61・【他者視線】暴かれる、閉じ込められた過去
「まて! まってくれ!」
彼の顔を見られまいと、醜くあがき、ドルディット国王が伸ばした手がむなしく宙を切った。
司祭に促され、見届け人たる近隣諸国の王侯貴族と、ドルディット国の貴族がその姿を良く見えるよう、祭壇の前に立った青年は、顎を引き、しっかりと前を見据え、その顔を晒した。
瞬間。
彼はその身を貫く千を超える槍の様に鋭い視線にさらされ、同時に会場は音を失った。
その場にいるすべての人間の目を引いたのは、何物にも染まらない、世界では稀有な漆黒の髪。
次いで、ドルディット国の国王のみがつけることを許された王冠に配された大粒の宝玉と同じ、ドルディット国王家の血をひくものにのみ現れる、翡翠色の瞳。
それらをまとめる凛々しくも美しいその顔は、奇しくも数年前に同じくこの場所で立太子した、煌めく紺碧の瞳の第一王子殿下・ジャスティよりも、現在その壇上で目を見開くドルディット国王に瓜二つで。
会場にいる何も聞かされていなかった者達は、一様に息をのんだ。
「……おい、あれは……あの顔は……。」
その言葉は、誰が言ったのかもはやわからない。
「陛下と瓜二つだぞ……。」
その言葉を皮切りに、ざわざわとあちらこちらから戸惑いの声が上がる。
「見ろ、王族でも選ばれた者にしか現れないと謳われる、翡翠の瞳だぞ。」
「い、いやしかし、翡翠の瞳は今は現王家には陛下しかいらっしゃらないはずだ。」
「だが、あの瞳は確かに、王家の宝玉と同じ色だぞ。」
そう、それは、現在、無残にも壇上に転がる宝冠を彩る、燦然と輝く翡翠と同じ。
「しかし、あの容姿。 第一王子殿下よりも年上なのでは?」
ざわつきは徐々に大きく広がる。
「では、王妃殿下とご成婚される前に……?」
「まさか!? 婚姻までは純潔を誉と謳う王家の、その最たる方が?」
「そんな、国民の鑑ともあろう方が?」
「いや、あぁでもそうだ。」
下級貴族が連なるあたりで、誰かが呟いた。
「現国王陛下の立太子の祝宴の時に、確か……」
「お、おい! その話はっ……。」
ガンっ!
徐々にざわつきの渦が広がり始めた会場に、杖が叩きつけられた。
瞬時に静まり返った会場の、賓客の集まる一階席で、新緑の礼服の男性が静かに手を上げていた。
「なにか。」
聖王の隣にいる司祭の声に、彼は頷く。
「聖王猊下、そして司祭様へ。 ディ=ラトセント国より、発言をお許しただきたい。」
その声に応えるかのように法王が目を伏せると、立ち上がった彼は胸に手を当て頭を下げた後、祭壇の前に立つ青年を見据えた。
「我らは本日、ドルディット国より、建国記念及び立太子の儀を見届けてほしいとの招待を受け、それを了承し、国境を越え、馳せ参じた。 私を始め、ここに集まった一同は、本日の立太子は第二皇子であるシャルル殿下であると認識をしていたのだが、その青年が現れた。 それは、この国の王たるドルディット国王もご存じなかったようだ。」
静かに、重く、問いかける声に、皆、耳を澄ます。
「青年が纏っている最礼装はローザリア帝国の物であると拝見する。 そしてその衣装をまとってこの場に現れたと言う事は、ドルディット国はローザリア帝国の属国となると言う事であろうか。」
「そんなことがあるはずがない! 何を言うのか! 我が国を侮辱するつもりか!」
その言葉が終わる前に、ドルディット国王が叫ぶが、発言者は穏やかに問いかける。
「ではなぜ、彼がそこに立っているのか。 それ以前に何故、聖王猊下がこの場にお出でになっているのだろうか。」
「それは! 猊下自ら我が国の祝福を……っ!」
「ドルディット国の国王陛下は、聖王猊下が一国の立太子の祝福のために神の御許から離れられると本当に思っていらっしゃるのか?」
「我が国に来てくださった! それがすべてであろう! いくら友好国の王太子とはいえ、我が国土で我が国を貶めるとは、正式に抗議する!」
「……まさか、本当に分かっていらっしゃらないとは。」
ドルディット国王の返答に小さく首を振った若き王太子は、ドルディット国王から視線を外すと、祭壇の前の青年を見た。
「ディ=ラトセント国王太子として、見届ける者として。 本日、立太子する人間として周知されていたドルディット王国第二王子シャルル殿下の所在と、彼の代わりにその場に立つ君の出自、そして正しく、君がドルディット国王の血を引く、正当なる王位後継者であるのか。 神の天秤を預かる聖王猊下の御前で問う。」
「彼の出自については私が証明します。」
「シャ、シャルルッ!」
開いたままの扉から、数名の文官に大量の書類や書籍を持たせ現れたのは、柔らかな白金髪に紺碧の瞳の、ドルディット王国の蒼白の祭礼服に身を包んだシャルル第二王子である。
「シャルル! 何をしていたのだ! ……そ、そうか、余興……。 余興であった、これまでの事は余興であったな!」
祭壇の方まで歩みを進めシャルルの姿を見たドルディット国王が、青ざめた顔をやや持ちこたえ、ひきつった笑顔で叫んだが、それに一瞥もせず、祭壇の前、青年の少し手前で立ったシャルルは膝を折り、聖王に向かって最敬礼を取った。
「聖王猊下の御前にて、ドルディット王国・シャルル・プラチタータ・ドルディット。 神に誓って嘘偽りを決して口にしないことを誓い、この場にて我が王家の非道を告発を致します。」
その言葉に、二階席には大きな動揺が走った。
「わたくしも。」
壇上。
椅子から立ち上がり、ふわりと血の付いたドレスを揺らし、侍従の手を借りて壇上の端から降りると、シャルルの横に立ち、礼を取ってから、その場で膝をつき頭を下げる。
「聖王猊下の御前にて、ドルディット王国・エルフィナ・パパラーチア・ドルディット。 神に誓って嘘偽りを決して口にしないことを誓い、この場にて我が王家の非道を告発を致します。」
「シャルルッ! エルフィナ! き、貴様らはいったい何をしているっ!?」
「許す。」
再び顔色を変え、檀下で聖王猊下に向かって侍従たちとともに頭を下げる2人の子供を信じられないと言った顔で見たドルディット国王の言葉を遮った聖王自らの許可によって発言を許された2人は、促されて立ち上がると、まずはシャルルが再び礼を取った。
「まずは、お集りの近隣諸国の来賓の皆様に。 我が国からの親書に従い、国境を越え、ご足労頂いたにもかかわらず、諍いに巻き込む形となりましたことを心より謝罪申し上げます。 また、父王の命令によりここに集う事になった我が国民に対しても、このような事態になった事を心から詫びる。 そしてこれから先、我が王家が神殿と共に長きにわたり行ってきた、愚かにも恥ずべき行為をこの場で告発し、神の代行者たる聖王猊下におかれては、その神の天秤にて、我ら王族の、この国の罪をお裁き頂きたい。 そしてこの場におられる皆様には、それを見届けていただきたい。」
「な、なにを……。」
その言葉に最も目を見開き、掻き毟るように顔を覆ったのは壇上にいるドルディット国王だ。
司祭を振りほどこうとしながら、檀下で宣言した2人の子供に向かい、血走った目を向け、声を張り上げる。
「なにをっ! なにを馬鹿なことを! シャルル! エルフィナ! お前は! お前たちはっ! 王族としての誇りはないのか! ドルディット国の王族として、何を言っているのかわかっているか! 告発だと!? 何を告発すると言うのか!?」
「父上!」
喚き散らす国王を静かに振り返ったシャルルは、憐れむような目で己の父親を、この国の王を見る。
「私は。 そして姉上は。 この2年間ですべてを知りました。 王家と神殿が、そして貴方が行った非道を。」
その言葉に、ドルディット国王は醜く顔を歪める。
「なにを言っている! この国には、私には、何も疚しいことはない! すべてはこの国の民のため! この国の繁栄のため! 私は、王家は、何一つ恥ずべきことはしていない!」
その言葉に、シャルルは首を振った。
「……ではなぜ、僕にこうしてもう一人、兄上がいるのですか。」
唾を飛ばし叫ぶ王は、シャルルの言葉にさらに目を見開いた。
そんな父を一瞥し、壇上、聖王猊下の傍に控える司祭を見たシャルルは静かに頷いた。
「この度の告発は、ドルディット国第二王子シャルル、第一王女エルフィナがすべての責任を負う事をここに宣言する。 告発するのは、歴代のドルディット国王と王妃、王家に属しこの秘密を知るもの。 そしてドルディット国神殿主とそれに準ずるもの。 ただし、第二王女フィリアナは未成年であるため、この告発後の責任を問う事をお許しいただきたい。」
シャルルの声に、一階席に座る者は同意を意味するように小さく手を上げた。
それを見たシャルルとエルフィナは、背後で叫ぶ父と母を見ることなく前を向く。
「まず、ディ=ラトセント国王太子殿下の仰られた質問に対し。 彼が何者であるのか。 それは私が説明いたします。」
真紅の最礼服に身を包んだ青年の横に立ったエルフィナは、自分がという青年に首を振り、衆目を一身に集める中、背を伸ばし、顎を引き、しっかりと前を見据えて口を開いた。
「我が国の国民である皆は知る通りの事ですが、御存じない方へ説明申し上げます。 我が国には『教会』のほかに、『ドルディット王家は太陽の神を祖とする尊きものである』という神話を祭る機関がございます。 その機関が、王宮や王都にある『神殿』『小神殿』であり、ここにある書簡がそのもととなったものでございます。」
目配せされた文官によって持ち上げられたのは、大きく金彩で描かれた太陽が美しい装丁の年代物の本であり、その姿が皆に見せられた後、壇上の司祭へ届けられる。
「内容は先ほど申し上げた通り。 しかしこの話には続きがございます。 『ドルディット王家は太陽の神に連なる尊き子らである。 ゆえに、神は清らかな乙女を遣わし、国を繁栄させ治めるに必要な英知を王家に授ける。』 と。 その清らかな乙女とは『聖女』を示します。 そして我が国では数年から数十年に一度、神殿に聖女が降臨し、英知を与えてくださるのです。」
「なんと!」
「それはまことか!?」
「ドルディット国にのみ、神は恩恵をお与えになっていたのか。」
幼い頃から耳にしてきた神話に頷くのは二階席に集められた貴族達であり、騒めくのは一階に集められた近隣の王侯貴族達だ。
「おまちください。」
それに異を唱える者が現れた。
先程と同じく、新緑の最礼服に身を纏ったディ=ラトセント国の王太子である。
「『聖女はおらぬ』と、先ほどドルディット国王陛下が否定されていたのではありませんか? エルフィナ王女殿下。」
「さようでございます。 現在、神殿に聖女は存在しておらぬことになっております。」
「ではどういうことか。」
「実は先程、法王猊下へ提出された本には、もう一冊、対となる本がございます。 こちらは王位を継ぐものとその妻となる者、神殿を管理する神殿主、そして国王の側近の中でも極一部の者しか知りえることの出来ない、我が国で最も厳重に管理された『禁書』でございます。」
「……っ! やめろ、やめろ、エルフィナ!」
「ほう?」
目を見張り、悲鳴を上げるような顔をしたドルディット国王と王妃にちらりと視線を動かしたディ=ラトセント国王太子が首をかしげる。
「それは、本当に存在するのですかな?」
「こちらに。」
エルフィナの言葉に、別の文官が取り出したのは同じ大きさの、銀彩で大きく月の文様の描かれた美しい装丁の本であり、同じように壇上の法王の傍につく司祭へと丁寧に差し出される。
「こちらの本は……。」
「やめるんだ、エルフィナ! それは国家機密に当たる本であるぞ! 王族とはいえ、それを公言したお前の首は……っ!」
喚き散らすドルディット国王に視線さえ向けず、エルフィナは言った。
「こちらの本は、現王から8代前のドルディット国王とその側近が書き記したものでございます。
ここには、王宮が管理する森に、ある日、異世界からやって来た一人の黒髪の少女を拾った事が記載されております。
その少女は当時この世界では存在しえない『英知』を国王に捧げ、その英知によってドルディット国の農耕・産業技術が飛躍的に発展し、王は賢王と称えられるようになった。 しかし、近隣諸国より優れた技術を持ったことで、国力を高めることに成功した国王は、同時に聖女の存在と英知が国外への流出するのを恐れ、彼女が見つかったその場所に『神殿』を建設し、異国から来たその少女を『聖女』として『神殿』に幽閉した。 そして、聖女から得た知識を彼女を失った後も継続して手に入れるため、その存在を、当時どのような方法を使ったかは記されておりませんが、『聖女自身』を彼女の世界とこちらの世界をつなぐための『媒介』とし『聖女を召喚する方法』を確立し、今日に至るまで『聖女召喚』を行っていたのです。」
どよめきが起きる。
「それは、真実か?」
「は……「でたらめだ! エルフィナ、良くもそんな我が祖先を、私を貶める嘘が言えたものだ! 皆様、我が娘エルフィナは、2年前に尊敬する兄の失態後、心を病んでいるのです! 耳を貸してはいけません!」
壇上で叫ぶ王の声に、誰かの声が響いた。
「もしそうだとしたら、そんなエルフィナ殿下に貴方は外交を任せっきりにしていたのか」 と。
その声に大量の汗をかき、そうだ、いや違う、そうではないと繰り返すように言うが、誰もが冷たい視線を投げかけるだけだ。
「なるほど。 エルフィナ殿下。 ドルディット国における神殿と聖女のお話は大変興味深い。 確かに貴国は様々な分野で、我々が考え付かないような優れた技術を開発し、発展を遂げてきた国です。 しかし、それが、そこに立つ彼と何の関係がありましょうか?」
「大いに関係ございます。」
「……やめろっ!」
ディ=ラトセント国の王太子の問いかけに、父王の叫びを聞きながらエルフィナは一度目を伏せ、それからしっかり前を見据え、口を開いた。
「彼は、現ドルディット国王と、20余年前に異世界から召喚された『聖女ハツネ』様との間に生まれ、今日の日まで秘匿されていた、本来の我が国の第一王子ウルティオ・アメサギ・ドルディットです。」
「やめろぉぉぉ!」
ドルディット国王の叫びが、王妃の声にならない悲鳴が、会場内に響いた。
「事実無根だ! 私の子供は正妃が生んだ4人のみ! 聖女など知らん!」
その叫びに、シャルルが冷たい視線を向けた。
「では、王家由来の子の翡翠の瞳をどう説明されるのですか? 父上によく似た面差しを、ここにいらっしゃる皆様に、どう説明なさるのですか?」
「私はそのような不貞行為は一切していない! そうだ、父王だ! 先代の父王が市井の女に産ませたのだろう、それならば、私の兄弟だ、似ることはある!」
「では、この黒髪は? この髪は、聖女固有のものだとご存じでしょう?」
「染めているのだろう!? もしかしてそうではないのか? だとしたら闇色など、なんと気味の悪い色だ! そのものは呪われておるのではないか!? あぁ、そうだ、我が王家を簒奪する者として呪われているのだ!」
「父上……お認めください。」
「なにをいう! お前こそなんだ、父に、王に向かってその口の利き方は! では、お前はその男が私の息子だとどう証明する!? 聖女の子!? はっ! そもそも我が国にはそのような聖女などいないではないか! そうだ、聖女はいない!」
それには貴族たちが座る席から様々な声があげられるが、王は血走った眼を向けた。
「うるさいっ! 王に向かって何たる不敬! 貴様ら全員不敬に問うぞ!」
……しん……
その叫びに一様に口を閉ざした貴族たちを鼻で笑うと、ドルディット国王は娘を睨みつけた。
「聖女も存在せぬ。 その男が私の子だと説明が出来ぬ。 古い神話を引っ張り出し、父王の落胤を見つけ、そうまでして私を王位から引きずりおろしたいのか、この親不孝者め! 貴様など王籍を抜き、国外追放にしてくれる!」
放心状態となった王妃の横で、髪を振り乱し、目を血走らせ、なおも怒鳴り声をあげるドルディット国王は、勝ち誇ったように笑った。
「そうだ、そうです! すべてはその娘の虚言なのです。 聖王猊下っ! どうか、この国を、民を裏切ったこの愚かな娘と息子をその御手で神の天秤にお乗せください。 一国の姫ともあろうものが、己が野望のために他者を、他国を巻き込み国を転覆させようとする。 そのような愚かな娘を、どうか――っ」
「聖女はいます。」
「おらん! この場にも、この国にも、聖女など存在しない!」
「では、ご覧に入れましょう。 皆様もどうぞ、ご覧ください。」
シャルルの声に、国王は目を見開いた。
「シャルル、お前は、何をっ!」
ゆっくりと頷いた聖王猊下の合図で、一度閉じられていた扉が開かれた。
「彼女が。 彼女こそが、我が王家に、我が国に、虐げ続けられた、黒髪の乙女、神殿の『聖女』です。」
皆が見守る中、手をつないだ2人の女性が、祭壇に向け、一歩、また一歩と歩き出した。




