椿の城の墓守姫
魔物と全く戦えなかったことで、応援に来てくれた侯爵家の騎士団を落ち込ませてしまったが、とにかく2人はレオカディオ王国に無事に戻って来た。
おいおい泣きながら抱きしめてくる父を慰めたり、ザカリアス家の騎士の面々に勇気を称えられたり、求められるがまま騎士団の鍛練に付き合ったり、懐かしいメイドや執事と顔を合わせることが出来て、セラフィナは久しぶりの実家を満喫した。レジェスは終始居心地が悪そうだったが。
湯浴みをして、医師の診察を受けて、もう大丈夫だと太鼓判を押されたから、早々に椿の城に帰ることにした。フアナやベルトランにも無事な姿を早く見せたいし、力を貸してもらったお礼も言いたい。
それに、正直「一発くらいぶん殴る権利はあるよな」と血走った目で夫を睨む父を抑えるのが面倒くさい。父と夫の仲を取り持つには、作戦を立ててじっくりと時間をかけて実行することが必要だ。まずは自分が幸せだという姿を見せるのが大事だ。父への手紙にもレジェスの良いところを沢山書いて分かってもらおう。
「結婚など認めん! 娘は置いていきなさい!」とごねる父を強引に振り切って、レジェスの転移魔法で椿の城に戻ってきた。
「セラフィナは本当に良かったの? まだゆっくりしていても……」
「私の居場所はレジェス様の隣ですから」
レジェスは一気に赤くなると、落ち着きなく視線をさ迷わせた。セラフィナは何を当たり前のことを、と涼しい顔だ。
「フィーナ! レジェス! 良かった。無事に帰ってきたな」
勢いよく城から飛び出してきたフアナが、飛びつく勢いでセラフィナとレジェスを抱きしめる。
「はい、約束通りレジェス様を連れて戻ってきました」
「ただいま、母さん。心配かけてごめんね」
「いいんだよ、お前が無事なら。フィーナ、本当にありがとう」
「いいえ、フアナとベルトラン様、それに歴代のカラスの王の妻の皆様のお力添えがあってなし得たことです。私1人の力では無理でした」
椿の墓地にお礼に伺えば、皆一様に喜んでくれた。もう呪いが解けた歴代のカラスの王の夫婦は、この地に縛られる必要はない。夫婦仲むつまじく寄り添いながら、天へと旅立っていった。初代のカラスの王の夫婦ともお別れかと思ったが。
「私たちにとってはレジェスは息子みたいなものだからね。レジェスとセラフィナ嬢がこの世を去るまでは2人を見守ろうか」
「それはいいね。孫も見たいし」
ということで、もう少し現世に留まることになった。セラフィナとしては折角フアナと友達になれたのだから、一緒にいられる時間が増えたのは嬉しい。それに、レジェスも育て親と離れることにはならないから、寂しい思いをせずにすむのなら良かった。
そして夜。今日は夫婦が初めて寝室で一緒に過ごす夜である。結婚式もとっくの昔に挙げ、名実共に夫婦になっているのだ。レジェスにもっと近づきたい、とセラフィナはそれはそれは力を入れていた。
念入りに体を磨き上げ、良い香りのする香油を塗り、フリルが可愛いらしいネグリジェに着替える。
高鳴る鼓動を抑え、いつもよりゆっくりした動きでレジェスの待つ寝室に向かう。よく知らないことをしようとしているのだ。緊張するのは当然である。でも、レジェスが相手ならきっと大丈夫。上手くいかなくても良い思い出になるにちがいない。
「あぁ、お帰り。セラフィナ。ゆっくり温まれた?」
「はい、良いお湯でした」
レジェスは先にベッドに上がって、本を読みながら待っていてくれた。セラフィナが来ると、すぐにニッコリ微笑んでサイドテーブルに本を置く。
寝間着姿という無防備な格好で、好きな人が自分のベッドにいる破壊力は凄まじい。見てはいけないものを見ているような、背徳感ある色気を覚えてセラフィナは視界がクラリとした。
「失礼……します」
甘い香りを放つ花に誘われる蝶のように、セラフィナはふらふらとベッドに上がりレジェスの前に座る。よし、シミュレーション通りの位置につけた。
「あれ? なんだかバラみたいな香りがするね。素敵だ」
レジェスが一房髪を手にとり、愛おしそうに口付ける。いい雰囲気だ。
「旦那様に少しでも良いと思ってもらえるように香油を着けましたの。この香りはお好きなようで良かったです」
「え、あ、そうなんだ。私のため……」
噛みしめるように言うと、レジェスが頬を染めながら微笑んだ。笑顔の可憐さに理性の糸がブチリと千切れる音がした。
「もう呪いは解けましたから、私からレジェス様に触ってもいいんですよね?」
「もちろん。好きなだけ触って」
上等だ。旦那様の全てを、隅々まで触って愛でて、自分の溢れる愛で溺れさせてやる。決して他の人間に目が向かないようにするために。
そう、決意をあらためレジェスにキスする。レジェスはすぐに喜んでキスを受け入れてくれる。一生懸命キスに応える姿が可愛い。ほんのり赤くなった耳を軽く食むと、小さく声を漏らして震える。耳が弱いのか。可愛い。
どうしようもない気持ちになったセラフィナは、体重をかけてレジェスをベッドの上に押し倒す。ここで抵抗がなければ合意だろう。沢山触ってあげようと意気込むが、レジェスの様子がどう見てもおかしい。じゃれ合いを楽しむ子どもの顔だ。そこに夫婦の艶はない。そういえば、レジェスはきちんと性教育は受けているんだろうか。
「……あの、レジェス様はこれから先の事が分かってらっしゃいますよね?」
「うん、一緒に寝るんでしょ。私は誰かと一緒の布団で寝たことがないから、上手く眠れないかもしれない。だから、私のことは気にせず先に寝ていいからね」
レジェスは優しくそう言うと、セラフィナを寝かしつけるように何度も優しく頭を撫でてくる。
アウトー!! 全然分かっていなかった。純粋培養すぎないか。確かレジェスは20を超えている大人のはずなのだが。
セラフィナの脳内が?マークに埋めつくされる。自分の心がとんでもなく汚れてしまった気がしてちょっと泣きたい。だが、セラフィナはレジェスが欲しい。ならば、自分が頑張るしかない。幸い恋人同士の触れあいに抵抗感は無いようだし。
どうにか甘い空気に持ち込もうと、レジェスに覆いかぶさり彼の耳を指で弄りながらキスを続けるが、彼は嬉しそうに笑うだけだ。信頼しきった無垢な瞳に毒気が一気に抜ける。これは駄目だ。勢いのままに手を出してはいけない生き物だ。
でも、これは朗報である。いかようにも彼を自分の色に染められるという証。急いて仕掛けてはもったいない。じっくり時間をかけて楽しもう。
セラフィナは深呼吸を繰り返し、なんとか煩悩を抑え込む。なお、脳内では本能と理性の血みどろの殴り合いが繰り広げられていたが、間違っても愛しい旦那様に悟られないよう、表情は微笑みをキープした。
そのかいあって、レジェスも自分が目の前の肉食獣に食われる寸前だとは少しも気づかず、安心しきった表情でセラフィナの手に頬をすり寄せて甘える。
私の旦那様があまりに可愛いすぎる、とセラフィナは雷に撃たれたような衝撃を受ける。よく今まで無事だったものだ。妻として最後まで夫を守り抜かねばとセラフィナは決意を新たにする。
でも、このままレジェスと一緒の布団で寝てまともに眠れるとは思えない。なにか良い案は無いだろうか。
「あ、そうだ。私、やってみたいことがあったのです」
「したいこと?」
「レジェス様、まだ眠くないのでしたら私に付き合ってくれませんか?」
「いいよ。貴方とならどこへでも」
初夜は仕切り直しだ。まずは健全なお付き合いから始めよう。
洋服に着替えてやって来たのは、夜の椿の墓地。セラフィナとレジェスはいつもここで沢山のおしゃべりをした。名実共に夫婦となった最初の夜を過ごすのには最適な場所だ。
今日はセラフィナは毛布を持ってきていた。地面に座り、ポンポン隣を叩けばレジェスは恥じらいつつも嬉しそうに隣に座る。セラフィナはレジェスの腰に腕を回して引き寄せると、毛布を肩までかけて一緒に入った。
「お父様とお母様は、婚約者時代にはよくこうやって1枚の毛布を分けあいながら並んで座って一緒に星を眺めるデートを楽しんだそうです。私も旦那様が出来たらしてみたかったのです」
「そうだったのか」
火を起こし、鍋を準備して、いつも通りレジェスのためにチョコラーテを淹れる。今日はチョコレートをきちんと砕いて作った、完全にザカリアス家のレシピによるチョコラーテである。
「美味しい。またこうしてセラフィナが作ってくれたチョコラーテを飲めるなんて幸せだ」
レジェスは青の瞳を潤ませる。涙の雫を手で優しく拭ってやる。
「これから先、私たちがおじいちゃんおばあちゃんになっても、毎日貴方のためのチョコラーテを作りますから、もう泣かないでください」
「私は……貴方にもらってばかりで、どう返せばいいんだろう」
「一方的な関係なんてありませんよ。私もレジェス様と一緒にいて、色々なものを貰っています」
納得できない、という顔をするレジェスにセラフィナはにっこり笑う。
「分かりました。なら、明日の朝食はレジェス様の作ったオムレツが食べたいです」
「分かった。美味しいの頑張って作るから楽しみにしていて!」
キラキラとした、輝く笑みが眩しい。煩悩も浄化されそうだ。
「レジェス様は、私としたいことはないのですか?」
夫の肩に自分の頭を預けながらセラフィナが尋ねる。
「そうだな。結婚式ももう一度したいよね。今度はセラフィナのお友達やご家族も呼んで盛大にしよう。あんな葬儀モドキの陰気な式で終わりたくないし、貴方にも失礼だった」
レジェスの提案に虚をつかれた。正直結婚式には憧れなんてなかったから、セラフィナはどうでも良かった。貴族の結婚式にしてはあり得ないくらい、楽が出来てラッキーくらいに思っている。むしろレジェスがあの時のことを気にしていたことに驚いた。
「良いではありませんか。結婚は人生の墓場とも申しますし」
「あ、やっぱり怒っているよね。本当にごめんなさい」
真っ青な顔で謝るレジェスの頬にキスをして落ち着かせる。結婚式か。セラフィナの旦那様は世界で一番素敵なのだ、と皆に宣言するのは悪くない。
「怒ってはいませんよ。そうですね。2人の式、良いものを考えましょうか。それから新婚旅行も行きたいですよね。新居は……やはり椿の城でしょうか。幸せな結婚生活の計画もついでに立てますか!」
「うん、いいね」
美しく星空の下、今代のカラスの王の夫婦による家族計画が幸せそうなおしゃべりの中で立てられていく。
初々しい夫婦の姿を、椿は見守る。どうかこの2人が末永く幸せでありますように。
最後までお付き合い頂きありがとうございました。これから先、セラフィナさんとレジェスさんは何事もなく平和な日々を過ごすと思います。後に王国一のおしどり夫婦としての名声がとどろく事でしょう。
何かお話が思いつきましたら、また番外編を投稿しますが、ひとまず本編はこれにて完結です。本当にありがとうございました。
♢登場人物紹介♢年齢は本編終了時のものです。
セラフィナ・ドゥラスノ・ザカリアス(17) 【誕生日】3月3日
癖のある桃色のロングヘア―に真紅の瞳をした、花のように可憐な美少女。儚げな見た目とは裏腹に中身は大層男前。今現在は夫を愛でるのが楽しくて仕方ない。侯爵家直系に相応しい膨大な魔力を持つ。得意魔法は広域爆散系の攻撃魔法、と見せかけて実は治癒魔法。魂レベルの傷さえ完璧に修復してみせる。アウトドア全般大好きで、山ごもりが趣味。自作のツリーハウスにいつかレジェスを招待したいと、機会を狙っている。知略を用いた戦略を立てるのは大の苦手で、とりあえず全部壊せばいいよな! という脳筋な一面もある。好きな食べ物はチーズケーキ。
レジェス・ベルトラン・エステバン(24) 【誕生日】4月25日
真っ直ぐな黒髪に、アクアマリンのような水色の瞳をした神々しい美青年。性格は温和で、好きな相手の為なら自己犠牲も厭わないタイプ。長年、呪いのために育て親以外の誰とも関わらず城に引きこもって暮らしていたため、実年齢に反して情緒が幼い面もある。趣味の料理の腕前はプロ級。元々食べることは好きなので、美味しい料理を作るための研究に余念がない。得意魔法は物質の構成要素に干渉する魔法。初代のカラスの王に手ほどきを受けたため、武器の扱いも得意。一番馴染むのは剣。セラフィナの事を世界で一番愛しているため、彼女が離れていかないのならどんな事をするのにも躊躇いはない。好きな飲み物はセラフィナの淹れてくれるチョコラーテ。
フアナ・マイヨール・レオカディオ(享年25歳) 【誕生日】12月2日
茶色の髪と瞳の、愛らしい容姿をしている。初代のカラスの王の妻であり、レオカディオ王国の5代目王妃。この世界で希少な精霊魔法の使い手だったため、平民から王妃になったという異色の経歴を持つ。そのため、本人は貴族らしい優雅な振る舞いや言葉遣いは苦手。割と大ざっぱで豪快かつ、愛情深い性格。レジェスの事は実の息子同然に可愛がり、優しく見守っている。夫の事を溺愛しており、隙あらば彼を独り占めするために監禁したいと思っている。好きな食べ物はパエリア。
ベルトラン・エステバン・レオカディオ(享年27歳) 【誕生日】6月16日
銀髪に黄金の瞳をした、人形のように麗しい青年。魔王を倒し、王国を魔物の脅威から救った事で後世では英雄王として歴史書に載る。しかし、本人は魔王の呪いを受けて巨大な銀のカラスへと姿が変わってしまった。夜の間だけ人間の姿に戻れる。性格は優しく、責任感が強い。妻であるフアナを大変愛しており、夫婦仲は千年経ってもラブラブ。日夜フアナにベッドで啼かされているが、本人は妻の愛を一身に受けられて大いに幸せ。レジェスのことは実の息子のように大事に思っている。好きな食べ物は子豚の丸焼き。




