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椿の城の墓守姫  作者:
本編
6/18

カラスの王の妻の日々

 夫である大鴉が滅多に会えないことを除けば、椿の城での暮らしは想像していたよりずっと楽しいものだった。とはいえ、夫である鴉に私が触れれば呪いが発動するのだからそれを予防するための措置だろう。嫌われてはいないはずだ、とセラフィナは己を慰める。


 実際せめてもの交流を図ろうと、セラフィナが毎日用意するお菓子は全て食べられている。さらには手紙で味の感想まで書いてくれるようになった。思いつきで、セラフィナが城で会った出来事や読んだ本の感想を書くと、それにも丁寧な返事が返ってくる。


 時折、夫からも自分のことについて質問されることが増えたからそれに答えるのが楽しい。いつの間にか、文通のようになってきたお菓子を介したメッセージのやり取りは、セラフィナにとってかけがえのない時間になっていた。夫はカラスなのにどうやって手紙を書いているのかという疑問は残るが。カラスの足で器用に万年筆を握って書いているのだとしたら。微笑ましい光景を思い浮かべて、セラフィナは笑顔になってしまう。


 どうやって知ったのかは分からないが、セラフィナの誕生日だってきちんと祝ってくれた。お返しに夫の誕生日も祝いたくて日付を尋ねたところ、これには返事はなかったが。


 それに、夫がいなくても別に寂しくない。昼間は読み切れないほどの膨大な蔵書のある図書館でいくらだって暇は潰せる。夫を喜ばせるお菓子を考え、作る時間だって必要だ。お友達のフアナのところに遊びに行くのだって楽しい。夜になれば、レジェスが一緒に墓守をしてくれるから、寂しさなんて感じたこともない。


 話し上手で聞き上手な彼と過ごせばあっという間に時間になる。魔物も現れることは現れるが、想定したほど脅威ではなかった。攻撃魔法を放てば一発で倒せてしまうし、迷いなく剣を振うレジェスの一撃に大抵は怯えて逃げていった。剣を扱う力量の高さに、密かに侯爵家の騎士団に引き抜けないかとセラフィナが考えているのは内緒である。


 今日も今日とて、セラフィナはフアナにお茶に誘われて彼女の家へと出かけていた。


「そういえば、フアナの旦那様とはなかなかお会い出来ませんね。結婚式のお礼を言いたいのに」


「私があえて席を外してもらっているんだ」


 どういうことだろう。セラフィナは首を傾げる。


「私は嫉妬深い女なんでね。あんな素晴らしい夫のことは独り占めしていたいんだ。フィーナのことが嫌だってわけじゃないから、許しておくれ」


 フアナがそこまで多大な愛情を抱けるのなら、フアナの旦那様はきっといい人なのだろう。真っ直ぐな愛を一身に向けられる、そんな素敵な人と出会えるとはなんて幸福なことかとセラフィナは思う。


 あの日以来、全く姿を見せない自分の夫のことは正直分からない。文通をするのは楽しいがそれだけだ。夫のことを手紙で尋ねてみても、いつもはぐらかされる。夫の事をセラフィナは何一つ知らない。名前でさえも。自分は一生恋を知らぬまま死んでいくのだろう、という漠然とした予感もする。



 フアナの家を辞したあと、今日は夫にどんなお菓子を作ろうかと考える。結局、散々悩んでレモンシロップが爽やかな紅茶ゼリーを作ることにした。

 魔法で水と一緒に加熱してゼラチンを溶かし、次に鍋に水を入れて沸かす。お湯が湧いたところで火を止めて、ティーバックから紅茶を淹れる。紅茶の良い香りがキッチン一杯に広がった。濃くお茶が出たところで、砂糖やゼラチンを加えて混ぜていく。粗熱が取れたところで冷却魔法で一気に冷やし固めれば完成だ。

 器に盛り、ラップをして、いつも通り冷蔵庫に入れて置く。手紙はミニテーブルの上に置いておいた。今日もちゃんと読んでくれるといいな。 



 夕食を1人で食べ、準備をしてすっかり日課となった墓地へ向かう。今日はレジェスにも紅茶のゼリーを振る舞おうと、バスケットに入れてある。


 城を出る前に、夫からの返事の手紙が来ているのにも気づいたため、その手紙も持って出る。ざっと目は通したが、もう一度腰を落ち着けてゆっくり読み直しながら返事を考えたい。








「何か面白い事でも書いてあったのですか?」


「あぁ、こんばんは。レジェス様。いえ、カラスが手紙を書く方法について考えていましたの」


「カラスの手紙?」


 不思議そうなレジェスを、セラフィナは笑って誤魔化した。夫からの手紙を折りたたみ、ポケットにしまう。レジェスが来たので、いつものルーティーンであるチョコラーテを淹れる。


 今日は実家のレシピに従って、牛乳にバターとほんの少しの塩を入れた。こちらも気に入ってくれるといいのだが。


「はい、どうぞ」


「ありがとう。今日は何だか色々入れていたね」


「私の家のチョコラーテの作り方なんです。本当はチョコラーテの素ではなく、チョコを砕いて作るんですが。後の作り方は一緒です」


「貴方の思い出の味か。それを振る舞って頂けるとは光栄だな」


 一口飲んで、感極まったように震える。潤んだ、美しい青を見て食欲にも似た凶暴な欲求が体を駆け巡り、セラフィナは戸惑う。


「温かい。温かいな。これが家族の味か……」


 また泣くかもしれない、とはちょっと思っていたから今回は冷静にハンカチを差し出す。男の人が静かに涙する姿に、どうしてか心臓の鼓動が高鳴る。泣いている姿が愛しいなんて、自分ちょっとどうかしているぞとセラフィナは愕然とする。悲しくて泣いているなら、勿論原因を全力で排除するが。これは。



 可愛い。愛しい。自分の手でもっと泣かせてみたい。そして可愛がって、抱きしめてあげたい。



 夫がいる身で何を考えているんだと分かっているが、想いがあふれて止まらない。よく分からないトキメキを誤魔化すように、実家の落ち着く味であるチョコラーテを飲んだ。味は不思議と分からなかった。


 そこで、運よく魔物の群れが現れた。このよく分からない衝動を打ち消すのは、戦いの場に身を置くのが調度いい。ゆらりとセラフィナは立ち上がり、口角を上げた。


「いい獲物がきたなぁ」


 無表情で次々と敵を魔法で殲滅していく姿に、レジェスにちょっと怯えられたが、その顔にも興奮してしまうのだから救いようがない。戦闘で気が高ぶっているのだと思いたい。ふううぅ、と大きく息を吐きセラフィナは心を落ち着かせる。本当は言いたくないけど仕方ない。


「レジェス様。私から離れて頂けませんか」


 レジェスのことを、墓守仲間として大事にしたいと思う気持ちも本物だ。だから、寂しくなるがそう言った。彼を傷つけたくはない。


「……私は、何か貴方の気に障ることをしましたか?」


 途端、今にも泣きそうな悲痛な声で問い返されてセラフィナは焦る。悲しみに歪んだ表情も、言葉を失うほどに綺麗だ。この美しさは罪だ。


 やめろ。不敬なのは分かっているが、全力で頭を撫でてよしよししてやりたくなるだろ。そもそも彼の恋人でもないし、まして自分は夫がいる身だ。異性に触れるなど許されない。


 衝動に耐えるため、ぎゅっとセラフィナは拳を握る。恥ずかしいが、ここは正直に理由を話そう。


「いえ、このままだと私はレジェス様に何をするか分からないので!!」


「私は一体何をされるんだ!! でも、貴方がしてくださることなら、私は何でも……」


 警告したはずなのに、その晩もレジェスはセラフィナから逃げることなく、最後まで墓守の役目を共に行った。紅茶のゼリーも喜んでくれたし、一緒に食べた。やっぱり笑っている表情も癒されるな、とセラフィナは思う。健全な思考にちょっと安堵した。


 だがしかし。心なしか、いつもより距離が近かったようだがきっと気のせいだ。気のせいに違いない。






 穏やかな日々の中、幾度も季節が過ぎ去った。平和に暮らすうちに、気づけばセラフィナは17歳になっていた。

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