64・『始まりの聖女』と断罪
二階席にいた貴族たちは、教会側より今日見聞きしたことは口外しないと誓約させられたうえで、一度王宮から退室させられた。
貴賓宮に残ったのは、一階席にいる『見届け人』である近隣諸国の王侯貴族の皆様と、我が国の関係者のみ。
貴族達が速やかに退出させられ、急に静かになった貴賓宮には、彼らと入れ替わるように、数名の教会関係者の手によって、見つかったと言われる銀と宝石でできた美しい棺が神殿から運び込まれた。
「ひっ!! いや、いやぁぁぁ!!」
会場の中央に急遽用意された台座の上に棺が置かれた直後、立ち上がろうとして動きを阻まれながらも、目玉が落ちそうなほど眼を見開いた後、わなわなと震え『すべてが終わった』と呟いて、絶望するように椅子に崩れるように座り込み、項垂れたのは、騎士達の槍によって椅子から立ち上がれないよう拘束されていたドルディット国王。
その隣に同じように座らされていた王妃の方は、それを見た瞬間に半狂乱で悲鳴を上げ、椅子から這いずり逃げ出そうとしたのを騎士様に止められていた。
「静粛に!」
「いや、いやぁぁぁ! 化け物! 化け物があの中にいるのよっ! ……ひっ!」
壇上。 聖王猊下に付き従う司祭の指示を無視し、泣き出し、喚き、逃げ出そうとする王妃の前に、槍先が突き付けられた。
「静粛に!」
目の前でギラギラ光る槍先に声も涙も引っ込んだようで、ぶるぶると震えながらこくこくと頷き静かになった王妃の前から、槍先は遠ざけられた。
それを見届けた真紅の法衣の司祭がドルディット国王に体を向けた。
「ドルディット国王へ問う。 この棺の中身はなにか。」
「……。」
その問いに顔を上げたドルディット王は、ぶるぶると身を震わせながらも、土気色になった顔をそらし答えることを拒否した。
がちん、と、槍の柄が重なり合う音に、顔を正面に戻したところで、再び問いが投げつけられる。
「ドルディット王へ、再び問う。 この中身は何か?」
「……。」
ぐうっと、苦しむように息を吐いただけで、一切を答えようとしないドルディット王に、司祭は冷たい視線を投げかける。
その時、正面の扉が開かれ、一人の男が2人の騎士に引きずられるように連れてこられた。
「聖王猊下へご報告いたします。 神殿から一人、隠し通路を使い逃げ出そうとしていたものを捕まえました。 どうやら神殿主であるようです。」
「了。」
聖王の声とともに、引きずられるように会場内に現れたのは、2人の騎士様の間に挟まれ、何時もの絢爛豪華な服でなく、最下級の神官服を身に纏い、大きな革の鞄を背負った男。 それを見たエルフィナ殿下が、恐れながら、と、壇上の司祭に頭を下げた。
「間違いなく、我が神殿の神殿主でございます。」
「了。」
「な。何故私が、こ、こんなところ、に……ひぃっ!。」
引きずられてきたときのままのため、床に膝をついたまま、青い顔でおどおどと周囲を見回していた彼は、目の前に置いてある銀の棺に目を見開いて悲鳴を上げ、その奥にある壇上に座る聖王猊下と司祭、そして騎士に挟まれ顔色悪く椅子に座る王と王妃を見てさらに土気色に顔色を変えた。
「な、何故これが……バレ……。 だから、だから申し上げたのだ! 王宮から動かさない方がいいと……。 何度も言ったのに……。 神殿に移動したから……だから……。」
ぶつぶつと口の中でそう言っている神殿主に、司祭の声がかかった。
「問おう。 名と、その役職を。」
その声に、神殿主は大きく体を震わせた。
「違う! 違う違う!」
それから、両手を床に突き、四つん這いになって叫ぶ。
「違う、違うんだ! 私は悪くない! 私はただ、王家の指示に従っただけだ! 先祖代々、そうするように言われてきたからやったんだ! 教会の宝玉を盗んだのも、聖女を召喚のも遠い先祖だ! 私じゃない!」
(……全部白状したようなものね。)
「改めて問う。」
「違う! 違います! その化物も、宝玉も、全部私のせいじゃない! 私のせいじゃないんだ、先祖がやったことだ! 見逃してください、私はなにも悪くないんだ!」
うずくまるように頭を下げた彼の背中から大きな荷物がずり落ち、まるで滑り台を転がるように、鞄から飛び出したのは金貨に神殿に飾られていた宝石をちりばめた装飾品、それに祭壇の金の燭台まで出て来た。
「あ! あああぁ! 私の、私の……ひっ!?」
金属が転げ落ちる音に慌てて頭を上げ、両手でそれらをかき集めようとした彼の動きを止めるように、槍が交差して突き立てられた。
「う、うわぁぁぁぁ!」
それに驚いた神殿主が慌てて後ろに逃げようとするが、騎士の足にぶつかり大きく尻餅をついては悲鳴を上げる。
「ひいぃ!」
「これが最後である。 改めて問う。」
がくがくと震え、尻餅をついた部分の絨毯がじわりと色を変える中、彼は飛び跳ねるようにそこに跪き、両の手を祈るように組んで叫んだ。
「ド! ドルディット王国・太陽神殿の神殿主ノイ・カライでございます! どうぞ、どうぞ命だけはお助けください!」
「問おう。 この棺の中身はなにか?」
「そ、それは……。」
司祭の問いかけに、飛び上がるように顔を上げた神殿主は、頼みの綱であろう、壇上の王を見た。
しかし、土気色の顔色をしたまま項垂れている姿に助けが得られないと解ると、絶望に青ざめ、悲鳴を上げるように言った。
「そ、その棺の中身は『始まりの聖女』の遺骸と、我が祖先が教会より奪った『時の宝玉』でございます!」
「問おう、それは何故のためか。」
次の質問に、再び目を彷徨わせた男は、ここでようやく私の隣に立ち、自分を見下ろすマミと目が合った。
「ひっぃ! い、生きて……生き返って……聖女は、聖女はぁぁぁ!」
短く悲鳴を上げて後ずさったあと、震える声で言った。
「こ……国王陛下のご命令で、異世界より、聖女を召喚するためでございます! これらはその道具、それで召喚された『最後の聖女』が、そこにいる『聖女マミ』です!」
「なるほど。 では改めて問おう。 その『聖女召喚』という儀式。 どのように行うのか。」
「は、『始まりの聖女』の命日にのみ棺を開け、聖女をこの世にと、強く祈るのでございます!」
「了。」
やり取りが終わり、両脇に立つ騎士に引きずられるように端に移動させられた神殿主は、途中、あれは私の物だ、と惨めに宝飾品に手を伸ばしていたが、投げつけられる侮蔑の視線に泣きそうな顔で黙り込んだ。
(哀れだわ。)
部屋の端で騎士に挟まれ、項垂れる神殿主を一瞥し、壇上を見ると、必要な証言を取り終わったのか、司祭は静かに隣に座る聖王猊下に何か問うているようだ。
少しの会話の後、司祭はトン、と、杖を突いた。
「確認のため、棺の開封を行う。」
会場は再びざわついた。
司祭様の言葉に従い、聖王猊下の後ろで書物の解析をしていた濃紺の法衣を着た司祭様たちが壇上から降り、その棺を取り囲んだ。
「皆。 安らかであるべき眠りを妨げられる憐れな子に、祈りを。」
先ほどまでとは違う、穏やかなその言葉に、王と王妃、神殿主以外は、一様に祈り手を組む。
司祭様が手に持つ小さな鈴が5つ鳴らされ、その間、皆静かに祈りを捧げた。
鈴の音が途切れ、顔をあげれば、マミもいまだ、青い顔で祈りを捧げている。
そっと、背を擦ると、顔を上げ、手を握ってきたため、私も頷きながら握り返した。
「始めさせていただきます。」
壇上の聖王猊下に向かい、濃紺の法衣の司祭たちは一礼をした後、赤い絨毯の敷かれたその部屋の中央に安置されたその棺の蓋に手をかけた。
「や、やめろ……やめろっ!」
ここまでもぬけの殻のような状態だったドルディット王が、その声に暴れ、髪を掻き毟りながら叫び出したが、棺は開けられた。
粛々と、棺の中に手を伸ばす司祭様たち。
「……。」
陰謀だ、嵌められた、私は知らないとたがいに罪を擦り付け合う言葉を吐くドルディット国王夫妻と神殿主以外の誰しもが、棺の中からゆっくりと持ちあげられる『始まりの聖女』の影に、悲痛な面持ちで再び祈りを捧げた。
棺の隣に置かれた、シーツのかけられた台座の上に、棺から出された『始まりの聖女』は寝かせられ、衆目に晒された。
悲鳴をあげる3人以外の全ての人間が、その姿に息をのんだ。
「も、もしかして……生きてるの……?」
「……いえ、そんなはずは……。」
私とマミは目を見合わせて、それから再び『始まりの聖女』を見た。
棺の中から大切に出されたのは、胸に大きな金色の石を抱く1人の、木乃伊と呼ぶにはあまりにも美しい少女の亡骸だった。
少しパサつきはあるものの、艶のある長い黒髪に純白の肌、桜色の唇。
伏せている瞼は、今にも開きそうで、確かに、眠っているだけのようにも見える。
しかし、それはありえないと言い切れるほどの異質な部分が、彼女にはあった。
彼女の胸には、大人の男の拳ほどの大きさの、ゆらゆらと虹色の光を放つ宝玉が埋まっていたのだ。
衣類や手の位置など、その周囲の形状から、人為的に埋め込まれたのではなく、長い年月の間に、石の重さで少しずつ埋没し、結果、今の様に彼女と一体化したのだろう。 その事で、宝玉は彼女を朽ちさせることなく生前の姿を留めさせたのかもしれない。
「文献に残されていた黒髪の少女と、失われていた教会の宝珠に間違いありません。 宝玉の方は、この状態では取り出すことは不可能かと思います。」
「了。」
丁寧に検分を行った濃紺の法衣の司祭が、それを終え静かに少女に祈りを捧げてから聖王猊下に頭を下げると、傍に付き従う司祭様が頷いた。
様々な様相を呈していたドルディット王国夫妻と神殿主は、決定的な証拠を前に、今度こそその場に力なく項垂れた。
教会関係者が壇上に集まり、この場で行う最後の審議が始まる中、檀下にいた私たちはただ、それが終わるのを待った。
「神の秤は傾いた。」
ゆっくりと、穏やかな声で、聖王猊下は話を始められた。
「神殿の宝玉を盗みだした男が、己が醜い欲望のためだけに祈り奇跡を起こした事から始まったこの悲劇。 その事実を隠すため、さも美しく『奇跡』『聖女召喚』とそれらしい言葉で飾り立て、神の子たる民を取り込み、己が利以外の一切の苦しみを他者に背負わせるなど、決してあってはならぬことだ。
しかも、その醜き所業を8代に渡り続け、呼び出された少女とそれに連なる者の苦しみは想像を絶する。 そんな数多くの犠牲者を出したことすらも当たり前だと隠蔽した身勝手な事実。
人の命と尊厳を踏みにじり、権力と富を手に入れるなどなんたる不条理。 そのようなものがまかり通る国など、神が愛するこの世界のどこにも、存在してはならない。 教会として、こたび告発のあった所業のすべてを、決して許すわけにはいかぬ。
ドルディット王国王家、そして『聖女召喚』に関し関わった者は皆、教会より破門とし、身分は剥奪。 その身柄は教会で預かる。 罪の償い方は、すべての精査が終わった後で言い渡すこととするが、神は天秤を壊されるほどにお怒りである。 厳しいものになると、心せよ。」
その言葉すら、すでに耳に届いていないであろう、もぬけの殻となったドルディット国王夫妻と神殿主は、騎士に縄をかけられた。
それは、檀下で静かに聞いていたエルフィナ殿下とシャルル殿下も同様で、法王猊下に最高礼を取ったあと、騎士の手によって拘束された。
ウルティオ様は王家の血を引いていたものの、聖女の子供、すなわち被害者であるとされ、その身柄は今まで通り、ローザリア帝国ハズモンゾ女公爵様に託された。
王家を失ったドルディット国には、国土があり、民がいる。 急に王家が廃されれば、混乱を招き、ドルディット王国はもちろん、その周辺諸国にも難民などの問題が発生する。 その為、内政が安定するまでの間、一時的に教会から仮の王が立てられることになり、同時に見届け人となった周辺諸国の皆様が、内政・外交など、それを手助けする仕組みも決められた。
一案として、新王には、聖女の子であり帝国の後ろ盾もあるウルティオ様を立ててはどうか、という意見も出ているようだが、正式にどう決まるかは、今はまだわからない。
そして――。
「マミ・イトザワ。」
「は、はい。」
名を呼ばれ、びっくりして顔を上げたマミの元まで、ゆっくりと歩いてこられた聖王猊下は、私と繋いでいなかったマミの右手を取り、マミの頭に空いた手を置いて、静かに微笑まれた。
「異世界の神の愛し子よ。 其方が巻き込まれたこの悲劇。 教会が有する秘宝の管理が適切に行われていなかったことが発端で引き起こされたものだ。 聖女と呼ばれた悲しき乙女たちの苦しみの責任は教会にあると私は考えている。 この先、決してこのようなことが二度と起きぬようにすると約束し、また、時間はかかるかもしれないが、我らは君が元の世界に戻る術の研究を尽くそう。 そして、君がこの世界で心穏やかに過ごせるよう、心を砕くことを約束しよう。 ……このように不確実な物言いしか出来ない事を、申し訳なく思う。」
「帰る、方法?」
呟いたマミに、聖王猊下は頷かれた。
「それは……あの、ありがとう、ございます。」
少し戸惑ったように視線を彷徨わせながらも頭を下げお礼を言ったマミに、聖王猊下は微笑むと、降りてこられた司祭様に目配せをし、そのまま貴賓宮から出て行かれた。
同時に、立会人となられた各国の方々は教会の関係者の指示に従い、移動を始めた。
長いと感じる時間が終わった。
そう思い、ひとつ、気付かれないようにため息をついた私は、つんつん、と、つつかれる感覚に振り返った。
「マミ? どうかしたの?」
「……あのね、ミーシャ。」
私の隣で、私越しに『始まりの聖女』を見ていたマミは、困惑した表情をしていた。
「どうしたの? 体調でも悪い? 大丈夫?」
「ううん……大丈夫。 それよりもね、ミーシャ……。」
「えぇ、どうしたの?」
ぎゅうっと私の袖をつかんだマミは、零れ落ちるような小さな声で言った。
「聖女様、泣いてる……。」
「え?」
マミの言葉に、私はそちらを見た。
だが、よく見ても特に変わった様子は見られない。
「私にはわからないわ。 もしかして、シャンデリアの光がそう見えるのかしら?」
「ううん。 ほら、また!」
そうマミに言われ、『始まりの聖女』の眠る顔をよく見れば、その眦に小さな粒がうかび、やがてつうっと涙が流れ、黒髪に吸い込まれるように消えた。
「……本当だわ……。」
息をのんで、私はそれを凝視した。
「本当だ。」
「本当だわ。」
「泣いている。」
「泣いているわ……。」
私たちの会話が聞こえた見届け人の中からも、そんな声が出始め、やがて皆がそこに集まり始めた。
「呪いだ! その女が、私たちを呪ったんだ! だからこんなことになったんだ! 化物め!」
苦し紛れなのか、神殿主が騎士様に引きずられるように会場をでる間際、そんな大声を張り上げながら消えていった。
「あれには更生の余地すらないようだ。 猊下に報告を。」
会場の状況に指示を出し、対応していた教会関係者の皆様は一様にため息をつく。
そして、涙の真偽を確認するため、『始まりの聖女』をとり囲んだ。
「……マミ?」
そんな中、掴んでいた手がするりと抜けた。
私から離れたマミは、教会関係者の間をぬって『始まりの聖女』に近寄くと、その傍らにしゃがみ、取り出した手巾でそっと、流れる涙を拭った。
「マミ?」
「ひ……一人で。」
マミの、涙交じりの声が聞こえた。
「一人で、長い間、こんな冷たい箱の中にいて……寂しかったよね?」
自分もぼろぼろと涙を流しながら、丁寧に丁寧に、伝い落ちる涙を拭う。
「一人で、閉じ込められて、そんな物を持たされて……ずっと……ずっと怖かったでしょ? 苦しくて、辛かったでしょ? あたし、2年も神殿で暮らしてたのに……気付いてあげられなくて、ごめんなさい。」
涙をぬぐいながらも、マミの嗚咽は徐々に大きくなって。
「ごめんなさい、ほんとに、ごめんなさい。」
台座にすがるように泣きながら、なおも『始まりの聖女』の涙を拭うマミに私は駆け寄った。
手を伸ばし。
後ろから抱きしめて。
泣いているマミの肩に顔を埋めて、首を振る。
「マミが謝る事じゃないの。 違うの。 謝らなければならないのは私達、ドルディット王国の人間なのよ。 『始まりの聖女』様、歴代の聖女となられた皆様、本当に申し訳ございません。」
大きく泣きだしたマミを抱き締めて、私は静かに頭を下げた。
そこに、騎士様に拘束されたエルフィナ殿下とシャルル殿下もやってきた。
彼女たちも騎士様に許され縄を解かれると、その前で静かに膝をつき、祈手を組んだ。
「『始まりの聖女・シズネ』様。 そして召喚され、この世界で亡くなられた多くの聖女様方。 我が王家、我が先祖が皆様に対し行った数多くの非道、ドルディット王家の血を引く者として、心から謝罪申し上げます。」
お二人は、そのまま深く、頭を下げられた。
私たちの後ろでは、ウルティオ様が膝をつき、胸に手を当てて頭を下げている。
そんな私たちの傍に集まり、様子を見ていた見届け人である諸国の王侯貴族の皆様も、次々と最高礼を取ってくださる。
そんな、『始まりの聖女』様のために。
私たち謝罪の祈りを捧げる者のために。
真紅の法衣を身に纏った司祭様は、静かに5つ、鐘を鳴らしてくださった。




