三月は赤い椿の墓の前で、死者に会う
ピンクの桃の花が一面に咲く庭。飾り気はないが、堅牢な造りの城塞。懐かしい我が家。帰ってきたのか。そう自覚した瞬間、涙が込み上げてくるが目に力を入れて耐える。まだだ。まだ泣いていい時じゃない。
だが、昔のままの城にも記憶と違う点が1つだけある。何か祝い事でもあるのか、城のあちこちが赤いリボンで飾られている。首を傾げたが、とりあえず中に入ろうと一歩踏み出した時だ。城の扉が勢いよく開いた。
「フィーナ! フィーナじゃないか! よく無事に戻ったね。こんなに大きくなって」
17になる子どもがいると思えない、若々しい美貌の持ち主はれっきとしたセラフィナの父である。国境の警護を任される家の当主だけあって、しなやかな無駄のない筋肉に覆われた体躯は立派だ。
だが、心労からか濃い茶色だった髪はほとんど白へと変わってしまっていた。それに心なしか、昔よりも痩せたように思える。
普段は敵を震えあがらせる鋭い眼光も、今は娘と再会できた感動に泣き出しそうに潤んでいた。
「はい、ただいま戻りました。お父様」
「元気そうで良かった。もっと顔をよく見せておくれ。これが夢なら覚めないでほしいよ」
セラフィナと同じ、紅玉の瞳が沢山の愛情をたたえて見てくる。セラフィナは大いに照れくさかったが、5年ぶりに娘が帰ってきたのだから仕方ないと大人しくしていた。
「大丈夫ですわ、お父様。これは夢ではありません。セラフィナはちゃんとここにいます」
宝物に触れるように頬を包んでくる手に自分の手を重ね、セラフィナは微笑む。
「丁度良かった。君がいない間もずっと誕生日は祝っていたんだ。今年は直接お祝い出来るなんて嬉しいな。ご馳走も用意してあるし、フィーナの好きなチーズケーキもあるよ。この5年分のプレゼントも渡すからね」
「ありがとうございます。お父様」
「でもよく帰ってきたね。あの大鴉が無事にフィーナを返してくれるとは……」
カラスの王の花嫁となれば、普通は生きて帰ることは出来ない。5年の間の父の悲しみと絶望を思うと居たたまれない。また父の元を離れて、すぐに危険な旅に出ようと思っているのだから尚更だ。
セラフィナは一歩下がると、姿勢を正した。凛とした赤い瞳が覚悟を持って父親を射貫く。
「お父様。ティソーナを使う許可をください」
父親はハッとしたが、すぐに厳かな顔で頷いた。
「今のフィーナの魔力なら問題なく扱えるだろう。あの大鴉を討つんだろう。お父さんも侯爵家の軍と共に加勢するよ」
盛大な勘違いをされている。セラフィナは慌てて首をふり、否定する。
「魔王の呪いが発動したことで、夫が魔物に拐われました。妻として助けに行かねばなりません」
セラフィナは拳を固く握りしめ、これまでの城での暮らしについてかいつまんで説明した。父は難しい表情で腕を組みながら黙って話を聞く。
「自分の行いのせいだ。だからせめて責任を取りたい」
それに最後まで自分ではなくただ私を案じて実家に帰してくれたのだ。その愛にセラフィナは報いるべきだ。
「これはザカリアス侯爵家に対する宣戦布告です、お父様。ぶちのめして差上げますわ」
「わが娘は勇ましく育ったようでお父さん嬉しいよ」
ならば何故泣いているのだ。
セラフィナの生家であるザカリアス侯爵家は、王国の国防を引き受け国王からの信頼も厚い、魔力の強さで有名な名門貴族である。
侯爵家の人々が持つ桁外れの魔力には、世界中探してもこの家の庭にしか存在しない魔法の桃の力が関係している。この桃は強力な破邪の力を持ち、悪しき魔物がザカリアス侯爵家の領地に入るとその体をバラバラに切り刻んで殺してしまうのだ。
侯爵家直系の女子は、桃の魔力との親和性が高く、豊富な魔力を身の内に宿し、さらに必ず桃色の髪を持って生まれてくる。桃の恩恵に感謝して、侯爵家の紋章は桃の花を模っている。
「お父様。私は確実に夫を救いたいのです。そのためには、あの狼を何とかせねばなりません。もしかしたら、古の魔王もまだ存在しているかもしれない。生半可な武器では相手になりません」
「確かにそうだな」
「ティソーナが我が家の大事な宝だということは分かっています。でも、私は夫を見捨てたくない。ザカリアス侯爵家の名誉にかけて。だから、剣を貸して頂きたいのです」
ティソーナは炎の剣とも呼ばれる、ザカリアス侯爵家の家宝だ。扱う者の力量によって剣の強さが変わり、また稀に刀身に炎を帯びることもある。相対する敵に恐怖心を生じさせ、伝説では戦争でかつての侯爵家の当主が用いた際、敵は戦う前から恐怖に恐れおののき敗北宣言をしたという。
地方の田舎の男爵家だったザカリアス家が、国防を担う侯爵家にまで上り詰めたのも庭の桃とこの炎の剣のお陰だと言われている。国家の守護を司る剣ともされ、普段は侯爵家の地下に厳重に封印されている。
父はふぅと長くため息を吐いた。セラフィナの心を確かめるように見てくる。父の視線を、覚悟を持ってセラフィナは真っ直ぐに受け止める。
侯爵にとって、セラフィナは目に入れても痛くないほど可愛い娘だ。本音ではあんな得体の知れない夫なんか放っておけ、と言いたい。やっと帰ってきた可愛い娘を、再び死の危険のある旅になど出したくはない。だが、そう言ったところで無駄だろう。強い光を宿した瞳は、亡き妻によく似ているから分かる。ここで否と返せば、娘は黙って家から出て夫を探しに行くだろう。待ち受ける結果が同じなら、万全の装備で出発してもらったほうが良い。
フィーナや、本当にお嫁に行ってしまうんだね。小さな頃はパパ大好き。大きくなったらパパと結婚するって言ってくれていたのに。侯爵の涙の滝の水量が増す。
「わかった。今年の誕生日プレゼントということにしよう」
父は目を閉じると、何らかの呪文を唱えた。その手にスピネルで飾られた鞘に入った剣が出現する。
「17歳のお誕生日おめでとう、フィーナ。君の心に思うままに行動しなさい。何かあったら必ず助けに行くから」
「ありがとうございます。必ずや夫を取り戻しこの家に帰ってきます」
「あと、桃の実も1つ持っていきなさい。魔物が相手なら役立つはずだ」
「えぇ、そうしますわ」
動きやすい乗馬服に似た格好に着替え、桃の花を模した髪飾りで髪をポニーテールにする。夫から誕生日にもらったブレスレットを撫で、彼は大丈夫だろうかと心配の情を強くする。早く助けに行かなければ。
当面の食料や薬、簡易調理器具や寝袋に桃が入ったリュックを背負い、大事な武器であるティソーナを手に持って明朝早くセラフィナは侯爵家の城を出発した。
夫を取り戻すための武器は手に入れた。だが肝心の夫がいまどこにいるのかが分からない。国中を虱潰しに探すのは現実的ではない。
「困ったことが有ったら頼れと言われていたな」
今がその時ではないか。まずは椿の城に帰ることに決めた。
「フアナ!」
「よく帰ってきたね。呪いが発動してしまったようだね」
転移魔法で椿の城まで一瞬で移動する。何の因果か。出た場所は椿に墓地である。そこには、セラフィナを待ち構えていたようにフアナが立っていた。その手には鉢植えがある。
「でもまだフィーナには希望があるよ。ほらごらん。椿の木に銀の花が咲いたんだ」
銀細工で作ったかのような、繊細で美しい花が咲いている。ということは、フアナの願いが叶うということか。
「私は魔王を封じた、初代のカラスの王であるベルトランの妻。私たちだけでなく、子どもたちにまで呪いが受け継がれてしまったことに、夫と共にずっと心を痛めていたんだ。でも、それも今日で終わる」
衝撃の事実に驚くが、フアナの浮き世離れした雰囲気にすぐに納得感が強くなる。セラフィナは乾いた声で尋ねた。
「フアナはその椿に何を願ったのですか?」
「代々のカラスの王とその妻が、魔王の呪いから解き放たれて幸せになることだ」
ざぁぁぁっと強い風が吹いた。セラフィナは思わず目を閉じる。風が止んで目を開けたセラフィナは、瞠目した。
歴代の、カラスの王の妻だろうか。椿の木が揺れて、次々と美しい乙女の姿へと変わる。
「今日、銀の椿が咲いたのよ。これで私達は救われる。さぁ、桃のお姫様。貴方にこれからどうすべきなのか知恵を授けましょう」
「王を助けるために必要な道具も、貴方にあげましょう。私達には出来なかったこと。どうか頑張って」
「カラスの王はとある孤島の岩に鎖で繋がれている。その鎖は、歌を唄う水色の草以外には壊せない」
「その水色の草は、結界に守られている。その結界を破壊し、水色の草を刈り取ることが出来る武器は炎の剣である『ティソーナ』しかない」
「ザカリアスの姫たる貴方なら扱えるはず」
カラスの王の歴代の妻である椿の乙女たちは、歌うようにこれからのことを話す。優しい瞳の奥には、セラフィナに対する激励が浮かんでいる。
「え、私の家の家宝が重要な鍵になっているんですね!?」
なんという偶然。いや幸運だろうか。やはり父に頼んでティソーナを持って来たのは正解だった。
「それを見越してあの子はフィーナを妻に選んだんだよ。レジェスは優しい子だから、何としても私たちを自由にしたいと思ってくれてね。あの子くらい呪いが薄まれば侯爵家の桃に弾かれないと踏んで結構したんだ。賭けだったが上手くいって良かった」
フアナはやれやれという顔だ。結果的に何事もなかったから良かったが。多分、本音はレジェスに危ない橋を渡ってほしくなかったんだろうな。
「水色の草が生えている森と、レジェスが囚われている島に近い海域までは私の夫がフィーナを連れていくよ」
フアナの傍らに、突如して見上げるほどに巨大な銀色の鴉が現れた。まだ存在していたのか。セラフィナはすぐに膝を着き、頭を垂れて正式な礼をした。
「我らに安寧をもたらした偉大な王であられるベルトラン様にお目通りが叶いまして、望外の幸運にございます。今まできちんとご挨拶が出来ず申し訳ありません」
「顔を上げてください。私が不甲斐ないばかりに関係ない貴方にまで苦労をかけて申し訳ありません。どうか力を貸して頂けませんか?」
「私はレジェス様の妻ですよ。夫が危ない目にあっているのに助けに行かないなどありえません。どうぞ存分に巻き込んでください」
胸に手を当て、セラフィナはキリッとした顔で宣言する。騎士のごとき格好よさに、椿の乙女たちは軒並み顔を赤らめた。
「手助けが出来なくて申し訳ないが、レジェスのことを頼んだよ。あの子を助けておくれ」
「お任せください。ザカリアス侯爵家の名誉にかけて、レジェス様を救い出してみせます」
「フィーナも、ちゃんと無事に帰ってくるんだよ」
フアナは、願いを込めてギュッと抱きしめてくれた。セラフィナも強く抱きしめ返す。
そして、フアナはこれから先必要だからとどんなに歩いても疲れない魔法の靴と、どんな大波でも決して沈まない船をくれた。船は水に浮かべない限り大きさが手乗りサイズなので、持ち運びにも便利である。
銀の大鴉の背に乗って、セラフィナは夫を救うための旅へと出発した。
セラフィナを家に帰したあと。レジェスの身は早々に魔王の配下である狼の魔物に囚われた。周囲には何もない、絶海の孤島へと転移魔法で運ぶと、島で一番高い山の頂上へと連れていった。頂上にある大岩に、特殊な草を用いなければ決して壊れない魔法の鎖で手足を拘束し、レジェスの身体を縛りつける。そうして昼には白い狼が、夜には黒い狼が、レジェスが逃げ出さないように、助けが来てもそれをすぐに葬れるように、絶えず監視の目を光らせていた。
恐ろしい唸り声を上げる狼に絶えず見張られながら、レジェスはゆっくりと死を待つだけになる。大岩に磔にされて身動き1つ取れない。海を眺めるくらいしかする事がなく、頭の中は大層暇だ。そのため、レジェスはよくこれまでの事を考えていた。
呪われた王子として、鴉の姿を持って生まれた自分を実の両親はついぞ受け入れることが出来なかった。言葉を話す化物カラスなど恐ろしいと、物心ついた頃には椿の城へと送られた。世話をする者もおらず、食料なども用意されない城での生活。普通の子どもなら早々に死んでいただろう。しかし、人ならざる者として生まれた自分は生まれ持った魔力のお陰で生かされていた。さらに、城には初代のカラスの王の夫婦が住んでいたため、その2人に実の子のように愛情をかけて育ててもらったのも大きい。人の世のマナーや教養、常識に魔力の使い方や剣技に至るまで教えてくれた。2人には感謝してもしきれない。
だから最初は、自分に唯一優しくしてくれる育て親の呪いを解いて、なんとかあの城から自由にさせてあげたいという思いしかなかった。そのため、一番呪いを解除できる可能性が高い強い魔力を持つ女の子を妻に選んだ。
初代のカラスの王から何代も世代を重ねたことで、少しずつだが血に刻まれた呪いが薄まってきていた。これなら、侯爵家にある桃にも弾かれないだろうという予想は当たった。
法令で定められているにも関わらず、その子の父親に求婚を断られたのは予想外だったが。なんとしても婚約は結ばなくてはと気が急いで。あの子の前で父の目をくりぬくなんて暴挙をした。これでは好かれることなんて絶対にない。だが、自分に触れてはならないという条件があるから、嫌われていた方がかえってやり易いかと思い直した。
彼女はカラスの王にかけられた呪いを解くための生け贄。情を持つなど自分が辛くなるだけだ。
歴代のカラスの王を手中におさめるため、年をおうごとに魔王は城に強力な魔物を送りこんでくる。カラスの王を守る妻は、魔王にとってはただただ邪魔な存在である。王を庇って死んだ妻や、反対に妻を庇って死んだ王もいたという。妻を危険にさらす日々に、良心の呵責が耐えきれず自害した王もいたという。情を持ってしまったら、誰も幸せにならない。
セラフィナは、武勇に優れたザカリアス侯爵家の娘とは思えないほど可憐な少女だった。ふわふわした桃色の髪が綺麗で、花の妖精のようだと思った。
溢れんばかりの愛情を注がれて、大事に育てられてきた女の子。大人しそうだったから、自分が出した条件には文句も言わずに従ってくれる御しやすいタイプだと思った。7年経てば報奨と共にきちんと親元に返すし、それだけの年月をセラフィナから奪った責任は必ず取るから、どうか我慢してくれ。
ネックになるとすれば夜の墓守の時間だ。魔力は申し分ないが、気弱そうな彼女に魔物と戦えというのは酷だ。夜の間は人の姿に戻れるから、これなら怖がられることはない。いざという時は妻となった少女を守れるように、正体を隠して近づいた。その予想は裏切られたが。
夜の墓地に1人っきりという状況でも、彼女はいつも通りに落ち着いていた。魔法を扱う技量もその年齢からしたらあり得ない熟練したものだ。
そして、心を最初に掴まれたのはチョコラーテを淹れてくれた時。家族の愛の象徴。憧れだったその飲み物をまさか自分が飲めるなんて思わなかった。
思わず泣いてしまったが、それに笑うことなくまたチョコラーテを作ってくれると約束までしてくれた。彼女の優しさに惹かれ始めた瞬間だ。
それから毎夜、セラフィナと話す時間は楽しくて、クルクル変わるその表情にいつの間にか魅了された。魔物を屠る、歴戦の戦士のような強さも格好よくてドキドキする。
なお、城には料理人なんていないから、セラフィナの毎日の食事は実は全てレジェスが用意していた。自分の料理を美味しそうに食べてくれる姿が、可愛いくて仕方がない。お腹いっぱいにしてあげたくて、元々好きだった料理もより頑張った。
セラフィナの方も、お菓子を毎日差し入れてくれるのが嬉しい。今日は何だろう、とワクワクして待っている自分がいた。
さらに手紙まで添えられている。彼女の日々や考えていること、好きなことを知れるこの手紙は大事な宝物だ。全て鍵付きの小箱に大切に保管している。
時間が出来ると手紙を何度も読み返している自分を、育て親には随分と生暖かい目で見られたものだ。
幼い少女を犠牲にしようとしている化け物が、彼女と愛にあふれた暖かい家庭を築きたいなんて。不相応な願いを抱くようになっていた。
だから、これは罰だ。でも、これで良かったと安心している。優しい彼女を、自分のせいでずっと城に閉じ込められていた。これでやっとセラフィナを解放できる。呪いを解くチャンスを棒にふったから、育て親には申し訳ない。でも、彼女を殺さずに済んだことにひどく安堵している。
どうか自分のことなど忘れて、幸せに生きてほしい。
遠い海の彼方からそう願う。
レオカディオ王国でチョコラーテを飲む習慣ができたのは、ここ200年ほどです。そのため、フアナさんたち夫婦はチョコラーテの存在を知りません。レジェスさんも優しい育て親にこれ以上ワガママは言えないと遠慮して、チョコラーテのことは伝えていません。




