフェイスガードを装着して、正体を隠していた。
ー起て・・・。兵士の一人がいった。それから兵士は、
ー化け物め、大人しくしていろ、といった。
雨泉浪はそう言われなくても大人しくしていた。兵士は彼の足元にしゃがんで足枷をはめようとした。その時、隣にいたもう一人の兵士が短剣を抜くと、しゃがんでいた兵士の脇腹を短剣で突き刺した。刺された兵士が呻き声を上げると、短剣を持った兵士はもう一度剣を奥深くに刺して、抜いた。刺された兵士は、仰向けになって雨泉浪の傍に倒れた。
倒れた兵士が息絶えた後も、二人は何も言わず黙っていた。それから短剣を握った兵士が、
ー《その火を見ていよ・・・時化などすぐに終わる》と古代ミノウチ語でいった。
ー・・・。
ーその火から目を離さず見ていよ。時化などすぐに終わる。
ー・・・。
ーこの言葉を覚えているか・・・。
その言葉は、かつて人間の姿を持たない本物の竜が、時化で食糧不足に苦しむ島民に向かって語った言葉だった。
ーいいや、誰かがあんたに言ったのか・・・。
ー貴様が俺に言ったのだ。十年も前になる。あの森の奥深くにあった湖で。あの湖で、俺と貴様は初めて出会った。
ー・・・。
ー起て、村澤雨泉浪
雨泉浪は動かなかった。死んだ兵士の鎖帷子が、兄であるイーシア竜の乾いた鱗に見えた。兵士の血は石床では黒ずんで見えた。
ー貴様は今日、広間で処刑される予定だった。
ー・・・。
ー貴様はそうなって然るべきだった。貴様は大勢の罪なき人間を焼き殺した。
ー・・・。
ー・・・。
ーあの土地は、昔から領土がアレナドになったりボルシアになったりと忙しかったんだってな。
ー・・・。
ーアレナドも。共和国になったり竜王国になったりと忙しかったんだってな。父はこの国をもう一度竜王国に戻そうと躍起になっていたが・・・俺には何の意味もない。
兵士はフェイスガードを剥いだ。碧眼で精悍な顔つきをした、金髪で七三ツーブロックの、二十代前半ぐらいの青年が姿を現した。
ー俺の名はレイニス・シャフター。
雨泉浪は、小声でレイニス・・・と呟いた。
ー村澤雨泉浪。
ー・・・。
ー力を貸せ・・・俺の仲間になれ。
ー・・・。
ーここで死ぬか、俺と脱け出すか、お前が決めろ。
それからレイニスは、自らの右手を雨泉浪に差し出した。
ー・・・。
ー・・・。
雨泉浪はレイニスの右手から目を逸らして壁のほうを見つめた。それから、
ー俺は何も決めない、放っておいてくれ、といった。