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「血も止まっているし、あとはこの傷薬を塗って、一日一回ガーゼを換えてね。足首もこの軟膏を塗って二、三日もすればよくなるよ。腕とかにある痣はこっちの薬。きっとあとで痛い箇所が出て来ると思うけど、絶対に我慢せず教えてね」


 そう告げるのは、頬に薄茶や黒の鱗が浮かぶ有鱗族の男性・ヴィムだ。彼はロナルドの同僚で騎士団所属の魔導治癒医士らしい。

 運び込まれたのは、こぢんまりとしたお屋敷だった。フェアクロフ侯爵の息子が住むには随分と小さいのではと思えたが、仰々しいお屋敷に連れて行かれたらクラリスは焦りと恐怖で失神していたかもしれなかった。

 クラリスは、ロナルドの屋敷の客間のベッドの上にいた。

 診察と治療が終わったところで、クラリスの荷物を騎士が届けてくれたそうで、お暇しようとする間もなくその中に入っていた寝間着に着替えさせられた。頭にはぐるぐるに包帯が巻かれていて、庇った時にひねったらしい左の足首も包帯が巻かれていた。ワンピースが長袖で裾も長かったので、擦り傷は下敷きになった手の甲だけで済んだ。

 こんこん、とノックの音がしてヴィムが返事をすると、ロナルドとアラン、モニカが入ってきた。

 モニカは先ほどまでここにいて何くれなく世話を焼いてくれていたが、先ほど、お茶の仕度をしてくると出て行ったのだ。現に今、ワゴンを押しながらこちらにやってきた。


「ヴィム」


「今のところは大丈夫そうだけれど、頭は怖いからね。モニカさん、いまから丸一日はとくに気に掛けてあげて下さい。何かあったらすぐに僕に連絡を。僕が来られない場合は、部下を来させますから」


「はい。分かりました」


 力強く頷くモニカにヴィムは「こっちが頭のほうの傷薬、これが足の軟膏で、これは打撲の。こっちが熱が出た時の頓服薬です」となぜか薬の説明をし始めた。


「クラリス」


「は、はい」


 ロナルドに呼ばれて顔を上げる。


「ありがとう。モニカは俺の乳母だった人で、大切な人だ」


「クラリスさん、私からもお礼を。妻を助けて下さって、ありがとうございました」


 ロナルドとアランに頭を下げられて、クラリスは慌てて首を横に振った。するとずきんと頭が痛んで肩が跳ねる。


「頭をあんまり動かさないようにね。ロナルドとアランさんも、患者さんを刺激しないように」


 ヴィムに言われて、全員、大人しく従う。


「クラリスさん、ご家族か職場に連絡をさせて頂きたいのですが」


 アランの申し出にクラリスはわずかに首を横に振った。ただ、それ以上をどう伝えたらいいか分からず押し黙る。

 気まずい沈黙が部屋の中に流れているのは分かるが、アシュリー家のことは話したくなかった。フェアクロフ侯爵家に迷惑をかけただなんて知れたら、どうなるか分からない。連れ戻されることだけは避けたかった。


「……患者さんは頭を打っているから、今はただ心身ともに休ませてあげてください。それとロナルド、そろそろマズイんじゃないか?」


「あ、ああ。そうだな、忘れていた」


 ヴィムの言葉にロナルドがわずかにその顔に焦りをにじませた。アランとモニカが心配そうにロナルドを見上げる。


「クラリス、もし行くところがなければ怪我が治るまで我が家で過ごしてくれてかまわない。先ほども言ったが、君は俺の大切な人の命の恩人だ」


「ですが、ご迷惑をかけるわけには」


 クラリスの言葉に今度は、モニカが前に出てきてクラリスの手を握った。


「おかげさまで、わたしはどこも怪我をしなかったわ。そのお礼をさせてくださいな」


 濃い茶色のたれ目が優しく細められる。その手のぬくもりはなんだか払い難くて、クラリスはやっぱり押し黙ってしまう。


「ロナルド」


 ヴィムが急かすようにロナルドを呼ぶ。


「分かっている。アラン、モニカ、頼んだぞ。クラリス、すまないが仕事に戻らねばならない。失礼する」


「僕も一度、失礼するよ。夜、また様子を見に来るから」


 そう言って、ロナルドとともにヴィムも客間を出て行った。

 パタン、とドアが閉まる音が静かに響いた。


「クラリスさん、もし、飲めるようでしたらお茶をどうぞ」


「あ、ありがとうございます」


 アランが差し出してくれたお茶をモニカが手を放してくれたので受け取る。

 薫り高い紅茶はショウガがブレンドされていて、その爽やかな匂いとショウガの辛味を考慮して入れられているのだろう蜂蜜の甘さに、ほっと息を吐く。雨で冷えた体に温かい紅茶がじんわりと広がっていく。


「ショウガの香りがしますね」


「苦手だったかしら?」


 心配そうに眉を下げたモニカに、クラリスは小さく微笑んだ。


「いえ、とても美味しくて、体が温まります」


「それはよかった」


 アランがほっとしたように目じりを下げた。彼の薄茶の目もたれ目だと今になって気づいた。


「わたし、以前に階段から落ちた時に左膝を怪我してしまって、走ったりはできないの。だからわたしは、きっとあれを避けられなかった。貴女が助けてくれなかったら、ここにはいなかったわ。本当にありがとう」


「モニカさんにお怪我がなくてよかったです」


 クラリスは心からそう告げた。いらない、と言われてばかりのクラリスでも、誰かを助けられたことが嬉しかったのだ。


「このお屋敷、と呼ぶには少々小さいですが、ここは先ほどのロナルド様と私たち夫婦しか住んでおりません。ロナルド様は第二師団長としてお忙しくされていてほとんど帰っては来られないのですが……」


 少しだけ寂しそうにアランが眉を下げた。


「怪我が治るまではどうか、我が家と思って過ごしてくださいね」


「……ですが」


「良いのです。ロナルド様のご意向でもありますから。さて、我々がここにいては休めませんね。何かあったらそちらのベルを鳴らしてください。我々、年のせいで耳が遠いので、なかなか来ないなと思ったら、申し訳ないですがたくさん鳴らしてくださいね」


 アランが茶目っ気たっぷりにそう告げると、モニカが「もう」と呆れたように笑った。仲の良い夫婦なのだろうとクラリスも穏やかな気持ちになり、頭だけではなく足を痛めて歩けないのだから一晩だけはお世話になろうと自分を納得させる。


「ゆっくり休んでくださいね。紅茶はあとで引き取りに来ますから、おかわりもご自由に」


 そう言って、モニカとアランは軽く一礼し、客間を出て行った。

 クラリスは残りの紅茶を飲んで、カップをベッドわきにくっつけられたワゴンに戻し、ベッドに身を任せる。

 ふと窓の外を見れば、いつの間にか霧雨は止んで、薄い雲の切れ間から太陽が顔を覗かせていた。

 部屋に一人きりになって、身も心も随分と強張っていたのがゆるゆるとほどけてベッドに沈んでいく体に自覚する。


「少し、だけ……」


 疲労からだんだんと瞼が重くなってくるのに抗えず、クラリスはゆっくりと目を閉じたのだった。


 *・*・*


「あの子……訳アリっぽそうだねぇ」


 同じ馬車に乗り込んで、馬車が走り出してすぐ、ヴィムがぽつりとこぼした。

 もうそろそろ魔力が溢れそうな時間ではあるのだが、ロナルド本人としてはまだ余裕がありそうで一緒に同じ馬車で帰ろうと誘ったのだ。


「体に何か? それとも虐待の後が? そういえば、比喩ではなく本当に綿のように軽かった……飯をまともに食えていないのだろうか?」


「あの子、鳥人族だよ? 鳥人族は他の種族より空を飛ぶために骨とかが軽量化してて軽いんだよ。師団にいる鳥人族の騎士を抱き上げてごらん、びっくりするから」

 

 鳥人族の騎士の顔は数名浮かんだが、いきなりロナルドに抱き上げられたら全員、驚愕するし狼狽えるだろう。


「鳥人族といえば、翼だよね。原理不明の出し入れ自由のあの翼」


「ああ」


「庇った時に咄嗟に翼を出したらしいから、翼も一応、診せてもらったんだ。……彼女、その翼に羽切りが施されていたんだ」


「はぎり?」


 耳慣れない単語にロナルドは首を傾げた。


「羽を切ると書いて、羽切りだよ。空を飛ぶ鳥というのは、鳥人族も魔鳥もその辺の鳥も、皆、風切り羽という羽を持っているんだ。翼に綺麗に並んで生えている大きな羽だよ。この羽が風をとらえて、自由に空を飛ぶんだ。でも、彼女はその風切り羽が大部分、切られていたんだ」


「……つまり彼女は、空を飛べない、ということか?」


「うん。あれでは多分ね。僕も知識としてしか知らなかったから、帰ったら仲間の鳥人族に少し話を聞いてみようとは思っているんだ。もちろんクラリスさんのことは伏せるよ」


「そこら辺は信用している」


 ロナルドの返事にヴィムは嬉しそうに頬を緩めた。


「僕は有鱗族だし、君は人族だ。だから鳥人族にとって、羽切りが施されることがどういうことなのかは聞いてみないと分からないんだ」


「普通はどうして行われるんだ?」


「たとえば家畜化されている魔鳥とかペットの鳥に施すんだ。最大の利点は、空が飛べなくなるので逃げるという心配をしなくていいし、ペットだと狭い部屋の中を飛び回って怪我をするのも防げるからね。ただ、飛ぶということは鳥にとって大切なことだから、一概に素晴らしい処置だとは言えないだろうけれど」


「確かに」


 どちらも鳥の意思ではない。処置を施す側の判断だ。

 だが、今の話は牧場の魔鳥やペットの話。鳥人族はロナルドたちと同じ人間だ。

 クラリスは、ロナルドから見ても美しい女性だった。青みがかった黒髪に白い肌。優しそうな二重の眼差しにすっと通った小さな鼻と形の良い唇。

 若く、美しい女性が、逃げ出さないようにされる。


「まさか……奴隷か?」


「うーん、そこはなんとも。怪我は今日負ったものばかりで暴行を受けたような跡はないんだ。痩せてはいるけれど、痩せこけているわけではない。話をしている様子だと知識も教養もある」


「そうか……嫌な話だが、どこかの間諜かもしれないという線も捨てられない、よな」


 ロナルドがいやいや絞り出した言葉にヴィムが、申し訳なさそうに頷いた。

 ロナルドは、第二師団師団長という立場ある人間だ。

例えばどこかに隠れていた仲間の魔導士があの突風を起こし、クラリスが助けに入り恩を着せるというシナリオが用意されていたのかもしれないと言うことを、ロナルドは絶対に忘れてはいけない立場なのだ。


「でも、あの怪我ではうまく動けないだろう。どういうわけか、あまり治癒魔法が効かなくてね」


「大丈夫、なのか、それは?」


「古典的な方法だけど、戦場で物資がない時のように初歩的な治療をしてきたよ。傷を塞ごうにもどうにも魔法が効かないんだ。だけど、血は止まったし、出血のわりに大きな怪我ではない。普通より時間はかかるだろうけれど、数日でよくなると思う。僕もこんなことは初めてだから、できれば部下じゃなく僕自身で様子を見に行きたい」


「もちろんだ。彼女の素性がどうあれ、モニカの恩人であることには違いないんだ」


「そうだね。それになんというか……」


 ヴィムが何とも言えない顔で目を伏せた。


「……なんだ?」


「いや、なんでもないよ。それより、今日は調子がよさそうだね。まだ魔力も放出されていない」


 ヴィムが顔を上げた。そこにはいつも通りの穏やかな表情が浮かんでいる。

 ヴィムは、王国一の魔導士でもあるため、ロナルドの魔力の放出に一時間ほどならば防護結界を張ることで耐えられるのだ。


「ああ。今日はなんだか調子がいい。魔力が生成されてはいるんだが、その量が上手く調節されているように感じる」


「おやおや、それは興味深いな」


 主治医でもあるヴィムはじろじろとロナルドに視線を走らせる。

 ロナルド自身もヴィムに指摘されて初めて自覚したが、体がなんだか随分と軽かった。ここ半年ほどは魔力を制御しきれない時間のほうが長かったのだが、こんなに爽快さを感じるのは久しぶりだった。

 これまでの経験上、既に魔力はあふれ始めている時間なのに、どういうわけか穏やかに体をめぐっているのを感じる。


「直接、触れてもいいかい?」


「だが……」


「大丈夫さ。僕は火傷だってなんだって、自分で治せるし、痕が残ったって気にしないよ。僕だって戦場に出て傷痕なんてたくさんあるんだし」


 そう言って、ヴィムがさっさとロナルドの手首を掴む。

 ヴィムが息を吞んだ音が聞こえたが、もしかしたらそれはロナルド自身が出した音だったかもしれない。


「……いつもは刺々しくて、荒々しいのに、ずいぶんと、まるで清流のように穏やかだね」


 ロナルドの魔力の流れの感知をしたらしいヴィムが手首を放しながら言った。


「なんでだろう? なにか自覚するものはあるかい?」


「いや……それがさっぱり。フレアモスの討伐から帰って来て仕事をしていたのは知っているだろう? それで一度、アランとモニカに顔を見せようと帰っている途中で限界が近いと気づいて、伝言を飛ばして着替えだけ持って来てもらったんだ。どうしても家出二人の顔を見ると長居をしてしまいたくなるから」


「なるほど。モニカさんはどうして後からあそこに?」


「アランがモニカの作ったサンドウィッチを忘れて、それを届けに……あ、置いてきてしまった」


 モニカのサンドウィッチは、ロナルドの好物の一つだった。

 モニカはロナルドの乳母で、夫のアランはフェアクロフ侯爵家の家令だった。ロナルドが騎士団で出世し、寮を出ることになった時にその話をどこからともなく聞きつけて、実家の侯爵家を辞めて、ただのメイドと執事として来てくれたのだ。

 実の両親との仲が良くないロナルドは、幼いころから誰よりロナルドを大切にしてくれた二人こそ両親だと思い、彼らがそうしてくれたように彼らを大切にしている。あの小さな屋敷も高齢になった二人が管理しやすく住みやすいというのを第一に選んだのだ。

 だから忙しい仕事とままならない魔力過多症の合間を縫って、できる限り顔を見せに帰っている。


「どこかで魔法を使ったかい?」


「モニカに頼まれて浴槽いっぱいにお湯を沸かしたぐらいだ」


「うーん、君の魔力からいって、それでは解消しきれないはずなんだけど……それになによりやっぱり君の魔力が一般人のように穏やかなのは、僕が知る限りだと初めてだよ。出会った時から、触れると痛みを感じるほど強かったんだから」


 ヴィムがうんうんと唸りながら首をひねる。


「他に、何か変わったことは本当になかったのかい?」


「いつも通り仕事をしていただけだ。コーディにも聞いてみてくれ」


「君といい、クラリスさんといい、今日は不思議なことが多いな。でも、君に良い兆しがあるのは好ましい。今日はよくよく観察させてもらってもいいかい?」


「ああ。もちろんだ」


 ロナルドは、自分の中の魔力が穏やかに流れていくのが信じられない気持ちだった。


「……だが、本当になぜだろう」


「それは僕も知りたいところなんだよねぇ。どんな魔法薬も方法も魔法も何一つ効果はなかったのに。とにかくまず、討伐から今までの君の行動を詳しく話してくれ」


 脇に置いてあった黒いカバンからカルテとペンを取り出したヴィムにロナルドは、一生懸命記憶を掘り起こしながら、自分の行動を子細に伝える。

 騎士団へ戻ると出迎えてくれたコーディに「血まみれじゃないですか!」と驚愕された。

 怪我人とアランとモニカのいるところで魔力が漏れ出てはまずいと慌てて出てきたので、着替えて来るのを忘れた。

 ロナルドの制服はクラリスを抱えた際に血がべったりと付着してしまっていた。頭の傷は小さくてもとにかく血が出る。心配するコーディに自分のものではないと説明しながら、ロナルドは着替えのために執務室に隣接する仮眠室へと足を向けた。

 結局、終日、魔力は穏やかに流れ続け、翌朝、再び魔力が前のように戻り、荒々しくロナルドの体内をめぐりはじめるまでわずかな安寧をもたらしてくれたのだった。



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