桃の乙女は黒き魔物を討つ
「この山のどこかに魔法の草があります」
ベルトランは城から遠く離れた山の山頂に降りたった。水色の草が生えている詳しい場所は知らない、と申し訳なさそうに言う彼にセラフィナは首をふる。
「いいえ、私だけではどこから探していいのかも分からずいたずらに時間が過ぎていただけでしょうから。ありがとうございます」
夫を助け出すためには、まずは水色の草を探さなければならない。幸い、侯爵家で鍛えられた身としては山歩きは得意だ。フアナからどれだけ歩いても疲れない靴をもらったことで、足取りはひどく軽い。
ベルトランと手分けして、セラフィナは水色の草を探す。常に歌を歌い続けると言うから、声さえ聞こえてくれればいいのだが。現在は鳥や獣の声しか聞こえてこない。耳を澄ませて、周囲の気配を探る。強固な結界の中で守られているのなら、魔力の反応もあるはずだ。
そこで、頭上から大きな羽ばたきが聞こえた。セラフィナはハッとして顔を上げる。陽光に煌めく、美しい銀の鴉が目の前に舞い降りる。
「北の方角で強力な魔法の気配がしました。微かに歌声が聞こえてくるから、草の在処がわかったかもしれない」
「ありがとうございます。すぐに案内してください」
ベルトランの背に乗り、着いたのは人の足ではおいそれと行けないような険しい崖の下だった。なんとも魅惑的な、天使の歌声が辺りに響きわたる。透明なシールドの下には、およそ植物が持つとは信じられない鮮やかな水色をした美しい薬草があった。
「貴方の剣なら結界を壊せるはずです」
セラフィナは頷き、素早く鞘から剣を引き抜く。セラフィナの持つ魔力に反応して、ティソーナはその刀身にゆらゆらと炎を纏う。
魔力を込めて、結界を一刀両断した。パリンっとガラスが割れるような音が響き、水色の草を守っていた結界が消滅する。
セラフィナは無事に水色の草を手に入れることが出来た。
大事に水色の草をリュックにしまい、セラフィナは再びベルトランの背に乗って今度は夫が囚われている島を目指す。疲れを知らないかのように、ベルトランは何日も何日も何処までも続く大地の上を飛び続ける。とうとう世界の果てにたどり着いたあと、ベルトランは海辺に降りたった。
「私はレジェスが拐われた島へと近づくことが出来ない。ここから先は貴方1人の旅になる。今ならまだ引き返せますよ」
「私は大丈夫です。ここまで送って頂いてありがとうございます」
「……貴方は本当に強いね。さぁ、島への行き方を教えましょう」
そう言うと、ベルトランはある歌を歌い出した。それは墓守をしていた夜、レジェスが教えてくれた『星の歌』だった。何度もねだって歌ってもらったから、セラフィナも歌詞は完璧に覚えている。
「歌に出てくる順番通りに星を使って航海すると、レジェスのいる島にたどり着ける地図になっています」
星座も教えてもらったからセラフィナには分かる。セラフィナは愛しげにブレスレットを撫でた。
「もうすぐ行くからね。どうか待っていて」
「フアナが用意した船を使えば、島までは無事にたどり着けることでしょう。ご武運を祈っています」
「はい、必ずやレジェス様を連れ戻してみせます」
リュックから取り出した船を海に浮かべれば、どんどん大きくなりすぐに立派な船になった。
セラフィナは夫のいる島に向けて船をこぎ出す。水色の草も手に入れた。魔物を殺せる剣であるティソーナに、侯爵家の桃という強い味方まである。恐れることは無い。でも油断はするなと、セラフィナは己を鼓舞する。
星の道しるべを頼りに航海すること3日。満月が神々しく輝く夜に、前方に島が見えてきた。魔力をこめた目で見れば、山頂の大岩に鎖で繋がれた夫の姿が目に入る。セラフィナは込み上げる感情を堪えるように、奥歯をギリッと噛みしめた。
そこで、黒い海が波を立て始めた。目をこらすと、船を取り囲むようにウヨウヨとサメの群れが現れる。普通なら恐怖を覚える光景だが、セラフィナは好戦的に口角を上げた。
ザカリアス侯爵家は、領土が海に面しているため海上戦を最も得意としている。戦争のない平和な時代、彼らが相手にするのは荒くれものの凶暴なサメが主だ。
「ザカリアス家の娘を前にしてサメを寄越すとは。随分と舐められたものだな」
セラフィナは酷薄な笑みを浮かべる。海がセラフィナの魔力に満たされると同時に、海面が爆発した。
一閃だった。炎の剣が島に向かって振り下ろされると同時に、島を覆っていたドーム状の結界が粉々に砕け散る。
異常事態に、狼の魔物は遠吠えで仲間を集め出す。強大な魔力の爆発に、のろのろと顔を上げたレジェスは、目の前の信じたくない光景に自分の正気を疑った。
無事に逃がしたはずの妻が、何故この島にいるのだ。セラフィナは炎の剣を高く掲げて、島の魔物たちに向かって宣言する。
「私はセラフィナ・ドゥラスノ・ザカリアス。カラスの王の妻だ。我が夫を迎えにきた!」
「そんな……何故……だめだ……逃げて……」
警告を伝えたいのに、何日も飲まず食わずで憔悴しきった体はか細い声しか出ない。これでは彼女に届かない。レジェスは強く拳を握った。どうしてここが分かったのだろう。自分に妻を守れるだけの魔力は残っていただろうか。でも、やらないと彼女が死んでしまう。それだけは許せない。最後の魔力をふりしぼり、魔物を一掃しようとした時だ。目の前にいた、黒い狼が焼きつくされて消し炭になる。
「まずは1匹。次はお前だ」
歌うように言うと、セラフィナが音もなく降りたった。彼女の手にある剣を見て、臨戦体勢だった魔物たちがひどく怯えて震えだした。蜘蛛の子を散らすように逃げていく。
「逃がさない」
剣をふるたびに刀身から炎が吹き出し、次々と炎の手で魔物を捕らえて焼き殺していく。粗方魔物が片付いたところで、ホッと肩を落としたセラフィナが、こちらに向きなおった。紅玉の瞳にドキリとさせられる。
「すぐに助けますね」
セラフィナはポケットから水色に光る草を取り出す。レジェスを拘束する、黒い鎖にその草が触れた途端鎖が粉々に砕け散った。
急に支えを失って、萎えた身体はフラりと倒れ込みそうになる。だが、すぐに力強い腕に抱きとめられる。それにも心臓が高鳴った。レジェスの妻は本当に格好いい。
「遅くなってすみません。もう大丈夫ですよ」
優しい声と共に頭を撫でられて、どうしてか泣きそうになった。しっかりしろ。自分はセラフィナよりも遥かに大人なのだから。撫でられている手から暖かい魔力が流れこむ。回復魔法を使ってくれているのだろう。レジェスの身体が急に軽くなり、耐えがたい喉の渇きや空腹もおさまった。
「ありがとう」
レジェスはそこでハッと気づく。自分は一体何日風呂に入っていなかったか。きっと臭い。乙女のように恥じらい、顔を赤らめるとレジェスは勢いよくセラフィナから離れる。
「ごめんなさい、私臭いですよね! 貴方に不快な思いはさせたくない。すみません、すぐに離れますから!!」
「私も似たようなものですから気にしませんよ」
「セラフィナは良い香りがするから大丈夫」
真顔で言うレジェスに、セラフィナは破顔してみせた。なんとなく和んだ雰囲気になる。そこで、ゾワリと全身の毛が逆立つような寒気を覚える。まだ終わりじゃない。
「侵入者が現れたか。全く我の配下は使い物にならんな」
禍々しい気配が辺りを包み込む。見上げるほどに巨大な黒い鴉は、どこかレジェスに似ていた。この魔力、もしや魔王か。血に飢えた赤い瞳がセラフィナを嘗めるように見る。素早くレジェスがセラフィナを背に庇い、大鴉から見えないようにしてくれる。
「お前はもう我の手に堕ちた。捕らえた獲物をみすみす逃がすほど愚かではないよ」
聞くものに恐怖を呼び起こすしわがれた声音。だが、レジェスは挑発的に微笑んでみせた。
「見逃してもらえるとは思っていなかったよ。妻にばかり戦わせるわけにはいかないからな。私が相手をする」
ごめん。借りるね、と自然とティソーナがレジェスに奪われる。扱いの難しい剣だが、レジェスの魔力に反応して誰よりも勢いよく炎が燃え盛る。
セラフィナに危険がないようにか。レジェスは空へと魔王を誘った。そのまま、空中で凄まじい剣撃と魔法のぶつかり合いが始まる。噴煙が立ち上る。あまりの動きの早さに、セラフィナも目で追うのがやっとである。見ているだけしか出来ない自分が歯がゆい。
魔王の苦しげな声が聞こえる。今はレジェスが優勢のようだ。セラフィナはレジェスの強さを疑ってはいない。
だが、いくら回復魔法を使ったといってもあそこまで衰弱仕切っていたレジェスが、魔王を倒すまで保つだろうか。なにかもっと、魔王に対して優位に立つ秘策が必要だ。
「そうだわ! 我が家の桃があるじゃないの!!」
これでレジェスの役に立てる。セラフィナはリュックから桃を取り出し、魔王に突きつけた。恐ろしい断末魔の悲鳴と共に、魔王の身体が粉々に切り刻まれる。
思ったより魔物に対する桃の効力が強かったことに、セラフィナは頼もしさを覚える。さすがザカリアス侯爵家をずっと守ってくれていた桃だ。これからより一層大事にしなければ。
レジェスが剣を一振すると、浄化の炎が魔王の死骸を火葬していく。跡形もなく焼きつくされれば、魔王が消滅したからか、魔物たちも次々とこの世から消えていった。
今度こそ平和が戻ってきた。ドッと疲れが押し寄せてきて、セラフィナはその場にへたり込みそうになる。根性で立ったままの姿勢を維持したが。
セラフィナの前に夫がふわりと降りたった。五体満足なその姿に安堵する。
「ありがとう。貴方のお陰で私たちは救われた」
剣を返してもらい、セラフィナはそれをしっかり受けとる。晴れ晴れとした笑みは初めて見る表情だが、極めて美しい。思わず見惚れてしまう。
でも、夫婦の初めての共同作業が魔王討伐ってどうなんだろう。セラフィナはちょっとそう思ったが、皆が幸せになれるならいいかと思い直した。
「呪いが解けたということで良いのですよね?」
「うん。魔王がこの世からいなくなったからね。もう王家にカラスの子どもが生まれてくることもないよ。私も人間に戻れた。本当にありがとうございます」
「そうですか。良かった。では貴方にしたかった事があるんです」
不思議そうに首を傾げる夫に、セラフィナは真剣な顔を向ける。すっ、とその場に片膝を着いて跪く。心臓が痛いくらいに鼓動を刻んだ。
本当はもっとロマンチックな場所で、こんな薄汚れた格好ではなく正装で、花束の1つでも用意して挑むべきなのは分かっている。だが、今言質を取っておきたい。
今回のことが凄まじい教訓になった。夫を名実共に自分のものにしておかないと安心できない。呪いがなくなった今、レジェスがセラフィナと結婚している意味はなくなったのだから。
レジェスが息を呑んだ。そっと手をとり、手の甲に口付ける。
「私はレジェス様を愛しています。貴方を必ず幸せにすると誓います。どうか私と結婚してください」
レジェスが狼狽えたように視線をさ迷わせる。泣きそうに歪んだ表情に、心臓に杭が刺さったような痛みが走る。やはり自分では駄目なのだろうか……。
「どうして。貴方はやっと私から解放されて自由になれるのに。セラフィナにはもっと相応しい男がいます。呪いが消えた今、私のことを気にする必要はありませんよ」
何故そんな寂しいことを言うのだろう。どうか届いて。もう一度手の甲に唇を寄せても逃げられない。それが答えだ。
「私はレジェス様が好きです。私は貴方と家族になりたい。レジェス様は私が貴方の妻になるのは嫌ですか?」
「まさか、そんなことは! 私の方からお願いします。私はセラフィナを愛しています。許されるなら、貴方と幸せな家庭を築いていきたい」
「ならそれで良いではありませんか。私と結婚してくださいますね?」
「はい、よろしくお願いします。全ての危険からお守りすると誓います。セラフィナ、私の愛は永遠に貴方のものだ」
結婚の約束に頷いてくれた、レジェスの美しさよりこの世界で美しいものを見たことがない。感極まったように、夫の目から涙の雫がいくつも零れる。
「私の旦那様は泣き虫ね」
セラフィナは立ち上がると、レジェスの目から優しく涙をぬぐってあげた。
レジェスが静かに目を閉じる。淡い色の形の良い唇に誘われて、自然と互いの唇が重なった。喜びの中での2度目のキスの味はひどく甘い。角度を変えながら何度もキスを交わす。
止め時が分からなくなりそうだったが、汽笛の音に名残惜しく唇を離す。真っ赤に熟れた頬と潤んだ青の瞳。夫の色気にセラフィナはクラリと来たが、理性で押さえつける。
お父様だろう。ザカリアス侯爵家の軍まで動いていたようだ。私達の勝利だ、とセラフィナは満面の笑みで侯爵家の戦艦に向けて手を振った。




