短編その5『母なるフネ』
(2012/07/16)前書を差し替え
まことに勝手ながら、今回のサイト閉鎖に伴いまして
キャラクター設定を変更いたしました。
重ね重ね勝手ながら今後、今回登場のキャラクターに関しましては、
皆様方の豊かなる想像力に委ねたいと存じます。
したがいまして、いかなる既存のキャラクターとも無関係であり
まったく作者1人の責任に帰着いたします。
潜水艦という艦種は、水面下に隠れる“ステルス”能力のために、他の全てを犠牲にしている。
乗組員の日常生活まで含めてである。
まして、第2次世界大戦(WorldWarⅡ)の時代までは、技術上の皺寄せが乗組員に被っていた。
停泊地まで戻った潜水艦が母艦に横付けされる。
潜水艦長とかは、戦隊旗艦でもある母艦へ報告に行っている間、乗組の水兵はと言えば、
出撃中は魚雷の上に寝ていた身体を、母艦の宿泊施設で休息させる。
あるいは、風呂に入りに行く。シャワーが設けられたのは、原子力時代の話だ。
あるいは、水兵服を洗濯する。潜水中には洗濯の余裕すら無かった。
あるいは、酒保(艦内売店)で買い溜めをする。
潜水艦とは、酒保商品を積む余裕すら犠牲にして「ステルス」を獲得していた。
まったく、潜水艦乗組の手当が、水上艦艇の同階級の水兵より高い訳だった。
客船を徴用して使用する様な施設を搭載した母艦が支援して初めて、
潜水艦は「海の忍者」としての、真の力を発揮出来た。
流石に「戦後」はWWⅡの時代に比較すれば、まだマシだったが。
ちなみに、西暦2010年現在の日本には「潜水母艦」という艦種の艦は無いが、
それは、浮上出来なくなった潜水艦から、生存者を救出する施設を搭載して
「潜水艦救難艦」という艦種で登録されているからであって、
「事故」の無い時は“母艦”として潜水艦の世話を焼いている。
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その時「潜水艦救難母艦」『ちよだ (AS-405)』に搭載された小型艇が、
同じ『ちよだ』の名で命名された。
DSRVとは、任務中に浮上出来なくなった潜水艦の生存者を
母艦まで連れて来る目的で開発された小型潜水艇である。
潜水艦救難母艦「ちよだ 」は、このDSRVの搭載能力と、
潜水艦を支援する潜水母艦の能力を併せ持つ艦だった………。
……。
…母艦の定位置に固定されるDSRVを、
誰が気付いていただろうか、1人の母性的な女性が見守っていた。
この艦の命と心である「艦魂」ちよだ(母艦)だった。
潜水母艦と言う艦種の任務と特性のためか、
潜水母艦の艦魂は一般的に言って、母性的な女性が多い。
少なくとも、潜水艦の艦魂相手だと、本能的に母性的だった。
まして、同名のちよだ(DSRV)は、彼女の分身と言っても好かった。
そして「ちよだ(DSRV)」が命名された瞬間「艦魂」ちよだ(母艦)の腕と胸の中に、
見た目は幼いが可愛らしい姿が出現した。
「ちよだ(DSRV)」の命と心である、言わば艇魂。母なる艦は正しく娘を持っていた。
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潜水艦という艦は、言わば人工的に沈没する艦とも言える。
訓練するだけでも、危険とは無縁とは成らない。
したがって「救難」の訓練も欠かせない。
その日も「ちよだ」では、救難訓練が行われた。
人間側で、訓練後の反省会が行われている時、同時に母艦上のある場所でも、
同様の会議が持たれていた。
とは言え、先ずは恒例の儀式から始まる。
「褒めて褒めて」と見た目は幼い「娘」が「母」に要求する。
これに対して微笑みながら、頭を撫でてあげる姿は「母」に違い無かった。
「この」儀式の後で「救難される」役だった潜水艦の艦魂を交えて、
真面目な反省会には成るのだが。
その間にも、ちよだ(母艦)が、自分の「娘」だけでは無く潜水艦の世話まで焼きたがるのも、
また恒例だった。
潜水母艦の艦魂とは、潜水艦の艦魂相手だと、本能的に母性的なのだ。
ちなみに「艦魂」ちよだ(母艦)が潜水艦の艦魂に何か食べさせている時には、
「ちよだ」から潜水艦のバッテリーへと充電が実施されていた。
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「ちよだ」の艦内には、自体の乗組員以外に、潜水艦1隻分の休息室が設置されている。
特に、今回の訓練が「救難」だっただけに、反省会の後で潜水艦の乗組員たちは
母艦の休息室で身体を伸ばしていた。
そんな何時もの光景。
それが「この」時だけは、違っていた。
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反省会も「お開き」に成りかけた頃、意外な通信が傍受された。
ロシア領カムチャツカ半島の周辺で、ロシア海軍の通信が飛び交っていた。
その時、2005年8月4日
この時、半島の沖合いで、ロシア海軍の深海救難艇が行動不能と成る事故が発生していた。
そして、乗員7人が深度180mで閉じ込められていた。
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「まま」不安そうな「娘」を見て、しかし「母」の方は勇気を与えられていた。
「大丈夫よ」それから、艦魂としての使命を表に出す。
「出動する事に成るかもね」
5年前(2000年8月12日)原子力潜水艦クルスクの乗員全員を失っていたロシア海軍は、
今回は、速やかに各国海軍の救援を求めた。
「ちよだ」の艦内には、横須賀基地に居合わせた潜水艦の艦魂たちが集まっていた。
「彼女」たちにとっても「他人事」では無い。
それが、潜水艦の宿命だった。
集まった乙女たちの誰もが、ロシアの乗組員の無事を願っていた。
8月5日
ロシア海軍からの依頼に基づいて、海上自衛隊は出動した。
同日12時
海上自衛隊、横須賀基地。
潜水艦救難母艦「ちよだ」は同基地から現地に向った。
同時刻
「ちよだ」艦内。
詰め寄せていた潜水艦の艦魂たちが、ちよだ母娘に1言ずづ言葉を交わしては転移して行く。
そして、潜水艦バースに係留されていた分身に戻ると、その艦上から帽子を振っていた。
「彼女」たちにとっても、ちよだ(母艦)は、優しく世話焼きな「母親」だった。
もっとも潜水艦だけでは無く、居合わせた自衛艦や米軍艦までが「帽振れ」や敬礼で見送った。
そして、救援の成功を願っていた。
さらに掃海母艦が掃海艇2隻を従えて合流する。
行先は、ペトロパブロフスク・カムチャツキーの沖合。だが………。
……。
…8月7日の朝早く、イギリス海軍が空輸した無人潜水機が先に到着、
その支援によって自力での行動を取り戻していた。
結果、乗員全員と共に無事脱出した。
同日15時
「ちよだ」たち、派遣艦隊は帰国する事に成った。
「ふにゃ」
急に外見相応の甘え方で「母」に甘える「娘」だったが、
そんな「娘」に優しく甘えさせながら「母」の方は、
優しくも嗜めていた。
「これで好いのよ」
無駄足であれば、その方が好い。
「救難艦」の任務と言うのは、そういう物だ。
そして「母艦」としての「世話焼き」な日常が戻って来ようとしていた。
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