短編その7『サムライと石壁』
明治2年の春。津軽海峡の自然が人間たちの戦争を許す季節。
新政府軍の海軍に所属する軍艦、何時しか「甲鉄」と呼ばれていた其の艦が
江戸から改名されていた東京湾を出航して、北へと航海していた。
もしかしたら、その艦上には人知れず決意している乙女が居たかも知れない。
「開陽」提督…貴女と戦えなかった事を私は惜しむべきだろうか?
だが貴女の残した部下たち、もしかしたら私の戦友に成っていたかも知れない
彼女たちと私は戦う。
それが彼女たちや貴女への礼儀であり、我々の誇りの筈です。
かつてStonewall(石の壁)と呼ばれた“頃”の私が、
以前は同じアメリカ軍人だった彼らと戦った様に。
もしも「甲鉄」に宿る命と心が、進水時に彼女が命名された其の由来と成った
その名将と同じだったとしたら
*
艦魂。それは「ふね」を愛するものたちの語り継ぐ伝説。
彼らは彼らの愛する「ふね」に命と心が宿ると信じた。
ゆえに、“それ”ではなく“彼女”と呼んだ。
ゆえに、彼らは信じる。目に見えないだけ、耳に聞こえないだけ。
1パイの「ふね」には、必ず1人の「彼女」が居る。
若く美しい乙女の姿をした心優しき精霊。
もしも「ふね」を愛するものたちの想いが生み出したのなら、
もしも「名」という「言霊(ことだま)」を受け継ぐときには、その命と心は受け継がれるのだろうか。
だとしたら、あの「ふね」は…
欧米では、むしろ故人とかを讃(たた)える意味で、人名を使用して命名する場合が少なく無い。
その場合、その名前を呼ぶ方は、どんな言霊を込めているのだろうか。
*
何時しか日本人たちは「甲鉄」と呼んでいた“この”軍艦が進水した時の命名は
アメリカ内戦において“Stonewall”(石の壁)と讃えられた名将を讃えていた………。
……。
…「甲鉄」は確かに当時の新鋭艦だった。
だが“この”時代は、木造帆船から鋼鉄機関船への短くもない過渡期の間に在る。
新鋭艦の「甲鉄」が東京湾から津軽海峡まで航行する間にも、寄航は必要だった。
そうした停泊中の1夜、後の岩手県に当る宮古湾で奇襲が実施された。
「開陽」を失い「甲鉄」を新政府に奪われた「北海道共和国」は
それでも勝利の可能性を探していた。そして狙ったのは「甲鉄」だった。
実は、艦砲などの艦載兵器で敵船を撃沈する事を海戦の目標とする時代は新しい。
古代より長く海戦と言えば、敵船に乗り込んで乗っ取る事を意味していた。
その2つの意味の書き換えが完全に終わったかどうかについては、未だ微妙な時代だった。
「共和国」側が「甲鉄」への乗り込みを狙った事は無理も無い。
この時、斬り込みを指揮した「サムライ」を(艦魂)甲鉄は認識しただろうか。
先立つ数年間、テロリズムと思想闘争が荒れた京都で、西洋陸軍で言う処の憲兵中隊
正し、傭兵部隊を請け負って歴史に名を刻んだ「サムライ」
しかし闘争が内戦へとエスカレートすると、刀を振るっての憲兵中隊長から
この時代らしいライフル連隊の指揮官へと成長していた。
ここまでの戦いで京都以来の仲間たちの多くを失いながらも、最後の戦い場所と
いわば死に場所を求めて「開陽」に乗り込んで北海道まで来ていた「サムライ」は
まるで京都時代に回帰した様な斬り込みを指揮しつつ
「甲鉄」と言う勝利の可能性を手に入れようとした。
だが其の希望を打ち砕いたのは、彼に刀を捨てさせライフルを取らせた内戦の第1戦の
まるで繰り返しだった。
未だ魚雷艇だの潜水艦だの増して飛行機などはSFの中の存在である。
それでも今回の宮古湾の様な事態に備えて「甲鉄」の甲板上には
ガトリング連射銃が装備されていた。
まるで其の光景は(艦魂)甲鉄本人が、彼女を江戸湾に置き去りにした
「旧」幕府艦隊を拒否すらする様だった。
ついに「サムライ」は撤収を決断していた。
……「甲鉄」のアームストロング砲が、函館の地上を撃つ。
「開陽」無く「甲鉄」への乗り込みも失敗した「共和国」側には
もう「甲鉄」の攻撃をふせぐ力は無かった。
それでも函館の地上では、最後の戦いを続ける「サムライ」たちが残っていた。
宮古湾での乗り込みを指揮していた“あの” 「サムライ」も居た。
京都時代の様に文字通りの先頭で斬り込むのでは無い。
ライフル連隊を指揮する指揮官に相応(ふさわ)しい位置で
前線の兵たちを叱咤していた。
彼を最後に倒したのは、果たして「甲鉄」のアームストロング砲だっただろうか?
いずれにせよ戦いが終わった時、すなわち「甲鉄」の艦砲射撃が止(と)まった時
彼の姿と身体は地上から消失していた。
幕末の京都で返り血に染まった姿を歴史に残し、倒れ行く幕府とともに最後まで戦った
そんな「サムライ」が他には選択もしようが無い最期だったろう。
軍艦「甲鉄」“Stonewall”と呼ばれた名将の名を受け継いだ彼女の
結果として只1回だけと成った戦いは終わった。
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