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2-4


 自分の好物ばかりが並んだ夕食は、魔力が安定しているのもあって、ここ数年でもっとも穏やかな時間をロナルドにもたらしてくれた。

 嬉しそうなモニカとアランの様子にロナルドも自然と笑みを浮かべていた。

 クラリスは、そんなロナルドたちの様子をにこにこしながら眺めていた。

 アラン達がよこした手紙の通り、クラリスは穏やかで物静かで、心優しい女性だ。

夕食を終えて、部屋に戻ろうとした時に呼び止められて、雇ってくれたことに対するお礼を丁寧に言われた。

 ロナルドの肩までしかない彼女はずいぶんと小柄だ。首も腕もあっけなく折れそうなほどに細い。モニカは彼女より小柄とはいえ、こんな華奢な体でモニカを庇ってくれたことにロナルドも改めてお礼を言うと、彼女はあたふたしながら恐縮していた。


「苦労しただろうに、素直な子だな」


 ロナルドは自室でバルコニーに出て外を眺めながらつぶやいた。

 アランが手入れをしてくれている小さな庭は、月明かりに照らされている。

 ふいに、ポロンポロン、と何かの楽器を奏でる音がした。

 弦をはじくような音なので、リュートか竪琴だろうかと辺りを見回すと、丁度、斜め上の屋根にある窓が少しだけ開いているのに気づいた。

 確か、あそこには使用人のための部屋があって、クラリスが使っているはずだ。

 ロナルドは、欄干に肘をついて手に顎を乗せ、耳を澄ませる。

 どこか懐かしさを感じさせるメロディが静かな夜に柔らかに溶けていく。

 その時、庭の木から小さな黒い影が飛んできた。羽ばたく様子からして小鳥のようだ。

 小鳥はそのままクラリスの部屋の窓辺へ行き、中へと入って行った。

 すると演奏が止まる。


「あら、小鳥さん。夜なのにどうしたの?」


 クラリスの声が聞こえた。

 彼女の凛として涼やかな声は不思議と気分が落ち着いて、耳によくなじむ。


「まあ、月がこんなに明るいのね」


 声が近くなったと思ったら、彼女が窓に手をついて、身を乗り出していた。

 髪を下ろしているのを初めて見たが、青みがかった長い黒髪は、人族にはない色で月の光に青く輝いている。

 人族やエルフ族は茶髪や黒髪、銀髪や金髪、そしてモニカたちのような白髪という色合いの中で濃淡の差があるぐらいだ。

 だが鳥人族や花人族は、鳥の羽や花々が鮮やかな色合いを持つように、青、赤、緑と様々な色をしている。

 差し出された細く白い指先には小鳥が乗っていた。


「ほら、巣に帰りなさい。立派なお家があるでしょう?」


 そういえばかなり前に庭の木に鳥の巣箱を作った、とアランからの手紙に書いてあったのを思い出した。どうやらこの小鳥はそこの住人のようだ。

 だが、小鳥は飛び立つ気配はない。


「……だめよ。ここは私のお部屋だけど、貴方を泊めてあげることはできないの。借りているお部屋だもの」


 どうやら小鳥はクラリスから離れがたいようだった。


「かまわんぞ」


 思わずロナルドは、そう返事をしていた。

 はっとしたようにクラリスがロナルドのほうに顔を向ける。小鳥が驚いたように飛び立って行った。


「ロ、ロナルド様……!」


 驚かせてしまったことを反省しつつ、口を開く。


「君が掃除をして、管理している君の部屋だ。小鳥くらいかまわん」


「あの、えっと……ぁ」


 クラリスは突然、顔を赤らめると部屋に引っ込んだ。どうしたんだ、とロナルドが小さく首を傾げているとクラリスは何故か毛布を肩にかけて戻ってきた。


「申し訳ありません。はしたない格好で……」


 恥ずかしそうに告げる彼女に、そういえば彼女は寝間着姿だったな、とロナルドはますます反省する。クラリスは十も年下の未婚女性だ。家族や夫でもない異性に寝間着姿を見られるのは恥ずかしく、はしたないと叱られてしまうことだ。


「大丈夫だ。暗くてほとんど良く見えない」


 ロナルドは、嘘をついた。ロナルドは人族だが、夜目は効く方だし、今夜は月が明るいので彼女の紅い頬まで良く見えている。

 彼女は、か細い声で「すみません」と恥ずかしそうに告げて目を伏せた。

 正直なところ、ロナルドは若い女性にどう接していいかさっぱりと分からなかった。体質のこともあり、女性や子どもとは極力関わらないようにしていたからだ。

 騎士団に在籍している女性騎士たちは、気も肉体も強いのでロナルドでもなんとかなるがクラリスのように見るからにか弱そうな若い女性と接したことはほとんどない。

 彼女に病気のことを話した時は『病気』という伝えなければならない話題があったからロナルドも話せたが、今は何をどうしたらいいのかさっぱりと分からない。


「さ、先ほどまで演奏していたのは君か?」


 今更緊張してきて、情けないことに少々声が上ずってしまった。


「……は、はい。申し訳ありません、お耳汚しを」


 わずかに怯えがその声に交じった気がして、ロナルドは咄嗟に「まさか」と首を横に振った。


「静かな夜に相応しい、良い演奏だった。君は楽器を弾けるんだな」


「……はい」


「なんの楽器なんだい?」


 欄干に背中を預けて彼女を見上げる。

 クラリスは、少し悩んだあと中へ戻り、竪琴を抱えて戻ってきた。

 細部までは分からないが、花の彫刻が施された立派な竪琴だ。だが、遠目に見ても弦がいくつか切れているのが分かる。


「弦が切れているのに、あんなに演奏ができるのか」


「切れた弦の音を使わないようにしているんです。……古いものを譲り受けて、あまり手入れができなかったのです」


「なるほど。……もう一度だけ、弾いてみてくれないか? 実際に見てみたい」


 ロナルドの要望にクラリスは、戸惑った表情を浮かべながらも、どこかほっとしているようだ。ロナルドが、本当にうるさいと思っていなかったと、分かってくれたのかもしれない。


「では、少しだけ……」


 そう言ってクラリスは窓枠に腰かけて竪琴を抱えた。

 ポロン、ポロン、と細い指先が弦を爪弾き、どこか物悲しい旋律が紡がれる。

 月の光に照らされ、白い肌は淡く光り、ほんのりと髪が青く輝く彼女は、まるで幻のように儚く美しかった。

 最後の弦が弾かれて、夜は静寂を取り戻す。細い手がゆっくりと降ろされる。

 だが、ロナルドはクラリスが困ったように自分を呼ぶ声に我に返るまで、その美しい光景に見とれてしまった。


「ロナルド様? あの、どこかお加減が……」


「いや、大丈夫だ。良い演奏に聞き惚れてしまっただけだ。我が儘を聞いてくれてありがとう」


「いえ」


 クラリスは、気恥ずかしそうに微笑みながら顔を伏せた。

 恥じらうその姿にロナルドは、胸が騒がしくなる。どうしてか、無性に抱きしめたい、と思った。

その、あまりにもよく分からない感情に、魔力が暴走しているのかと焦るが、顔を上げたクラリスは嬉しそうに微笑んでいて、ロナルドの魔力に当たっているようには見えないので魔力の暴走の線はなさそうだ。


「ロナルド様、そろそろお体が冷えてしまっていませんか? 何か温かいお飲み物でもお持ちしましょうか……?」


「いや、大丈夫だ」


 先ほどと同じ返事をどうにかしながら、ロナルドは首を横に振ることに成功した。


「俺のほうこそすまない。まだ春の夜は冷えるな。もう休んでくれ」


「ありがとうございます。では、おやすみなさいませ」


「あ、ああ。おやすみ」


 クラリスは、会釈をすると中へ戻っていき、窓も閉められる。

 ロナルドは体の向きを戻して、欄干に突っ伏した。

 心臓がどきどきして落ち着かない。


「……病気が進行しているのか? 明日の朝、ヴィムに来てもらわなければ」


 ぼそぼそと呟きながら、ロナルドは部屋の中へ戻る。

 ベッドの中にもぐりこんで目をとじるのに、クラリスの月光に照らされる美しい姿と恥じらう微笑みがどうしても瞼の裏から離れず、騒がしい心臓と落ち着かない気持ちに、翌朝、十数年ぶりにいつもの起床時刻を寝過ごすことになったのだった。



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