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2-1



 クラリスは、朝焼けが眩しい窓の外を眺めながらも身支度を整えた。

 ロナルドの屋敷で働き始めて、早いもので一か月が経った。

 主な仕事は、洗濯と繕い物だ。屋敷には帰って来られない様子のロナルドだが、鍛錬をかかすこともなく、討伐にも精を出しているようで三日に一度、洗濯物が届く。

 魔獣の血で汚れたものや、何がかすめたのか焦げ付いたものまでさまざまで、彼の仕事の過酷さを思い知らされる。

 中にはあまりに損傷がひどく直せないものもあったがクラリスは丁寧に洗って、補修し、アイロンを当てて綺麗に畳んで整える。それらはいつも着替えを引き取りに来てくれるコーディという事務官にアランが渡していた。クラリスもアランの代わりに二度ほど、彼に会ったことがあった。犬系の獣人族で耳と尻尾がふさふさしていた。

 ここでの暮らしは、とても穏やかで優しかった。アランとモニカは、クラリスをまるで娘のように可愛がってくれ、いつも温かく接してくれる。ミランダの金切り声で呼ばれるたびに身が竦んでいたのが遠い昔のようで、二人の柔らかな声が「クラリス」と呼んでくれると、心がぽかぽかする。

 それに二人はクラリスのささやかな手伝いにとても感謝してくれる。

 三食の食事も美味しく、仕事はいつも夕食の片付けで終わりだ。朝起きる時間は以前とあまり変わらないが、就寝が早くなった分、良く眠れる。

 おかげで、近年まれに見るほどクラリスは調子が良かった。

 ここで働かないか、と誘われたあの日、クラリスは二つだけ我が儘を言った。

 一つ目はロナルドの手紙をくれないか、と。

 書かれていた言葉が本当に本当に嬉しかったから、お守りにしたいとお願いするとモニカと戻ってきたアランは快く了承してくれた。

 二つ目は『この客間を出たいんです』と。

 客間というのは、文字通りお客様が泊まるお部屋だ。もし、ここで働くようになればクラリスはお客様ではなくなるのだから、なんとも申し訳ない気持ちになってしまう、とそうモニカに伝えた。

 モニカは、そういうことならとアランと相談して、屋根裏部屋をクラリスにあてがってくれた。

 ここは使用人が使うための部屋だ。アシュリー伯爵家にも屋根裏と半地下にそれぞれ使用人の部屋があった。おそらくよほどの大金持ちの大豪邸でもない限り、使用人専用の建物なんかなく、こういった場所に部屋が設けられているはずだ。

 ただ足の悪いモニカは、屋根裏への梯子の上り下りができないため、一階の部屋を一室借りているので、ここが空いていたのだ。

 三角の屋根の下、梁が見える天井裏にはきちんと窓もついているし、ロナルドが断熱魔法を施しているのだそうで、きっと夏も冬も快適に過ごせる。

 天井がない分、床面積に比べて広々としているように感じる。ベッドとクローゼット、そして小さなテーブルセットがある。しかもちょっとした洗面台までついている素晴らしい自室は、クラリスにとってはとても居心地の良い空間だった。

 朝起きたらまずは着替えて顔を洗い、窓を開けて部屋の空気を入れ替え、掃除をする。

 今日はシーツを洗う日なので、ベッドから剥いで、それ以外にも洗濯物をシーツに包んで胸に抱える。

 ロナルドの手紙はベッドヘッドにある小さな引き出しに大切にしまってある。ちょっとした棚になっていて、小さな引き出しが左右に一つずつあるのだ。


「あら、おはよう」


「ちゅんちゅん」


 最近、遊びに来るようになった小鳥に挨拶をして、そのまま窓から外へ出る。


「よいしょっと」


 たとえ、空を飛ぶことはできなくてもクラリスは鳥人族であるがゆえに魔法がなくても二階の屋根から飛び降りるくらいは平気だった。


「ふふっ、今日も軽やかねえ」


 裏庭に着地するとモニカの声がした。モニカが裏の勝手口から出て来るところだった。その腕にはシーツが抱えられている。


「おはようございます、モニカさん」


「おはよう。これ、お願いね。わたしたちのよ」


「はい。分かりました。ロナルド様のお洗濯は……」


「ちょうど今、届きましたよ」


 そう言ってアランが出てきた。彼は大きな麻袋を抱えていた。クラリスは一度、洗い場に抱えていたシーツなどを置いてから、それを受け取る。


「たくさんだけど、大丈夫?」


「はい、頑張ります」


 クラリスが小さく拳を握るとモニカは「お願いね」と笑って、家の中に戻っていく。

 クラリスとモニカたちのシーツは五日に一度ほど洗っているがそれ以外のロナルドの部屋や客間のシーツは使用していない場合は、一週間に一度だけ洗うそうだ。

 クラリスは家の裏庭にある洗い場へ行く。井戸に手漕ぎポンプが設置されていて、その水が出る先に石のタイルで作られた洗い場があるのだ。

 洗い場に大きな洗濯桶を置き、ポンプを漕いで水をためてシーツと洗濯草から作られる洗い薬を入れる。メイド服のスカートを縛って、靴下を脱いで素足になり鼻歌を口ずさみリズムを決めてシーツを踏んで洗う。

 服や下着は、洗濯板を使って丁寧に洗う。洗い薬は花や果物の香りをつけることができて家や個人によって好む香りは違う。ここでは爽やかな森のような香りがつけられていた。

 二回ほどすすいだら。裏庭に渡されているロープに洗濯物を干していく。


「今回は何と戦ったのかしら……」


 ロナルドの騎士団の制服は、なぜか溶けたような痕がある。


 修復できない損傷の激しい制服などはとっておいて、こういった場合の当て布などに使っている。師団長様なのだから、もっときちんとした制服を着なくていいのかと思わずアランに聞いてしまった。


『あまりに服をだめにするので、綺麗なものは内勤の時にしか着ないそうです。まあ、確かにこれだけ色々ありますとね……騎士の制服は防御魔法があれこれかけられた特別な布で作られているので、一着作るにもとても時間がかかるのだそうです。騎士団のお金も国民からの血税で賄われていますから、無駄遣いはしたくないともおっしゃられていました』


 とのことだった。

 ロナルドは物を大切にする人のようだ。

 アランやモニカの話を聞く限り、ロナルドという人は思慮深く真面目で優しい人だ。

だが、ものを大事にするところや、こんな素性も知れない女を雇ってくれる懐の広さ、何より一度しか会ったことはないが、クラリスを案じてくれた時の真剣さ。

 ただの一度きりしか会ったことはないのに、誠心誠意、お仕えしようと思わせてくれる素晴らしい人だとクラリスは感じていた。

 洗濯物を干し終えると、丁度、朝ごはんの時間になる。キッチンにあるテーブルで三人で朝食を食べて、片づけをする。

 アランは主に事務仕事を片付け、クラリスとモニカは掃除をしたり、庭の手入れをしたり、食事の仕込みをしたりする。

 午後は、基本的にクラリスはキッチンの横にある使用人の休憩室で、繕い物をする。丁寧に丁寧に、ひと針ひと針にロナルドの無事を願いながら繕っていくのだ。

 そして、午後のおやつを食べて、モニカの夕食づくりを手伝い、夕食を食べたら片づけをして、シャワーを浴びたら就寝だ。

 毎日がこんなに平和で穏やかでいいのだろうか、と不安になってしまうぐらいにクラリスは幸福な日々を過ごしていた。


*・*・*


「……どういうことなんだろうねぇ」


「一体、何があったんでしょうか」


 ソファに座るロナルドの前で毎朝の問診に来たヴィムと事務官のコーディが首をひねっている。


「……俺にもわからない」


「僕も先生に言われてから、意識して師団長の様子を見ていますが、以前と生活の流れはほとんど変わらないんですよ」


 コーディの言葉にヴィムは「だよねぇ」と言いながら手元のカルテに視線を落とした。

 モニカを救ってくれたクラリスに会ったあの日、ロナルドは絶好調だった。

とはいえ翌朝には魔力があふれ出してしまい、酷い倦怠感と頭痛に悩まされたのは確かだ。それから討伐に出かけるまではやはり執務室に引きこもり、扉越しにコーディや部下たちとやり取りをするほかなかった。

 だが、あの絶好調の日から一週間ほどして、また魔力の生成や流れが少し穏やかになることが増えたのだ。しかもそれは日を追うごとに改善されて、こうしてコーディといつでも顔を合わせられるようになった。


「たしか絶好調だった日の三日後に一度、討伐遠征に出たよね」


「ああ。南の地方にアックスアントが出て、それの討伐に向かった。四日後には帰還した。少々、襲われた村の被害がひどくて救助活動が優先されたのでな」


「うん。僕も応援に行ったからね……でも、こっちに帰って来てからだったね。君の暴れん坊な魔力が落ち着いて穏やかになったのは」


「そうだな。こうして対面で話ができている。それに倦怠感や頭痛も改善されている」


「僕の薬は調合を変えていないし、食べているものだって僕たちと同じだしねぇ」


 騎士団には食堂がある。ロナルドは体質の問題で、いつもコーディにここへ運んでもらっているが、メニューは三食とも日替わり一つきりなので彼らと同じものを食べている。

 一体なぜ、突然に打つ手が一つも見当たらず絶望さえ感じていたロナルドの魔力過多症が改善され始めたのか、さっぱりと分からないのだ。

 ロナルドの騎士団での生活は変わらない。書類を捌いて、報告を聞いて、魔力に余裕があれば会議に出て、鍛錬をして、必要があれば討伐に行く。食べているものだって、飲んでいる薬だって、なにもかも以前と同じだ。


「……僕、昨夜、ベッドの中でじっくり考えてみたんです」


 コーディがおずおずと口を開いた。

「それで師団長の生活の中で、一つだけ変わったことがあるなって気づいたんです」


「なんだい?」


 ヴィムが食いついた。


「クラリス嬢ですよ」


 コーディの言葉にロナルドとヴィムは顔を見合わせた。


「たしか、行く当てがないから君の屋敷で働いているんだっけ?」


「ああ。俺から提案したんだ。俺の大事な人の恩人だから、せめてそれくらいの恩返しをしたくてな」


 モニカを庇った時にクラリスが負った怪我は、ヴィムが診察し、治療してくれた。五日ほどの経過観察を経て、もう大丈夫だと報告を受けた時はほっとしたものだ。

 その後、アランからクラリスの事情を聞いて、もともとアランとモニカが若い使用人を探しているのも聞いていたので、主であるロナルドから提案したのだ。クラリスに何かしたいとアランも思っていたようだが素性の知れない人を雇い入れたいとは、さすがのアランでも言いづらかったのだろう。返事の手紙は文字からして浮かれていた。


「僕、師団長の洗濯物を届けに行くじゃないですか。その時、アランさんが、クラリスさんがモニカさんに代わって洗濯や繕い物をしてくれて助かるって言ってたんです。だから、師団長の生活の中で、唯一変わったのが師団長の洗濯物を洗って、繕ってくれる人なんです。それに師団長が絶好調だった日は、クラリスさんに出会った日です」


「確かに……言われてみれば、服を着替えると穏やかな気持ちになるような気がする。綺麗な服に着替えるから気分がいいのだと思っていたのだが」


「コーディ、ロナルドがまだ使っていなくて、クラリスさんが洗った服の替えはあるかい?」


「はい、すぐにお持ちします」


 コーディが事務官室に行き、麻袋を持って戻ってきた。あれはいつもロナルドの洗濯物を入れて、屋敷とここを行ったきり来たりしている袋だ。


「今朝、受け取ったばかりのものです」


 コーディがテーブルの上に置いた。


「ロナルド、見てもいいかい?」


「ああ」


 一応、ロナルドの許可を取り、ヴィムが中身を検める。

 数着の訓練着と騎士の制服が二着ほど出て来る。ヴィムは真剣な顔で丁寧な仕事ぶりのうかがえるそれを観察し始めた。

 何かの呪文を唱えたり、めくったり裏返したり、自分で着てみたりもしているが、とくに何かが見つかりそうな様子はない。

 クラリスの仕事はとても丁寧だ。ほつれも破れも穴も綺麗に修繕されて、遠目では全く分からないほどだ。モニカは、最近、老眼が進んで針の穴に糸を通せない、通せても手元がよく見えないと嘆いていたので、本当に有難い限りだ。

 町の警邏担当や護衛を務める近衛ならば、制服は消耗品とはならないだろうが、魔獣を相手にする第二師団にとって、制服は消耗品だ。

 だが、魔獣を相手にするからこそ他の部隊より制服は丁寧に作られているそれを、消耗品だからと次から次に新調していては、生産が間に合わないと昔、問題になったそうだ。生産を間に合わせようと魔術裁縫師たちがかける防御魔法が雑になって、騎士が重篤な怪我をする割合が増えてしまったらしい。

 なので、第二師団は基本的にはこうして制服も訓練着も補修を重ねて使っている。自分でするものもいれば、ロナルドのような貴族や商人の家の出の者は使用人に頼んだり、結婚していれば家族に頼んだりとそれぞれだ。第二師団内に専門の洗濯係りもいるので、そちらに頼んだりもする。


「うーん、魔術が施された様子はないんだけど……」


 魔術師のローブを脱いで、騎士の制服のジャケットを羽織ったヴィムが口を開く。


「少しだけ落ち着くような気がするね。ちょっとコーディも着てみて」


 そう言ってヴィムがコーディの肩に制服のジャケットをかけた。


「…………確かに、なんだか少し楽ですね。別に肩こりが解消されている感じとかではないんですが」


 コーディが不思議そうに言った。


「僕が診察した限りだと、彼女はほとんど魔力がないんだよ」


「ほとんどないって、量が少ないということですか?」


「うん。器はそれなりの大きさを感じるのだけれど、彼女の魔力自体は、器を瓶に例えるなら、その底にうっすら残る水のような量しかなかった。だから魔法は使えないと本人も言っていたんだよ。でも、魔力がないわけではいから、魔道具は使えるので不便はない、とも」


 魔道具は、魔力を流して使う道具だ。魔石とよばれる魔力の結晶が組み込まれていて、使用者が魔力を流すことで、動き始めるのだ。それは例えば、ランプであったり、コンロであったりと様々で、庶民の生活にも根付いている。


「アランから、彼女に関する報告書とかないのかい? 一応、監視も頼んでいるんだろう?」


「あるぞ」


 ロナルドは立ち上がり、デスクへ行って引き出しからそれを取り出す。

 ロナルドの大きな手でがしっと鷲掴みにされた手紙の束をヴィムに渡した。


「上から日付が古い。読んでみろ」


 ロナルドが許可を出すと、ヴィムが手紙を広げ、コーディが横からのぞき込む。二人は次々に手紙を広げて読んでいく。


「……これは」


 コーディが顔を上げた。


「アランさんとモニカさんが、ただただクラリスさんを溺愛しているという報告では……?」


「……そうなんだ。最初は怪しい様子はないとか一応、報告書らしい内容だったんだが、最近では娘を溺愛する親馬鹿みたいなことしか書いてなくてな」


 ロナルドも困惑気味に返事をする。

 本当に最初(三日くらいだが)は「怪しい動きはなかった。外部との接触無し」など書かれていた。だが、最近は「クラリスは刺繍もお上手でハンカチに名前を刺してもらったんです。宝物です」だことの「料理も上手で良いお嫁さんになりますわ」だことの「鼻歌を口ずさんでいる姿はあどけない少女のようで可愛らしいです」だことの「とても気が利いて、助かります。やっぱり良いお嫁さんになります」だの、もはやただただクラリスの良いところが書き連ねてあるだけになっているのだ。


「……これ、アランは泣いたのかな」


「文字がにじんでいますもんね」


「いや、でも、クラリスさんはアランの娘じゃないのに、どうして嫁に行く想像をして泣けるんだろうね」


 昨日、アランから届いた手紙をひらひらさせながらヴィムが苦笑を零した。

 その手紙には「クラリスを嫁にやるかやらないか」という問題で、モニカと喧嘩したとあり、最終的に婿を取るという結論に落ち着いたらしい。

 なんの話だろう、とロナルドは困惑するほかなかった。


「総合すると、クラリスさんは、美人で可愛くて気が利いて気立てが良くて、品もあって教養もある素晴らしい女性だってことが言いたいんだろうね」


 ヴィムが大真面目に言った。


「……そうだろうな。あれこれ疑うのも俺の仕事だが、正直、あまり彼女が悪い人間には思えない。話し方や雰囲気、目を見れば仕事柄、なんとなく分かるからな」


「それは確かに。僕も二、三度、洗濯物の引き渡しでお会いしたぐらいですが、物静かで穏やかそうな方ですよね」


 コーディがロナルドの言葉を肯定する。


「僕も診察をしたけど、なんだかいつも遠慮がちで控えめな人って印象だなぁ」


「そういえば、羽切りの件はどうなったんだ?」


 ふと思い出してヴィムに顔を向けた。

 ヴィムは、困ったように眉を下げて口を開く。


「それが……隊内の何人かの鳥人族と食堂と事務員の女性の鳥人族とかにも聞いたんだけど、皆、口をそろえて『ありえない!』って真っ青な顔をしていたよ」


 ロナルドとコーディは顔を見合わせ、再びヴィムに視線を向けてその先を待つ。


「曰く、自分たちは確かに鳥の翼を持つけれど、人間であることが前提なのだから、そんな尊厳を無視したことをされたらたまったものじゃない、と。羽切りは、あくまで家畜化された魔鳥やペットに行うものだと大憤慨してたよ。ちなみに全員、それも反対派だった」


「で、あればクラリスは、何か事件に巻き込まれたんだろうか」


「そこがねえ。あんまり素性を話したがらないみたいだしね」


 ヴィムはテーブルの上の手紙をちらりと見る。

 クラリスという女性について現在分かっていることは、どこかの家に仕えていたらしい使用人の子どもで幼いころに母親を亡くしたこと。つい先日まではその屋敷で世話になっていたが、クビになったのか自主退職なのかは分からないが、屋敷を出たということ。

 モニカを助けてくれたあの日は、商業ギルドに向かっている途中だったらしい。

 どれもこれもロナルドが本人から直接聞いたわけではなくアランとモニカが彼女から聞いた話だ。アランやモニカが、そこら辺を誤魔化しているとも思えなかった。


「頑なにどこの屋敷にいたのかは教えてくれないらしい」


「メイドさんとして優秀なようだから、愛人として囲われていたってわけでもなさそうだ」


「でも……空を飛べなくされているんですよね」


 コーディがためらいがちに口にした言葉に部屋に重苦しい沈黙が落ちる。

 きっと彼女が訳アリなのは間違いない。


「ねえ、ロナルド。魔力のほうの調子もいいし、仕事も今のところ緊急なものはないだろう?」


「ああ」


「なら、少し様子を見てきたらどうかな? もしクラリスさんと接触して、何か変化があればすぐに伝言魔法を飛ばしてほしい」


「……そう、だな。明日、顔を出してみよう」


「では、そのように調整してきます」


 そう言ってコーディが、早々に立ち上がり事務官室へと行った。

 ロナルドは、革手袋をはめた両手に視線を落とす。

 なんとも落ち着かない気分だった。生まれてからずっと悩まされ続けた魔力の問題に一筋の光が差し込んで高揚する気持ちと、その光がどこから差しているのか分からず、いつ消えるかと怯える気持ちが半々なのだ。


「ロナルド、きっと大丈夫だよ」


 目だけをヴィムに向ける。ヴィムはいつもと変わらず穏やかに微笑んでいたが、その視線は膝の上に置かれたロナルドの訓練着に向けられていた。


「とても丁寧に繕われている。こういうものは、やった人の性格が出る。クラリスさんは、きっと真面目で、心優しい人なのだろうと僕は思うよ」


「…………勝手に期待して、勝手に失望してしまいそうで、嫌なんだ」


「人間は皆、自分勝手だからね。でも君は、だからといってクラリスさんに当たるような人じゃない。僕はそれを知っている。だから、大丈夫だよ」


 ヴィムとは十三歳で学園に入学してからの付き合いで、もう十五年も一緒にいる。だからこそ、彼の「大丈夫」は、本当に大丈夫だと思わせてくれるから不思議だ。


「……そうだな、ありがとう」


「どういたしまして」


 そう言ってヴィムは、いつもの穏やかな笑みをほんの少しだけ深めたのだった。



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